第四章 其の五
改めて柊の地での出来事を聞いた。
しかし、望んでいた蔵山に対する情報はその姿を見た以上のものはなく、現時点では詳しいこともわかっていないらしい。
他には、どこから武器を集めてどこに保管しているのか。大名が近頃どういった人たちと会っていたのか。そういったことをこと細かに教えてくれた。
「そうか。今後の動きに関しては、後ほどじいやと考えるようにしよう。」
「はい。もし私にもお手伝いできることがあれば、遠慮なくお申し付けください。」
「...君に?」
「?、はい。」
聞き返した俺に、鈴音は不思議そうにしながらも頷かれてしまい、ふと気持ちが動いた。...動いてしまった。きっとこのときの俺はかなり心が不安定になっていたのだろう。少しでも、安心できるなにかが欲しくて...
手を、伸ばしてしまった。
「してほしいこと、か。ひとつだけある。」
「なんでしょうか?」
なんでも言ってほしい、といったその言葉通りに快くなんでも引き受けてくれそうな微笑みを向けられる。それに、俺はどろりとしたなにかが溢れたのを感じた。
「そばに、いて欲しい。」
なにを言われたのか理解できなかったようで、鈴音は瞬きを繰り返した。
「その、今もこうしておそばにおりますが...?」
そういうことではないのだろうかと困惑しているのが伝わってくる。この意味が、わからぬほどに鈴音にとってだれかのそばにいることが当たり前ではない。だからこそ、と強く望んでしまう俺は駄目な人間なのだろう。
「そういうことでは...ないんだ。いや、ある意味ではあってはいるんだが。」
ますますわからないといったように眉根を寄せている鈴音の、その細く白い手を掬いあげる。
蝶よ花よと大事に育てられた娘たちとは違い、少しかさついた手。薄らとついた傷跡。それでも、そこから伝わるじんわりとした温もりはとても心地よかった。
ぐっと握りこんだ俺に、びくりと怯えて逃げようとした鈴音をそのまま強く掴み、留める。
「君を、愛している。素性もわからない男から恋文をもらったと聞いて、平常心ではいられないほどに。君が、どこかへふと消えてしまいそうで、どうしようもなくここに閉じ込めておきたいと思うほどに。」
じわり、じわりと見開かれるその瞳は、やはり綺麗だと思う。
いつまでもそうして見つめていたいという想いは許されず、ぐっと唇を引き結んだ鈴音は俯いて顔を隠してしまう。
「...は、なして、くださいませ。」
「嫌だ、と言えばどうする。」
「おやめください。私には、その想いにお応えすることは...できません。」
「なぜ?」
「なぜ...って、将軍様にはもっとふさわしいお方がいらっしゃいます。」
震える声で言われたそれを聞いて、俺はふわりと微笑んだ。
「そうか。なら問題ないな。」
「え?」
「鈴音が俺を嫌いなわけではないんだろう?」
どういうことかと目で問われたので、俺はすっきりとした面持ちでそう返してやると、今度こそぱかりと口を開けて呆然とした。その様子すらも可愛いと思ってしまった俺はどうかしてしまったのだろう。
「今、返事を聞くことはしない。」
名残は惜しくとも、まだそのときではないと己を律してするりと手を解放する。
慌てて手を胸の前で抱え込む鈴音をおいて、俺は立ち上がった。そうしてこの場を立ち去ろうと歩き出して...襖を開く手前で動きを止める。
「鈴音。いつか、君が俺を受け入れてもいいと思ってくれたならば、そのときにまた話をしよう。...おやすみ。」
いまだ動くことのない鈴音の気配に、振り返ることはせずにそのまま後ろ手にぱたりと襖を閉じる。
近頃は、夜でもずいぶんと蒸し暑くなった。
少しだけ目を閉じて息を深く吸って、吐き出す。じわりと滲む汗が、不愉快で堪らなかったはずなのに。今は不思議と、それすら自分が生きていることの証なのだと嬉しくなる。
次に目を開けば、少し離れた暗がりにひとつの影が生じていることに気づいた。
「...柊については早急に人を送り込め。」
「それに関しては、あの方にご相談されてはいかがでしょうか。」
「あいつか。」
歩みを再開しつつ、悩ましいなと腕を組む。
「この頃、会っていないな。どうしているのか聞いているか?」
静かに後ろをついてくるじいやに、問うてみる。
年を重ねるごとに疎遠になってしまった快活なその姿を思い出そうとするも、上手くいかない。しかし、意外にもじいやは嬉しそうに話してくれた。
「旦那様、あの方は今もなおいつでもおそばに馳せ参じると申しております。直接お会いになられれば、きっとお喜びいただけますよ。」
じいやが言うように直接は会っていないだけで、やりとりだけは頻繁に行っていた。我が一族と深い関係にあるのだから当然のことだと思っているし、もはや切っても切れないだろうとも思う。しかし、どうしても幼い頃の記憶が俺の足を遠ざけてしまった。
それでも、じいやがこのように言うのであればそうなのだろうとその顔を振り返れば、目を細められた。
「お望みであれば、明日、ご訪問の一報を遣わせますがいかがなさいますか?」
「...そうだな。ちょうどいい機会だ。鈴音も連れて行こう。」
俺の言葉に、深く頭を下げてまた音もなく暗がりに溶け込んでいく。
またひとりとなった空間に、辺りを明るく照らした月を見上げた俺は、その手を空に翳した。
「まずは......ひとつ。」
仕損じることだけはあってはならない。
ぐっと拳を握りこんで、俺はまた前へと視線を向けて踏み出した。




