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14.また明日


「わざわざありがとね、逆方向なのに」

「いえ、こちらこそ送らせてくださってありがとうございます」

「……そこに黒沼がお礼を言うのは変じゃない?」


 久しぶりに明日は一緒に出かけようかという話になったので早めに店を出たら、黒沼が至極真面目な顔で「家まで送らせてもらえませんか」と言ってきたものだから、白砥は少し迷った。

 恋愛関係にある相手とも、まだそうでなかった相手とも、家まで送られた結果そのままなし崩しに一夜を共にさせられた経験が少なからずあったからだ。

 最終的に拒絶しきれなかった自分にも非はあるのだろうが、そこから始まった関係は得てしてすぐに終わることが多く、今や白砥の中ではできるなら避けて通りたい要素になっている。

 ちなみにもっとも記憶に新しく、しかもそこからもっとも長期間交際が続いたのが根津であったので、現状最高レベルに嫌な思い出となっていた。


「俺が無理を言って送らせてもらったので」

「別に無理とかじゃないってば。……えっと、本当にあの、お茶とかも飲んでいかない? 大丈夫?」

「はい、大丈夫です」


 黒沼はこれまで一度たりとも、白砥の自宅の場所を聞いたり、そこについて行こうとしたりすることはなかった。

 一緒に出かけた先から帰るとき、乗るのが別の路線だったり逆方向だったりするのならともかく、同じ電車に乗った上で先に白砥が降りるとしても、決して一緒に降りたりはせず気をつけて帰ってくださいねと言うだけでそのまま見送っていたくらいだ。

 それがどうして急に、と思い尋ねてみれば、「一介の白砥さんオタクである俺が推しの自宅の住所を知ってしまうのはさすがにまずいと思っていたので」という、聞いたこともない答えが返ってきた。

 どうやら、告白を経て恋人という関係になったから、自宅の場所を確認しても許されるのではないかと思ったらしいが、そもそも同僚なのだし自宅の場所くらいならば別段付き合っていなくても開示することにためらいはない。

 そう言ったら「白砥さんは防犯意識が低すぎます! もっと警戒してください! 今のご時世どこに犯罪者がいるかわからないんですよ!」と、何故か白砥が怒られてしまった。

 言い分自体はもっともなのだが、黒沼に限って同じ会社の人間の住所を悪用するような真似はしないだろう。

 少なくとも白砥は、ごく自然とそう思う程に黒沼を信用していた。


(今だって、ちゃんと、なんにもしないで帰ろうとしてくれてるもんね)


 自称恋愛初心者で、しかも生真面目な性格の黒沼だから、家まで来たところできっと大したことはできずに解散となるはずだ。

 万一、一足飛びに先へ進もうとされたにしても、こちらの方が場数を踏んでいるのだし、なだれ込まれる前にどうにか言いくるめて帰らせることはできるだろう。

 そんな白砥の希望的観測は、想像する限り最良の形で当たってくれた。

 急場しのぎにと契約した割にすっかり住み慣れてしまったマンションのエントランスを抜け、自宅のドアを開けて白砥が中に入っても、黒沼は一緒に入ってこようとすらしなかったのだ。

 開けっぱなしで話をするのもなんだから、と白砥が促してようやく玄関先にまで足を踏み入れるような有様で、中へ招かれたのを幸いに靴を脱ぎ上がり込むようなことも、その場から部屋の中をのぞき見ようとすることさえもせず、言葉通り本当に白砥を送り届けるためだけについてきたのだとしっかり態度で示してくれた。

 黒沼の方に深い考えはないのだとわかっていても、とても大事に、大切にされているような気がして、なんだか妙に嬉しくて仕方ない。


(いけない、すっかり浮かれちゃってるぞ、僕)


 そんな甘く優しい恋愛に憧れるような年頃は、もうとっくに卒業しているはずなのに。

 酸いも甘いも出会いも別れも、幾度となく味わい繰り返すそのたびに、やはり自分には大切にされる価値などないのだという事実を淡々と胸の奥に刻みつけてきたはずなのに。


「……白砥さん?」


 それでも好きな相手からの優しさにひとたび触れれば呆れるほど単純に幸福を感じてしまうのだから、全く自分という人間はどうしようもない。

 そんなことを考えていたら不意に呼びかけられて、顔を上げればこちらを見下ろしていた切れ長の一重とばっちり目が合った。


「ん、ううん、なんでもないよ。そうだ、明日のこと、後で連絡するね」

「はい。……じゃあ、今日はありがとうございました。改めて、明日からも、またよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 黒沼が深々と頭を下げてきたから、白砥もつられて頭を下げる。

 元通り顔を上げれば、黒沼はどうしてか複雑そうな表情をしていた。


「……すみません。なんか、絶対、こうじゃないですよね」

「え、そう? 黒沼らしくて、いいと思うけど」

「職場での挨拶じゃないですか、これだと。平日の退勤間際みたいな」

「じゃあ、ちょっとだけ恋人っぽいことしてみる?」

「え」


 驚いた顔をする彼の肩に手を掛ける。

 白砥はうんと伸び上がった。

 こちらが平均以下なのが悪いのだが、身長差が三十センチもあるとこういうときはなかなか不便だなと思いつつ、彼の頬に唇を寄せる。

 ちゅ、とわざとらしく小さな音を立ててから離れれば、切れ長の一重は見たこともないほどまんまるに見開かれていた。


「今日はありがとね、黒沼。また明日……」


 めったに見られない表情を面白く思いつつ別れの挨拶をしようとしたら、黒沼の顔がみるみるうちに熟れたトマトのような赤さを帯びていく。

 顕著すぎる反応が可愛くて、笑ってしまった。


「んふふ、顔真っ赤」

「……そりゃなりますってぇ……」

「初めて?」

「……はい……」

「可愛いねぇ」

「……白砥さんの方が五億倍可愛いです……」

「口にもしておく?」

「……勘弁してください、心臓が口から出てしまいます……」


 頭から湯気でも出しそうなほどに赤くなったまま、黒沼がドアに手を掛ける。

 開いた隙間から吹き込む秋の夜風は冷たくて、駅まで歩く間に頬の熱も冷めてしまうのだろうなと思った。

 外へ出て行く彼を見送ろうと、一度は脱いだスニーカーに足を突っ込めば、黒沼の声がする。


「白砥さん」

「ん、なぁに?」

「あの、ええと、……し、失礼しますっ」

「え」


 急に近づいてきた身体に驚いて反射的に目を閉じる。優しく頭を抱えられるような感覚があって、額に柔らかい熱が押し当てられた。

 それが何かを白砥が判断するよりも早く、逃げるように離れていった体温に、慌てて目を開ける。

 黒沼の姿はもうドアの向こうにあって、やっぱり真っ赤なままの顔が、それでもどこかに達成感を滲ませてこちらを見ていて。


「しっ、しし失礼しましたっ! お、おおお、おやすみなさいっ!」

「あ、うん、おやすみ……」


 夜間の騒音を気にしてか、泡を食ったような言動の割にゆっくりと閉められたドアをしばらく眺める。

 そうっと額に手をやれば、まだあの柔らかい熱の余韻が残っている気がした。

 知らぬ間に熱くなってしまった頬を両手で挟んで冷やしつつ、深く深く、息を吐く。

 黒沼の声を、姿を、一瞬だけすぐそばにあった真っ赤な顔を思い出すたび、とくとくと弾んでしまう鼓動がどうか少しでも落ち着くようにと。


「ああもう、やっぱり僕の方が振り回されてるんじゃん……」


 一人きりの部屋の中でそう呟いた白砥の顔は、誰が見ても幸せそうに、笑っていた。


「上司を推したらダメですか?」これにて終わりです。

よろしければ最後にポチッと評価など押していただけると、晩ご飯が美味しく食べられそうな気がします。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました!

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