仮面の国
丸い壁に縁取られた、丸い空。
今日もあちらこちらで喧噪が聞こえる。喧嘩は日常茶飯事。軽い言い争いからつかみ合いの大喧嘩まで、一日の間に実に種類に富んだ喧嘩に出会うことができる。
でも俺はあまり喧嘩に巻き込まれない。理由?それはたぶん俺がまともに喋れないから。何か喋ろうとすると、つっかえてしまって上手く喋れない。それが原因で殴られたりはするけど、そのあと無理に喋ろうとしなければ相手は飽きてどこかに行ってしまう。
・・・・・・この世界は、疲れる。
市場をぶらぶら歩いていた。特に何か目的があるわけでは無いんだけど、特にやることもないし、じっとしているよりは喧嘩にも巻き込まれにくて疲れない。
そう思っていた矢先、
「よう!いいところで会うじゃねえかカネヅル!どうせ今日も使わないんだろ?」
・・・・・・一番嫌な奴らにからまれた。
「き、きょうは、こここ、こぜ、にし、か、ない」
「あん?相変わらず何いってるかわかんねーぞお前」
おら出せよ、とそいつは俺のポケットに手を突っ込んできた。その手をはたいてやって、一言一言区切りながら答える。
「じぶん、で、だす」
もちろん本当は金なんてひとかけらだってやりたくない。でも、この世界は『真実の国』。持ってない、と真実ではないことを言うことはあり得ないことだし、かといって黙って何もしなかったら殴られる。
・・・・・・ふつうの人だったら、ここで思っていることをそのまま相手に言ってしまうだろう。でも俺はとっさには言葉が出てこない。だから俺はおとなしく黙って金を差し出した。
「相変わらず結構持ってるよなお前、また明日もここで待ってるからな!」
そいつは振り返らずに駆けていった。その背中を見送りつつ、俺はもう一つのポケットから
同じくらいふくらんだ財布を取り出した。
あいつらは、普通の人々は、俺が『真実ではないこと』を言っている、行っているとは思いつきもしないだろう。みんな馬鹿で愚かだ。
そして、『羨ましくない』は真実ではない。
「やあ、こんにちは」
声をかけられ振り返ると、人の良さそうな老人が立っていた。
「・・・・・・お、か、かねは、ない」
おや、と老人は笑った。
「君、『ウソ』を付くのが得意なんだね。この世界では誰も付けないと思っていたよ」
聞き慣れない単語に首をかしげた。それだけでわかったのか、ああ、と老人はうなずいて説明しだした。
「君たちが言う『真実ではないこと』さ。この世界では『ウソ』をつけるのはとても難しいと思っていたけど・・・・・・・君、ふつうとはちょっと違うみたいだね。言葉が詰まるんだ?」
うなずいて見せた。だからなんだっていうんだ?
「言葉が詰まることが無かったら・・・・・・・とか、考えたことはないかい?」
固まった。すぐには答えられなかった。
「い、しゃ、か?」
違うよ、と老人は首を振る。
「ただ、君が困らないような『世界』を作る手伝いをするだけさ。どうだい、試してみないかい?」
言葉が詰まらなかったら。何度考えたことか!ようやく人並みになれる!
でも多分、面倒くさい喧嘩に巻き込まれることが少ないのはこの言葉のおかげだ。
だけど言葉が詰まるせいでおこる面倒もある!
でもとだけどが重なっていく。
俺が出した答えは、
「やる」
老人の瞳を鋭いくらいに見つめた。
「せかいをつくる」
老人がにっこり笑った、空から何かにおそわれた。
・・・・そういえば、詰まらなかったな、さっきの言葉。
一瞬見えた老人の瞳は、太陽に輝くお金の色みたいだった。
目を開くと、そこには丸い空は広がっていなかった。
元居た世界じゃないのははっきりとわかる。
お金と僕の瞳の色にそれぞれ輝く丸いものが、それぞれかみ合って回っている。
上も下も、右も左も、それがどこまで広がってもわからない世界。
「ようこそ、君の世界へ」
声に振り向くと、老人が鳩を体中にとまらせながら微笑んだ。
「私は案内人のオルズ。さっきも言ったように、君が世界を作る手伝いをしよう」
「ど、どうやってつ、くる?」
見渡す限り丸いものがあるだけだ。ここから何が作れると?
「想像するだけさ。君の思うままに世界は形作られる!」
「そうぞう、だ、け・・・・・・」
あ、ただし、と老人が思い出したように付け加えた。
「君は『想像』以外の方法では君の世界に干渉できない。君の声は届かないし、君の手も及ばない」
「いい。それで、いい」
喋らなければ面倒事には巻き込まれない。そして喋りたくなるのは、相手が、周りにしゃべっている人がいるから。
俺の声の届かない世界ならきっと、俺は静かに暮らせるだろう。
黙って目を瞑った。
次々と想像した。
人々は必要最低限しか喋らない。それでいい。
そして人々は、表情すらも仮面で隠すんだ。それがいい。
争いはもはやほとんど存在しなくなるだろう。
次々と創造した。
はやる気持ちを抑えて、ゆっくりと目を開けた。
「・・・・・・!」
人々は顔をすっぽり覆う仮面をつけて、ひそりひそりと囁きあう。
それ以外に聞こえるのは鳩の鳴き声だけ。
なんて静かな世界。なんて理想の世界!
「ふむ。なかなか興味深い世界だね」
背後で老人が満足そうに言った。
「ちなみに聞くけど、この世界では真実しか喋ることができないのかい?」
首を横に振った。
「『うそ』、もつ、け、ける」
喋らない分考える時間はたっぷりとあった。なぜああも騒々しい世界になったのか。思い至ったのは『真実しか喋れない』ということだ。俺は『ウソ』もつくことができたから、あまり喧嘩に巻き込まれなかったのだろう。
「なるほど。ますます面白そうだ」
老人は目を細めて俺の世界を見渡した。
「・・・・・・そろそろいこうかね。元の世界に戻りたくなったら私を呼び給え」
老人はそう言って、鳩に包まれ見えなくなった。
静寂。




