第四章 其の十
衝撃から立ち直れない俺を置いて、ふたりはとんでもない会話を続ける。
「...毒にまで耐性があるのか?」
甚が眉を寄せて低い声を出せば、鈴音からすとんと表情が消える。
「守隆様は私のことをよくご存じのようですね?それゆえに余計...でしょうか?」
恐怖さえ覚える冷たい瞳はついと細められて、薄らと笑うその様に身体は凍てついていく。
甚もそれは感じ取ったのか、その身を固くした。
「すべては知らん。だが、旦那よりは知っとるだろうな。」
「知っていながら、それをお伝えしていないのはなぜでしょうか。」
「...旦那は知らなくていいことだ。」
「影は影のみが持つもの。」
「それがわかっているのなら、わしの言いたいこともわかるだろう。」
先ほどから、ふたりはなにを話している?
「俺が知らなくていいこと、とはなんだ?」
これ以上、置いて行かれるわけにはいかないと口を挟めば、ふたりがこちらを見る。しかし、その口が開かれることはなかった。
「鈴音、それがもし大名関連のことであるならば把握しておきたい。それ以外だったとしても、君のことについては些細なことでも知りたいと思っている。」
俺の言葉に、鈴音は首を振った。
それに、俺は唇を噛んでぎゅっと瞼を閉じる。わかっていたことだとしても、やるせなさは消せない。
「甚、それは俺が命令を下したとしても、話せないことか?」
「いいえ、お話しできます。」
仕方なく主人としての言葉で問えば、即座に臣下のそれに変えた甚はぱっと地に膝をつき、頭を下げて恭順の意を示した。
「されど、恐れ多くも申し上げます。私の口から真実を知ったとして、なにも得られることはございません。むしろ溝を深めてしまうだけかと。」
「......わかった。」
甚がこのように言うということは、本当に鈴音自身の口から聞くべきことなのだろうと、無理やり己を納得させる。そして、それがわかったのならばやるべきことはひとつなのだ。
「鈴音。」
「私はどなたにも、なにひとつ、話すつもりはございません。その必要もありません。」
名を呼んだだけの俺に、きっぱりと拒絶を示す。それだけに留まらず、鈴音は甚に対してかなり険のある声音で一歩近づく。
「守隆様は、いったいどこまでご存じなのでしょうか?私にはまだ為すべきことがありますので、できれば穏便に済ませたかったのですが...その意思が、守隆様にございますか?」
ゆらり、と立ち上った殺意に、咄嗟に身体は前に出る。
鈴音と、甚の間に立つような形となり、俺自身が驚いてしまう。己の身を守ることも、だれかの命を奪えるほどの脅威もないように見える、小さな刀ひとつを持っただけの相手だ。ましてや刀を持ったその腕はだらりと無防備に下ろされている。
だというのに、俺は頭の片隅で鳴る警鐘にまるで戦場に立っているかのような錯覚を覚えた。近頃はこのような感覚に陥ることもなくなっていたというのに。
「鈴音、落ち着け。こちらは君を害するつもりはない。」
「...」
刺激するのは悪手なように思えてまずは俺が構えを解いた。それは正解だったようで、それを見た鈴音もしばらくした後に、ふっとその鋭気を消してくれた。
「失礼いたしました。柊のことを、詳しく知っていたようでしたので、もしや柊となにか繋がりがあるのではと邪推してしまいました。重ねてお詫び申し上げます。」
一歩下がって頭を下げた鈴音に、甚が慎重に口を開く。
「わしが知っていることなど、ほんの一握りだ。柊の地でなにが行われていたのかを耳に挟んだくらいで、大名の娘に関してはおかしいくらいになにも情報が手に入らなかった。だから、鈴音殿もそちら側の人間なのではないかと...試そうとした。すまなかったな。」
「謝罪など、される必要はございません。私はそちら側の人間です。」
鈴音のよくわからない言動に、どういうことだと甚を見ればその顔は不愉快そうに顰められていた。対照的に、鈴音はその口元に笑みすら浮かべていたほどで、ますます混乱する。そちら側、と表現されたそれが指す先がいったいどこなのか。
「...なにが目的で、旦那に近づいた?」
「守隆様には正直に申し上げましょう。私は将軍様に、近づこうとしたわけではありません。.........利用しようとしたのです。」
「やめろ。」
幾度と話して俺が構わないと言ったにも関わらず、なおも自身を悪く言う鈴音を強く止める。
「その件については何度も言ったように、俺がそうしろと言ったんだ。それから甚。鈴音には俺から近づいたんだ。だからそんな風に鈴音を責めたりするな。聞きたいことがあるなら俺に聞け。」
これ以上、なにか下手を打ってもし鈴音がふらりとどこかへ消えてしまったらどうするんだと甚を睨む。
疲労か驚きか、はたまた困惑か。なにが原因かはわからないが先ほどから頭痛もひどくて、気遣う余裕などない。
「鈴音、これだけははっきりと言っておく。俺を利用していようとなんだろうとかまわない。それを上回るほどに鈴音は俺に、そして松のために尽くしてくれている。」
見つめる瞳にはなんの感情も映っておらず、この言葉が届いていないことを痛感する。
それでも、どうかと願わずにはいられなかった。
「だから...なにも、気に......せず...」
ぼんやりと霞みゆく視界の中で、俺は最後まで口にできずに、慌てた様子のふたりが視界の外に消えていったところで俺の意識は途絶えた。




