第十五話、正解のない選択肢
「は、ははははは。はははははははは!」
「……コンチヌスさん」
「そういうことか……くそ、俺もヤキが回ったな……」
他の迷宮と繋がってしまい凶悪なモンスターが跋扈する地下六階からの脱出の途中、カーチスが追撃を防ぐためにしんがりを買って出た。彼なら足止めしつつも生還すると信じて五人は階段への道をひた走っていた。
そして怪物が現れた。
いや、怪物と呼ぶにはいささか矮小な身だった。それらは影であり、人間の形をしていた。そして武器を持っているように見えた。
見たことのないモンスターだった。
聞いたことすらなかった。
知識だけは無駄にあると自負していたコンチヌスが全く思い当たらないモンスター。
新種が発見されることがないわけではない。だが、ルビーたちの言葉からすると隣のダンジョンは特別特殊なモンスターの発生源ではなさそうだ。
つまり目の前にいるこいつらは別件だろうと当たりを付けた。
こいつら、だ。
人型の影がひいふうみい……ざっと数えて二十匹程度。一匹ごとの力量はそれほどでもないが、数は力である。特にこうした状況においては逃げ道も限られているし、そもそも階段への道を塞ぐようにして十匹が居て、追い掛けてくるかたちで十匹が出てきた。
挟み撃ちされていた。
しかも、この状況になるまでクロッカスをはじめ誰も気づけなかった。奇襲には警戒していたというのに突然現れて囲まれてしまっては、もはやどうしようもない。
サニアは数の多さに攻めあぐねている。というか方針を決めかねているのだ。
囲いを突破するのか、するにしても、どちらに向かうのか。
そしてコンチヌスの見立てでは、階段に逃げ込むのは無駄だった。たぶん普通に追い掛けてきて、階段部分にも忌避感を覚えて撤退したりはしてくれまい。
なぜならこれは、モンスターではないからだ。
しかしそれが分かったとして、事態は何ら改善しない。四人を庇いきるには手も足も力量も足りず、やがて無防備に背を見せたキクリに近づいてくる影を視界に捉えたコンチヌスは、足りぬすべてを身体ひとつで賄い、その刃を防ごうとした。
鋭い痛みが生まれ、燃え盛るように膨らむ。しかし致命傷ではない。
だが、無視出来る傷でもない。
鉄壁の守りはついに崩れた。奇跡的に、そして限界を超えて防いでいたサニアやクロッカスも許容量はとっくに超えていた。最後の望みであったケルビンの魔術も、すべてを覆す力はなかった。
もはや耐えきれず、皆、波のごとく襲いかかってくるこの無数の影に飲み込まれてゆこうとしている。
それでもコンチヌスは最後の力を振り絞り、前に出て両手を拡げた。
僅かな時間稼ぎになればいい。
あと少し。
もう少しだ。
それだけ耐えれば、きっと仲間が起死回生の一手を打てる。あるいはこの身を犠牲に、逃げる時間を生み出せる。
どうか判断を間違えないでくれ。
こんなところで斃れるために冒険者になったわけではない。
しかし、現実はいつだってコンチヌスの期待に応えてはくれなかった。
身を挺した彼の目に映るのは、己の胸から突き出た刃の輝きだった。
避け得ぬ死を前にして、彼はついに理解した。
自分が本当に求めていたものが何だったのかを。
だが、もはや手遅れだった。
いつだって気づいたときには手遅れだったのだ。
◇◇◇
大盾使いコンチヌスは冒険者学校ことアフラバーン学園新入生のなかで異彩を放っていた。
他の新入生の年齢が十四才から二十才前でほぼ収まる。
これに対し、彼は二十五才と若干高い年齢だった。
といっても他の生徒に比べて年上だから目立つわけではなかった。
知っての通り冒険者学校は一般的な学校とは異なり、技能取得とその試験の場といった意味合いが強い。より正確な表現としては訓練所と呼び表すべきなのだろうが、すでに迷宮都市では冒険者学校の名称が根付いてしまっており認識を改めることは難しい。
迷宮都市には「冒険者学校ではない」いくつかの「学校」が存在するが、それとて上流階級の子弟のために設けられた特殊な教育機関に過ぎず、これも一般的ではない。
ただしあらゆる勉学や教育がそうであるように、冒険者であってもその道を究めるためには幼いうちから鍛えることが基本であるため、早い内にその将来を決めた年少者たちが入学することもあり、やはり「学校」と呼び表すのが慣習である。
荒事とは無縁の生活を送ってきた市民が一念発起し冒険者を志す……こうした例には事欠かず、五十代になってから入学し、卒業し、冒険者免許の取得をした者もいる。
記録上は最年少は十才から、最年長は五十七才とされる。
但し、さすがに幼すぎる者を他の入学者と同様に扱うのは難しいため、十才から十三才までの年少組は特定の冒険者学校でのみ入学を受け付けている。
三十代以上の場合は特に制限はないが、十代の若者と机を並べて学ぶことに気まずさを覚えるのか、これも特定の学校に入学者が偏っている。各校ごとに特色があるため、そうした事前情報を集めるのは悪いことではない。
そんなわけで、二十五才だからといって注目される理由は取り立てて無いのだが、それでもコンチヌスが浮いているのは、すでにひとかどの冒険者としての経歴を持っていたためである。
ある種の有名人ではあったが、彼は学園に入学したのはひとえに冒険者免許取得のためである。つまり許可の要らない地方迷宮専門の冒険者だったのだ。
◇◇◇
コンチヌスが冒険者となったのは十二才になったばかりの頃だった。とある小さな町に生まれたコンチヌスは身体を動かすことが好きなだけの少年だったが、体格に恵まれた。
「おいコナー! あとでうちに来いよ! 美味いもん喰わせてやる!」
「はは、あとで寄る。でも爺さん、酒は勘弁してくれよ」
「なーに言ってやがる! いい呑みっぷりだったって聞いてるぜい?」
「あのあとジーナおばさんにこっぴどく叱られたんだよ……つーか大人どもがこぞって俺に飲ませようとするのはなんでだ」
「そりゃおめえ、一緒に飲みてえからに決まってんだろ」
「ガキに飲ませんな!」
「てめえが自分んことガキっつーなら、んな反論すんなよコナー! 下手なヤツよりおっさんくさいんだからよう」
同年代の子供たちを見下ろす身長にがっしりとした筋肉、体つきだけでなく怪力、ついでに思慮深さまで備えてしまえば大人達にも頼りにされる。
荷物持ちやら大工仕事やらにも呼ばれ、良いように使われている側面がないではなかったが、イヤな顔ひとつせず快く雑用に手を貸すコンチヌスは大人達から可愛がられた。
まだ若いうちから酒の味まで覚えさせられたのは、町の男衆の悪のりもあったが、容姿や精神面から大人として扱われていたとも言える。力自慢のコンチヌスが健やかに育つための環境がそこにはあった。
事情が変わったのは町の近くの小山が崩れ、小さな迷宮が顔を出した頃からだ。
本来モンスターは迷宮の外には出て来られないはずなのだが、崩れた壁から突然オークの群れが顔を出したのである。
「コナー。向こうで隠れてろ」
「分かってんだろうが、あっちに集まってる女衆を守れよ?」
「……分かった」
「オーケー良い子だ。悪ぃな。こんなときだけガキ扱いしちまって」
「分かってるから、気にしないでくれ」
「扉、開けんじゃねえぞ。……全部終わったら一緒に飲もうぜ、祝杯だ」
「そうさな」
「おっ、止めねーのか?」
「そこで止めるほど野暮じゃねえよ」
元より迷宮とは縁の無かった小さな町であり、住民たちはパニックに陥った。町に居を置く役人はいたが、彼には特別腕っ節に自信があるわけでもない。
まだ腕自慢の町民が集まった方がマシだったため、町に入り込もうとしているオークの群れに対し、決死の覚悟の守備隊が結成された。
規模が規模のため、傭兵が必要とされる町ではない。
多少大きい隣町には常駐している兵士が居るが、知らせに行くあいだに被害が出そうだ。そんなわけで喧嘩っ早い数名と昔剣術を習っていたパン屋の亭主、倉庫に転がっていた槍を引っ張り出してきた町長らが一丸となって、殺気を撒き散らすオークたちに挑み掛かっていったのである。
ひどい戦いになった。なにしろ町民は全員素人の集団であり、相手はさほど強くないといってもモンスターである。
戦闘の訓練さえ受けていればなんてことない敵であっても、生まれて初めて目にする怪物の姿に臆さないわけもない。
しかし冷静に戦いさえすれば被害など出さずに勝てたはずだったのだ。
「やべえ! おっちゃんがやられた!」
「包帯はそっちだ! 消毒用に強い酒用意しとけ!」
「開けろ開けろ、怪我人が来たぞ!」
「コナー、そっち持ってくれ。そう、そうだ。足をこっちに」
「斧があったわね。……とりあえず出しておくわ」
「頼んだ。こっちも安全じゃなさそうだ」
「あいつが先だ! 先生を呼んで来い!」
迷宮の外に出てきた以上、パーティー人数の六人縛りは存在せず、大人数で一方的に殲滅できるはずだった。
また投石なり弓といった遠距離攻撃も自由だ。地の利も待ち受ける町民側にあり、迷宮内の壁や床ではないため罠も仕掛け放題だった。
が、そんな知識を持つ者がいなかったことが町の不幸だった。
「……爺さんは手遅れだ。もういい」
「あんた、そんな言い方って」
「こっちより生きてるヤツを優先してくれってんだよ! 俺も後回しで良い。分かるだろ、なあ」
「ラズさん」
結果、戦闘に参加した町長を初めとして複数人が大怪我、死者一名を出して、ようやく撃退に成功した。オークの群れが出てきた、迷宮の崩れた壁を大慌てで塞いだが、どうにも素材が違う。
モンスターがその気になればまたすぐにでも破られかねないことは誰の目にも明らかだった。
「……町長、大丈夫ですかい」
「なんとかな。クソ、リジーじいさんもやられたか?」
「待て。待って。違う、そっちじゃない。どこに行くんだ町長、先に治療してもらってきてくださいよ」
「痛えが、そんなこと言ってる場合じゃねえだろ」
「血止めくらいはしろっての。あんたに死なれたら他の誰も統率できねえよ」
「……くそ。分かった。早くしてくれ」
惨憺たる有り様であった。町は暗い雰囲気に包まれていた。
またオークの群れが出てきたらどうしよう。
得た教訓を次ぎに生かすことは可能だ。
だが、この怪我人の数、さらには死者まで出した状態で勇敢に戦うのは困難だと、皆が理解していた。すぐそばにある、モンスターが湧いて出る危険のある迷宮。急いで町から逃げ出す者もいた。
その判断を誰も咎めなかった。
「……ごめんねえ。コンチヌス君、あとのことは」
「分かってますよ。……道中が安全ってわけでもないから、気をつけて」
「先に行くよ。ね、ねえ。……あんたもまだ若いんだ。一緒には」
「いえ。俺はここで」
「そうかい……」
幼子を抱いた女性が申し訳なさそうに、荷物をまとめて隣町へと避難していくのだ。
次はオークではないかもしれない。話に聞くゴブリン程度なら良い。だが、もっと凶悪で恐ろしいモンスターに襲撃されたら町は耐えられない。
次こそ全滅し、町民は蹂躙され、町は滅びるかもしれない。話を聞きつけて、隣町からの援軍は大急ぎで一応来てくれたが、いつまでも町に滞在してくれるわけもない。
◇
渦中の町に、冒険者のパーティーが訪れたのはそんな騒ぎのときだった。
彼らは地方の迷宮を巡る旅をしていたが、コンチヌスの町を訪れたのは完全に偶然であった。というのも彼らは冒険者としての活動を休んでいたからだ。
地方迷宮専門として長年六人組でやってきたベテランパーティーだった彼らは前の迷宮探索で仲間の一人を失った。
強敵との戦いに倒れた仲間、その死と引き替えにして手に入れた遺物は、売り払うことで数十年遊んで暮らせる額が得られた。
あまりにも大きな対価だったため、彼らは引退を考えた。
仲間の死が堪えたのもあるし、大金を稼ぐために危険を承知で迷宮に潜っていたこれまでを考えれば、その目的を達したとも言える。
これを契機として一線から退くことは、むしろ当然のことだった。
ただし得られた大金も、今後冒険者を続けるのであれば、高品質の装備品を揃える際に消えゆく程度のものである。
自分たちには使えない遺物であったから売り払ったが、その金額で他の便利な遺物を購入して、再び迷宮へと足を運ぶ。
その選択肢を完全に断ち切れなかった五人の冒険者たちは、決断を先送りにした。ずっと各地の迷宮を回るためにしていた旅を、観光旅行、あるいは傷心旅行として確たる目的地を定めない気楽な行路と切り替えたのである。
旅行資金は遺物の売却代金から容易くまかなえた。それまで溜め込んだ財貨もあり、たまさかコンチヌスの町に起きている騒動を知らぬまま宿を取り、聞くつもりもないままに先日の迷宮の発見とモンスターの出現の報を聞かされた。
当初、彼らは我関せずを貫いていた。
彼ら五人が町に入った段階ですでに第一陣であるオークの群れは撃退済みであったこと、自分たちは迷宮探索を仕事としているのであって傭兵の真似事はしないのがポリシーだったからだ。
「まいったねこりゃ」
「俺らの出番じゃなさそうだが」
「……そうかねえ。こういうときこそ俺たちの出番じゃねーかな」
「そうですよ、リーダー。……良い機会かもしれません」
「今、ここにあいつがいたら何て言ったかな」
「――まずは見に回って、ひとまず待ちさ。情報こそが俺たちの命の重さと等しい……だったか」
「よく言うぜ。あいつが一番トラブルメーカーだったのになあ。ほら、覚えてるだろ。あの馬鹿がやらかして全員で必死に逃げ回ったあの迷宮」
「結局、あの馬鹿の独り勝ちか」
「……いなくなっても振り回される、ってな」
しかし町民達が次の襲撃の可能性を不安そうに話しているのをしばらく無言で眺めていたかと思えば、五人のリーダーが決然とした表情を見せ、怪我をしつつも動き回る町長から詳細を聞き出した。
話を聞き終えたリーダーは四人の仲間を振り返り、彼らもまた頷いた。
長年の迷宮探索で稼ぎ、その大金を費やした装備は得難い財産でもある。
気楽な旅路であっても常に大事な装備は持ち込んであり、あとは迷宮の種類や状況によって必要な消耗品の用意、そして可能な限りの情報さえあればよい。
彼らにとっては行きずりの町の、自分たちには関係のない危機に過ぎなかったはずだ。大金を手にした以上何も聞かなかったことにして早々に町を立ち去っても良かったし、頼まれたわけでもなく、冒険者としていくらかの助言をするだけでも住民達は感謝をしただろう。
本当に小さな町なのだ。専門家であると見込んでの対処を願ったところで、満足な報酬を出せるわけもない。
町中の財産をかき集めても彼らの命の対価には出来なかったことは明らかだった。
しかし五人の冒険者は立ち上がり、自分たちがその迷宮を攻略しようと言い出した。
彼らは知っていた。
地方迷宮に「枯れた迷宮」が存在することを。
迷宮都市ではさほど多くないものだが、地方に点在する迷宮にはよくある。一定の特徴がある場所は最奥に安置されている遺物を入手すると、迷宮が枯れるのである。
迷宮が枯れるとは、すなわち迷宮内を血流のごとく巡る魔力の循環がなくなることを意味する。魔力が尽きた迷宮においてはモンスターの自然発生が無くなるのだ。
本来大陸のモンスターが迷宮外に出て来られないのは、迷宮内に満ちた魔力によってその実体を維持しているためである。
モンスターが迷宮外に出てくることを好まないのも、出てきてしばらくすれば大抵は弱くなり、そのまま死ぬ――餓死のように魔力不足で死ぬのだ――のも、それが理由だ。
迷宮の奥に行けば行くほど魔力の質が良くなり濃度が密度を増してゆく。
強力なモンスターが存在するのも、それらが階段に隔てられて滅多に上層階にさまよい出てこないのも、ゴブリンやオークが外に出ることがあっても、恐るべき難敵強敵が迷宮外で見られることがないのも、すべては周囲に充満する魔力次第なのだ。
「俺たちが行くのはこの町のためなんかじゃないんだぜ!」
「……へっへっへ。そうさ俺たちゃ冒険者、金の匂いが大好きなのさ」
「良い感じに人の手の入ってない迷宮みたいですからね。……一攫千金の夢よ再びってとこですか」
「まあ俺ら金には困ってねえけど――痛っ。なにすんだヘズ!」
「結局、迷宮に潜るのは全部自分のためさ。ひとのために、なんて馬鹿なコト掲げてたら命がいくつあっても足りないんでな」
「そうそう。誰かのためって言葉で、重っ苦しい責任をおっつけようなんて気はねえしなあ。それで俺ら死んだらそいつらのせいって話に――だから痛えな! ひとの頭ポンポン叩くんじゃねーよヘズ!」
コンチヌスの町がいま危険に晒されているのはあまりにも迷宮と近いためである。
オークが弱り、あるいは放置しても死ぬだけの距離はなく、であれば生存のために人間の魔力を奪おうとするし、モンスター自身の性質のため人間を殺すことを最優先とするのも当然だ。
町から人間が全員退散すれば、再度オークが出現してもさほど被害は出ないだろう。隣町に辿り着く前に死ぬのは明らかだった。
そして熟練の地方冒険者たる彼らの見る限り、町近くの迷宮は、安置されている遺物さえ奪取出来れば枯らすことが可能だった。
もちろんこの手の迷宮における最重要なアイテムであり、それを守るために守護者的な格の違うモンスターの存在も予想された。だが、逆に言えばそれさえ倒せる自信が在れば、迷宮を枯らすことも決して夢物語ではない。
彼らは帰還した際に美味いものを喰わせてくれ、酒も用意することを忘れるなよ、などと嘯いて迷宮に潜った。
町民は不安と期待を胸に、その出立を見送った。
大量の保存食と松明、通常想定される消耗品の量とは比べものにならない町の備蓄を抱え、彼らは迷宮攻略に挑んだのだ。
それはすなわち、たった一度の挑戦で最下層まで辿り着こうとするある種の無謀でもあった。
口さがない者は五人の冒険者の献身を暴走と吐き捨て、高齢の酒場の店主から瓶でぶん殴られた。
「……コナー? おい、あいつどこいった」
「昨日はこっちで怪我人をベッドに運ぶのと、向こうで湯を湧かすための薪割り、それから建物の補強やなんやで大工仕事も延々やってたし、さすがに疲れて寝てるんじゃねーかな。ったく、ガキだってのに働きすぎ、お前らもあいつのこと働かせすぎだろ」
「つっても下手に暇にさせるとコナーのことだ。モンスターに突っ込みかねないのはみんなも同意するところだろ」
「そうかねー。あいつあれで結構頭良いぜ。ぶっちゃけ無策で戦ったりしねーと思うんだが」
「そうそう。本気で猪なら最初のうちに突撃かましてるだろ。女子供の守りにあてて、素直に受けたんだからその辺の見極めも出来るしな」
「……出来すぎたガキなんだよなあ。だからついつい頼っちまう」
「そうさな。……ま、あとひとふんばりだ。外んやつらに頼るっきゃない俺らの言うこっちゃないが、大人の意地を見せてやらんとなあ」
一日が過ぎてから町民たちは、どこを探してもコンチヌスの姿がないことに気がついた。
オークの群れとの戦闘に参加するつもりでいたコンチヌスは、親しい皆が怪我をし、そして死人まで出したその場にいることが出来なかった。
そして約束は果たされなかった。
終わったら一緒に祝杯を挙げる。
一人死んだ。
それを多い犠牲と捉えるか、少ない犠牲と感じるかはひとそれぞれだ。
だが、たった一人だけ。
つまりそれはわずかな差であったとも言い換えられる。
たとえば、コンチヌスが一緒に戦っていれば、それはもしかしたら避けられる未来であったのかもしれない。
もちろん不慣れな少年が混ざったことで犠牲が増えていた可能性もきちんと分かってはいたが、理性で理解できても感情は納得出来ない。
この結果が、体格に恵まれ、大人顔負けの精神年齢であった――しかし実年齢を理由に何もさせてもらえなかった子供、そう、いつも頼られていたと思ったのは単なる錯覚で、まだ心配されている子供に過ぎなかったコンチヌスを打ちのめして余りあった。
この上、悔しさを噛み締めていたところに余所者が手を上げ、颯爽と迷宮へと向かったことを知らされたのだ。
情けなさと怒りに突き動かされたコンチヌスの行動こそ、暴走と呼ぶに相応しいものだった。
そういう意味では彼もまだ子供だったのだろう。
これほど勝手な真似をしたのは、あるいはこれが初めてだったかも知れない。
「……あー」
「あー、じゃねえよ馬鹿! どうすんだコナーに何かあったら!」
「追い掛けるわけにもいかんだろ。もう」
「よくそんな落ち着いてられるな!」
「焦ったってどうしようもねーだろ。……それに」
「それに?」
「あいつの暴走ってより、本心とか素とか本音とか、そういうもんが見えたんだ。そっちを喜んでおこうぜ」
「……怪我せずに帰ってきてくれればいいんだが」
冒険者達の支度を手伝ったのはコンチヌスだったから、探索に必要なものは理解できた。
コンチヌスは剣を持っていなかったが、結果として亡くなったご近所さんの形見となった槍を持ち出した。
あまり良い武器ではない。
だが、悪くもない。
ついでとばかりに、頼まれた大工仕事の際に制作中だった扉を加工して簡易の盾を作り上げ、冒険者が迷宮に入ったその後を追ったのだ。
ひとたび迷宮に入ってから、引き返す選択肢はなかった。
コンチヌスは激情に身を任せながらも冷静さを失っておらず、出現したゴブリンを槍でなぎ払い、決して近づかせなかった。
オークにも出逢ったが、鉄で出来た槍の柄で頭蓋骨を砕くと、さらに進んだ。
モンスターが一匹ずつしか出現しなかったことも幸いし、あるいは先行している冒険者達が上手に敵を蹴散らしてくれていたおかげか、トラップも大半が解除されていたし、帰りのことを考えてか、解除できていないものにも印をつけて分かりやすくしていた。
コンチヌスはほとんど危険もなく地下二階へと進んだ。小山の途中に顔を出した迷宮であり、地下に広がっている。
最下層はどれだけ深い場所にあるのかをコンチヌスは知らなかった。ただ進み続けた。
もしコンチヌスに知識があったなら一人で潜るような危険な真似はしなかっただろうし、誰か若い冒険者がそんなことをしでかしたら殴ってでも止めただろう。
それほど冒険者が一人で探索するなど信じられないことだった。
ただ幸運に追い立てられるように進み、とうとう三階に辿り着いてしまった。
もし先に入ったのが熟練の冒険者でなければ道にも迷っていただろう。
その時点で一階を彷徨っていたかも知れない。冒険者たちは迷路状になっているはずの迷宮をほとんど逸れることなく突き進んでいた。
通常の迷宮探索では道順は自分たちの地図に残すのみで、迷宮内に目印や痕跡は残さないのが普通だ。他の冒険者に獲物を掻っ攫われる危険があるためである。
だが、今回は違う。
白い石か灰を固めたもので作られたチョーク跡が、そのまま彼らの見つけ出した最短ルートである。この恩恵をコンチヌスも受けていたのだ。
階層を深く降りることは、すなわちモンスターの危険性が跳ね上がることも意味する。
腕自慢のコンチヌスであっても、見たこともない怪物との戦いに緊張を強いられ、疲労は増してゆく。
かすり傷で済んでいるが、いつ大怪我してもおかしくない。
その状況にあってコンチヌスは、とうとう集団のモンスターに襲われた。
これが魔術師であれば複数を同時に攻撃する魔術で危険回避をしただろう。
あるいは剣の達人であれば、この程度の数を苦にしなかったかもしれない。
コンチヌスは強いだけの素人だった。複数の狼に混じったガス状のモンスターの倒し方も分からず、じりじりと追い詰められていた。
しかし、急いでいるとは言え慎重に進む五人に、身軽だった若いコンチヌスはもうすぐ追いつきそうだったのだ。
突然来た道に響いた戦闘音に、五人が引き返してきてくれたのがコンチヌスの生死を分けた。彼らは本当に手慣れたパーティーだった。
あっという間にコンチヌスを囲んだ群れを分断し、一匹ずつ仕留めていった。肩で息をするコンチヌスを呆れた顔で見下ろしたリーダーと、どこか面白がる仲間たち。
これから一人で帰還させれば死体が増えるだけと察した冒険者たちは、足手まといに過ぎないコンチヌスを臨時の仲間として誘った。
ちょうど一人空席が出て寂しかったのさ、と彼らは語った。いくらか説教されはしたがコンチヌスも当然のことと受け入れ、結果として荷物持ちを押しつけられた。戦闘には参加するなと口を酸っぱくして言い含められたが、それにも素直に頷いた。
六人は破竹の勢いで進んでゆく。
経験豊富なパーティーの安定感と、それを邪魔している自分の存在に今更になって頭を抱えたくなったコンチヌスだったが、迷宮の中で二日、三日と彼らと一緒にいるうちにそんな小さなことはどうでも良くなってきた。
体力自慢でもあるコンチヌスを悠々と飛び越して、疲れた様子も見せずに一階、また一階と地下へと降りていったのだ。
そして六人は迷宮のボスと呼ぶべき守護者を打倒し、この迷宮を迷宮たらしめていた遺物の入手に成功したのだった。
◇◇◇
「そうか。行くのか」
「長い間、お世話になりました」
「……死ぬかもしれんぞ。リジーじいさんみたいに、モンスターにやられて」
「それでも俺は冒険者になるんだ。そう決めた」
「止めても無駄……だよな」
「俺はあの世界に飛び込みたいんです。あのひとたちに付いていきたい。ずっと自分のやりたいことを考えてたんだ。……今回の一件で、これが俺の進むべき道なんだって思えた。だから」
コンチヌスは冒険の魅力に取り憑かれた。
あまりにも上手くいきすぎた最初の冒険。コンチヌスは自分の力を最大限発揮し、活用するべき道を見いだしたのである。
「くそ。お前なら良い大工になると思ったんだけどなあ」
「いやいや、酒場のマスターを継がせようとしてたオレのが先だよ」
「うちのナズの婿にと考えてたんだが」
「お前んとこのナズちゃんまだ六歳だろ。何考えてんだ。ばーかばーか」
「十年経てば問題無いだろ」
「その頃にはお前ナズちゃんからパパ嫌いパパくさいパパあっちいってとか言われてるぜきっと」
「……ぶっ殺す」
「おう。かかってこいや!」
「馬鹿どもの話はともかく、コナー。本当に行くんだな」
「あとのことは、頼みます」
「分かった。この場にいない彼女たちには上手く説明しておくよ。……いつでも帰ってきていいんだぞ。というか怪我しないうちに戻ってこい」
「じゃあ、失礼します」
「また逢おう」
そして後進は守り、教え、導くものだとする考え方にいたった。
くわえて無理がない範囲で人助けもするし、儲けられるなら出来るだけ儲ける。
自分が気持ちよく生きて、暮らせるように、やりたいようにやる。
「……あれで良かったのか?」
「俺は、冒険者になる。そう決めたんです」
「そうか。いつでも帰れる故郷があるってのは大事なことだ。振り返らなくてもいいが、忘れちゃいけない。大人になってからもちゃんと心配してくれる相手ってのは貴重だ。蔑ろにするなよ」
「そうだぜ。ま、死ななきゃいいんだ」
「……ルーグさん」
彼らの教えを受け、彼らが引退したあとはあちこちを周り、各地で地方冒険者として名を挙げてからもその考え方は変わらなかった。
波瀾万丈というほど激動の人生ではない。冒険者目指して迷宮都市を訪れる者に話を聞けば、けっこうありがちな話でもある。たまたまコンチヌスは地方冒険者として成功した部類だから珍しいだけで、もっと苦労しているものも、もっと凄まじい生き方をしてきた者もいるはずだった。
「たとえ失敗しまくって、ずたぼろになって、なのに何も手に入んなくてもよ、いっちゃん大事なもんを失わなきゃ負けじゃない。……命だけじゃねえぞ。代え難いもんを守り通せるか――もちろんその前にそういうもんを見つけられるかが先だが――それだけ覚えとけ」
「そうそう。結局はそこに行き着くんですよ、コンチヌス君。ちなみにその今良いこと言ったぜみたいな顔をしてるハゲは、今でも失ったものに未練たらたらですから」
「ヘズてめえ! 髪の話はすんなって言ったよな……なあおい?」
「誰も髪の話なんかしてませんよハゲ」
「……とまあ、こんな連中だが、コンチヌス。本当に、一緒に来るんだな?」
「はい! よろしくお願いします!」
「じゃあもっと砕けて話そうぜ。……俺たちはもう、仲間なんだからよ」
いつか故郷の町に帰る日が来るだろうと、ずっと思っていた。
冒険者になると決めるとすぐ、止める皆を振り切るように旅立った。
そのときの皆の表情はいまでも鮮明に思い出せる。
各地の迷宮を回ったが、なんとなく故郷に立ち寄ることだけは避けていた。
「俺たちはここで終いだ」
「そんな……」
「はっ。そんな顔すんなよ。俺たちのパーティーは十分やったさ。でもよ、もう満足しちまったんだ」
「つーかお前だって十分成功者として名も挙げたじゃねーか。……なあコンチヌス。俺らはこれで引退するが、おまえさんもそこそこ稼いだろ……だからよう。死ぬ前に冒険者なんか辞めねえか? まだ若いんだ。他の道だって山ほどあるだろ?」
「無駄ですよハゲ。私たちはやり遂げたから終わらせたいだけで、彼にはまだ先がある。それを邪魔しようだなんて耄碌しましたねハゲ」
「うっせえよヘズ。それにリーダーも黙ってねえで言ってやれよ。冒険者なんて長くやるもんじゃねえって」
「楽しいけどな」
「それしかできねえ連中と、未来ある若者を一緒にすんなっての」
もっと経験を積んでから。
もう少しだけ名を挙げてから。
「もう散々一緒に迷宮探索してきて今更何言ってんだ」
「今だから言えるんだよ。こいつを見てきた、一緒にあちこち回った俺ら以外の誰が言えんだ。冒険者ってのはいつ死んでもおかしくないんだ。高尚な理由でもくだらねー理由でも、決闘の結果でも仲間割れでも、あるいは事故でも、死ねば終わりなんだよ。どんだけ格好付けても死は死だ。コンチヌスは良いヤツだ。……俺らみたいに吹けば飛ぶような軽い命じゃねーんだよ!」
「ったく、そんなに熱くなるな。……まあ、見ての通り聞いての通り、このハゲはお前のことが心配なんだよ。こいつの言ってることも一理ある。冒険者ってのはいつだって死と隣り合わせだ。それは分かるな?」
「……もちろん」
先延ばしにし続けた帰郷の最後の言い訳は、冒険者免許を取得してから町に戻ることだった。
見栄を張りたかったのもあるし、目に見えた証が欲しかったというのもある。
思い出の中の故郷はいつまでも別れの場面のままで、何年も経った今となってはすっかり変わっているのかもしれない。
「どんなに準備してても、運が悪けりゃそんなもんは無意味になる。だから命は大事にしろってことさ。お前なら冒険者にならなくても生きていける。それくらいの器量はあるって知ってるからな。で、だ。このパーティーのリーダーとして最後の助言だ」
「はい」
「命の使い所を間違えるなよ?」
「……」
「ま、お前に黙ってさっさと引退を決めて不義理かました俺の言えるこっちゃないが」
「……いえ」
ただ、人間なんて多少年を取ったくらいでは中身はそうそう変わるものではない。
彼らがいつだって暖かく迎え入れてくれることは知っていた。
「俺たちは先に降りる。続けたいんだろ。好きにすればいいさ。……お前はもっと先まで行けるだろうからな。……なあコンチヌス」
「リーダー……」
「後悔だけはするなよ。いつ死んでも笑えるように、な」
だからあともう少しだけ。
危なっかしい五人の仲間達を見守るために、もう少しだけ待っていてくれと、遠い故郷を胸の奥に思い描いていたのだ……。
◇◇◇
大量にいた恐ろしい影の怪物たちはすっかり消え去ってしまった。
激闘の痕だけが名残としてあり、氷付けの蜘蛛のオブジェは墓標めいている。
動かなくなったそれらを見下ろして、彼女が何かに堪えるように俯く。
しばらく無言で見つめていたが、手を翳し、不思議なリズムで長い詠唱をする。
一つずつ、その凍てついた強ばりを解きほぐすように、虚ろな瞳を覗き込む。
「……ごめんなさい」
一体、また一体と立ち上がり、無言のままに、彼女の後ろをついてくる。
階段を昇ってゆく彼女は振り返りもしないで、ごめんなさい、ごめんなさいと呟き続ける。
その足取りは幽鬼のごとく、その表情は死霊のごとく。
彼女は自ら点した灯火に照らされて、己が為した光景から逃げ出すように暗がりへと。




