第10話【ネカフェ】
可愛い。
鈴音をそう思ってしまった――いや、思うことが悪いわけじゃないんだが。
それに、あの可愛いというのは別に疚しい感情が含まれているわけではなく。
クラスの子と仲良く出来てるところを見て安心したというか、中学生らしい笑顔に安心したというか。
どちらかというと、そういう幼馴染心からくるものであって……
「啓太、聞いてる?」
「は、はい! 聞いていませんでした!」
「なにその先生に対するみたいな反応……」
「あ……悪い、ちょっと考え事してて」
俺としたことが、当の本人と一緒にいる時にこんなこと考えてどうするんだ。変に意識してしまうだけじゃないか。
「……話の続きしていい?」
「ああ」
「ネカフェ行きたい」
「えっ!?」
俺は本当に全く話を聞いていなかったらしい。
唐突な提案に、間抜けな声が飛び出てしまった。
「何故ネカフェ?」
「美咲から聞いたけど、啓太最近ブラフロにハマってるんでしょ?」
ブラックフロンティアは、確かに最近俺が夢中になっている漫画だが、話題に出したこともないのになんで美咲が知っているんだ。
……あいつ、まさか勝手に俺の部屋の本棚を見てるのか?
「私も読みたいけど、調べたら巻数が凄かったから、ネカフェで読みたいなって思って」
「ブラフロにハマってくれたら俺も嬉しいけど……中学の制服でネカフェは……」
「一度家に帰って着替えるから」
「……まあ、そういうことなら」
話を全く聞いていなかった負い目もあり、特に深く考えずにオッケーした。
というわけで、私服に着替えた鈴音と共に、ネカフェを訪れた。
一人用のシートを二席にしようとしたら、鈴音が勝手にペアシートを選択してしまった。曰く、お金がもったいないとのこと。
漫画とドリンク片手に、いざ自席までやって来たのはいいが……静かな空間で隣り合って漫画を読むというのは、思ったより緊張することに今更気が付いた。
「啓太はよく来るの?」
「いや……最後に来たのは結構前だな……」
隣のブースに聞こえないように小声の鈴音に対し、同じくらいの声量で返しながら漫画を手に取る。
「ふーん、……というか、なんでそんな端っこにいるの?」
「……すみっこが落ち着くんだよ」
というのはもちろん冗談で、極力距離を開けるためだ。
ペアシートなのでそこまで狭いというわけじゃないが、当然この間お邪魔した鈴音の部屋よりは遥かに狭い。
あまり近い位置にいると変に意識してしまいそうなので、これくらいがちょうどいい。
さて、漫画を読もう。
そう思いながらページを開きかけた時、
「こっち来てよ」
そんなことを言われて、手が止まってしまった。
思わず鈴音の方を見ると、視線を逸らされた。
「……俺は、すみっこで大丈夫だ」
何が大丈夫なのかは自分でもよく分からないが、この返答で勘弁してほしい。
今度こそ漫画を開いてそこに目を向ける。
一ページ目を読み終えた辺りで、微かな音がして。顔を上げると、鈴音が俺の近くまで来て隣に座り直していた。
「な、なんでわざわざ近付いて来るんだよ」
「あんまり遠いと、話す時の声が大きくなって迷惑でしょ」
「……、……確かに」
あまりに正当な理由に、つい納得してしまった。
恥ずかしいからなどという理由で距離をとっていた自分を恥じつつ、再び漫画に視線を落とす。
少しして、鈴音もブラフロを読み始めた。
それからしばらく、ページをめくる音と店内に流れる静かなBGM、マウスのクリック音だけが聞こえる中、漫画を読みふけった。
二巻を読み終えた辺りで、一息つく。
ふと隣を見ると、鈴音と目が合った。
「……人が漫画読んでるところを見るなよ」
「なんかすごい真剣に読んでるから気になっちゃって」
「面白かったからな。鈴音も次読んでみてくれ」
「うん。……実はクラスの子がさ、ネカフェデートしたって聞いて憧れてたんだ」
思わぬ単語に、つい漫画を手から落としそうになってしまった。
デート……そうか、二人で一緒に遊んでるんだから、これもある意味デートなのか……?
「啓太と一緒に啓太の好きな漫画が読めて嬉しい」
「そ……そうか」
そっけない返しをしてしまった俺に対して、鈴音は何か考えるような間を取った後、少しだけもたれかかってきた。
「なっ……」
つい大声をあげかけてしまったが、ここが壁でしか仕切られていない場所だと思い出し、グッと堪える。
すると、鈴音はすぐに体勢を元に戻し、そそくさと離れていった。
「……ごめん……ちょっとやってみたかっただけ」
少し遠い位置から呟いた鈴音の声はほぼ俺の耳に届かなかったけど、恥ずかしがっていることだけは伝わってきた。
それを見て俺も思うところがないわけではないが、このまま俺まで恥ずかしがってしまったら空気が終わる気がする。
「ブラフロ、どうだった?」
「……えっと、一巻のここの伏線が気になる。あとヒロインの子が可哀想だけど健気で可愛い」
無難に感想会へ持ち込もうとしたら、鈴音もノッてくれて安心した。
周りの迷惑にならない程度の声量で漫画について話し合っている間に、先ほどの気恥ずかしい空気はどこかへ消えていった。
◆ ◆
ネカフェから帰る途中、ふと隣を見ると、鈴音が服の襟元をパタパタさせていた。
暑いのだろうかと思ってついジッと見てしまったら、視線に気が付いたらしい。鈴音は襟元からパーカーのフード部分へと手を移動させた。
「……なに?」
「いや、暑いのかと思って」
「別にそういうわけじゃないけど。……着替える時にね、前の服とどっちにするか迷ったの」
今の鈴音の服装は見慣れたパーカー姿だ。
前の服というのは、カラオケの時に着ていた、ヒカルさんのブロマイドによく似たあの服のことだろうか。
「啓太がパーカーも私らしいって言ってくれたからこっちにしたんだけど……やっぱり外したかも、って思って」
だから襟元をパタつかせていたんだろうか。
「俺はパーカーの方が見てて落ち着くよ」
「……それは、前の服だとヒカルちゃんのこと思い出してドキドキするから?」
「俺は推しにドキドキはしない」
もちろんテンションが上がったりはするけど……あくまで推しは見ていると幸せになれる存在であり、ドキドキとは無縁だ。
「そうなんだ。ならどんなのが好み?」
「好み……」
「あ、服の好みだから。年上っていうのは無しね」
「分かってるよ……」
そもそも、鈴音の気持ちを知ってる状態でそんなことを言うほどデリカシーのない人間ではないつもりだ。
しかし服か……自分の服にもあまり興味ないし、女物の服なんてより分からないんだよな。
「鈴音なら何でも似合うんじゃないか」
「適当」
「事実なんだから仕方ないだろ。……なら、あれだ……ポニーテールとか、いいんじゃないか」
「服装じゃないじゃん」
髪型も服装の一つかと思って言ったんだが、よく考えればそんなわけはなかった。
せめて何か言おうと思った結果、俺はただ己の好みを披露しただけの残念な奴と化してしまった。
「忘れてくれ……」
「万が一の時のために覚えとくね」
「どんな時だよ……」
「ブラフロの続きも読むね」
「あ、それは気に入ってもらえてよかったよ」
語り合える仲間が増えるかと思うと素直に嬉しい。
そんな会話をしながら歩く駅前は、夕方という時間帯の影響もあってたくさんの人で溢れていた。
帰宅中の学生、急いでどこかに向かうスーツ姿の男性、子供の手を引く母親。
色々な人がいる中、ある一集団が目に入った。
ピンク色のキッチンカーの前に並ぶ人たち。そのほとんどが、恐らく恋人同士と思われる男女だった。
「あのキッチンカーって……」
「ああ、有名なとこだよ」
思わず呟くと、鈴音はすぐにそちらを見て答えた。
「二人で行かなきゃ注文出来ないカップル限定ジュースっていうのがあって、それを飲んだらその二人は一生一緒にいられるんだって」
「それはまた……ベタだな」
「いつの時代もベタなのがウケるんだよ」
鈴音は小さく頷いた後、立ち止まってキッチンカーの方を指差した。
「買っていく?」
「……あんまりからかわないでくれ」
どう答えたらいいか、本気で分からなくなってしまう。
顔を押さえて項垂れる俺を見て、クスクスと笑った鈴音は「冗談だよ」と言って、再び歩き出した。
「いつか一緒に飲みたいのは本当だけど」
ぽつりとこぼされた言葉に、俺は上手く返すことが出来なかった。
続く




