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World's Seed  作者: 望月小夜


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5/12

第5話 王都到着

港町エクレールを出て四日。

荒れ地の向こうに、石壁の影が見え始めた。


「あれが、王都……」


シルドは目を細めて遠くを見つめる。

これまで見てきたどの村よりも大きな、幾重(いくえ)にも積まれた石壁が、地平線をぐるりと区切っていた。壁の向こうからは、細い煙がいくつも立ちのぼっている。


「エルラルド王国の王都、エルシオン。この辺りでは一番の街よ」


ミレイアが淡々と説明する。


「人間がこんなに集まって暮らしてるなんて、想像もつかないな」

「近づけば嫌でも分かるわ。洞窟に慣れた耳には、少し堪(こた)えそうね」


そんなやり取りの横で、籠(かご)を抱えたアイナは、少し表情を強張(こわば)らせながら壁を見上げていた。


「アイナ、大丈夫か? 顔色が悪いけど」

「……いえ、なんでもありません。やっと花を届けられると思って、ほっとしているだけです」


その声は、どこか作られたもののようにシルドには聞こえたが、それ以上は聞かなかった。


***


王都の門は、二人の衛兵に守られていた。

門前には荷車や旅人の列ができていて、一行もその最後尾に並ぶ。

順番が来ると、衛兵の一人がじろりとこちらを見た。


「旅の者か。身分証は」

「持っていません。荒れ地の村から来ました」


ユリアが前に出て、慣れた様子で対応する。


「通行料を払えば、通していただけますよね」

「……ああ、規定通りならな。四人分だ」


ユリアは屈み込むと、ブーツの踵に指を差し入れ、小さな銀貨を数枚取り出した。

衛兵は呆(あき)れた顔をしながらも、それを受け取る。


その後ろで、アイナは三人の陰に身を寄せていた。

俯いたまま、籠を抱え直し、息を殺すように静かにしている。

衛兵の視線は、最後まで彼女に向かなかった。


「……通れ。近頃は物騒だ。盗賊の類(たぐい)が増えている。日が落ちたら、あまり出歩くなよ」


門をくぐりながら、シルドは小声でユリアに尋ねる。


「持ってたのか、お金」

「踵(かかと)に縫(ぬ)い込んでた、最後の非常用さ。盗まれずに済んだ」

「金も食い物も渡せないって、言ってなかったか」

「三日も食ってないと、頭が回らなくなるんだよ。思い出したのも、今さっきだ」


軽く笑うユリアを、ミレイアが横目で見ていた。

けれど、何も言わなかった。


「これで、一宿一飯の借りは半分返したことにしてくれ」

「半分?」

「残りは、旅の間に少しずつな」


***


門の内側は、シルドが今まで見たどの光景とも違っていた。

石畳の道、両側に並ぶ商店、行き交う人々の数。

シルドの生まれた村の全員を集めても、この通りの一角にすら足りないだろう。


露店(ろてん)の呼び声、荷車の軋(きし)み、子供たちの笑い声。

音と匂(にお)いが、いっぺんに押し寄せてくる。


「すごい……」


それ以上、言葉が続かなかった。

立ち尽くすシルドの背中を、ミレイアが軽く押す。


「立ち止まらない。後ろの人の邪魔よ」


何より目を引いたのは、街のあちこちに置かれた植木鉢だった。

通りの角では、白い法衣(ほうい)を着た人々が、鉢に柄杓(ひしゃく)で水をやっている。淡く青みがかった、見慣れない色の水だった。


「これは……緑?」


シルドは思わず足を止め、鉢植えに顔を近づけた。

小さな葉が、鉢の中で控えめに茂っている。


「王都では、緑鉢(ヴェルポット)というものが普及しているの。魔力に頼らず、特殊な水を少しずつ与えて育てる技術よ。……数日経つと、砂になるけどね。維持できないのよ」


ミレイアの説明に、シルドは食い入るように葉を見つめた。

たとえ数日の命でも、ここにある緑は確かに根を張り、風に揺れている。


「こんなものが、あったんだ……」


呟(つぶや)くシルドの横で、アイナが小さく微笑んだ。


「王都なら、シルドさんの見たかったものが、もっとたくさん見られると思いますよ」


その笑みには、どこか申し訳なさそうな影が差していたが、シルドは気づかなかった。


***


大通りを抜けた先に、水の枯れかけた噴水のある広場があった。

その手前で、アイナがふと足を止める。


「私は、ここで一度離れます」

「え?」

「どうしても、一人で行きたいんです」

「一緒に行くよ。一人じゃ危ないだろ」

「大丈夫です」


アイナは首を横に振った。

やわらかな声だったが、それ以上は何も付け足さなかった。


ミレイアが、籠に視線を落とす。


「その籠、随分と重そうだけど。本当に一人でいいの?」

「平気です。ここまでも、ずっと自分で運んできましたから」


籠を抱え直す仕草には、どこか頑(かたく)ななものがあった。

それ以上は、誰も踏み込めなかった。


アイナは少し間を置いて、三人を順に見渡す。


「それと……ここまで連れてきてくださって、本当にありがとうございました。私一人だったら、きっと辿(たど)り着けませんでした」


深々(ふかぶか)と頭を下げるアイナに、シルドは慌てて手を振った。


「やめてくれよ、そんな大げさな。まだ終わりじゃないだろ」

「お礼を、ちゃんとさせてください。夕方には戻ります。西門の近くに『月見亭』という宿があるので、そこで待っていていただけませんか」

「分かった。宿で待ってる」


アイナは、ほっとしたように小さく笑った。


「……はい。必ず」


そう言い残すと、アイナは足早に人混みの中へ消えていった。

ユリアだけが、何も言わず、その背中が見えなくなった方をじっと見つめていた。


その後ろ姿を見送りながら、ミレイアがぽつりと呟く。


「随分と、様(さま)になった歩き方をするわね」

「え?」

「……いえ、何でもないわ」


その言葉の意味を、シルドはまだ理解していなかった。


「さて」


ユリアがぱんと手を叩く。


「夕方まで時間がある。先に宿を押さえておこう。日が落ちると、どこも満室になるぞ」

「そうね。ここまで野営(やえい)続きだったもの。王都に着いたのだし、今夜くらいは屋根の下で休みましょう」

「屋根のある所で寝るの、村を出てから初めてだ」


***


三人は、西門を目指して歩き出した。

大通りから一本入った市場通りは、さらに人の密度が増している。


軒先(のきさき)に雑多な品を並べた雑貨屋の前で、シルドの足が止まった。

欠けた皿、錆(さ)びた鍋、色褪(あ)せた布。その隅に、一冊の古びた本が置かれている。

擦(す)れかけた表紙には、見たこともないほど大きな樹と、その足元に広がる一面の緑が描かれていた。


「絵本……?」

「お、兄ちゃん、お目が高いね」


店主が愛想よく笑う。


「荒廃前の世界を描いた絵本だって話でね。まあ、本当かどうかは知らんが」


シルドは頁をそっとめくった。

青い空、揺れる草原、花に群がる小さな虫たち。どれも、歴史書の挿絵(さしえ)でしか知らない景色だった。


「いくら?」

「銀貨二枚」

「二枚……」


手持ちはない。シルドは名残(なごり)惜(お)しそうに絵本を閉じた。


「欲しいなら、また今度ね。誰も買わないから、当分はあるよ」


シルドが歩き出すと、ミレイアの視線が、表紙の大樹の上でほんの一瞬だけ止まったように見えた。

けれど、振り返った時にはもう、彼女はいつもの涼しい顔で前を向いていた。


***


昼を過ぎ、シルドの腹が大きく鳴った。


「すぐそこに酒場がある。何か腹に入れよう」


ユリアの案内で、路地の奥の酒場に入る。

薄暗い店内には、昼間から杯を傾ける男たちの声が満ちていた。


シルドは湯気の立つ煮込みを、ミレイアは黒パンと水を頼む。

ユリアは、赤い果実酒を一杯だけ注文した。


「食わないのか」

「言っただろ。慣らしてる最中なんだ」


グラスの中で、深い赤色がゆらりと揺れる。


隣の卓の話し声が、耳に入ってきた。


「聞いたか。また街道で商隊がやられたらしい」

「人まで攫(さら)っていくって話だ。このまま増えたら、王都の外にも出られなくなるぞ」

「衛兵も手が回らんとさ」


シルドはスプーンを止める。


「盗賊……。アイナも、攫(さら)われたって言ってたよな」

「ええ。だからこそ、一人で行かせたのは気にかかるわね」


ミレイアは水の入った杯を置いた。


「でも、夕方には戻ると言っていたわ。今は信じて待つしかない」

「そうだな」


ユリアは酒を一口含み、静かに頷いた。


***


西門の近くに、その宿はあった。

古い石造りの二階建て。軒先に、三日月を象(かたど)った木の看板が揺れている。『月見亭』。


「いらっしゃい。お泊まりかい」


出てきたのは、恰幅(かっぷく)のいい女将(おかみ)だった。


「部屋を二つ。男部屋と、女部屋で」


ミレイアが銀貨を数え、カウンターに置く。


「宿代は私が持つわ。研究費の一部よ」

「研究費?」

「こっちの話。……それと、夕方にもう一人、連れが来るの。茶色い髪の娘(こ)よ」

「あいよ。覚えておくよ」


通された部屋の窓からは、西門と、その向こうの荒れ地が見えた。

陽は、少しずつ傾き始めている。


「夕方には戻る、か」


シルドは窓辺に頬杖(ほおづえ)をつき、人の行き交う通りを眺めた。

どの人影も、アイナではなかった。

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