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彼と彼女の迷宮えれじい  作者: 三澤いづみ
第三部 『恋の詩、あるいは学園迷宮にさまよえる死』

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39/62

はじまったものが終わるだけ

 


「あっ、ルビー先生、お世話になりました! おかげさまで私たち合格できました!」

「先生、街中で見かけたら声かけてもよろしいですか?」

「というか今お暇なら最後の講義で仰っていた魔術理論の――」

「なに抜け駆けしてんのさあんた――」

「質問時間外だからって我々は遠慮してたのに貴様ッ――」

「あ、講師の任期完了したんですよね。あの、相談料支払いますのでしばらくうちのパーティーにアドバイザーとして……」

「それアリなの!?」

「情報に金を惜しむなって教えに実直に従っただけだしぃ」


 ずらりと立ち並ぶのは、毎度講義のあとにまとわりついてきた連中ばかりだった。何人かの見慣れた顔がそこにはないが、それも冒険者という稼業にはありがちなことだ。


 二人の仕事は終わった。まだ試験期間の途中ではあったが、これ以上学園に留まる必要もなく、学園長に諸々の報告を終えてきたところだった。

 早々と合格した者たちの表情はどれも明るい。

 どこで噂を聞きつけてきたのか、ルビーたち二人の去就を知って見送りに来てくれたらしかったのだ。


 熱心に話を聞きに来た数人には地味に稽古をつけたり助言を与えていたサムライ仮面には、少し離れた場所から深々と頭を下げている者がいた。

 静かで、どこか爽やかな別れの場面であった。

 ルビーのもとに群がってきた知識欲と好奇心に突き動かされた騒がしい十数人とは空気が違う。


 騒がしい連中にこれからも頑張りなさいと軽く声を掛け、手をひらひらと振りつつ、ルビーはサムライ仮面を従えて歩き去る。

 そこに冷たい風が吹き降りる。サムライ仮面は一陣の強風をまるで意に介さず前に進み、一方ルビーの紅いローブの裾はふわりとひるがえった。

 

 鮮やかなまでの後ろ姿に、一瞬声を失う生徒達。

 良くも悪くも強い印象を残して、二人は去ってゆくのだった。


 

◇◇◇



 学園を背に、特別に発行して貰った冒険者免許を手で弄ぶ。

 徽章メダリオンだ。但し文面は学園卒業試験で用いられたものと若干異なっている。

 学園長から依頼された件を恙なく終えたため、得られた報酬である。

 終わってみれば講師生活もそう悪いものではなかった。


「あれで良かったのか?」

「これで良かったのよ」


 不機嫌そうにサムライ仮面が尋ね、無表情でルビーが答えた。


「あたしたちに出来たのは後始末だけ。不満?」

「いや」

「その後のことは先輩――学園長が上手くやってくれたはずよ。人間って変わるものね。……昔は腹芸なんてさっぱり出来なかったハズなんだけど」


 無論、菊理=ソーセルに端を発した一連についてである。

 彼らに対峙する前にサムライ仮面もその詳細を聞いた。


 学園長室でルビーが見せられていた資料と、その後の追加調査によって明らかになったいくつかの事項、あの卒業試験の期間、そして依頼期間の最終日にまでもつれ込んだのは果たして良かったのか悪かったのか、その答えは誰にも知る術はない。


「誰にだって事情はあるわ」

「……そうだな」

「だからってすべてが許されるわけでもないし、為した行動にはどうしたって責任が伴う。あらゆる自由は心の中にしか存在しない――それが他人に影響したのなら、相応の報いを受けることになる」

「で?」

「愛は結果であって、理由じゃないのよ」

「言いたいことは分からんでもないが、ちと回りくどいな」


 但し、彼ら六人がもはやどうしようもなく手遅れであったことは、サムライ仮面も理解している。

 だが、もう少しマシな結末があったように考えてしまう。

 ルビーに直截に尋ねて気を悪くしたかと思ったが、そうでもない。

 軽く目を瞑り、悼むような素振りを見せてからルビーは表情を和らげた。


「ねえ……あともう少しだけサムライ仮面のままでいない?」

「どういう意味だ」

「あたしもルビーとして振る舞うわ」

「だから、どういう意味だと」


 そしてサムライ仮面は理解する。

 ルビーとて、あれで本当に納得したわけではなかったのだと。

 だが、死者は蘇らない。

 それは摂理だ。この世界の理だ。

 だが、そんな当たり前の事実を泣きじゃくる子供に見せつけた。その行為の責任は感じなくもない。


 真実には一定の意味がある。真実を知ろうとする意志にも価値がある。

 それは二人共が認めるところだ。

 しかし秘密にすべきことも確かに存在するのだ。

 明かされても誰も幸せにならない真実を光の下に引きずり出すことは決して楽しいことではなかった。


「ただの鬱憤晴らしよ」

「……俺が斬るべき相手がいるってことか」

「そうね。乗る?」

「乗った!」


◇◇◇


 菊理=ソーセルはか弱い少女で、儚くも恋に憧れる、そんな呪術師だった。

 天才的な。あるいは悪魔的な。

 呪わしいほどの才能に祝福されておきながら、あまりにも悲しい結末にしか辿り着けなかった。


 呪術とは『黒』と呼ばれる特異な系統として知られる。

 その魔術の質や効果ゆえに、『黒』を扱う魔術師は忌避され、嫌悪され、どうしようもなく迫害されることもあるという。

 しかし希有な才能であることは事実だ。

 ある意味で単純な『赤』や『青』に偏った魔術師では行えない術を扱うことが出来、毒や呪い、精神操作といった世間的には印象が悪いが――効果としては強力極まりなく、代替がない特異な技術に通じている。

 なかでも呪術は幅広い種類と効果を持ちながら、そうした操作方面において無類の強さと、無比の効力を発揮する。隠里に住む一族の用いる秘術には禁忌に属する魔術に相当するものも多数あるという。


 ただし『黒』の術士であることと、それが危険人物であること、さらに倫理観の有無とはどれもイコールで結ばれない。

 たまさか心証の悪い術に素養が偏っているというだけで、よくよく考えれば一般的な魔術師の方がよっぽど危険である。

 もし『赤』の高位魔術師が暴走すれば、ひとつの街を灰燼に帰すこともありうる。そのとき死者の数は百を容易く超えるだろう。


 呪術師が十人を殺す時間があれば、赤の術士はそのあいだに百人を殺せる。


 する、しない。できる、できない。できるけど、しない。

 魔術に詳しくない者にとってはその観点が抜け落ちている。あまり一般的なイメージが良くないが、禁忌に属する行為に手を染めない限り、『黒』の術が使えるだけでは何ら法には触れないのである。


 大陸、つまり西方と呼ばれるこの地には屍術、すなわちネクロマンシーという死体を操る『黒』のなかでも特に忌み嫌われる呪法が存在する。

 それは東方における呪術とは幾分異なり、ある程度共通している。

 かつて大陸に存在した忌まわしき秘密結社『黒の鍵』には、一流の術士が何人も所属しており、多くの研究成果を共有していたと言われている。

 『黒』の名を冠する組織ではあるが、黒の術士だけではない。赤、青、黄、白、銀などに連なる名門名家や歴史ある魔術組織から出奔した者も在籍していたという。


 そこで行われていたのは単なる魔術の研究ではない。法において許されざる行為に手を染めたとして手配された者たち、狂気に取り憑かれてまともな魔術組織から追放された者たちが所属していた秘密結社であり、研究内容には多くの禁忌が含まれていた。再生。再誕。延命。蘇生。複製。改造。増殖。寄生。多種多様な人体実験のため人身売買にも関わっていたし、資金源として有力な犯罪組織に手を貸していたとも知られている。使われるものは子供。妊婦。老人。人工生命。モンスター。ありとあらゆる命は彼らにとって研究材料に過ぎなかった。


 ただしこの秘密結社は何年も前にすでに壊滅しており、中核を為していた者たちは皆討伐されるか捕縛され、多くが処刑されたとされている。

 逃げ延びた数名には指名手配がされ、今も生死問わずでの追求が為されている。


 だが、構成員がすべて死滅したわけでもなければ、持ち逃げされた資料のなかには回収されていないものもあった。高位幹部は全員死亡しているはずだが、下位の構成員は散り散りに逃げたのだ。その影響力は過去のそれに比べ非常に少なくはあるが、まっとうな術士を歪める毒には変わりない。


 菊理=ソーセルは旅路の途中、その『黒の鍵』の元構成員に勧誘され、おそらく再結成された小規模な類似組織と連絡を取っていたと推定される。そして残されていた屍術の研究資料を手に入れたのち、自らの用いる呪術に取り込んだ。彼女の有していた元々の技術は類感や共有に偏っていた。そこに操作や使役の秘奥が組み込まれたと見るべきである。極めて複雑な条件をクリアするなどすれば他者の血液や死体、影などを()()()()()()()()()支配下に置けるとすれば、これほど悍しくも有用な手法はそうない。彼女は継続的に組織と接触を持っていたと思われ、これ以外にも多くの「黒」に属する術を会得しているのは確実である。

 

 菊理=ソーセルの術は単なる死者の操作とは呼びがたい。少なくとも一般的なネクロマンシーのそれとはまったく次元が異なる手法、結果である。ゆえに、限定的な死者蘇生を実現させていると考えられるとの見解が――


◇◇◇


「あいつらが……()()()()()のはいつからだったんだ?」

「何とも言えないわね。……傍目にはほぼ違いがないんだし」

「それ以前をよく知ってない限りは区別の仕様がないと?」

「そうね。その上で、逆に()()()()()()()()()()察知も不可能だったんじゃないかしら。幸か不幸か、あたしにも最後の一人は分かったけど――」

「コンチヌスか」

「ええ。それでも違和感程度。違いと言えるほどはっきりしたものじゃなかった」


 考えても詮無きこととはいえ、少しだけ苦い顔をするルビー。

 サムライ仮面は肩をすくめた。

 ため息のあと、ルビーは皮肉げな表情を隠さなかった。


「親しい相手でも気づけないもんなのか?」

「生前の記憶があって、生きているように振る舞って、傍目にはほとんど生前と変わりないのよ。本人に自覚があるのがまた厄介なのよね。……いくら仲間相手であっても、自分が死人だなんて打ち明けられるものかしら」

「信頼していれば、どうだ」

「だからこそってこともあるでしょ。言えるのか、言えないのか。告げることを許されていなかったのかもしれない。全力で隠そうとしたかもしれない。そこまでは外からじゃ見えないことよ」


 最初は誰だったのか。何が理由だったのか。

 一人ずつだったのか。避け得ぬことだのか。

 そもそもの発端が善意ゆえか悪意によるものだったか。

 それすら今となっては知る由もなく、もはや知る術もない。


 ただ道連れが増えた、その結末だけが残されている。

 ルビーは表情とは裏腹に、どこか感心した口調であった。


「呪術は専門外だから突っ込まれると困るんだけど……あたしの見た限り、正確には蘇生じゃないわ。致命傷を負ってから、完全に肉体が停止するまでに猶予があるでしょ。それを無理矢理引き伸ばしているようなものなの」

「生き返ったんじゃなくて、まだ死んでないってだけか」

「そ。そして生きているように見せかけることは難しいけれど、変化が外に現れないのなら決して不可能じゃない」

「なるほど。……正面から嘘を吐かれたら流石に分かるが、最後まで無言のままなら見抜けないってことか」

「その通り。だって嘘は付いていないんだもの。とはいっても……たとえば口先の表現ひとつで起こった出来事を誤魔化すことだって出来るし、そこから真相を見いだすこともまた可能だったりするわ。ま、最初からよっぽど疑ってかからない限り、全力で隠そうとする相手から情報を引き出すのは難しいけど」


 話を戻して、とルビーが嘆息する。


「彼女、呪術に限定するなら数百年に一人の異才よ。モンスターとの戦闘に呪術を持ち込んで使い物になる時点で常識外れにもほどがあるもの。でも」

「間違っていた、と」

「そうね。向いていないとは言わないけれど、……間違ったんでしょうね」


 サムライ仮面はルビーの口調に眉を顰めた。

 目的地までの道のりは長く、二人は歩きながら益体も無い話を続ける。

 迷宮都市を離れ、近くまでは馬車を乗り継いできた。

 今は荒野を歩いている。


「極端な無理は、どれほどの才能があっても長続きするわけがない。破綻は時間の問題だったでしょうね」

「この結果は避け得なかった、と」

「限界だったはずよ。猶予が切れたなら、あとは何を使い潰すかの問題。自分では立ち止まれず、行き着くところまで進み続けるしかなかった。そこに道がないと知りながらも。……彼、あのカーチスだけが、それを止められた。それがあの二人にとって本当に良いことだったかは分からないけれど、ね」


 ため息は大きかった。

 ルビーたちが介入するには、状況的にも時間的制約からも、どうにもならないことが多すぎた。

 もはや何もかも手遅れだったのだ。


「それでも本人達があれで満足したなら……それで十分だろうさ」

「あら、慰めてくれてる?」

「俺が斬って終わらせるよりは、幾分マシだったんだろ?」

「そうかもね」


 サムライ仮面がふんと鼻を鳴らし、気にしていない風を装うルビーをしかり飛ばすような視線を向けた。

 必要とあれば、ルビーは己の感情をある程度制御できる。激情にかられて己を見失う危険をよく知っているし、安易な同情や憐憫によって判断を誤ることの愚かさは熟知している。


 だからといって何も感じないわけではない。

 サムライ仮面に言わせれば、ルビーはむしろひとよりずっと感受性に富んでいる。

 他人の思考や判断を先読み出来るということは、他者の気持ちを慮り、あるいは自分のものとして共感できるからこそなのだ。

 ただ少女らしい感性と精神がありながら、それを棚上げして最善を求めようとする、してしまうのがルビーの美徳であり欠点でもあった。

 

「……っと、そろそろか」

「ええ。分かりやすい元凶なんて滅多に見られるもんじゃないわよ」


 それがなければ、彼女は道を外すことはなかった。

 そいつらがいなければ、彼らはあんな結末に辿り着くことはなかった。


 学園長が調べていた『黒の鍵』の残党、その隠れ家はそこにあった。

 小さな村の町外れ、そこにあるぼろぼろの民家。

 目つきの鋭い農民風の男が、黒い煙を吹かしながら油断無く周囲に目を光らせている。

 場所が場所だけに一般人が近づくことはなさそうだ。


「当たりね。……見張りがいて、遮蔽があって、偽装されてる」

「先手を取るか?」

「もちろん。といっても幹部がいるのは地下でしょうし、他に繋がってないとも限らないのよね。まずあの家を吹き飛ばして、どう出るかを観察しようかしら」

「好きにしてくれ。俺は出てきたやつを斬る。口上はいるか?」

「いらない」


 ルビーはつまらなそうに肩をすくめた。

 サムライ仮面は戦意を露わにし、彼女の言葉に、にやりと笑みを返した。


「だってここにはゴミ掃除に来ただけだもの。いくらか賞金も出るけどね」


 そして二人は『黒い鍵』の後継組織のアジトを全力で消し飛ばした。

 次から次に生えてくる雑草を入念に引っこ抜くような心持ちで、出てきた呪術師もどきを丁寧に一人ずつ逃さないよう、きっちりかっちり潰していったのだった。

 しかし決して弱かったとは言えない。

 天才魔術師を標榜するルビーをして、ほとんど見たことのない術式、聞いたことすらない希有な「黒」の術も相手取ることになり、またいつか見たのと似たような人工モンスターまで飛び出してきては、油断できるはずもなかった。


「ここを知られたからには生かしておかんぞ――」

「……」

「聞きとれんな。貴様、何が言いたい?」

「〝フレム・ベル〟」


 赤き怒りよ、焼き尽くせ。

 不意打ち狙いのため小声での詠唱だった。

 黒い衣に身を固めた敵に火焔が襲いかかるが、相手もさるもので咄嗟に後ろに飛びのいて躱された。


 取り巻きを連れ、途中で仰々しく現れたこの組織の長だか取り纏め役がそれらしい口上を挙げようとしていたが、ルビーはその言葉をまったく耳に入れなかった。これは決戦でもなければ決闘でもなく、ついでに言えば正義の戦いですらないのだ。

 ルビーにとっては、ただのゴミ掃除。ただの害虫駆除に過ぎない。つまり目の前に現れたいかにも性質の悪そうな男をして、一端の悪役――たとえば勇者に相対する魔王のごとき存在として扱うのも馬鹿らしかった。


「致死の一撃を出会い頭に投げかけてくる。さて、その行動に根ざすのは怒りか憎しみか。……フフ。つまりこれは我らに対する復讐ということか?」

「炎の矢よ、弾けよ。〝フラメロ〟」


 矢の形をした火焔が黒衣の男に直撃する寸前で弾け飛ぶ。

 予期していたようで何かの防御機構によってあっさり吹き散らされた。


「チッ。問答すらせんとは無粋な――」

「炎の矢よ、撃ち払え。〝フラメロ〟」


 大量の炎の矢が一斉に現れ、敵を蹂躙しようとする。

 取り巻きや、後方で様子を窺っていた連中の一部に被害は及んだが、一拍分足らず、敵の首魁には風の膜を張られて直撃はしなかった。

 が、ルビーは直後〝エジアラ〟と唱えてナイフを向けた。混ざり合った風の攻防により防壁に隙間が生まれる。

 会話に興じる余裕がないことに気づいたか、男は浮かべていた酷薄な笑みを消してルビーの攻勢に応対するため、聞き慣れぬ詠唱を繰り返してきた。


「炎の矢よ、撃ち抜け。〝フラメロ〟」

「凍れる星よ、蒼き輝きを放て! 〝サフィリズム〟」


 たしかに元凶ではあるのだろう。

 直接的には出張ってこなかったが、間接的には黒幕、諸悪の根源として覚悟と決意を持って討伐すべき対象だ。

 これのせいで歪んだ術士が彼女の他にもいたかも知れない。こいつがいることによって人生を狂わされた被害者達が無数にいるかもしれない。


 ルビーは死者の代弁者を気取るつもりはない。

 煽るように過去の悪行を並べ立てる男の言葉に取り合わず、ルビーは淡々と呪文を放ち続けた。

 敵対者のあまりにも作業めいた振る舞いに、反撃の呪文を打ち返してくる黒衣の男は、どこか怒りさえ覚えている風だった。


 これはただの仕事だ。

 万が一関われば、あの学園の生徒達の輝かしい未来に影を落とすであろう危険な障害物の排除。

 一応は終わった仕事の、ちょっとしたアフターサービスの一環に過ぎない。

 それ以上の意味など与えてやらないと、ルビーの醒めた瞳は、逆上して狙いを甘くしたその男の所作を、油断無くしかし静かに見据えていた。



◇◇◇


 用心棒として雇われていた男もいた。槍術使いであり、腕も一流に数えられるほどで、ルビーが正面から挑んだ場合心臓を貫かれることは必至だったため早々にサムライ仮面に任せた。


 寡黙な男だった。

 鋭い目つき、それに無骨で、引き締まった身体だった。

 手にした槍の穂先、その煌めきは恐ろしく冷たかった。幾人もの血を吸い続けたかのように、てらてらと艶めかしく輝いている。

 強面ではあるが、邪悪には見えない。

 だが、この場にいる以上は、敵に与しているのだろう。

 剣を交えるより早く、その敵意、殺意の濃さにサムライ仮面も構えを取った。 


 重く、頑丈な、良い槍である。

 それを容易く操る怪力と、その巨体から想像も付かない精緻な動き。

 

 鋼すら断つサムライ仮面の剣閃は呼吸をずらされ、弾かれた。

 無論、相手の一撃をただ受けるわけもない。

 一進一退、下手な攻撃はその倍の反撃を産んだ。

 斬れば突かれる。

 払われれば薙ぐ。

 点。線。円。跳ねる。退く。踏み込む。抜ける。

 幾たびの死地を抜ければここまで上り詰めるのか。

 これぞ久しく相まみえなかった槍の使い手であり、生半可な相手ではない。


 槍は確かに強力な武器であるが、真に使いこなすことは非常に難しい。

 実際、便利だからか冒険者には槍の使い手は多いのだが、それは剣ほど修練を積まずとも一定の効果が挙げられるためである。

 狭い通路で突いたり、まとめてなぎ払うだけならさほど技術は要らない。

 多少上手く扱えるものであっても、槍は敵に近づかず、近づけさせずに振り回すための武器でしかない。

 冒険者であれば、それでも十分なのだ。

 そもそも槍使いが間合いの内側に入り込まれた時点ですでに失敗している。


 サムライ仮面も達人と呼ばれるほどに極めている者はこれまでほとんど見たことがなかった。 

 しかし眼前の使い手は桁が違う。

 間合いの内側に誘い込まれて、サムライ仮面は咄嗟に身をよじってすぐさま後退した。

 その頬を掠めてゆく穂先。

 痛みは無い。が、すっぱりと切られた肌から血が散った。


 行くも地獄。退くも地獄。

 本物の槍使いとは、そうした手合いなのである。


 数合打ち合って、サムライ仮面と槍術使いの男との戦いは佳境に入っていた。

 リーチの差はあっても、腕の分で取り返せる。近接戦闘ではルビーがはるか及ばないサムライ仮面が攻めあぐねている場面は久々だった。

 とにかく上手いのである。

 斬ることを第一としたサムライ仮面の剣技と比して、敵の槍は打つ斬る払う貫くと四則を揃えており、万能に近い。


 そして容赦もない。

 槍の男と対峙するサムライ仮面の動きを隙と見たか、敵の仲間が気配を殺して接近してくる。

 そして間合いに入ったそいつらは、サムライ仮面の反撃ではなく、無造作に振るわれた男の槍による一撃で鮮やかに即死した。

 邪魔なのだ。サムライ仮面相手に躊躇の余裕はない。だから仲間であろうと、それを避ける隙を産むくらいなら殺して攻撃の弾みとする。それを当然のように行ってくる。


 武技とは力と業の総称、あるいは加減乗除の使い分けである。

 緩と急であり、前後左右の位置であり、天地である。

 すなわち力とはエネルギーであり、業とは移動、それらすべての組み合わせである。

 極めていると呼ばれるほどの領域に入ると、これが抜群に噛み合うようになるのだ。

 その結果どうなるか。


 ――距離を支配出来るようになるのだ。


 支配するとは、自分の思い通りの結果を生み出すことと等しい。

 つまり、武人同士ではわずかな間合いの奪い合いが起こる。

 拳よりも剣が、剣よりも槍が、槍よりも弓が、弓よりも魔術が、その構造上優位に立ちやすいのは、そのものが持つ有効範囲の差、絶対値の問題である。


 相手の領域に入れば、当然相手の優位となる。

 ならば、より短い射程より小さい範囲しか持たない武器を手に戦う者は、どうすれば良いのか。


 ひとつの答えが、今サムライ仮面がやったことだった。

 槍の射程。

 その間合いのなかに、無理矢理入り込む。

 自分の剣の届く範囲のみを支配出来るのならば、近づけばよい。

 間合いの中の殺し間にも隙間はあるし、抜けられないなら防げば良い。

 理屈としては容易いが、実際に行うのは困難極まる。


 それが出来れば誰も苦労しないのだから。

 しかし、それをやってのけるのが彼の腕だった。


 襲いかかってくる無数の槍の縦横無尽な攻撃をただ剣の一振りで打ち払い、無造作に一歩を踏み込んだ。

 死地であったはずのそこで、不意に呼吸を盗まれたかのように、眼前の槍手はその攻撃の機を失った。

 が、硬直は刹那で終わり、懐に入り込んだ敵を殺すため、槍を引き手を返し後ろに跳ねながら穂先を翻す。

 恐るべき練度だった。

 そこが完全に剣の間合いと成りはてようと、槍が不利に陥るわけではない。どのような体勢からでも有効打は当てうるし、距離の支配も取り返しうる。だからこその達人、だからこその強敵だった。


 もはやサムライ仮面に避ける猶予など存在しない。

 槍手は殺したと確信しただろう。

 手応えを得るには、まだ早い。

 そして、もう遅い。


 たった一瞬が大きく差を分けたのも事実だった。


 攻撃と攻撃のあいだに発生した意識の空隙、刹那でしかない領域に気軽なまでのたやすさで入り込んだサムライ仮面は、続く一薙ぎで、威力を蘇らせた鋭い槍の乱舞をすり抜ける斬撃を放った。

 驚く暇もあらばこそ、敵は今度こそ自失した。

 硬直したその腕の伸びはもはや力なく。

 横に真一文字を描くがごとくサムライ仮面が放った一閃は、難敵であった槍手の肺腑をあばら骨ごと断ち切って、何ら抵抗なく剣を振り抜いた。


 槍を断たれ、身を割かれ、艶やかな血の華を咲かせたその敵は、あっぱれ見事と言いたげに壮絶な笑みを浮かべた。

 男はそのまま盛大な音を立てながら真後ろに倒れ込み、そのまま見開いた目をサムライ仮面に向け、何かを話そうとはしたものの喉の奥から吹き出た血によって声にはならず、天に向けて力なく伸ばした腕もやがて地面へと落ちた。

 サムライ仮面はひとつ大きく息を吐き出して、剣を強く振って張り付いた血糊を飛ばし、鞘に納めた。


 この短時間に行われた濃密な争いに目を奪われていた敵の手下どもは、逃げるか反撃かを選ばざるを得なくなった。頼りにしていた先生を失って自暴自棄になった数名がまとめて突っかかってくる。

 それでも戦える能力が減じたわけではなく、襲ってきたのは数名の術士と暗器使いという組み合わせである。多方向から連続して放たれる魔術攻撃を避けるのはサムライ仮面といえど容易くはなく、思いの外連携も取れている。面倒を感じたが、逃げるつもりも逃がすつもりもない。

 一度は納めた剣を抜いて、右から行くか左からかと考える。


 と、向こうの術士の足下が爆ぜた。

 直撃を受けなかった数名は驚愕の顔をしているが、それを見逃すはずもなく、サムライ仮面はまっすぐ走って切り伏せる。

 先ほどの爆破はルビーの魔術だった。

 咄嗟に散り散りに逃げ出す判断力の速さは褒めたいくらいだったが、追いすがって背中から切りつけた。逃げる敵を斬り殺すのは趣味ではないが、ここで逃がすことの愚は理解できていたからだ。

 

 周辺で、あとからあとから爆ぜる炎のなかで、つまらないものを斬ったと言わんばかりのサムライ仮面に、ルビーはお疲れさまとだけ告げた。


 ルビーもなんとか勝利を収めたようだ。決して弱い相手ではなかったし未知の術式に苦戦する場面もあったが、基本に即した魔術戦であればこれこそルビーの独壇場である。

 最初から全力で叩けなかったのはあくまで見慣れぬ術に対する警戒ゆえだ。それが尽きればルビーが様子見をする理由も消える。

 最後は、最近よく使う爆撃魔術で逃げようと試みていた周囲ごとまとめて吹き飛ばして終わりだった。


 最終的には非戦闘員含めて三十数名を叩きのめして捕縛し、言付けを聞いて追い掛けてきた兵士に引き渡した。

 地下に残っていた資料にざっと目を通してから焼き捨てることを決め、そこにあった多くの遺体を燃やすなどして後始末を済ませると、二人はその場所をあとにした。

 名を聞かれたのでサムライ仮面とルビーと告げ、連絡先はアフラバーン学園長と伝えた。

 話は通っていたのだろう。引き留められることはなかった。


◇◇◇


 夕暮れ時の帰り道で、彼はカーチスのことを口の端に載せた。


「おとぎ話の勇者になりたかった、か」

「お姫様を魔王にしなかったのはひとえに彼の功績よ」

「惜しい腕だったな。もし、あのまま育てば……」

「偽名使うの、そろそろ終わらせましょうか」

「……もういいのか」

「ええ。気は済んだから」

「そうか」


 色々思うところがあったのか、彼女は小さな声で口にした。


「ねえソエモン。……世の中、ままならないことばっかりね」

「アーシャにしては随分しおらしいな。何か悪いもんでも食ったか」

「はぁ。このタイミングでそういうこと言うわけ?」

「いや、だって」

「そういう男だって分かってたけど。……いいわ、行くわよソエモン!」

「行くってどこに」

「なんでもいいから食事処! お腹空いちゃったんだもの!」

「はいはい、付き合うから手ぇ引っ張んな」


 二人は並んで歩いた。夕闇に浮かぶ星達を眺めながら、それよりずっと明るく暖かな灯を目指して。

 儚き彼らのために生者が出来ることは、悼み、ときに思いを馳せる。ただそれのみである。 


(了)

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