第6話 砂塵衆の強襲
夕暮れ、西門近くの宿「月見亭」の一階。
酒場はすでに早仕舞いしていたが、女将の厚意で、入口のよく見える席を借りて、シルドたちはアイナの帰りを待っていた。
窓の外では、傾いた陽が石畳を赤く染めている。
ユリアは隅の卓で足を組み、女将が置いていった果実酒の杯を揺らしていた。
ミレイアは窓辺に立ち、通りを行き交う人々を眺めている。
シルドは、さっきから何度も入口を振り返っていた。
「落ち着きなさい。何度見たって、早く来るわけじゃないわ」
「分かってるけど……もう日が沈む」
「夕方には戻る、と言っていただけでしょう。日没とは言っていないわ」
「屁理屈だ」
「ただの事実よ」
ミレイアが肩をすくめると、卓のユリアが口を挟んだ。
「王都の夜は、昼とは違う顔をする。若い娘が一人で歩くなら、日が落ちる前に戻ってくるのが利口だ」
「だから心配してるんだろ」
ユリアは呆れた顔で肩をすくめ、杯に口をつけた。
他に客の姿はない。
この辺りの店は、日が暮れる前に早々と閉めてしまうのだという。女将が、卓の灯りをひとつだけ灯していった。
「遅いな」
シルドが呟いた、その時だった。
宿の扉が、乱暴に開いた。
息を切らせたアイナが、駆け込んでくる。
髪は乱れ、外套の裾には泥が跳ねていた。
昼間は抱えていた籠が、その腕にはなかった。
ミレイアだけが、空いた両手にちらりと視線を投げる。
「アイナ! どうしたんだ、そんなに慌てて」
「ごめんなさい、遅くなって……。花は、無事に届けました。でも……」
言葉を濁すアイナの表情は、明らかに強張っていた。
「でも?」
「帰り道、誰かに見られている気がして急いだのですが……」
ミレイアがすぐさま窓の外に目を走らせる。
通りには、灰色のローブを纏った男たちが、ゆっくりとこちらへ近づいてきていた。
フードの下から覗く砂色のスカーフ。腰には、反り返った曲刀が揺れている。
奥で様子をうかがっていた女将が、小さく悲鳴を上げ、慌てて厨房の奥へ引っ込んでいった。
「あれは……砂塵衆か」
ユリアが低く呟き、椅子から腰を上げる。
「砂塵衆?」
「王都周辺を荒らし回っている盗賊集団さ。砂塵みたいに現れて、砂塵みたいに消える。だから、砂塵衆だ。金目のものなら何でも奪う。噂じゃ、最近は人攫いにも手を出してるらしい」
シルドはアイナを庇うように前に立った。
「まさか、アイナを狙って?」
アイナの顔から血の気が引いていくのを見て、シルドは言葉を失った。
「……あの人たち、前に私を攫った一味です」
「攫った? じゃあ、あいつらが」
アイナは小さく頷き、震える声で続けた。
「隙を見て逃げ出した時、親分と呼ばれていた男と目が合って……顔を、覚えられたのかもしれません」
その時、宿の裏口から別の人影が現れた。
白い法衣を纏った、若い神官だった。
昼間、通りの緑鉢に水をやっていた人々と、同じ装いだ。
「こちらでしたか」
穏やかな声音とは裏腹に、神官の目は鋭くアイナを見据えていた。
「メナス……」
アイナが小さく息を呑む。
見知った相手に会えた安堵と、見つかってしまった気まずさが、その声には入り混じっていた。
シルドには馴染みのない顔だったが、アイナの強張った表情から、ただの知り合いではないと察した。
「あなたは?」
「緑花教のメナス・アルディオと申します」
神官はシルドたちに一礼すると、すぐにアイナへ向き直った。
「お戻りの道中で大変な目に遭われたばかりなのに、どうしてまた抜け出して……。戻りますよ、《《姫さま》》」
「姫、さま……?」
シルドの声が、宿の中に虚しく響いた。
ミレイアは驚いた様子もなく、ただ小さく息を吐く。
「やっぱりね」
「やっぱりって……知ってたのか?」
「確信はなかったわ。ただ、歩き方も、お辞儀の仕方も、村娘のものではなかった。それに、父親に花を届けるのに私たちを遠ざけるなんて、分かりやすい嘘だったわ」
ユリアは卓に肘をついたまま、何も言わなかった。
その目だけが、静かにアイナを見ていた。
静まり返った空気の中、アイナはゆっくりと目を伏せた。
「ごめんなさい、シルドさん。本当のことを言えなくて」
「アイナが、王女……?」
信じられないという顔のシルドに、アイナは小さく頷いた。
「私はエルラルド王国の第一王女、アイナ・エルラルドです。村娘として身分を隠していたのは、事情があって……。言えば、きっと皆さんを巻き込んでしまうと思ったんです。でも、結局こうなってしまいました」
説明しようとするアイナの言葉を、神官が遮る。
「事情はまた後ほど。今は、外の連中から逃げなければ。衛兵のいる西門まで行けば、連中も手は出せないはずです」
窓の外では、砂塵衆の男たちが宿の周りを取り囲むように広がっていた。
その数、十人はいる。
「姫さまを狙っているのは、間違いなさそうですね」
メナスの声に、緊張が走る。
ミレイアが短く舌打ちをした。
「面倒なことになったわね」
「ごめんなさい、巻き込んでしまって」
アイナが俯くのへ、シルドは首を振った。
「謝ることないだろ。もう仲間だから」
その言葉に、アイナは驚いたように顔を上げる。
真っ直ぐな瞳と目が合い、彼女は何かを言いかけて、結局は小さく微笑むだけに留めた。
「正面から来るぞ」
ユリアが短く告げると同時に、宿の扉が蹴破られた。
灰色のローブの男たちが、次々となだれ込んでくる。
「よう、お嬢さん。随分と手間をかけさせてくれたじゃねえか」
先頭に立つ、傷のある顔の男がにやりと笑う。
アイナが小さく息を呑んだ。
「あの時の……」
「エルラルド王国の王女様とは知らずに、逃がしちまったのは失態だったがな。捕まえ直せば、いいだけの話さ」
男は下卑た笑みを浮かべながら剣を抜いた。
ユリアが、低く呟く。
「デミス……。砂塵衆の頭目が、自ら出向いてくるとはな」
「おや、俺を知ってるのかい。話が早くて助かる」
デミスと呼ばれた男は、愉快そうに喉を鳴らした。
「王女は渡してもらう。大人しくしてりゃ、命だけは助けてやるよ」
シルドは反射的にアイナを背に庇い、腰の短剣に手をかけた。
「渡すわけ、ないだろ」
震える声で、それでもはっきりとそう言い切る。
男たちの気配が、殺意を帯びて濃くなった。
「シルド、下がってなさい」
ミレイアが前に出て、腰の短剣を抜き放つ。
「私が引き受けるわ。あなたはアイナを連れて逃げて」
「でも――」
「急ぎなさい!」
ユリアが卓から立ち上がり、懐から細い投げ針を数本、指の間に挟んで構えた。
「俺も残る。一宿一飯の恩の、半分ぐらいは働かせてもらうさ」
「ユリアまで……」
「こんなところで死ぬために、村を出たの?」
ミレイアが、振り返らずに言った。
「自分の目的を忘れないで。……早く行きなさい」
シルドは唇を噛み、ぎゅっと拳を握った。
メナスが法衣の下から杖を取り出し、静かに構えを取る。
「姫さま、こちらへ」
促す声を背に、背後で剣戟の音が響き始めた。
***
裏口の扉を抜けると、そこは月明かりも届かない細い路地だった。
日はすっかり落ちている。背後で、剣戟と怒号が遠ざかっていく。
メナスが先頭を走り、シルドはアイナの手を引いた。
冷たく、小さな手だった。
「ごめんなさい……私のせいで」
「後で聞くよ。事情も、全部」
「……はい」
石畳に、三人分の足音が反響した。
路地の出口が見えた、その時だった。
頭上で、ヒュッと風を切る音がした。
「伏せろ!」
メナスの叫び声と同時に、一本の矢が、シルドの頬をかすめて石壁に突き立つ。
見上げると、屋根の上に、月を背にした影がいくつも並んでいた。




