第五章 其の八
「それは当然の疑問かと思います。ですが、私を信用できず利用なさらない...というのであれば、どうやってここから出るおつもりですか?」
この娘の言う通りではあるが、だからといって『よし君を信用しよう。だからここから脱出できるようにしてくれ』なんて言うわけがないだろう。
そう思いながら黙り込んでいれば、娘が馬鹿にするように笑った。
「将軍様。今は何を利用してもここから逃れなければならないのではありませんか?松は。帝のいらっしゃる桜は。どうされるのです?」
発された娘の言葉に、俺は目を見張った。
この娘は、このようなことが考えられる人ではなかったはずだ。いや、こちらが本質なのだろうか?これまでの姿と、今目の前にある姿との乖離にますます疑心暗鬼に陥る。
「ずいぶんと知ったような口をきくが、君になにができる。先ほど自分で牢から出すことはできない、と言ったじゃないか。」
「外にいる将軍様のお仲間に言伝を預かることができます。すでに父はその方たちについても捜索命令を下しております。手をこまねいて捕らえられ、皆様仲良くここで死にたいというのであれば止めは致しません。」
どこか既視感があるかのような娘の言動に、俺は内心で首を傾げる。
いったい、どこで...
「将軍様。」
物思いに耽ろうとした俺に、後ろのひとりが口を開いた。
「ここは信じられずとも託すしかないかと。状況を伝えられずにあちらにまでなにかあってからでは後手にまわってしまいます。」
そう提案をしてくれるも、俺はまだ頷くことはできずにいた。しかし、信用できなかったとしてもその手を取る以外の選択肢がないこともわかってはいる。
「君は、どうして俺たちの味方をしようとする?俺たちに手を貸すことは、父に対する裏切りだ。」
どうしても、まだ頷くことのできなかった俺は代わりに質問を投げた。これは、もし本当に俺たちに手を貸そうとしているならば、その身を案じるものでもある。だが、目の前の娘は予想外に今まで見たこともないような忌々しそうな表情をしながら吐き捨てた。
「あのような父など、私にとっては庇う価値もありません。」
その言葉に後ろのふたりすら驚く気配が伝わってくる。
あの大名はたしか娘をたいそう可愛がっていたはずだ。これまでの光景を思い出しても、よい親子関係であるかのように思えたが、どうやら裏ではなにかあるらしい。
「君の事情に興味はないし、知ろうとも思わない。だが、もし本当に手助けをしてくれるというのであれば、君の身の安全には多少配慮しよう。」
「相変わらずひどいお方ですこと。」
複雑な心情をぐっとこらえながらできる限りの配慮をと口にしたにも関わらず、娘はうんざりしたような表情を見せた。そして、持ってきていた籠を漁りながら、さして気にした風もなくさっとこちらになにかを差し出す。
「まあ、よろしいですわ。その言葉をどうか忘れないでくださいませ。」
俺は柵の隙間から、その手に握られた小さな紙と筆を受け取った。
ずいぶんと準備がいい。この娘にすら、俺たちがそうするしかないことがわかっていたということだろう。
甚に伝えるべきことを簡潔に書いて、その手に戻す。
娘はそれを籠へは戻さずに懐へと仕舞い込んで立ち上がった。
「こちらは今夜のお食事となります。毒などは入っておりませんので、安心してお召し上がりください。」
こちら、と指し示された先は置かれたままの籠で。
その大きさにどうやって受け取れと?と見上げていれば、気づいた娘は籠を牢の端へと移動させた。後ろのひとりがさっとそちらへ移動すると、なるほど受取口が用意されていたようで籠の大きさぎりぎりの一部の柵が開いて、そちらから受け取っていた。
「それでは、また明日に来ます。」
娘はこちらの返事など聞かず、そのままくるりと踵を返した。
後ろ姿が見えなくなるまで無言で見送り、ほどなくしてほっと緊張の糸を解く。
「逆に毒とか入っていそうですけどね。」
籠を手にして俺のそばに来たひとりが笑いながらその中身を取り出した。もうひとりもそばへと来てそれを覗き込む。
「まあでも牢に入れるくらいだから、まだ殺されることはないんじゃないか?深鈴殿も殺すより生かすほうが利用価値がある、と言っていたわけだし。」
軽く言われたその言葉に、先ほどまでの光景がすぐに思い出された。どう見ても大名側に立っていたその姿にぐっと眉を寄せていれば、ひとりがそんな俺をじっと見て問いかけた。
「将軍様。深鈴殿は我々を騙していた、と考えて問題ありませんか?」
「わからない。そんなことはない、と思いたい。」
どうにか否定をしようとしたものの、あまりにも無理がありすぎるとわかって俯く。
「明らかに大名側の人間でしたよ。それも、深鈴殿の発言で大名が動いていました。今回の一連の騒動も、すべて深鈴殿が仕組んだことなのでは?」
「そんなはずは...」
「将軍様、しっかりしてください。」
きちんと周囲の状況を冷静に見ていたふたりに苦々しく思いながら、未だ鈴音をかばおうとした俺を叱責するように語気を強めた。ふたりからの視線が痛く、俺は自身を落ち着けるように深く息を吐きだす。
「なにも目が曇っているつもりはない。だからこそ、彼女は裏切ったわけではないと思っている。大名はあそこで俺たちを殺すつもりだったのに対して、彼女がそれを取り成した。」
あの瞬間は俺もひどく動揺したが、冷静になって思い起こしてみれば鈴音は大名を諫める発言が多かった。そして、ほんの一瞬だけ交わったその瞳には、焦りが浮かんでいた気がする。
「ひとまず、甚からの返事を待とう。もしもの時は、交戦もやむを得ないと覚悟しておいてほしい。」




