第四章 其の二
ふむ、と考え込んだ俺を見てじいやがため息を吐く。
「なにを聞いても、後を追ったりしないとお約束いただけますか?」
「別に、休暇が欲しいといった者に対して後をついていくほど野暮ではない。」
なにを馬鹿なことを、と呆れていればさらに首を横に振る。
「そもそもそこが違っているのでこのように言っているのですよ。」
「?」
わけがわからない。そこが違うとはどこが違うんだ、と眉根を寄せていれば静かに告げられたそれに、瞬時に声を荒げることになる。
「...かの大名の領地でよくない動きが見られたらしく、それを確認したいのだと仰って赴かれました。」
「なっ!?」
もはや驚きを隠せずに、ついでに思考も停止する。
「驚いているところ申し訳ありませんが、鈴音殿は秘密裏に動くとは申しておりましたよ。」
「いやいやいや、それでも行かせるべきではなかっただろう。なにかあったらどうするんだ。」
未だ大名との関係に終止符を打つこともできずに曖昧な状態だというのに、自らその中へと飛び込んだというのか?ありえないだろうと即座に言い返す。
「私ごときに鈴音殿を止められるとでもお思いで?鈴音殿もわざわざ旦那様のいない時を狙ってこのような行動に出られているのですから、私にはもはやどうすることもできません。」
それは、俺に言えば止められることがわかっていたということだろう。そして、俺がいれば止められたかもしれないというのに、呑気に外で寝ていたなんてと怒っていたわけだ。
なるほどな、とひとり納得をしても後悔先に立たず。
まさか少し出掛けるだけのつもりだったその間に、鈴音がなにかをするなどとは思わないだろう。
「他になにか聞いていないか。」
大丈夫なのか、いったいなにがあったというのか、その身に危険は及ばないのだろうかと次々に不安は生まれてしまう。かといって、先ほどの自分の発言を覆すことも憚られて、なんとか絞り出したのは微塵も気休めにならない問いだった。
しかし、そんな俺にじいやは容赦なくきっぱりと言い切る。
「いいえ、聞いたのはそれくらいです。まあ三日後には戻るようにすると仰っていましたので待つしかないでしょう。」
戻るつもりがあるということが聞けて、ひとまずは胸を撫で下ろす。
「......そうか。」
「おや、意外ですね。自分も絶対に行く、と仰るかと思っていたのですが。」
「俺を小さい子どもと勘違いしていないか?」
「私からするとまだまだ小さな子どもですよ。」
いつまで経っても扱いが変わらないわけだと脱力する。
気が抜けたついでに箸を持ち、味のわからない飯を喉に流し込んだ。
本音を言えば、今すぐにでも後を追ってしまいたい。
だが、俺がそうやって動いてしまうことで鈴音に危険を及ぼしてしまうのではという恐怖があるうちは動かないほうがいい、と勘が告げている。長年の戦場で培ったこの勘は、今までなにかと当たっているため今回もそうだろうと無理やり己を納得させる。しかし、歯がゆい思いがないわけではない。
「情けないな...」
「ええ、情けのぅございますね。」
嫌になって吐き出せば、間髪入れずにじいやから追撃されて思わず睨みつける。他人からも言われることで確実に抉られた心をなんとか立て直し、今後の動きを組み立てようとじいやに詳細を聞く。
「鈴音のもとに届いた知らせはどんな内容だ?」
「残念ながら私も存じ上げません。ですが、鈴音殿が自ら赴かれるほどですので、よほどのことだったのだろうと思っております。」
「それは、なぜだ?」
素直に疑問に思ったそれについて問うてみる。
むしろ俺としては、鈴音であればなんでも自分でこなしてしまいそうな気がしたからだ。だというのにじいやはなぜか憐れむように俺を見た。
「旦那様は本当にまわりの者に興味がありませんね。向こうでのこともあるのか、生来のものかはわかりませんが、もう少し興味をお持ちにならなければいつか後悔なされますよ。」
「じいや。」
「...失礼しました。話を戻しますと、鈴音殿は人を動かすことにとても長けているお方です。現に、ここでもすでに幾人かは鈴音殿に付き従いたい、と名乗りを上げるものがおりましたので。ちょっとした頼み事であれば、そういった者たちにお願いしているところを見ております。」
それは、知らなかった。
基本的に、じいやのもとで付き従っている姿しか見ていなかったため、まさかそんな風に思うような者たちがいるということに驚きだ。
最初はいかにもな訳ありの娘に、周囲の者たちが戸惑っているのを感じていたのだが、常に礼儀正しく接する姿に態度が軟化するのはすぐのことだった。適応能力が高く、だれとでも分け隔てなく接することができる様に感心したほどだったのだが、まさか知らないところでそれほどまでに関係を築き上げていたとは。
「新年の宴にご同行した際に彼女を一目見たどこぞの男からは恋文などが届いておりましたね。」
「.........は?」
「おっと。そういえばやらなければいけないことがあるのでした。私はこれで失礼いたします。」
ぼけっとしていた俺に、飄々としながら衝撃な話を持ち出したかと思えば、早々に辞そうとしたじいやを慌てて止める。
「待て!きちんと説明をしろ!」
「説明もなにも、詳細は存じ上げません。よくわからない人から文が届いたけれど、どう対処すべきかを相談されましたので思いのままに返せばいいのですよ、と申し上げたまでです。」
恭しく頭を下げて「それでは」と閉じられた襖に、伸ばした手は空をかく。
ひとり取り残された俺は、そのまましばらく呆然と立ち尽くすことしかできなかった。




