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『君の身体で、君に恋をした。』 ――入れ替わった僕たちが、本当の愛を見つけるまで――  作者: 綾小路如月


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第5話 偽りの恋人と、知らなかった君

 朝七時。


 目覚まし時計が鳴るよりも早く、春馬は目を覚ました。


「……眠い」


 枕に顔を埋めたまま、かすれた声でつぶやく。


 昨夜は台本を覚えようとしていたはずなのに、気づけば深夜になっていた。


 慣れない身体での生活。大学の講義。演劇サークルの練習。そして、山本正志からの電話。


 考えなければならないことが多すぎる。


 しかも、今日もまた、西園寺美雪として一日を過ごさなければならないのだ。


「元の身体に戻れたら、三日くらい寝てやる……」


 そんなささやかな願望を口にして、春馬はようやくベッドから起き上がった。


 鏡の前に立つ。


 そこに映っているのは、見慣れない少女の顔だった。


 長い黒髪を指先で整えながら、春馬は小さく息を吐いた。


 初日は髪をとかすだけでも一苦労だったが、今朝は少しだけ手際がよくなっている。


「よし……少しは成長してるぞ、俺」


 誰に聞かせるでもなく、自分を励ます。


 そんなとき、机の上に置いていたスマートフォンが震えた。


 画面に表示された名前は――黒瀬春馬。


 つまり、今の自分の身体にいる美雪からだった。


『今日、大学が終わったら少し話したいの。人の少ない場所で待ち合わせできる?』


 春馬はすぐに返信した。


『正志さんのこと?』


 少し間を置いて、返事が届く。


『それも含めて、話しておきたいことがある』


 春馬は画面を見つめたまま、表情を引き締めた。


 昨日、美雪は言った。


 正志とは本当の恋人ではない。周囲にそう思わせているだけなのだ、と。


 しかし、なぜそんなことをする必要があるのか。


 そして、あの日、彼とキスをしていたのはどういう理由だったのか。


 気になることはいくつもあった。


 それでも、春馬はこれ以上、勝手な想像で彼女を決めつけたくなかった。


 美雪が自分から話してくれるというのなら、今度こそ、きちんと耳を傾けよう。


 彼女の抱えている事情を、少しでも理解したかった。


 たとえ、その答えが自分の望むものではなかったとしても。


     ◇


 午前九時。


 大学の食堂前で、春馬は黒神蓮に声をかけられた。


「美雪、おはよう!」


「おはよう、蓮」


「今日は早いな。いつもこのくらいに来てるのか?」


「……まあ、そんなところかな」


「いいなあ。俺なんて、今朝は目覚ましを三つも使ったのに、危うく遅刻するところだった」


「三つも?」


「一つ目は無視。二つ目は止めた。三つ目に至っては、夢の中で鳴ってた」


「それ、目覚ましの意味ないじゃない」


「だろ? 俺もそう思った!」


 蓮は、なぜか誇らしげに胸を張った。


 春馬は思わず吹き出した。


 こういうところは、本当に変わらない。


 蓮は誰にでも気さくで、少し騒がしい。それなのに、不思議と相手を嫌な気持ちにさせない。


 そんな彼の明るさに、春馬は何度も救われてきた。


「そういえば、今日の練習なんだけどさ」


 蓮は手に持っていた台本を差し出した。


「代表が、昨日の場面をもう一度やりたいって。特に最後のところ」


「最後……?」


「ほら、主人公がヒロインの手を取るところ」


 春馬の笑顔が、ぴたりと止まった。


「……手を取る?」


「台本に書いてあるだろ?」


「そ、そうだったかな……」


「おいおい、ちゃんと読んだのか?」


「読んだよ!」


 思わず声が大きくなる。


 近くを歩いていた学生が、ちらりとこちらを振り返った。


 春馬は慌てて口を閉じる。


 そんな彼を見て、蓮は不思議そうに首をかしげた。


 そして、何かに気づいたように、にやりと笑う。


「……もしかして、照れてる?」


「違う!」


「わかりやすいなあ、美雪は」


「だから、違うって!」


 蓮は楽しそうに笑った。


 春馬は心の中で頭を抱えた。


(頼むから、これ以上、余計なことを言わないでくれ……!)


 もちろん、蓮が春馬の正体に気づいているわけではない。


 ただ、演技の中で手をつなぐことを意識している美雪を、からかっているだけなのだ。


「まあ、安心しろ。俺だって恋愛シーンは初めてだからな」


「……蓮も?」


「当たり前だろ。現実と演技は別物だよ」


 蓮は台本を軽くたたいた。


「だから、二人で練習すればいい。失敗したって、誰も笑わないさ」


 その言葉は、思いのほか真剣だった。


 春馬は、蓮の顔を見つめた。


 普段は冗談ばかり言っている彼だが、舞台に向き合うときは誰よりも真面目だ。


 自分の役に責任を持ち、相手の役者と一緒に作品を作り上げようとしている。


 その姿勢が、春馬には少しまぶしく感じられた。


「……そうだね。頑張ってみるよ」


 春馬は小さくうなずいた。


 演じるのは、美雪の身体にいる自分だ。


 恥ずかしいからといって、逃げるわけにはいかない。


 それに、舞台を成功させたいという気持ちは、いつの間にか少しずつ本物になり始めていた。


     ◇


 昼休み。


 大学の中庭では、柔らかな日差しが木々の隙間から差し込んでいた。


 春馬の身体になった美雪は、ベンチに座り、一人でコンビニのおにぎりを食べていた。


 春馬の財布には、必要最低限のお金しか入っていない。


 昨日、宮崎翔也と食事をしたときも、彼が普段から節約していることに気づいた。


 安いメニューを選び、飲み物は水で済ませる。


 それでも友人といるときは、まるで何も気にしていないかのように笑っていた。


「……本当に、自分のことは話さない人なのね」


 美雪は、おにぎりの包装を丁寧に畳みながらつぶやいた。


 そのとき、頭上から聞き慣れた声が降ってきた。


「おい、春馬。こんなところにいたのか」


 顔を上げると、翔也が立っていた。


「一人で昼飯か?」


「うん。少し静かなところにいたくて」


「へえ。今日はずいぶん大人しいな」


 翔也はそう言って、隣に腰を下ろした。


「蓮なら、今ごろ演劇サークルで騒いでるぞ。自分が大スターになる未来について、誰かに熱弁してるはずだ」


「……想像できるわ」


「だろ?」


 二人は顔を見合わせて笑った。


 美雪は、翔也と話すことに少しずつ慣れてきていた。


 彼は気取らず、必要以上に他人の事情へ踏み込まない。


 それでいて、春馬のことをよく見ている。


「なあ、春馬」


「何?」


「お前、卒業したらどうするつもりなんだ?」


 美雪は、おにぎりを持つ手を止めた。


「……どうして急に?」


「いや、前に聞いたとき、まだ決めてないって言ってただろ。大学生活も始まったし、そろそろ考えてるのかと思ってさ」


 美雪は少し考えた。


 春馬の将来の夢。


 彼が何を目指し、どんな未来を思い描いているのか。


 自分は、何も知らなかった。


「……まだ、はっきりとは決めていないんじゃないかしら」


 口にした瞬間、美雪はしまったと思った。


 春馬のふりをしているのに、つい普段の自分のような言い方をしてしまったのだ。


 翔也は一瞬だけ眉を上げたものの、特に追及することなく笑った。


「まあ、そうだよな。俺だって将来のことなんて、まだ全然わからないし」


 そう言って、彼は空を見上げた。


「でも、春馬なら何とかするんじゃないか?」


「……どうして、そう思うの?」


「お前、運は悪いけど、最後には何とかするだろ」


「運が悪いって……」


「だって、そうじゃん。雨の日に限って傘を忘れるし、買ったばかりのイヤホンは壊れるし、抽選には当たらないし」


「……それは否定できないわね」


「だろ? でもさ」


 翔也は、少しだけ声の調子を落とした。


「どんなに運が悪くても、お前は誰かを恨んだりしない。失敗しても、またやり直す。誰かが困ってたら、自分が大変なときでも手を貸す。俺は、そういうところを尊敬してるよ」


 美雪は、言葉を失った。


 春馬は、自分のことを運の悪い人間だと言っていた。


 けれど、その言葉の裏に、どんな思いを隠していたのだろう。


 うまくいかないことがあっても、誰かのせいにしない。


 自分がつらくても、誰かの苦しみを見過ごせない。


 そうやって、彼は一人で頑張り続けてきたのかもしれない。


「……翔也」


「ん?」


「あなたにとって、春馬は大切な友達なのね」


「そりゃそうだろ」


 翔也は、あっさりと答えた。


「何年一緒にいると思ってるんだよ」


 その言葉に、美雪の胸がじんわりと温かくなった。


 春馬には、自分の知らない居場所がある。


 自分の知らない友人がいて、自分の知らない思い出がある。


 彼は、ただ自分に好意を寄せていた男ではない。


 誰かの親友であり、誰かにとって大切な存在なのだ。


 そんな当たり前のことに、今さら気づいた自分が、少し恥ずかしかった。


「……そうね」


 美雪は、静かに微笑んだ。


 そして、心の中でそっとつぶやいた。


(もっと、あなたのことを知りたい)


 それは、今まで一度も抱いたことのない気持ちだった。


     ◇


 午後三時。


 演劇サークルの部室には、いつもより少し緊張した空気が流れていた。


 今日の練習は、主人公がヒロインの手を取り、自分の夢を諦めないと約束する場面だ。


「じゃあ、蓮と美雪。中央へ」


 代表の声に促され、二人は部屋の中央に立った。


 春馬は、落ち着かない気持ちで自分の手を見つめた。


 これから、蓮と手をつながなければならない。


 ただの演技だ。


 そう何度も自分に言い聞かせる。


「大丈夫か?」


 蓮が小声で尋ねた。


「……大丈夫」


「手、震えてるぞ」


「これは……寒いだけ」


「今日、暖房ついてるけど?」


「……気のせい!」


 蓮は笑いをこらえるように、口元を押さえた。


「わかった、わかった。無理しなくていいからな」


 その優しい言い方が、かえって春馬を困らせた。


 蓮は、相手が誰であっても自然に気遣う。


 今だって、美雪が緊張していると思い、声をかけてくれているだけなのだ。


 それなのに、春馬は妙に意識してしまう。


 これは演技だ。


 蓮は親友で、自分はその親友の相手役を務めているだけ。


 余計なことを考えるな。


 そう自分に言い聞かせたところで、代表の声が響いた。


「それじゃあ、始め!」


 蓮はすっと表情を変え、主人公になりきった。


 そして、春馬の目をまっすぐに見つめる。


「……もう逃げない。どれだけ失敗しても、俺は自分の夢を追いかける」


 台本に書かれた台詞。


 それなのに、蓮の声には確かな決意がこもっていた。


「だから……これからも、俺のそばにいてくれないか」


 春馬は、ヒロインの台詞を思い出した。


 彼女は主人公を応援している。


 彼の夢を信じている。


 そして、彼が一人で苦しまないように、その隣にいたいと願っている。


 春馬は、ゆっくりと口を開いた。


「……うん。私は、あなたの夢を最後まで応援する」


 蓮が手を差し出した。


 春馬は一瞬だけためらい、それから、その手を取った。


 温かかった。


 ただ手を握っただけなのに、相手の存在がひどく近くに感じられる。


 春馬は思わず息をのんだ。


 今まで、誰かとこんなふうに手をつないだことはあっただろうか。


 いや、あったとしても、こんなに意識したことはなかった。


 蓮は春馬の手をそっと握り返した。


「約束だ」


 その声を聞いた瞬間、春馬の頬が熱くなった。


(落ち着け。これは演技だ……!)


 頭ではわかっている。


 目の前にいるのは、いつも冗談ばかり言っている親友だ。


 今の自分は美雪の身体にいる。


 この場面は、台本に書かれた演技にすぎない。


 それでも、蓮の真剣な表情を見ていると、どうしても意識してしまう。


 春馬は何とか気持ちを落ち着かせ、最後の台詞を口にした。


「……約束」


「カット!」


 代表が手をたたいた。


「いいね。二人とも、今の感情を忘れないでくれ。特に最後の間がよかった」


 部室に拍手が起こった。


 蓮は手を離し、いつもの笑顔に戻った。


「やったな、美雪!」


「……うん」


「顔、赤いぞ。大丈夫か?」


「大丈夫!」


「またそれか!」


 蓮は声を上げて笑った。


 春馬も、ようやく笑顔を返す。


 けれど、心臓はまだ落ち着いていなかった。


 これは演技の緊張なのか。


 慣れない身体のせいなのか。


 それとも、親友に手を握られたことへの戸惑いなのか。


 春馬には、まだわからなかった。


 ただ一つ確かなのは、今日の練習が終わったあとも、あの温もりをすぐには忘れられそうにないということだった。


     ◇


 練習が終わった夕方。


 春馬は、大学の裏門近くにあるベンチで美雪を待っていた。


 約束の時間になると、春馬の身体をした美雪が姿を現した。


「待たせたわね」


「いや、俺も今来たところだよ」


 二人は周囲に人がいないことを確認してから、ベンチに腰を下ろした。


 しばらく、どちらも口を開かなかった。


 話したいことはある。


 けれど、いざ向かい合うと、どこから話せばいいのかわからなくなる。


 やがて、春馬が沈黙を破った。


「それで……話って何?」


 美雪は小さくうなずいた。


「……正志のことから話すわ」


「うん」


「私と正志は、本当の恋人じゃない。少なくとも、私が望んで付き合っているわけではないの」


 春馬は、黙って耳を傾けた。


「父が、正志の家と親しいの。家同士の付き合いがあって……父は、私たちが交際していると思わせることで、両家の関係をもっと深めたいと考えている」


「……それで、恋人のふりをしているのか?」


「そう。最初は断ろうとした。でも、父は私の話を聞いてくれなかった」


 美雪は膝の上で両手を握りしめた。


 その指先には、隠しきれない緊張がにじんでいた。


「正志も、私が本気で自分を好きになってくれることを期待しているみたい。だから、私が距離を置こうとすると、何度も連絡してくるの」


「……それは、つらいな」


「正志が悪い人だとは思わない。ただ……私の気持ちが、そこにはないだけ」


 美雪は、視線を落とした。


「それに、父に逆らうのも簡単じゃない。家族のこともあるから」


 その声は、どこか寂しげだった。


 春馬は、すぐには答えられなかった。


 彼女が正志とキスをしているところを見たとき、自分は勝手に結論を出した。


 美雪には好きな人がいる。


 だから、自分の恋は終わったのだと。


 けれど、彼女には彼女なりの事情があった。


 もちろん、それを知ったからといって、過去が変わるわけではない。


 美雪が自分の気持ちに応えられなかったことも、変わらない。


 それでも、今は少しだけ違う見方ができる気がした。


「……話してくれて、ありがとう」


 春馬は静かに言った。


 美雪は、驚いたように顔を上げた。


「……責めないの?」


「何を?」


「私が、あなたの知らないところで、あんなことをしていたのに」


 春馬は少し考えてから答えた。


「美雪の人生は、美雪のものだろ。俺が勝手に決めつけていいことじゃない」


 美雪は何も言わなかった。


「それに、俺だって美雪のことを全部知ってるわけじゃない。高校のときから知ってるつもりだったけど……俺も、美雪のことを何も知らなかったんだな」


 春馬は、困ったように笑った。


「だから、今は少しずつ知っていけばいいと思う」


 美雪は、春馬の顔をじっと見つめた。


 その表情には戸惑いと、ほんの少しの安堵が浮かんでいた。


「……あなたって、本当に変な人ね」


「よく言われる」


「褒めてないわよ」


「知ってるよ」


 二人は小さく笑った。


 張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らいだ。


 しばらくして、美雪が再び口を開いた。


「もう一つ、聞いてもいい?」


「何?」


「今日、翔也と話した?」


「……話したよ」


「何か言っていた?」


 春馬は、少し驚いた。


「翔也のことが気になるのか?」


「そうじゃなくて……翔也が、あなたのことをいろいろ話してくれたから」


 美雪は視線を落とした。


「あなたが、どれだけ頑張ってきたのか。私は……知らなかった」


 春馬は、何も答えなかった。


「……ごめんなさい」


 突然の謝罪に、春馬は目を丸くした。


「え?」


「高校のとき、あなたの気持ちに応えられなかったことを謝っているんじゃないの。それは、私が自分で決めたことだから」


 美雪は、言葉を選ぶように続けた。


「ただ……あなたがどんな人なのか、もっと知ろうとすればよかった。あなたの優しさを、当たり前のものだと思っていた気がする」


 春馬の胸の奥が、かすかに痛んだ。


 ずっと聞きたかった言葉だったのかもしれない。


 自分の気持ちを理解してほしかった。


 自分のことを見てほしかった。


 けれど、今さらその言葉を聞いても、過去は変わらない。


 あの頃の自分が抱えていた寂しさも、伝えられなかった想いも、なかったことにはできない。


 それでも――美雪が今、自分を理解しようとしてくれている。


 そのことが、どうしようもなく嬉しかった。


 春馬は静かに首を振った。


「……もういいよ。俺も、勝手に美雪のことをわかったつもりになっていたから」


「春馬……」


「今は、入れ替わりをどうにかすることが先だろ?」


 春馬は、いつものように笑った。


「お互いの人生を壊さないように、協力しよう」


 美雪は、しばらく彼を見つめていた。


 そして、小さくうなずいた。


「……そうね。協力しましょう」


 その返事を聞きながら、春馬は思った。


 今度こそ、彼女のことを勝手に決めつけるのはやめよう。


 好きだからこそ、彼女の気持ちを尊重したい。


 たとえ、その先に自分の望む未来が待っていなかったとしても。


     ◇


 午後九時。


 春馬は、美雪の部屋で台本を読んでいた。


 今日の練習は、思っていた以上にうまくいった。


 代表からも褒められ、蓮との呼吸も少しずつ合ってきている。


 それなのに、手を握った場面を思い出すと、なぜか頬が熱くなった。


「……もう忘れろ、俺」


 春馬は枕に顔を埋めた。


 そのとき、スマートフォンが震えた。


 蓮からのメッセージだった。


『今日はお疲れ! 明日の練習も頑張ろうな』


 続けて、もう一通。


『美雪と一緒に演じてると、不思議と自然に台詞が出てくるんだ。いい相手役に出会えてよかった』


 春馬は、画面をじっと見つめた。


 胸の奥が、少しだけ温かくなる。


 蓮にとって、自分は美雪だ。


 それでも、二人で作り上げている舞台は、少しずつ形になっている。


 そのことが、素直に嬉しかった。


 春馬は返信を打った。


『私も、蓮と一緒に演じられてうれしい。明日もよろしくね』


 送信して、スマートフォンを置く。


 その直後、別の通知が表示された。


 今度は、美雪からだった。


『今日はありがとう。あなたと話せてよかった』


 春馬は、少しだけ笑った。


『こちらこそ。おやすみ、美雪』


 数秒後、返事が届いた。


『おやすみなさい、春馬』


 春馬はスマートフォンを伏せ、静かに目を閉じた。


 入れ替わりが始まってから、まだ三日目。


 元に戻る方法は、何もわかっていない。


 これから何が起きるのかも、わからない。


 けれど、少なくとも一つだけ、変わり始めているものがあった。


 互いのことを、少しずつ知ろうとしている。


 それは、入れ替わる前の二人にはなかった変化だった。


 春馬は、胸の奥に残る温かな感情を確かめるように、そっと息を吐いた。


 明日もまた、彼は美雪として生きる。


 そして美雪もまた、春馬として生きる。


 いつか元の身体に戻ったとき、二人の関係がどうなっているのかは、まだ誰にもわからない。


 それでも――。


 今まで知らなかった相手の人生を知ることは、きっと無駄ではない。


 春馬はそう信じながら、静かに眠りへと落ちていった。


第5話 完

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