第四章 其の六
「甚、いるか?」
とんとん、と軽く戸を叩きつつ中へ向かって問いかける。
いつもの町中からは遠く離れた深い山奥。他に人の気配もないような静かなそこを、鈴音とふたりで訪れていた。
「よく来たな、旦那。」
しばらくして、がらりと開かれた戸の向こうに現れた男は、にかりと笑いながら俺を迎え入れた。
「ここにくるなんて珍しいじゃないか。なんだ?ついに祝言でもあげるのか?」
俺の後に続いて頭を下げながら現れた鈴音を見て、そんな戯言をのたまう。
「それはまだだな。今日は少し相談があって来たんだ。」
おそらく否定しようと口を開きかけた鈴音に気づいて、俺はさらりと受け流し即座に話をすり替える。待つつもりではあれど、そうなんども否定をされるのはさすがに堪える。
鈴音がこちらを不満そうに見ていたが、素知らぬ顔をした。そんな俺たちにの様子に気づいていながらも、甚は深く追及することなくさらに奥へと案内した。
「...そうか。いまはちょっと散らかっているが、我慢してくれ。」
通された部屋を見て、たしかにずいぶんと散らかっているなと思ってしまった。
仕事で使うのであろう道具や、なにに使うのかよくわからないものまで、あちらこちらに置かれている。
「もしかして、忙しかったのか?」
「いや、うちも数人新しく人を増やしてな。それでばたついているだけだから気にせんでくれ。それで相談ってのは?」
座敷へと腰を落ち着けると、すぐに見知らぬ人が茶を出してくれたのを見て、なるほどと相槌を打つ。甚の周りにいくら人が増えようと、とくに気になることでもないので言葉通りに目的の話をしようとしたが、はたと思い直して先に隣の鈴音を指し示す。
「先に紹介しよう。すいぶんと前にはなるが、俺のもとで仕えてくれている鈴音だ。」
さんざん悩みながらも、甚には真名を教えようと決心して緊張しながら伝える。事前に相談しなかったのにも関わらず、鈴音は驚きも見せずに指をそろえてすっと頭をさげた。
「お初にお目にかかります。鈴音と申します。」
「ん?鈴音だと?どこかで聞いたような...ああ、そうだ。たしか柊の前の大名の娘がそんな名だったか。その娘は齢十二にして亡くなったとか。あんたは長生きできるといいな。」
どこで聞いたのかと疑問に思っていれば、まさかの発言を投下されて俺は凍りつく。隣の鈴音からはすとんと表情が消えた。
「そうですね。長生きできると良いのですが...。」
困惑している、というように頬に手を当ててこてんと首を倒した鈴音に、俺は慌てて説明しようとする。これは、昔の自分を知っている人のもとに連れてきてなにがしたいんだと怒っている。想いを伝えたあの日から、ところかまわずに花を贈ったりしているうちに、だんだんと怒りの表情を見せることも多くなっていた。...いや、俺が気づくようになっただけかもしれない。
「鈴音、甚は主に刀鍛冶としての仕事をしている。だが他のことも請け負っていて、今後は鈴音も使えたほうがいいだろうと思ったから、顔合わせとして連れてきたんだ。」
「ほう。わしのことを言うほどにその娘はお気に入りですかな、旦那?」
「やめろ、茶化すな。」
今、その茶化し方はまずいと即座に止める。黙っていろと睨みつけて、また鈴音に向き直る。
「以前のように鈴音自身が動かなくてもいいように甚を紹介しよう、とじいやと話した結果だ。」
「将軍様は外への関心が薄いのに、変に物事に詳しかったりする理由はこのお方ですか?」
「うっ...そうだ。甚が情報を集める役割を担ってくれている。だが、それは裏での極秘事項だから鈴音もそれは守ってもらいたい。」
ちくりと刺すような言葉に痛みを覚えつつ、甚がどういった役割の人かを軽く説明する。しかしそれで十分だったようで、鈴音はそれ以上なにかを言うことなく素直に頷いてくれた。
「旦那のもとで情報屋をしている。守隆甚平だ。」
「以後、お見知りおきくださりませ。...改めまして、柊の先代大名が娘、鈴音と申します。」
再度、鈴音が自身のことを名乗ると、甚が目を丸くした。
「旦那、ついにわしももう耳が悪いらしい。そろそろ隠居でもしようと思うんだがどうだ?」
「どうだもなにも聞き間違えていないぞ。さっき甚が亡くなったと話した娘だ。」
驚きすぎて突拍子もない話をしだす甚に、冷静に返す。それとは反対に、もう怒りも見えないいつもの無表情へと戻った鈴音は俺へと問いかけた。
「将軍様、私にこのお方を紹介してくださったということは今後、柊のことについては守隆様とともに取り組むように...との解釈でよろしいのでしょうか?」
「いや、別に柊のことに関してなにかをしてほしいとは思っていない。だが、なにかあれば鈴音自身が動くのではなく、甚や俺でも構わないからまずはだれかを頼ってほしい。」
俺の返答に困ったように眉を下げた鈴音はなにも言わず、これ幸いとさらに言葉を重ねる。
「あのときのように、ただ無事を祈って待つしかできないのは御免蒙りたい。甚やここの人たちは情報に長けているだけでなく、腕もたつ。きっと鈴音の力になれるはずだ。」
悲しいことに、黙って行動をしてしまうほどに俺は信頼されていない。そのことを痛感し、甚であれば鈴音も頼れるようになるのではないかという淡い期待を抱いて、お互いの存在を正直に明かすようなこの場を設けた。
「...心配なんだ。」
頼むから伝わってほしい、と強い想いのままにその手をとって見つめれば、鈴音は悩むように目を泳がせた。しかしそれも少しの間で、肩を落とすと渋々頷いてくれた。
「承知致しました...」
「ありがとう。」
よかった、という安堵からふっと笑えば、視界の端で甚が目を見開くのが見えた。
なんだその表情はと眉を寄せれば、甚が呆然としながら失礼なことを呟く。
「旦那...なんか、変なものでも食べたのか?」




