永遠の国
仮面のせいで視界が狭い。
石に躓いて転びそうになったところを慌ててバランスを取り直した。こんな仮面、もどかしくて仕方がない。
空を見上げた。
仮面のせいで世界が狭い。
道行く人々はみんな、全く同じ、顔をすっぽりと覆う仮面を被っていた。ぼくにだって、親しい人以外全く見分けがつかなかないさ。
こんな非合理的な仮面、捨ててしまばいいものを。
おそらく誰もが一度は抱えたことのある思いだろう。しかし誰も口にはしない。そんなありえないことを口に出したら、『異端者』として社会的に排除されてしまうだろう!
そんなことを考えながら歩いていたら、突然誰かにぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい!」
転んでしまった相手に手を貸してたたせてあげた。ありがとうございます、とその人はすぐに去っていった。
こっちの不注意が悪いのにお礼なんて言われちゃってさ。
ぼくは掠め取った彼女の財布を玩びながら、仮面の下で小さく笑った。
時々ものすごく不安になる。
相手が何を考えているのかわからなくなる。そもそも相手がぼくの思っている通りの人物であるかどうかも怪しくなる。
すべては仮面のせいなのだと思う。一体どうして、ぼくらの神様はこんなわずらわしい仮面なんて作ったんだ?もちろんそれも、言っちゃいけない。
ぼくは目当ての店にたどり着いた。
「いらっしゃいませ!」
まあ、本当のお目当ては店の商品じゃなくて、この店番の女の子だけど。彼女もほかのみんなと同じでそんなにたくさんはしゃべらない。でも時々聞こえるこの声は、ほかの誰とも似ていない明るくて透き通って・・・・・・ああもう、とにかくとってもすてきな声だ。
彼女の声がもっと聞けるんじゃないかと思って、ぼくは必要もない品々を時間をかけてじっくりと眺めるふりをする。今日はさっき盗った金もあるから、なにか買っていこう。もちろん仮面の下ではしっかり彼女の動きを見つめているのさ。
彼女はどんな顔なんだろう?
ふとそんなことが脳裏をよぎって、そういえば、と気がついた。
ぼくって、他人の顔を一度も見たことがないんだ。
自分の顔なら時々、顔を洗うときに水に映してみたりする。でもそれ以外だと、家族の顔すら見たことがないような気がする。彼女の顔を想像しようにも、ぼくには材料が少なすぎる。ただ漠然と声と同じ、きれいな顔なんだろうなと思うけど、『きれいな顔』がまずぼくはわからないのだ。
見たい、彼女の顔が見たい!
あわてて自分自身を押さえつけた。だめだ、そんなことしたらだめだ!そんなことしたらどうなるか、わかったもんじゃない!でも見たい、いやだめだ!
「どうしましたか?」
顔を上げたら目の前に彼女の顔があった、気がついたら手を伸ばしていた。
「!」
やっぱり彼女はきれいだと思った。
店の空気が凍り付いた。みんな彼女の顔を呆然と見つめていた。
彼女の顔は白くなり、青くなり、赤くなって、彼女はよろよろと立ち上がり歩き始めた。全員の視線が彼女の後を追いかける。彼女はカウンターの引き出しから、はさみを取り出した。
そして自分の顔を切り刻み始めた。
何が起こっているのかわからなかった。たぶん、店にいる誰もわからなかったのだろう、ただじっと、きれいな声を嗄らしながらはさみで顔を殴り続ける彼女を見つめることしかできなかった。
「おやおや」
突然耳元で老人の声がした。はっと正気に戻って振り返ると、またあんぐりと口を開けてしまった。
この人、仮面をつけていない!
老人は眉をひそめて彼女を見つめていた。
「誰も彼女を止めないのかい?」
老人はぼくの視線に気がついて、こちらを見下ろした。ぼくのもっている彼女の仮面をみると、にやりと笑った。
「ほうほう、なるほど。君が原因か」
「ち、ちがうっ!」
とっさに仮面を背中に隠した。仮面越しの人々の視線が、今度はぼくを貫いた。
さあっと顔から血が引いていくのを感じた。
「そんなに彼女の顔が見たかったのかい?・・・・・・永遠に彼女の姿を見続けられるようにしてあげようか?」
ここから逃げ出したい一心で僕はうなずいた。
店の扉を突き破って鳩が店内に飛び込んできた後のことは、覚えてない。
たった一つ覚えてるのは、老人の星と同じ色の瞳だけ。
気がつくともう誰の視線も突き刺さらなかった。
その代わり、元居た世界ではないようだ。
星の色と輝く鼠色の円盤のようなものが互いにかみ合って回っている。
気が滅入るほど広い、どこまでも続く空間。
でも、
「彼女はどこ?」
周りをきょろきょろ見渡していたら、老人に笑われた。
「まだいないよ。君が作り出すんだ」
「作り出す?どういうこと?」
人間を作るなんてきっと無理なのに。
「想像するんだよ。君が想像したことがそのまま現実になる」
「想像・・・・・・」
想像してごらん、という老人の声に従って、静かに目を閉じた。
ゆっくりと想像した。
彼女の美しい髪。黒くて緩やかに波打っていた。
彼女の美しい声。明るくて透き通ってどこまでも広がるような声。
一瞬垣間見た顔。ぼくは基準を持たないけれど、とても美しいと思った。
そして彼女は『永遠』だ。
ゆっくりと創造した。
思い出せる限りの彼女の姿に、思いつく限りの理想の『彼女』を重ねて、おそるおそる目を開けた。
「っ!」
目の前に『彼女』が立っていた。想像通りのきれいな姿で。
「ああ・・・・・・!」
ふれようと近寄ったけれど、ぼくの手は『彼女』の体をすり抜けてしまった。
「さわることは出来ないよ。君は想像によってのみこの世界に干渉できる」
「世界?」
老人はああ、とうなずいた。
「説明してなかったかい?ここは『君の世界』だ。自由に、想像通りに『世界』が作れるんだよ。 どうだろう、『彼女』だけじゃ寂しいだろうに、もうちょっと人間を増やしてみたら?」
そういわれて改めて『彼女』を見た。・・・・・・確かに少し、『寂しそうな顔』をしているように見える。まあ、他人の表情なんて、ぼくには見分けもつかないのだけれど。
じゃあ、とうなずいてほかの人間を想像した。ぼくと彼女と老人を足して割ったような顔。みんな同じだ。ほかの顔をしらないから、それ以外なんて作りようもない。ついでに世界も作ってやった。彼女が住むための花に囲まれた城。ほかの人々はその周りの家に住まう。
「ほう、人々はみんな『永遠』なのかね?」
いいえ、と僕は頭を振った。
「『永遠』なのは『彼女』だけ。ぼくは『彼女』だけを見続けることができればいいから」
人々は老い、死ぬ。でも『彼女』は『永遠』だ。ずっと若いままで、ずっと死なない。
ふん、と老人は満足げにため息をついた。
「次でノルマは達成だし、幸い時間は気にしなくてもいい身だし。ちょっと熟成させてみるか」
よく意味のわからないことをつぶやいて、老人はぼくをみてほほえんだ。
「自己紹介が遅れてしまったが、私は案内人のオルズ。元の世界に戻りたかったら私を呼びたまえ」
老人はあっというまに鳩におそわれて、見えなくなった。
ぼくは再び『彼女』に視線を向けた。
たくさんの人に囲まれながら、『彼女』はまだどこか寂しそうだった。




