第四章 其の八
「それは?」
鈴音が両手でそっと受け取ったそれを見つめつつ問えば、甚は肩を竦める。
「見ての通り、短刀だ。」
「なぜ、そんなものを鈴音に...?」
「なんでって、鈴音殿なら扱えるだろう。」
ふつうは鈴音のような娘に対して、刀を渡すことなどしないだろうと胡乱な目を向けていれば、むしろ甚がこちらを訝し気に見てくる。なぜ、そんな風に当然のことだろうというような顔をしているんだと思っていれば、鈴音も戸惑ったように甚に聞いた。
「その、どうしてお分かりになったのかを伺ってもよろしいでしょうか?」
「お主の手と動きだ。おそらく、幼少期の事情によるものだろうが、旦那の後ろに控えていたときの鈴音殿は、まさにそういう人間の在り方だった。裏の人間であればあるほど、気づきやすいだろう。隠したいなら気をつけることだ。」
「ご忠告、痛み入ります。今後は気をつけます。」
呆れたように言う甚に、鈴音が苦い顔をしながら頷いた。
俺にはわからなかった故に、甚がおかしいだけだろうと言ってやりたかったが、他に納得できない部分を今度は俺が問いかける。
「それで?なぜ短刀を?」
ふむ...と考え込むように少し沈黙した後、じっと見つめる俺たちから視線を逸らして頭をがしがしと掻く。
「...まあ、お守りみたいなもんだ。扱える人間が持てば、なにかしらの役に立つこともあるだろう。女人が刀を持ち歩くのは目立ちすぎるからな。」
「こんなものを使うような場面が、本当に来てしまったらどうするんだ。」
「そうなる前に旦那がきちんと止められるといいな?」
神妙な面持ちをしていたかと思えば、一転してにやりと意地の悪い顔で笑う。旦那にはできないだろうがな、と言外に言われた気がしてむっとする。
「あのな、俺だって傷ついているからな?鈴音が守らせてくれないんだ。」
ふいとそっぽを向いていじけたように言えば、とうとう腹を抱えて笑われる。
「ははははっ!こいつはいい!鈴音殿はずいぶんとうまく旦那を甘やかしているらしい。こんな素直な旦那なんていつぶりか!」
なおも楽しそうに笑い声が響くが、言われた言葉に俺は衝撃を受けて固まっていた。...きっと、さぞ間抜けな顔をしていたに違いない。堪らなくなって、「酔いすぎだ」と言おうと口を開く前に鈴音が眉を寄せて否定した。
「将軍様を甘やかしたりなど、そんな恐れ多いことはしておりません。」
「そうか。そうか。旦那、よかったな。こんなにいい人がそばに居てくれて。大事にするんだぞ。」
「言われるまでもない。」
「おっと、これ以上は藪蛇か?」
にやにやと、悪びれる様子もないことから完全に遊んでいるなと呆れると、鈴音が突然立ち上がった。
「...少し、酔ったみたいですので、風にあたってきます。」
見上げれば、さっと顔を隠してそそくさと外へ出て行ってしまう。俺は、そのほんのりと色づいた耳の意味に、気づくことができずに呆然と見送ってしまった。
「旦那は、鈴音殿が大切か?」
ずっと鈴音が立ち去った方を見て固まっている俺に、甚は先ほどとは違う優しい声で問うた。そのことについて、もはや隠すつもりもなかったので即答する。
「もちろん。」
「あの娘がとてつもなく、深い闇を抱えていようと?」
「関係ない。」
続けて問われた内容にも即答する。すると、逆に甚が片眉をあげて訝し気にする。
「旦那はどこまで知っているんだ?」
「鈴音の過去についてなら一通り聞いている。柊の先代大名が父であり、今代大名との関係についても知っている。」
「...そうか。」
さらに眉間のしわを深くして曖昧な相槌をした甚に、俺のほうが身を乗り出す。
「他にも、なにかあるのか?」
なにを知っているのだと問いかければ、甚は一度瞼を閉じて...そしてゆっくりと開いた。
「...それは、本人から話してもらうといい。」
がらりと音を立てて外へと続く戸を開けば、途端に冷たい空気が頬を撫でる。
さすがに山奥の夜は、もうすでに冷えるらしい。腕をさすりながら辺りを見渡せば、すぐに少し離れたところでぼんやりと空を眺める背中を見つけて近寄る。
「考えごとか?」
ぱっと振り向いた鈴音には動揺も怒りも見えず、ただ首を横に振る。そうしてまた空を見上げた。
「月が、綺麗で...」
独り言のように呟かれたそれに、俺も同じように空を見上げた。どうやら今日は満月だったらしい。見事なまでの綺麗な丸を描いた月がそこに浮かび、辺りを明るく照らしていた。
その光が映し出す横顔へ視線をおろすと、懐かしくなってふっと息を漏らした。
そんな俺に気づいた鈴音は視線を戻して不思議そうに首を傾げる。
「なにか、変でしたか...?」
「いや、懐かしいな...と。あのときから変わらず、鈴音は美しいな。」
こちらを向いたその瞳を見つめ返して言えば、ばっと逸らされて恥ずかしそうにされる。...今日は、ずいぶんと素直な反応を見せてくれる。そのことを嬉しく思っていれば、今度は恨めし気な目を向けられた。
「将軍様は、本当に...遠慮がなくなりましたね?」
「当たり前だろう。君を口説いているのだから。」
「くどっ...!?」
むしろ今までなんだと思っていたんだと呆れれば、ぐっと眉を寄せて鈴音は俯いてしまう。
「前にも言ったように、君からの想いを望んでいるわけではない。ただ、俺がそうしたくてしているだけだから、気にしないでくれ。」
「私も申し上げました。困ります、と。」
「そうか。」
「そうか!?」
次は目を丸くした鈴音に、くるくると変わる表情もまた可愛らしいものだな、なんて呑気に思う。それを指摘してしまえば、きっと無表情に戻ってしまうのがわかるので言わないが。
そんな風に思っている間も、じーっと見つめてしまっており、鈴音がぎゅっと短刀を握りしめながら徐々にまた俯いていくのに気づいて、俺は自然と尋ねていた。
「そういえば、どれくらい刀を扱えるんだ?」




