第五章 其の十二
「当たり前だろう。昔から優秀だのなんだのと、人から無条件に慕われるあいつが憎くて目障りだったのだ。だというのに!ある日突然、素性のわからぬ幼子を連れてきたかと思えば、後継者として育て始めたというではないか。あの兄に!つけ入る隙ができた瞬間だった!」
血を吐きながらも嬉々とした表情で笑うその様は、どこか狂気じみていて異様だった。
柊の一族について詳細を知らないため、いまいち話の軸を掴めずにいたが、傍から話を聞いていれば先代大名の不自然さが感じられた。
養子をとること自体は珍しくはない。だが、それが女子であった鈴音...というのが変なのだ。先代大名の目に留まるほどに秀でたなにかがあったのであれば別かもしれないが、先ほどの話から察するに今の鈴音を形作るそれらは先代大名より教わったものだと思われる。
「だからすぐにお前に近づいた。警戒されることもなく受け入れてくれたおかげで、事は容易く私の思う通りに進んだ!」
大名は恍惚とした表情さえ浮かべて、血を吐いたとは思えないほどに興奮した様子で続ける。
「あのときの兄上の絶望した顔は、それはそれは愉快だった!なぜだ、と叫んで怒りに肩を震わせる様を見たあの瞬間に、私はようやくすべてを手にすることができたのだ...!」
はははは!と笑う大名に、俺はぞくりと背を震わせる。正気ではない。
先代大名も哀れなひとだ。愚かなこの弟のせいでどれほどに苦しめられたことだろう。兄弟のいない俺には微塵も共感できる思いなど持ち合わせていないが、それでもこれが普通の兄弟関係ではないことはさすがにわかる。
はぁ...とため息を吐いた鈴音は、興味を失ったように白けた表情を見せた。
「そうですか。ずいぶんとお気楽な頭でなによりです。どうぞ、そのままお幸せなままで死んでくださいませ。」
すらりと刀を抜いたかと思うと、鈴音は躊躇いもせずにその手を振り上げた。
だというのに大名はまるであざ笑うかのように口元に笑みを浮かべて叫んだ。
「死ぬのはお前だ!さあ、私を守れ!」
......
場には沈黙しか降りてこない。
いったいだれに対して叫んだのだろうか。もしかして、まだここに大名を守るような者たちが残っているのかと辺りを見渡してみるも、あるのは地面に倒れこんだ亡骸たちと、鈴音の指示で動いていた者たちが立っていただけだった。
そのことに首を傾げれば、再度大名が叫ぶ。
「なにをしている!早くこの娘を捕らえろ!」
一転して余裕を失ったその様を見て、鈴音がくすりと笑った。
そばには、今なお五体満足な男たちが近づいて跪く。己の忠実な臣下だったはずの男たちが、敵である鈴音へと首を垂れたその様に、大名は愕然とした表情で言葉を失う。
それが当たり前であったかのように、鈴音は動揺することなく大名へと向き直った。
「可哀想なお人。なにも知らず、だれからも助けてもらえず、孤独に苛まれながら息絶えるといい。」
最後に低く、怒りの滲む声で言い放った鈴音がその刀を振り下ろそうとしたのを見てとっさに身体が動く。
腕を、掴まれた鈴音がこちらを見ることもなく唸る。
「どうか、止めないでください。」
「鈴音。」
「この男だけは...この一族だけは...!生かしておくわけにはいかないのです!!」
ばっと振り返ったその瞳には、激しい憎悪が渦巻いていた。
これほどまでの激情を抱くほどのことを、柊はしてきたということなのだろう。俺にもその想いが理解できないわけではない。
ぐっと唇を噛みしめて、震えるその肩を後ろからそっと抱き寄せた。
「止めたいわけじゃない。君が受けた仕打ちを知らない俺が、なにかを言える立場でないことも理解している。だが、君にそれをさせたくもない。これは俺の我儘だ。」
存外に暴れられることがなかった鈴音を放して、その顔を覗き込む。ぐっと眉を寄せてただ地面を睨みつける鈴音に、俺は祈りを込めて言葉を届ける。
「どうか、その役目を俺に譲ってはもらえないだろうか。」
「なりません。」
これには即座に返されて、こんなときだというのに俺はふっと相好を崩してしまう。
きちんと鈴音はそこにあるのだと安心してしまった。けれども、だからこそとより強く願ってしまう。
「これは私が背負うべき咎なのです。将軍様がお手を汚される必要はございません。」
「ならばその咎を、ともに背負わせてほしい。」
頑なに首を横に振る鈴音に、優しく、諭すように俺は続ける。俺にだって譲りたくないときはあるのだ。
「大丈夫。すべてを俺のせいにすればいい。君はなにも見ていない。君は.........なにもしていない。」
冷たい雫が伝うその瞳をするりと片手で覆い、刀を持つその手ごと己の手で握りしめる。
そうして、俺たちはその刀を真っ直ぐに振り下ろした。
すべての音が消えたその場を、昇り始めた朝日が柔らかく光で満たしてゆく。
俺は、未だ腕の中に閉じ込めた温もりが消えてしまわぬようにと、きつく抱きしめた。その腕にそっと添えられた震える手だけが、この場で唯一俺にとって意味のあるものだった。




