第三章 其の二
ふぅ、と一度心を落ち着けてから鈴音を手招けば、気づいた鈴音がすぐにこちらへと歩み寄る。
「あの休養の後から俺の補佐をしてくれている......深鈴だ。」
「将軍様の下でお世話になっております、深鈴と申します。」
すぐに察した鈴音はさっとその場にひれ伏して、暁月へと挨拶をした。
「楽にしてくれていい。遠夜の補佐だなんて...大丈夫かい?こんな男だから苦労が絶えないだろう?」
「どういう意味だ。」
「そのままの通りだよ。遠夜は気難しいからね。なにかあればいつでも相談してくれて構わない。」
くすくすと笑いながらも、顔を上げようとしない鈴音を優しい瞳で見下ろす暁月に、苛立ちを覚える。しかしそれも一瞬のことで、返答する鈴音の声の平坦さにほっとする。
「お心遣いに感謝いたします。ですが、将軍様や皆様にはとてもよくしていただいております。」
「ならよい。これからはなにかと会うこともあるだろうから、また会ったときにでもゆっくりと話そう。どうやらここまでのようだから、私はこれで失礼する。」
暁月は鈴音からの返答に満足したように微笑み、すっと帝の顔に戻して即座に立ち上がる。と同時に、廊下から慌ただしい足音が聞こえた。それにようやくか、と思いつつ外からの来訪者を招き入れるように合図する。
さっと開かれた襖の向こうでは、先ほど呼んでおいた宗馬と他数名が見えた。そしてその瞳が帝を捉えた途端に宗馬が叫ぶ。
「あれほどおひとりで出歩かないで下さい、と申し上げたではありませんか!」
「すまないな。将軍と話をしたくなったのだ。」
「そういったときはだれかにお声がけください!少し用事で離れている間にいなくなられて大層焦りました。」
口調だけではなく、かなり探し回ったのだろう身なりからもその焦りは伝わってきていた。その様に、こんな自由人の側付きは大変だなと同情する。そして、言い合いをするなら自分たちの部屋へと戻ってからやってくれないだろうか、とも思いながら遠い目をしていると、宗馬がそれに気づいたようにはっと言葉を止めてこちらを向く。
「騒がしくしてすまないな。俺たちは出ていくから、あとはゆっくりしてくれ。」
帝を外へと促しながらも、部屋を出る前にちらりとこちらを振り向いたその瞳はなにか言いたげで、しかし結局なにも言うことなく去っていった。
あれは確実になにか聞きたいことがあったが、場が場であるために遠慮したなと思い、今度時間が空いたときにでも声をかけるようにしようと考えながら座りなおす。他の者たちへも楽にするように指示してから、ようやく顔を上げた鈴音へと先ほどの件を伝える。
「帝から、君がうちに来たときに城内で噂になっていたと聞いた。もしかしたら今後、人と会うときにそういった話題になるかもしれない。すまないな。」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。おそらく噂を流したのは柊の大名だと思います。」
なぜ鈴音が謝罪をするのだろうかと不思議に思いながら不自然にそらされた視線を追えば、御簾越しの外にかの大名が近づいてきているのが見えた。
(次から次へと......)
まさか帝がここに居たことに気づいていたのか、と言いたくなるほどの頃合いにうんざりとしてしまう。
「お久しぶりです。あれからいかがお過ごしですかな?」
もはや直接会話をするのが面倒で、控えていたものに取り持つように合図すれば、その場にいた全員がさっと動く。しかし、大名は俺自身が対応しなかったことが不満だったのか、苛立ちの滲んだ声でこちらへと投げかけてくる。
「うちの深鈴はきちんとお役に立てているのかが心配でして。どうやらここに来ているようでしたので、こうしてお声がけさせていただきました。」
("うちの"深鈴、ねぇ......)
今だ自分の所有物であるかのように放たれたその言葉に、今度はこちらが不愉快になる。
あれから鈴音が大名と連絡を取り合っているだとか、なにかしら接触があったなどは聞いたことはない。連れてきたときに話したように、好きにすればいいと思っていたのでこちらから話をすることはなかったのだ。だが、この様子を見るにおそらくなにもなかったのだろうと察せられる。
さてどうすべきか、と悩んでいれば、隣にいた鈴音が静かに御簾の前へと移動した。
「深鈴はここにおります。将軍様にはとてもよくしていただいておりますので、ご心配には及びません。お気遣い感謝申し上げます。」
「おぉ、そうかそうか。それならばよい。しかしどうだ?久しぶりに会えたのだから、ふたりで少し話でも...」
「申し訳ございません。今は将軍様の下で仕えている身となりますので、おそばを離れることはできません。どうかご容赦くださいませ。」
大名が言い終わる前に、鈴音がはっきりと断る。こちらとしても許すわけがないだろうと思っていたので、いいぞもっと強く言ってやれ、とも思いながら。
「ずいぶんと偉くなったものだな?昔はそのような態度をとる娘ではなかったというのに。なぜ実の娘のように思っているこの私の心が理解できぬのだ。」
もはや憤りを隠すこともせずに鈴音をぎっと睨みつけ、低い声で言われたそれに、さすがに看過できずに口をはさむ。
「そちらこそずいぶんな物言いだな?俺がいることも忘れ、俺に仕える者に対してそのような態度をとるとは。舐められたものだな?」
先ほどの「うちの」と言われたことに対する返事として、もはやお前のものではないと言外に伝え、加えて不愉快だということも上乗せしておく。しかし、ここで騒ぎを起こすのも不本意ではあるため、とってつけたような理由で追い返す。
「心配など必要ない、ということも確認できたでしょうし、もうよろしいでしょうか?ちょうど舞いも始まるようですし、ゆっくりとそちらを楽しみたいのですが。」
鈴音が眉を下げてこちらを見ていることに気づいていたが、気にせずに畳みかければ、あちらも引き下がることにしたのか額に青筋を浮かべながらも貼りつけたような笑みを浮かべた。
「...これはこれは。気づかず申し訳ありませんでした。私はこれで失礼いたします。」
遠ざかる背中が見えなくなるまで見送り、見えなくなった途端に深いため息をつかずにはいられなかった。ああ、先ほどまでの穏やかな時間を返してくれ、と思わずにいられないほどにこの短い時間で疲労した。




