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World's Seed  作者: 望月小夜


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4/10

第4話 港町での出会い

ヴェスタル村を出て三日。王都へ続く道は、起伏(きふく)の少ない荒れ地がどこまでも続いていた。

乾いた風が、足元の砂を巻き上げていく。


「重くないか? やっぱり少し持つよ」

「大丈夫です。……慣れていますから」

「慣れてる?」

「えっと、村では、よく荷物運びを手伝っていたので」


少し早口になったアイナは、籠(かご)を抱え直して前を向いた。

後ろを歩くミレイアは何も言わず、ただ籠にちらりと視線を投げただけだった。


しばらく黙って歩いた後、アイナがふとシルドの胸元に目を留める。


「シルドさん、それは?」

「ああ、これ? お守りみたいなもの」


シルドは襟元(えりもと)から、小さなロケットを引き出した。

くすんだ銀色の表面に、細かな傷がいくつも走っている。蓋(ふた)は固く閉じたままだ。


「開けてみても、いいですか?」

「開かないんだ。昔から。爪を立てても、石で叩いても、びくともしない」

「中身は?」

「僕も知らない。でも、手放す気にはなれなくて」


アイナは少しだけ目を細めた。


「大切なものなんですね」

「うん。……たぶん」


自分でも曖昧な返事だと思った。

どうして大切なのか、その理由を、シルドはうまく言葉にできなかった。


***


潮の匂いが風に混じり始めたのは、四日目の昼過ぎだった。

荒れ地の稜線を越えた先に、灰色の海が広がっている。


「海……初めて見た」


シルドは思わず足を止めた。

空と見分けがつかないほどの灰色が、地平線までうねっている。井戸水しか知らないシルドにとって、これだけの水が一か所に集まっている光景は、想像の外だった。


「全部、水なのか?」

「飲めないけどね。塩辛いから」


ミレイアの淡々(たんたん)とした答えも耳に入らないまま、シルドは波打(なみう)ち際(ぎわ)へ駆(か)け出しそうになる。

その襟首(えりくび)を、ミレイアがすかさず掴(つか)んだ。


「はしゃぐのは後にして。まずは町へ入りましょう」

「分かってるよ」

「どうだか」


港町エクレールは、荒れ地の中では珍しく活気のある場所だった。

桟橋(さんばし)には小舟が並び、漁師たちの威勢のいい声が飛び交っている。軒先(のきさき)には干物が吊るされ、塩の山が白く積まれていた。


アイナは籠にかけた布の端を気にしながら、そっと中を覗き込む。


「もう半分近く、色が褪(あ)せてきてしまいました」

「急いだ方がよさそうね。王都まではあと四日ほどよ」


ミレイアの言葉に、アイナは小さく頷いた。


その時、すれ違った白髪の老漁師が、ふと足を止めた。

布の隙間から覗いた花の色に、目を奪われたようだった。


「……花、か」


節(ふし)くれだった手が、おそるおそる伸びてくる。


「触っても、いいかい」

「はい。もう、長くは持たないんですけど」


老漁師は褪せかけた花びらに指先を触れ、しばらく黙っていた。


「ああ……子供の頃に、絵本で見た色じゃ。まさか、この目で拝(おが)める日が来るとはなぁ」


「差し上げます。よろしければ」


アイナが一本を差し出すと、老漁師は目尻の皺を深くして、大事そうにそれを受け取った。

去っていく背中を見送りながら、シルドは胸の奥が、きゅっと締めつけられるのを感じていた。

緑を見たい、というのは、きっと自分だけの願いではないのだ。


「……行きましょうか」


アイナの声に促(うなが)され、一行は町の中へと歩き出した。


***


町の入り口を抜けようとしたところで、シルドの足が再び止まった。

路地の隅の日陰に、人が倒れている。


「おい、大丈夫か!」


駆け寄って肩を揺すると、男は小さく呻いた。

痩せた体に、ぼろぼろの外套(がいとう)。顔は青白く、唇はひび割れている。


「シルド、迂闊(うかつ)に近づかない方が」


ミレイアの警戒した声を背に、シルドはすでに男の背に手を添(そ)えていた。


「水、飲めるか?」


水筒を差し出すと、男はかすれた声で礼を言い、震える手でそれを受け取る。

一口、二口と喉を鳴らし、ようやく人心地ついたように息を吐いた。


「……助かった。恩に着る」

「僕はシルド。あんたは?」

「ユリア。ユリア・シャペル」


体を起こしたユリアは、シルドたちを順に見回した。

どこか値踏(ねぶ)みするような、それでいて用心深い視線だった。


「あんたたち、旅の一行か。……随分と変わった組み合わせだな」

「よく言われる」


シルドが苦笑すると、ユリアも釣られたように口元を緩める。


「それにしても、どうしてこんな所で倒れてたんだ」


ユリアは力なく笑った。


「旅の途中で、路銀(ろぎん)を全部盗まれてね。食い扶持(ぶち)もなくなって、ここまで来て力尽きた、ってわけさ。……三日、何も口にしてなくてな」

「三日も? ほら、腹も減ってるだろ。これ、食べな」


シルドが干した根芋を差し出すと、ユリアは両手で受け取った。

けれど、一口かじったきり、顔をわずかにしかめて手を止めてしまう。


「……悪い。ありがたいんだが、どうも喉(のど)を通らなくてな」

「三日も食べてないのに?」

「食べてないから、体が受け付けないんだ。ゆっくり、慣らしていくよ」


そう言って根芋を懐(ふところ)にしまうユリアを、ミレイアが黙って見つめていた。


「助けてもらった礼を、何かしたいんだが。今の俺には、金も食い物も渡せそうにない」

「気にしなくていい。困ってる時はお互い様だろ」


あっさりとしたシルドの返事に、ユリアは意外そうな顔をする。


「……そういうやつ、久しぶりに見た」


小さな呟(つぶや)きは、潮風(しおかぜ)にさらわれて、誰の耳にも届かなかった。


***


日が傾き始めた港町は、荷下ろしを終えた商人や船乗りで賑わっていた。

軒(のき)を連(つら)ねる宿の看板を横目に、ミレイアが言う。


「補給でだいぶ使ったわ。ここで宿まで取ると、路銀が持たなくなる。王都までまだ四日もあるのだし、今夜は町外れで野営にしましょう」

「僕は野宿の方がいいな。海の音も聞けるし」

「私も、それで大丈夫です」


ミレイアは頷き、一行は町外れへと向かった。


港の外れ、波の音が届く砂地に腰を下ろし、焚き火を囲む。

水平線の向こうへ沈んでいく夕日が、灰色の海をほんのり橙に染めていた。


「拾い物が、また一つ増えたわね」


ミレイアが、焚き火に枝をくべながらぼそりと言う。


「お母さん、飼(か)ってもいい?」

「元の場所に返してきなさい」

「ひどい」


ユリアが堪(こら)えきれずに吹き出した。


「あんたたち、いつもこうなのか」

「いつもこうよ。迷惑でしょう」

「いや。……悪くない」


笑いを引っ込めたユリアは、焚(た)き火の揺れる炎を見つめたまま、少し間を置いて口を開いた。


「俺は行商をしていてね。あちこちの町を渡り歩いてる」

「一人で?」

「まあ、性分(しょうぶん)に合ってるんだ。誰かと長く一緒にいるのは、あまり得意じゃなくてね。……それでも、一宿一飯(いっしゅくいっぱん)の恩(おん)は返す主義でね。次の町まで、俺も同行させてもらえないか」


「見ず知らずの人を、連れて行く余裕はないわ」


ミレイアが即座に言い切る。

けれど、シルドは首を横に振った。


「いいじゃないか。倒れてる人を放って行く方が、僕は嫌だ」

「私も、賛成です。人数が多い方が、きっと安全ですし」


アイナの言葉に、ミレイアは小さく息を吐いた。


「……好きになさい。ただし、妙(みょう)な真似(まね)をしたらすぐ分かるわよ」

「肝(きも)に銘(めい)じておくよ」


ユリアは肩をすくめ、それから夜空を見上げた。

雲の切れ間から、いくつかの星が瞬(またた)いている。


「恩を返したいってのは本当さ。それに――あんたたちみたいな一行、見たことがなかったから。少し、興味が湧(わ)いた」


その口元に、笑みが浮かんだように見えた。

けれど、火の揺らめきのせいだろうと、シルドは気にも留めなかった。


アイナは籠の花にそっと目を落とす。

褪せかけた花びらが、焚き火の灯りに照らされていた。


「……あと、四日」


小さな呟きは、焚き火の爆(は)ぜる音にまぎれて、誰の耳にも届かなかった。

その横顔には、隠しきれない焦りが滲(にじ)んでいた。


***


夜更け、シルドは寝つけずに身を起こした。

初めて聞く波の音が、眠りの縁を何度も揺らすのだ。


焚き火はすっかり小さくなり、ミレイアとアイナは毛布にくるまって眠っている。

少し離れた波打ち際に、人影があった。


「眠れないのか」


声をかけると、ユリアが振り返った。

月明かりに照らされたその顔は、昼間よりもずっと血色がよく見えた。


「夜は、昔から目が冴(さ)えるたちでね。あんたも、波の音か」

「うん。初めて聞くから、うるさいのか心地いいのか、よく分からなくて」


シルドは隣に腰を下ろし、足元の砂をすくった。指の間から、さらさらとこぼれ落ちていく。

――アイナの花が崩れた後も、こんな砂になるのだろうか。ふと、そんなことを思った。


「なあ、一つ聞いていいか」


ユリアが、海を見つめたまま言う。


「どうして、俺を助けた。見ず知らずの男を」

「倒れてたから」

「それだけか?」

「それだけ」


即答だった。

ユリアは目を丸くして、それから喉の奥で、くっくっと笑った。


「……そうか。それだけ、か」


その笑い声は、どこか遠くを見ているようで、少しだけ寂しげに聞こえた。


「あんたは、長生きできないタイプだな」

「えっ、なんで」

「いい意味で言ってるよ」


ユリアは立ち上がり、砂を払う。


「寝とけ、少年。明日からは、また歩くんだろう」


シルドは釈然(しゃくぜん)としないまま、焚き火の方へ戻っていった。

振り返ると、ユリアはまだ海を見つめていた。

その背中は、人間にしては、やけに夜に馴染んで見えた。


夜が更けていく中、四人になった一行の旅は、静かに次の日を迎えようとしていた。

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