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World's Seed  作者: 望月小夜


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9/11

第9話 涸れた道の先で

行き先を決めない旅は、やがて道そのものを失った。


王都を離れて六日目。

地図の上では川が流れているはずの場所は、ひび割れた砂の筋(すじ)になっていた。

水袋(みずぶくろ)は、とうに空だ。

王都を飛び出した時から、ほとんど入っていなかった。


「……この先にも、水場はなさそうね」


ミレイアが、乾(かわ)いた唇で呟く。

さすがに、いつもの涼しい顔は影を潜(ひそ)めていた。


「大丈夫だよ。歩いてれば、そのうち何か見つかる」

「それ、昨日も言ったわよ」

「昨日より、今日の方が見つかる気がする」


軽口を叩いたつもりだったが、声は掠(かす)れて、自分の耳にもみっともなく響いた。


照りつける陽が、容赦なく頭上から降ってくる。

舌が上顎(うわあご)に貼りついていた。足を一歩出すたびに、地面が少しずつ揺れる。


――罰、なのかもしれない。


ふと、そんな考えが頭をよぎった。

人を殺した人間が、のうのうと水を飲んで、飯を食って、旅を続けていいはずがない。

このまま、ここで干からびるのが、相応しい終わりなのかもしれない。


(アイナ)


視界の端で、茶色の髪が揺れた気がした。

笑って、籠を差し出してくる。花が、咲いている。


「……アイナ」


手を伸ばした瞬間、膝から力が抜けた。

熱い砂の上に倒れ込む。


「シルド!」


ミレイアの声が、水の底から聞こえるように遠かった。


***


「これを。ゆっくり、少しずつ飲んでください」


冷たいものが、唇に触れた。

水だった。


喉を鳴らして飲み込む。

一口ごとに、世界の輪郭(りんかく)が戻ってくる。


「慌てないで。急に飲むと、体を壊してしまいます」


穏やかな声だった。

ぼやけた視界の中で、灰色の修道衣(しゅうどうい)を纏(まと)った人影が、自分の頭を支えているのが見えた。

被った頭巾(ずきん)の下から覗(のぞ)く瞳は、陽の光を透かしたように淡い色をしている。


「あなたは……」

「通りがかりの者です。枯れ木を拾いに来たところで、お二人を見つけました」


見れば、彼女の傍らに、乾いた枝を束ねた背負い籠が置かれていた。

腰には革の水筒(すいとう)。そこから、水を分けてくれたらしい。


「もう少し休めば、歩けるようになります。パンもありますから、無理のない分だけ」


そう言って差し出されたパンの欠片を受け取ろうとして、シルドは、ぎくりと手を止めた。


視界の下で、何かが白く光っている。

自分の腰の、短剣だった。


刃(やいば)の紋(もん)が、微(かすか)かに白く脈打っている。

王都の路地で見た、あの光と同じ色だ。


(……なんで)


シルドは慌てて外套(がいとう)の裾(すそ)を引き寄せ、短剣を覆い隠した。

胸の鼓動が、耳の奥で大きく鳴る。


視線を上げると、ミレイアと目が合った。

彼女は、短剣と、目の前の修道女を、順に見ていた。

それから、何も言わずに視線を逸らす。


「……助かったわ。ありがとう」

「お気になさらず。倒れている人を、見捨てられないだけですから」


その言葉に、シルドの胸が、小さく軋(きし)んだ。

かつて自分が、ユリアに言った言葉と、どこか似ていたからだ。

倒れてたから。それだけ。


(僕は、こんな優しさを受け取っていい人間じゃない)


手の中のパンが、ひどく重かった。


「私は、ノエルと申します。この先の里の教会で、シスターをしています」

「里? この辺りに、人の住む場所があるのか?」


ミレイアが眉(まゆ)を寄せる。

ノエルは、少し困ったように微笑んだ。


「地図には載っていませんから。ここから半日ほど歩いた先に、小さな里があるんです。フェアリア、と呼んでいます」

「フェアリア……」

「身寄りをなくした子どもたちを引き取って、教会で育てているんです。戦で親を亡くした子、飢(う)えで捨てられた子……この荒れ地には、たくさんいますから」


ノエルは、籠(かご)の枯れ木にそっと触れた。


「夜は冷えますから、薪(たきぎ)がいくらあっても足りなくて。こうして、毎日拾い歩いているんです」

「お一人で?」

「ええ。子どもたちは、まだ小さいですから」


彼女の手は、荒れ地の風に晒(さら)されて、ところどころ赤く擦り切れていた。

けれど、指の運びには、どこか気品があった。


「里のことは、外の方にはお話ししないでいただけますか。見つかれば、子どもたちが奪われてしまうかもしれません」

「どうして、僕たちに教えてくれるんですか」


シルドは思わず尋ねた。

ノエルは、不思議そうに首を傾げる。


「放ってはおけないだけです。行き場のない人のための里ですから」


何でもないことのように、彼女は言った。


「それに、あなたの目が、少し……」


言いかけて、ノエルは口を閉ざした。


「いえ、何でもありません。良ければ、里へご案内します。今夜は、教会で休んでいってください」


シルドは、何も言えなかった。

返事の代わりに、握りしめたパンを、ぐっと噛みちぎる。

しょっぱい味がした。いつの間にか、涙が混じっていた。


***


日が傾き始めた荒れ地を、三人は並んで歩いた。

前を行くノエルの背中は、籠の重みで少し傾いている。

その歩みに合わせて、外套の下の短剣が、また白く脈打った。


「……ミレイア」


シルドは、声を潜めた。


「また、光ってる」

「ええ。見ているわ」


ミレイアは、前を見たまま答える。


「僕は、何もしてない」

「分かってる」


沈黙が落ちた。

風が、乾いた砂を巻き上げていく。


「王都の路地で見たのと、同じ光なんだ。あの時、僕は……」


言葉が、喉に詰まる。

シルドは、拳を握りしめた。


「あの人のそばにいると、短剣が光るんだ。……また、あの時みたいに、自分が自分じゃなくなる気がするんだ」

「……」

「僕は、近づいちゃいけない」


ミレイアは、何も答えなかった。

答えられなかったのだと、シルドは気づいた。


腰の短剣が、とく、と脈を打つ。

外套の下で、シルドはその柄(え)を、爪(つめ)が食い込むほど強く握った。


(もう、誰も殺さない)


心の中で、そう誓った。

誓えば誓うほど、その言葉が、ひどく脆(もろ)く思えた。


遠くの丘の向こうに、小さな灯りがいくつも浮かび始めていた。

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