第五章 其の十一
辺りは一気に地獄へと化した。
あちこちで大量の血溜まりができ、すでに動かないもの、動いてはいても低い声で呻きながらもがくもの、のたうち回るものなどまさに阿鼻叫喚だった。
なにが起きたのか理解できずに、俺たちはただ立ち尽くす。
「なぁ...に、が......なにが、おこっ...たのだ!!」
大名が苦しそうに呻きながらも叫ぶ。しかし、動けはしないようで依然として蹲ったままだ。
呆然とその様を見ていれば、先ほどまで縛られていたはずの甚が、なぜか自由になった状態でこちらへと駆けてくる。
「旦那、大丈夫か?」
「大丈夫だが.....どういうことだ?」
俺の縄も解いてくれる甚に困惑しながら説明を求めれば、甚がちらりと大名の後ろ側を見た。
その視線の先では、鈴音がひどく冷たい瞳で大名を見下ろしていた。そして、ひらりとその手が振られると近くに控えていた男が大名の娘を解放する。
解放された娘殿も、男ふたりを連れながらすぐにこちらへと駆けてきた。
「将軍様、今すぐここを離れましょう。」
そう言って、ぐいと腕を引かれたが俺は即座にそれを振り払う。
「それはできない。お前たち、娘殿を連れて今すぐに松へと戻れ。」
「なにを...」
「俺もすぐに戻る。まずは娘殿の安全を最優先しろ。」
「それならわしのとこの奴らもつけよう。」
俺の意図を察したのか、甚も即座に自分のところの者たちに指示を出す。すると、甚の命令を受けた者たちが、うちのふたりの腕を引いて連れて行こうとした。それに焦ったようにふたりが叫ぶ。
「旦那様!!」
「大丈夫だから、先に戻っていろ。」
安心させるように出来るだけ柔らかい声で言えば、後ろから冷ややかな声が飛んでくる。
「いいえ。皆様どうぞ仲良く揃って松へとお帰りください。」
後ろを振り返れば、いつの間にか刀を手にした鈴音がいた。
背後では、ふたりの声がだんだんと遠ざかっていく。
「深鈴...貴様、裏切ったな!」
さすがに気づいたらしい大名が、鈴音の足元で喚けばくっと笑う。
「裏切った?」
その手の刀を抜き放ちながら、鈴音はゆっくりと大名へと近づく。
「私が、いつ貴方の味方になったというのでしょうか?」
「なっ!?」
わなわなと怒りに震え、目を見開くさまはあまりにも滑稽である。
大名が手を伸ばして、しかし力が入らなかったのだろう。その手はすぐに地へと降りていく。
「ああ、忘れるところでした。」
勢いだけは今にも掴みかかりそうな大名を放って、鈴音は不意に思い出したように顔を上げた。そして、傍らの男へとなにかを合図すれば、それを受けた男が頭を下げて後方にあった小屋のようなところへと足を向ける。そして、その扉を開け放つとだれかを雑に引きずり出した。
俺の前へとその男が投げられれば、ばっと上げられた見覚えのある顔に俺も甚も息を吞んだ。
「こちらの方は将軍様に差し上げます。どうぞ松へと連れ帰り、お好きになさってください。」
暗にさっさと帰れと言われて、その男を見下ろす。足元で蹲る蔵山は、先ほどからなにかを呻いているが猿轡をしているためになにを叫んでいるかはわからない。
「......君は、どうするつもりだ?」
「知る必要はありません。」
にべもなく言い放つ姿に、今この場で俺は邪魔者なのだと認識する。もしかすると、このままここに留まればすでに息絶えたあの者たちと同じようになる可能性すら感じられるほどだった。
それでも、俺の足が動かないでいれば突如として大名の怒声が響き渡る。
「ふざけるな!!」
未だ口の端から血を滴らせながら、ぶるぶるとその肩を震わせた。
「このようなことをして、ただで済むと思っているのか!?今まで育ててやった恩を仇で返すつもりか!」
息を荒げる大名に、鈴音は変わらず冷たく笑った。
「育てた...ですか。」
「そうだ!兄上がお前を拾い、亡き後は私が生かしてやっただろう!なぜこの地の役に立てんのだ!」
大名の言葉に、鈴音はなにかを返すこともなくただただじっと暗い瞳で見下ろしているだけだった。
ぜぇ、ぜぇと苦しそうな息遣いだけがしばらく響いた後、無機質な声音で鈴音は大名へと問いかける。
「先代大名亡き後、どうして貴方は私を欲しがったのでしょう?」
「お前がこの地を知り尽くしていたからに決まっているだろう!物事の流れを読み、先んじて動くことができるその才を!買ってやったのだ!!」
だんっと地へと拳を殴りつける大名を馬鹿にするように、鈴音はくすりと笑う。
「では、なぜ私にそれができたと思いますか?」
「そんなもの、お前が恵まれていたからであろう!なにをしておらずとも周りに人が集まるような兄上のもとで育ち、優秀な教育係が付けられ、何不自由なく過ごしていたからに他ならない!どれほどお前が恵まれた立場にいたのか理解できぬというのか!?」
大名の返答に、周りに立っていた男たちがすっと瞳を細くした。殺意すら感じられるほどに彼らからは怒りが伝わってくる。
かくいう俺も似たようなものだった。愚か者だとは思っていたが、ここまでくると手の施しようがない。
鈴音は、そんなどうしようもない愚か者にも気分を害した様子なく静かに質問を重ねる。
「そう思っていながら、貴方は兄であるその人を殺したのですね。」




