第十六話、幸せになりたかっただけなのに
学園迷宮の一時閉鎖は三日間で終わった。ルビーとサムライ仮面が隣接ダンジョンと接続されてしまった部分に対処し、例外的なモンスターの後始末を行い、討ち漏らしがないよう、最後は講師陣総出で駆逐作業に奔走していたのだという。
カーチスたちがあの日迷宮に潜っていたことについては、不具合発生につき進入禁止の連絡は伝わっていたはずだとする学園側の意見はあったものの、幸いカーチスたちにそれを無視しなければならない理由が存在しなかったこと、ルビーの取りなしもあって処分は下されなかった。
卒業試験は当初の予定通り、期間内に届け出を出し、あの玄室内に配置された卒業の証を入手してくるという内容である。
各パーティーごとに丸三日間が与えられ、試験中は他パーティーの同時探索は禁止される。一応期間中であれば何度リトライしても問題無いが、一度の探索で体力と精神力、そして時間を相当に消耗する。三日間を丸ごと使えるとしても、初日の朝に一度、三日目の夕方に一度が一般的な限界だろう。
時間短縮や消耗抑制が重要になるのは、どれほど実力に恵まれようと運が悪ければ帰還しなければならない状況は生まれうることである。
そのための期間内再挑戦可というルールだった。
カーチスたちはその点、すでに地下六階に一度到達し玄室も発見済みである点、最短ルートとは言い切れないにせよ、安定安全なルートを開拓済みであることもあって、かなり余裕を持って挑戦出来る。この状態に持ってきて、それでも一度で卒業できなかった組は致命的なまでに運が悪いパーティーのみであるらしい。
あの日のあと、もう一度だけ潜るチャンスがあった。わざわざ訓練で怪我しても馬鹿らしいため、地下三階あたりで最後の調整とばかりにモンスター狩りを敢行し、そこそこの儲けを得られた。キクリとの関係が変化したことがどちらに転ぶか不安もあったが、仲間達は祝福してくれたし、これによって連携に齟齬が出るようなこともなかった。
カーチスは幸福を噛み締めていた。
何もかもが順調で、同衾するキクリの細い腰を抱きしめるたび、その腕が己の背中に回るたび、自分の居場所はここなのだと強く感じられた。
「え、まだキクリちゃんと寝てないの?」
「いや、一緒には寝てるぞ」
「そういう意味じゃないわよ。分かってるんでしょ」
「……仕方ないだろ」
「へえ、お預け喰らったのね。それを言い出したのはどっち?」
「俺からだ。怖がってるのが分かったからな。……無理強いはしたくない」
「あらら。キクリちゃんの方じゃないのか」
心配げな幼なじみの問いかけに、カーチスはむすっとした。
こと、もはや恋人同士の関係である。
そこまで口を挟まれるのは、いくらサニアが相手でも。
「答えなくても良いわよ。まあ、覚悟を決めるためってとこかしら」
「どういう意味だ」
「女の子もいろいろあるのよ。カーチス、……分かってると思うけど、恥かかすんじゃないわよ」
「サニア……」
「なによ、その顔」
「いや、ありがとな」
「可愛い弟分のためだからね。それくらいはアドバイスするわよ。でもねえ……」
「でも、なんだ」
「最初の――もしくは最後の一歩を踏み出すのは、男の役目だと思うわ」
あとは冒険者学園を卒業するだけだ。
幸い、六人パーティーはそのままの形で継続する方向で話が進んでいる。やがて別れる日が来るとしても、しばらくはこの気持ちの良い仲間達と一緒に過ごす日々が続くだろう。
ただ男女の関係に対して、カーチスは不慣れであり、未経験であり、それはキクリも同様と思われた。
紳士で夢見がちな若い剣士と、内気で人見知りな可憐な呪術師。
精悍な少年と、儚げな美少女。
それは、まるで物語の主役のようにお似合いの組み合わせであり、彼と彼女に訪れた仄かな恋心の成就は、たとえば一つずつ確かめるように、ゆっくりと階段を昇るのに似た速度であった。
であればこそ、あるいは二人の歩みが迷宮の踏破よりも遅くなったとして、誰がそれを責められるであろうか。
◇◇◇
潜る前にいつも通り、基本の再確認。
キクリはなんだかよく喋るようになった。出逢った当初よりだんだんと口数は増え、積極的に会話するようになってはいたものの、それでも前に出て口を開くことは少なかった。
それがカーチスと恋人同士になってからは皆の視線から隠れたり逃れたりすることがなくなり、聞かれるまで答えなかった自分の考えを、真っ先に伝えてくれるようになった。
「か、カーチスくん。……その、わたしのからだ、ヘンじゃないかな?」
「そんなことはない。可愛くて、綺麗だ」
「そう、かな?」
「そうさ。俺、キクリはもうちょっと自信を持って良いと思う」
「……うん」
良い変化だ。気持ちと関係が定まったのが功を奏したらしい。
深い口づけで、二人の気持ちは確かめ合った。
あるいは同じ寝台の上で抱き合いながら、布ごしにその体温に触れているときか。
か細くひんやりとしたキクリの肌にカーチスの手が触れると、その熱が移っていくようだった。
一方で、パーティーの一員として振る舞うキクリの在り方は、どこか強かなものになってきている。寝室で二人きりのときとは違う、呪術師としての顔。カーチスはキクリの視線を受けて頷く。
変化はもうひとつあった。他の四人との会話が減ったのだ。特に顕著なのはサニアだった。
前ならばすぐにからかってきた幼なじみは、キクリが正式にカーチスの恋人となったことに遠慮してか、妙なちょっかいをかけてこなくなったのである。
もちろん冒険者として、仲間としての必要な会話はするし、雑談だって普通にある。
今までの口調が変わったなんてこともない。
ただ距離を置かれた。遠くなった。
そう感じてしまうのは、カーチスの気のせいではあるまい。
だから先刻、サニアから忠告のように話しかけられたときは少し驚いた。
踏み込んでくるつもりはないとばかり思っていたからだ。
ともあれ、届け出はすでに出した。今日から三日間が勝負の時だ。
傍らのキクリが頷いて、励ますように微笑んでくれる。
カーチスはよし、と力強く皆に声を掛け、意気揚々と出立した。
目標は学園迷宮の攻略。
慎重に、丁寧に、決して焦らず進むのだと。
「あら、これから挑戦?」
「あ、はい。この間はお世話になりました!」
「それは別にいいんだけど……ふうん」
地下迷宮の入り口近くでルビーに遭遇した。サムライ仮面の姿は無い。
彼女が試験官なのだろうか。
その場から遠ざかるでもなく、かといって迷宮に潜るカーチスらに同行するでもなく、ルビーは腕を組んで何かを待っていた。
ここで待ち合わせをしているのかもしれない。
こんな場所ではなく食堂で落ち合った方が良いと思ったが、カーチスは口にしなかった。
ただ、ルビーの視線は傍らのキクリに向いていた気がした。
何か思い当たる節があるかとキクリの表情を窺うと、彼女は目を伏せ、カーチスの服の裾をひしと握りしめた。
「じゃあ、俺たちはこれで」
「ええ。またね」
◇◇◇
心意気とは裏腹に、案外苦戦は多かった。パーティー全体の気持ちが逸っているのか、無意識に功を急いでいるせいか。
微妙に連携がズレるのだ。前回の最終調整での稼ぎではそんなこともなかったが、今日に限って動きが悪い。いや、いつも通りにしているはずなのに、動きの節々で、わずかに遅れが生じている。
誰が原因というわけでもない。各自の動きはむしろキレを増しており、危険な場面でも動きが縮こまったりもしていない。
ただ、どういうわけかそれがかみ合わない。突然よくなった動きに戸惑っているような、たとえば踏み込みが数センチ深くなったり、腕の振りがコンマ数秒早まったり、そうした細やかな違いが結果として差異を膨ませているような。
「どうする? 一度、戻るか」
「だ、大丈夫だよ。ね、みんな」
「……ああ。問題無いだろう」
「そうねえ。いきましょ」
ズレを自覚してからは、その感覚を修正することに腐心した。
地下二階、地下三階、地下四階へと進んでゆくうちに、だんだんと慣れてきたかのように、全員の動きがかみ合いつつあった。
「なんだったのかしらね。さっきの」
「……分からんな」
「ま、あともうちょっとだし。あとで考えましょうか」
「サニー姐さん。大丈夫ッスよ」
「何が」
「大丈夫ッス」
「……クロすけのくせに生意気なのよ! この、この!」
いつものやり取りだった。何となく安心してカーチスは顔をほころばせた。
別に何が変わったわけでもないのに、どこか妙な雰囲気があったからだ。
それを吹き飛ばすようなサニアとクロッカスの会話に安堵する。
キクリが、そんなカーチスの横顔を見上げていた。
「なに?」
「う、ううん。カーチス君、嬉しそうだなって」
「ああ。そうかも」
避け得ぬ戦闘だけ全力で戦い、それ以外は適度に回避してどんどん進んだ。
勝手知ったる道のりである。ここらで躓くようでは免許取得は夢のまた夢だ。
地下五階へと降り立った。
強敵が混じり出す頃合いだが、コンチヌスの守りはますます堅く、サニアの剣は冴え冴えと輝き、ケルビンの魔術が周囲を凍てつかせ、その封殺を抜け出した一匹をキクリの呪が射止める。
カーチスはそこに剣を突き入れるだけ。
手早い動きでクロッカスが魔石を剥ぎ取る。
「地下六階に到達するまでは探索優先のが良いと思う」
「甘いッスね。こんなときだからいつも通りのが良いッスよ。金は命より重いんで」
「クロすけ。金で命は買えないわよ」
「おれっち、命で金は買えるって知ってんスよ」
「ふん。なかなか哲学的な命題だが、早いところ進むべきだ。手が止まってるぞ」
「命の重さ、ねえ」
珍しくコンチヌスが皮肉げに唇を歪めた。
肩をすくめて、サニアが吐き捨てた。
「掛け替えのないものなんてこの世に無いわ。何にも代償が居るなんて当然でしょ」
「おいおい、どうしたんだサニア」
「……カーチス。あんたの気楽さが今だけは羨ましいわ。ホンット」
何がパーティーの空気に毒を混ぜたのか分からなかった。
突然、それまで穏やかだった仲間達の雰囲気が険悪なものになった。
引き金が何だったのか、カーチスには分からない。
会話の内容だっていつもの軽口とそう変わるものではない。
知らない間に、何かあったのだろうか。
カーチスは首をかしげた。
キクリがフォローをするように、か細い声で皆を促した。
「そんなことより……あともう少しなんです。だから皆さん」
「……分かってるわよ。ごめん」
「おれっちも申し訳なかったッスよ」
「うむ。行こうか」
「だな」
現れたモンスターに今の鬱憤をすべて押しつけるように、全力で叩きのめした。
ハウルベアにシルバーウルフのセットは平時では厳しい組み合わせのはずなのだが、ちょうどケルビンの魔術の当たり所が良かったようで、二匹を同時に屠ったのが攻める勢いをつけてくれた。
サクサク殺して魔石を回収し、それから五度ほどの襲撃を蹴散らし、地下六階へ。
ここまでで四時間ほどかかっている。
ルートが分かっているからこの程度で済んでいるが、道に迷いながらでは半日から一日丸ごと使うことも珍しくない距離である。
カーチスとしてはこの距離を二時間以内で進める規格外の二人組をこのあいだ見たばかりだから、そこまで極端な速度とも思えないが、これは相当に早いのである。
ともあれ彼らは無事に地下六階に到着し、玄室へとゆっくり進んだ。
速度優先だった浅い階層とは異なり、ここ一帯で奇襲を受けたらパーティーが壊滅しかねない。出番の減っていたクロッカスが矢面に立った。
「へいへい、っと。右方向から六匹。人型!」
「リザードマンか。俺が右前から出るから、左よろしく」
「サニアちゃん行っきまーす!」
「あ、おい。……キクリ、悪いがフォロー頼む。先生は適当なタイミングでお願いします」
「うむ。任された」
「頑張って、カーチスくん!」
まずはリザードマン部隊との戦闘は恒例である。
が、シャーマンがいない以上、普通に攻めていけば勝てる相手だ。一匹ずつ仕留めていって、前衛ばかりの六匹を難なく撃破した。
他のモンスターも既知のものばかりである。例外的な隣接ダンジョンからの流入はもはやなく、であれば能力的には十分以上であるカーチスのパーティーに足踏みする理由もない。
すんなり到着。拍子抜けするほどあっさりと部屋の扉を開けて入ると、開け放たれたままの棺の中に、何かの文字が刻まれたメダリオンが鎮座ましましていた。台座まであるのだから恐れ入る。
文字の内容は小さな文字でアフラバーン学園卒業認定、大きな文字で冒険者免許と記されている。
「良かった……俺たちは、成功したんだ!」
「はいはい喜ぶのはまだ早いわよー。無事に帰って初めて合格でしょ」
「多少は浸らせてくれよ」
「ふむ。サニアの言葉には一理ある。浮かれてつまらんミスをするよりはさっさと帰還の準備をした方が良かろう」
「先生まで……」
六人分であるが、名前の部分は空白となっており、これは無事に帰還した場合に学園が刻み込むようになっているのだろう。
何らかの魔術的な処置があるのかもしれないが、とにかく必要な証は手に入れた。
あとは素早く脱出を計るのみである。
「カーチスくん」
「……キクリ」
「おめでとう」
「ありがとう。……って、なんで他人事みたいに」
「う、うん。なんていうか、すごく嬉しそうだったからつい」
「うへえ。甘い空気過ぎるッスよ。微妙にダメージがありそうな」
「まったくよ。ごちそうさまだけどそーゆーのは帰ってからにしてくんない?」
「独り身には辛い光景だしな。ま、気持ちは分かるが」
「ははは……」
途中危うい場面があったが、全体的に見えれば順風満帆であった。
いくらかの休憩を取って玄室から出ると、遠くから何かの足音が聞こえた。
聞き覚えのある足音のようにカーチスには思われたが、仲間達のコメントはなかった。
まだ帰り道があるため緊張を解いたわけではなかったが、祝勝ムードに水を差された形だ。
いや、そもそもこの足音は何なのだろう。
人間のようだが、今は、カーチスのパーティー以外の誰も潜ってこれないはずだ。
規則破りがいるのかもしれないが、それにしては落ち着いた足音だった。
あるいはモンスターなのだろうか。
レッサーヴァンパイアか何か、ありえない話ではない。講師陣も実力者揃いとはいえ、一匹くらい見逃すこともあるだろう。
カーチスの疑念に答えてくれたのは、通路の向こう側の声だった。
「さっきぶりね。単刀直入に言うわ……キクリ、用があるのは貴女だけよ」
「へ、なんでルビー先生が?」
「部外者に聞かせることじゃないわね。出来れば退いていて欲しいのだけど」
カーチスが前に進み出ようとすると、それを止めたのは他ならぬキクリだった。
おびえたような瞳でふるふると首を振り、近づかないようにと望んでいる。
理由が分からない。
ルビーと、その後ろに影のように控えているサムライ仮面は、まるで逃げ道を塞ぐような佇まいで通路の真ん中に立っている。
ただし、二人は先日のような余裕の表情ではない。
雑魚相手に見せた駆除駆逐の振る舞いではなく、強敵との戦闘を前にした心構えでいる。
あれだけの力を誇る二人が、どうしてこんなにも警戒しているのか。
カーチスには理解できない。理解しがたいことに巻き込まれている。そう思った。
「部外者って……キクリは俺たちの仲間です!」
「そういう意味じゃないんだけど……まあ、この場で話す以上は関係者とも言えるか」
「何を……」
「本当はあたしたちの仕事は終わってるんだけど。今日で契約期間も終わりだから、報酬貰ってさっさと出て行くつもりだったのよ。……いるはずのないモンスターの確認と、原因究明ついでに対処」
カーチスも聞いたし、見た。
それはすでに終わっているはずだった。
「見た限りでは単なる事故だと思ったんだけど……もう一種類未確認モンスターがいるはずだって、このサムライ仮面が強情に主張するもんだから期間ギリギリまで調査続行してたの。具体的にはあたしたちが階段に戻る前に、カーチス、君が戦ったであろう何か。そいつよ」
「え……」
「モンスターと戦って、たぶん倒したと思うんだけど。違った?」
「なぜ、それを」
「やっぱり。で、そっちの四人も同じような敵と戦ったと考えてるわ。どうかしら」
五人を見たが、皆が黙っていた。否定するでもなく、肯定するでもなく。
「まあ返答がないのは想定してたから良いんだけど。だいたい予想は付いてるし……あたしたちの疑問はただひとつ。キクリ――呪術師、菊理=ソーセル。どこまでがあんたの仕業?」
「そんな、その……わた、わたしは」
「じゃあ質問を変えるわ。あんた何を失敗したの?」
ひう、と息を呑んだキクリ。
そしてカーチスとキクリを除いた四人が、その問いを発したルビーに襲いかかった。
カーチスは意味が分からなかった。
何が起きているのか。
今の会話がなんだったのか。
「〝エジアラ〟」
真っ先にクロッカスの手にしていたカンテラが破壊され、暗さを増した通路で、ルビーとサムライ仮面を殺そうと四人が詰め寄った。三人が突進し、ケルビンが氷の魔術によって撃ち殺す。
そこには純然たる殺意があり、ありえざる濃密な死の匂いが漂ってはいたが、カーチスにはどれほど動きが向上したとしてもこの四人の手でルビーたちを仕留めることが不可能なのは理解できていた。
すでに遅いのだ。
完全なる不意打ち、それも当たるまで察知できないほどの隔絶した力量を持ってのみ、自分たちの刃がこの二人に届きうる。逆に言えば、こうして正面から対峙した段階ですでに手遅れだった。
「これが解答?」
「――ッ!」
「そう。分かってはいたけれど、随分と悪趣味ね……」
連携はちぐはぐで、精彩を欠いているどころではなく、まるで噛み合わない歯車を無理矢理ねじ込んだような動きだった。
動くべきでないタイミングで、コンチヌスが守りを捨て、攻めに転じている。
頭脳役たるケルビンが虚実交えた牽制すらせず、強力ではあるが単調な攻撃魔術を直線的に、しかも初撃で放ってしまう。
背後に回らなければ当てることすら出来ないクロッカスが、未だに彼らの視界内から外れ切れていない。
横の動きで翻弄すべきサニアは賢しく動いてはいるのだが、動きの鈍いサムライ仮面ではなく、露骨に隙を見せているルビーを狙った。
絶対に自由にしてはいけないのがどちらなのか、カーチスには見えていた。普段なら仲間達も察することができたはずだった。
全部、間違っている。
指示すべきカーチスは強く混乱したまま、すべてが終わるのをその眼に焼き付けるしかなかった。
あっさりとケルビンの首が飛んだ。恨みがましい目だった。これほどまでに容易くひとが死ぬのかと、その光景はまったく現実味を帯びていなかった。
慌てて大盾を構えようとしたコンチヌスは真っ二つになった。斜めに断ち切られた鋼鉄混じりの盾も、ピンク色した内臓が覗いた人体の切断面も、冗談のように半分ずつになってしまって、そのままズレて地面にぼとりと墜ちた。
クロッカスはついでで殺された。コンチヌスを断った剣閃が翻ったあと、すでに心臓に刃が突き立っていた。助かるまいとの判断をするより早く、その小柄な背丈は同じ生物とは思えないほどに縮こまり、襤褸の、野良犬の死骸のような有り様と成りはてた。
目を離した隙にサニアの身体は炎上し、揺らめく炎のなかで蠢いていた。焦げて黒く炭化する肌、油と肉の焼ける凄まじい臭い、それにも関わらず悲鳴ひとつ挙げぬ彼女の姿に、カーチスはこの上ない悲惨、あまりの無惨を感じはしたが、しかしどうしてか、仲間達の事切れる姿、そのすべてが人間の死に様のようには思えなかった。
そのどれひとつとして、人間味が感じられなかった。
まるで。
そう、まるで、自動的に動き続けていた死体がついに壊れただけのような――
サムライ仮面が寄ってきた。
剣を手にしていた。
キクリは、と咄嗟に見る。
サムライ仮面のそれは、鈍い動きだ。
その感覚は間違っていた。
ゆっくりのはずのその所作は、なのに決して追いつけない速さだった。
あまりにも無駄がないがゆえに、そう感じるだけなのだ。
だからそう、すでに、キクリは斬られ――
いや、咄嗟に身体が動いた。
カーチスは身体に染みついた動きで反射的に剣で防ごうとした。
しかしどうやってもサムライ仮面の一閃を防ぐ手段がない。
なまじ剣に通じているがゆえ、それが否応なく理解できてしまって、それでも渾身の一撃は敵の剣に届き、そのために奇跡的に軌道がぶれた。
カーチスの腕、右手首は断ち切られた。
血が噴き出すのを抑える暇さえ与えられず、続けて放たれたルビーの炎の魔術に灼かれる瞬間、キクリが何かをした。
影が膨らんだのが見えた気がした。そんな術を使ったのは見たことがなかった。
迫り来る死は遠ざかった。ただ先送りにしたに過ぎなくとも。
なんとか踏みとどまる。
痛みに耐えて、堪えきれずにカーチスはなぜと叫んだ。
どうしてと。
それは悲痛な声だった。
痛みで喉は震え、視界も心も揺れていた。二人はキクリを殺そうとしていた。カーチスに用はないのだと語られた。
キクリを差し出せば見逃してやる。そう言われても逃げ出すつもりはなかった。
「庇っているその娘のこと、好きなの?」
「……何を……」
「いいから答えなさい。仲間の仇討ちを諦めるほどに、自分の命を呈してまで庇うほどに、その娘を愛しているの?」
視界の端で、キクリが大きく目を見開いたのが見えた。
キクリの目に映るのははカーチスだけだった。
「……ああ。愛してる」
それは剣による一撃よりなお強く、深く、彼女を切り裂いたようだった。
痛々しいほどに、キクリが苦痛をおぼえたのを知った。
だからカーチスは再び繰り返した。
迷いはなかった。
死んでも良いと思った。
それがキクリのためなのか、それとも自分のためなのか、カーチス自身には理解できない。
ただ、眼前の二人は殺すとなれば躊躇しないだろう。
それだけがカーチスに分かるすべてだった。
「聞いた? ……良かったわね、せいぜい幸せを噛み締めるがいいわ」
「わ、わたしは……」
ひび割れた声が、その場を満たす。
「……帰るわよ」
「いいのか」
「仕方ないでしょ。もう、問答する意味すら無いみたいだし」
いくつかの不可解な問答の末、ルビーとサムライ仮面は去った。
あとに残されたカーチスは、その場に泣き崩れたキクリと、惨憺たる死体と化した四人を見下ろした。
分からないことばかりだった。
ただ、その理由をキクリは知っていて、これは当然の結末だったのだとでも言うように、ただひたすらに嘆き続けている。
吹き抜けた冷たい迷宮の空気が二人を凍えさせた。
カーチスの腕先から流れ落ちた血の臭いに釣られたモンスターがいなかったことだけが救いだった。
そして涙も涸れた頃、キクリはゼンマイの切れた人形めいて停止した。泣き疲れて力なく、目は真っ赤、声も掠れ、あの儚げで優しかった少女のなりはそのままに、まるで老いた墓守のような昏い瞳で、ゆっくりとカーチスの顔を見上げるのだった。
そこには微笑はなく、泣きはらした無念の表情も見えず、ただ仮面のごとき美しい少女の顔を貼り付けた無機質なものがひとつあるだけだった。
それは乾いた床に転がった四つの死体ととてもよく似ていた。
空っぽで、ひとのかたちをしていて。
呪術師キクリ。
すなわち菊理=ソーセルは、表情とまるで不似合いでちぐはぐな、うっとりとした声で、この地で為した己のおぞましき所業を、過去の己が求めた願いを、ただひとり残されたカーチスに向けて、夢見るような語りで告げた。
それはたとえば。
物語にあっては、お姫様が助けてと懇願するような場面で。
だけれど、彼女は決して救いを求めなかった。
――ごめんなさい。
血塗られた迷宮の通路、そのわずかな薄明かりに芒として浮かび上がるものがあった。
長い話を聞き終えたカーチスは、その場に転がっていたキクリの守り刀を拾うと、彼女が動きを止めたのを確認し、それから彼は自分の首筋にそっと刃を沿わせた。
どのみち、もう長くはない。
断たれた手首から血は流れ続け、失いすぎた。未だ意識を保ったままでいるのが不思議なほどだ。
――ありがとう。
同時に、鮮かな紅に彩られた恋人の唇に、そっと自らの唇をあてがう。
血の味がした。ぎこちなくて、下手くそな口づけだった。
たった数回だけの。
一緒に上手くなろうっていったのに。
――わたしは、幸せでした。
剣を持つための右腕、その手首を失ったからいささかやりにくいが、それでも剣士だ。刃物の扱いには接吻するよりずっと慣れているし、この状況で狙いを外すわけもない。もはや躊躇う余地も、躊躇う意味もなく。
ぽたりと雫が落ちる。
暗闇の中で淡く輝いたそれは、彼の血か、彼女の涙だったか。
――だから、ごめんなさい。
おぞましくも美しい光がその場で昏く輝き、そして――
◇◇◇
卒業試験に挑戦中、地下迷宮六階にて、カーチス=ブルーノをリーダーとしたパーティーは全滅したとの発表があった。アフラバーン学園では学園の規定に則り、彼らの遺品や回収された装備品、財産などを入学時に指定された人物の元へと送り届けることとなった。なお収容された五体の亡骸については遺品送付先の希望が在れば同時に搬送し、これが不可能な場合は学園が責任を持って埋葬することとする。パーティーメンバーのうち残り一名の遺体に関しては、諸事情によりすでに火葬されたことをここに付記する。
卒業試験において三十七名の合格があった。
ただし一部の生徒において悪質な不正行為があったことが判明したため三名を失格とし、残りの三十四名には冒険者免許が発行された。
次期入学生の募集は来月初めより開始される。希望者は書類と入学金を揃えた上で、アフラバーン学園入学志願受付所にて申し込むこと。以上。




