第四章 其の十一
ぱちりと目を覚ませば、見慣れぬ天井が目に入る。
事態を把握するまでにたっぷりと時間を費やし、果てには頭を抱えて唸る奇妙な物体と化した俺を、いつの間にかそこにいた鈴音に目撃されて、さらに丸くなった。
「将軍様、具合のほどはいかがでしょうか。」
もっていた水桶をことりと傍らに置きながら、ひたりと冷たい手のひらが額へと当てられる。そうしてはじめて己が熱を出していたことに気づいた。
「...だいぶ、ましになった。」
「屋敷にはすでに報せを送っていただきましたので、本日はそのままお休みください。」
「いや、大丈夫だ。」
「実様からも、そのままお休みいただくように返事を受け取っています。そのような状態で馬に乗るのは危険です。」
見栄を張ったものの、未だに痛む頭のことはばれていたらしく、強めの口調で言われてしまい問題ない...という言葉は喉の奥へと押し込まれる。
「実様よりお話がある、と言われておりますので私は先に戻ります。代わりに、屋敷からひとりこちらに向かわせてくださっているようですので、その方が到着次第発ちます。」
決定事項だというように告げられたそれに、反論することもかなわず。
俺はそのまま到着した人と入れ替わるように出ていった鈴音を、見送ることしかできなかった。
そうして部屋で大人しく横になっていれば、甚が様子を見に顔を出した。
「旦那、調子はどうだ?」
「頭の痛みがまだ少し。」
身体を起こして甚へと返事をする。昨日に比べれば、これでだいぶましにはなったほうなのだ。
「旦那が酒に酔うなんて、ずいぶんと疲れとったんだな。」
「そんなわけがないだろう。甚が俺の心臓に悪いことばかりするからだ。...絶対にそれのせいだ。」
茶化すように言われたそれに、不貞腐れながら昨日はよくも...という思いを込めて甚を睨む。
甚は一転して笑みを消し、顔を曇らせながらも優しい口調で俺を諭した。
「旦那、あの娘は旦那の隣に置いちゃいかん。使うことは構わないが、もっと遠くで飼うか、それか必要なんであればうちのとこのを貸してやる。」
「なにが、言いたい...?」
昨日から、いつまで経っても俺の理解が追いつかない。
ずいぶんと気に入っているように思えたのに、今度は突き放すように冷たくする。まさかふたりの人格がいるのではないか?と言ってしまいたくなるほどにちぐはぐで、素直にわかったなんて頷けるはずもない。
そんな風に黙って抗議をしている俺に、甚は仕方ないというようにため息をついた。
「...柊の地では、着実に準備が進められておる。」
これまでの、どこかおどけが混じるような空気から、張り詰めるような気配へと面変わりする。
主語もなく語られたそれに、なんとなくの見当がつきつつもなにも言葉にはできない。言葉にしてしまえば、現実になってしまいそうで。
「柊の地に関しては、これまで以上につぶさに監視するようにする。だが、向こうは鈴音殿を口実に旦那を攻撃するだろう。せめて手遅れになる前に手を打つべきだ。」
「それほどまでに、向こうの動きが確実だということか?」
手遅れになる前に、ということはもうすでに手をつけるには遅いということだ。しかし、どうしても腑に落ちなかった俺が確認を取れば、甚は無情にも容易く頷く。
「おそらく年内には表でも動き始めるだろう。」
もしそれが本当ならば、あまり猶予はないと思っていたほうがいいだろう。
どのように仕掛けてくるつもりなのか、武器を集めている時点で穏やかではないことは確実で、ならばこちらもそれ相応の準備をしておかなければかなりの痛手を負うことになる。
「考えなければいけないことが多くて、嫌になる。」
ひとつ終わればまたひとつ。
尽きることのない悩みに、頭の痛みが増した気がしてぐっと頭を抱え込む。
「気の毒ではあるが、そこに座っちまった以上致し方なし。」
「なりたくてなったわけじゃない。」
「そうか。」
幾度となく口にした言葉を、ここでも口にすればさらりと受け流される。
ただ愚痴をこぼしているだけなのだとわかっているからこそ、このように軽く取り扱ってくれる。じいやもそうだが、だからこそ俺はこんな風に吐き出せてしまう。そして、甘やかしてくれているのだろうなと感じずにはいられない。
「...いつも、すまないな。かなり助かっている。」
「旦那、まだ酒が抜けていないのか...?」
たまには、と思って礼を口にするも、甚は目を丸くして大げさに驚いて見せる。その様子に若干の苛立ちを覚えた俺は、拗ねたように少し早口で捲し立てた。
「ああそうだ。さっきから頭が痛くてしょうがないんだ。ということで、後はすべて甚に任せた。」
ぽんとその肩をたたいて、すぐにどさりと横になる。
もうこのまま寝てやろうと背中を向けて目を閉じていれば、後ろからはくっくっと笑う声が聞こえた。
「こりゃあ揶揄いすぎたか。旦那が素直に礼を口にするなんざ珍しくてな。」
「お前が俺をどういう人間だと見ていたのかよくわかった。」
もはや不機嫌さも隠さずに言えば、頭に優しく温もりが触れた。
「...ずいぶんと、変わったな。」
ただぽつりと溢されたそれは、いいことなのか悪いことなのか。聞きたくもなくて、ただ黙って受け入れながら、ゆらり、ゆらりと揺れる温もりに、俺はまた眠りへと落ちていった。




