第3話 村娘との出会い
洞窟を出てから二日、シルドとミレイアは小さな村――ヴェスタル村の入り口に辿り着いた。
石造りの家々が並び、井戸端で数人の村人が立ち話をしている。
「僕の村と変わらないね」
「どこも、こんなものよ。洞窟も似たようなものだし」
そんな会話を交わしながら村へ足を踏み入れると、通りがかりの老婆がシルドたちを見て目を細めた。
「あらあら、親子でお出かけなんて珍しいねぇ」
一瞬、間が空く。
「親子……私たちが、そんな風に見えているの」
ミレイアが小さく、しかしはっきりと呟いた。
心なしか声に張りがない。
「お母さん。おいしいご飯が食べたいな」
すかさずシルドが追い打ちをかける。
ミレイアの頬が、わずかに引きつった。
「シルド。冗談もほどほどにしなさい」
「ミレイアがあんまりしっかりしてるから、つい」
「私はあなたより十歳しか離れていないのだけれど」
低い声で言い返すミレイアに、シルドは肩をすくめて笑う。
老婆は事情を知らないまま、微笑ましそうに二人を見送っていった。
***
村の中心にある広場まで来ると、シルドの視界の端に、見慣れない色が飛び込んできた。
橙、白、薄紅――荒れ地のどこにもない色彩が、広場の井戸の傍らで小さく揺れている。
「あれは……」
言葉より先に、足が動いていた。
気づけば、籠いっぱいの花を抱えた少女のすぐ前まで駆け寄っていた。
初めて目にする色彩に、シルドはしばらく声も出せずに立ち尽くす。
突然近づいてきたシルドに、少女は一瞬驚いたように身を引いたが、すぐに困ったような笑みを浮かべた。
「あの、すみません……花、お好きなんですか?」
出し抜けの問いに、シルドはハッと我に返る。
「あ、ごめん。こんな色、生まれて初めて見て……つい」
茶色の髪を後ろで束ね、飾り気のない服を着た少女だったが、どこか品のある佇まいだった。
困ったような顔をしているのが気になり、シルドは少女の抱えた籠に目をやる。
「これ、どこかに届けに行くところだったのか?」
「はい。父に、どうしても届けたくて」
「お父さんに?」
少女は小さく頷くと、意を決したように顔を上げた。
「あの……王都までの道を、ご存知ないでしょうか」
「王都? 僕たちもちょうどそっちに向かうところだけど」
シルドの答えに、少女の表情がぱっと明るくなる。
「本当ですか!」
ミレイアが眉をひそめて口を挟む。
「それより、どうしてこんな所に一人でいるの。王都へ向かう途中なら、なおさら妙だわ」
少女は少し言い淀んだ後、小さく息を吐いた。
「実は、父のいる王都へ帰る途中で、盗賊に攫われてしまって。運良く隙を見て逃げ出せたんですが、気づけばこの村まで流れ着いていて」
思いがけない話に、シルドとミレイアは顔を見合わせた。
「それは……大変だったな」
「少しずつお金を貯めて、水や食料も用意したんですけど……この村から王都への行き方が、どうしても分からなくて」
少女は、持っていた小さな巾着を少しだけシルドたちに見せる。
銅貨が数枚、心許ない音を立てた。
「どうしても、王都まで行きたいんです。ついていってもいいですか?」
「もちろん。困ってるなら、放っておけないよ」
籠の中には、荒れ地では見たこともない色鮮やかな花が並んでいる。
シルドはその花に目を奪われた。
「重そうだし、少し持とうか?」
シルドが手を伸ばしかけると、アイナは咄嗟に籠を引き寄せた。
カツン、と硬いものが触れ合うような、花にしては不自然な音が小さく響く。
「あ……大丈夫です。これくらい、自分で持てますから」
少し早口になったアイナに、シルドは気圧されて手を引っ込めた。
ミレイアだけが、その音にわずかに目を細めていた。
「これ、村で育てたのか?」
「いえ……ここへ来る途中、荒れ地に落ちていたんです」
意外な答えに、シルドは目を瞬かせた。
「落ちていた? こんなに綺麗な花が?」
「はい。逃げてくる途中、ふと足元に転がっていて。綺麗だったので、拾ってきました」
アイナは少し気まずそうに笑った。
言われてみれば、籠の中の花は生えていたというより集められたもののように見える。
茎の長さも不揃いで、何本かは根元が折れていた。
ミレイアはそんなアイナを横目に、値踏みするように見つめた。
「名前は?」
「アイナ、です」
「アイナね。私はミレイア、こっちはシルド」
「よろしくお願いします、ミレイアさん、シルドさん」
アイナは丁寧に頭を下げた。
その所作の端々に、どこか育ちの良さを感じさせるものがあったが、シルドもミレイアも、まだそれに気づいてはいなかった。
「でも、綺麗だ。こんな色、生まれて初めて見た」
シルドが目を輝かせて花に手を伸ばすと、アイナは少し慌てたように口を開いた。
「あの、触るのはいいんですけど……この花、長くは持たないんです」
「長くは持たない?」
「数日で萎れて……最後は、砂になって崩れてしまうんです」
シルドの伸ばしかけた手が止まる。
「砂に……」
「本当は、もっとたくさん拾ったんです。でも、歩いているうちに何本も崩れてしまって」
アイナは籠の中を見下ろした。
確かに、花の数にしては籠の底に隙間が目立つ。
崩れた花が落としていったのか、底には薄っすらと砂が積もっていた。
「せっかく拾ったので、父に見てほしくて。だから、全部砂になってしまう前に、王都へ着きたいんです」
籠の中の花に目をやると、確かに端の方から、わずかに色褪せ始めているものがあった。
シルドは何も言えないまま、その花をじっと見つめた。
手に入れたと思った緑もまた、この荒れた世界では長く留まってはくれないらしい。
「僕も、緑を――」
言いかけて、シルドは口をつぐんだ。
村で笑われ続けた夢を、出会ったばかりの相手に話す勇気は、まだ出なかった。
ミレイアは黙ったまま、籠の花をじっと見つめている。
その目には、これまでにない鋭い光が宿っていた。
「……本当に、変わった花ね」
含みのある言い方に、アイナは曖昧な笑みを返すだけだった。
「旅支度をしてきます。少しだけ、待っていただけますか」
そう言って、アイナは村の奥へ駆けていった。
残されたシルドとミレイアは、井戸端の石積みに腰を下ろす。
村の子供たちが、遠巻きにこちらを眺めていた。余所者が珍しいのだろう。
「ねえ、ミレイア」
「何?」
「アイナの花、どう思う?」
ミレイアは井戸の縁を指先で叩きながら、少し間を置いた。
「荒れ地に咲く花なんて、聞いたことがないわ。拾った、と言っていたけれど」
「嘘だって言いたいのか?」
「そこまでは言ってないわ。ただ、籠の中から変な音もしたでしょう。花があんな音を立てるかしら」
「何か、他にも入れてるんじゃないかな。大事なものとか」
ミレイアは呆れたようにシルドを見た。
「あなた、人を疑うということを知らないの?」
「疑ったって仕方ないだろ。アイナが困ってるのは、本当だと思う」
「どうしてそう言い切れるの」
「見れば分かるよ。あの子、嘘をつくとき、目を逸らすんだ」
「逸らしてたわよ、さっき」
「あ」
シルドは頭を掻いた。
ミレイアは小さく息を吐く。
「……まあ、いいわ。あなたが信じるなら、それでいい。ただし、私は私で見張らせてもらうから」
「研究のため?」
「そういうこと」
***
ほどなくして、アイナが戻ってきた。
小さな荷袋を肩にかけ、その後ろに、見覚えのある顔がついてくる。
村の入り口で声をかけてきた、あの老婆だった。
「あれ、さっきのおばあさん」
「私を泊めてくれていたのは、このおばあさんなんです」
アイナが少し照れたように言う。
老婆はよたよたと歩み寄ると、シルドとミレイアの顔をまじまじと見つめた。
「あんたたちが、アイナを王都まで連れて行ってくれるのかい」
「ええ、まあ」
「そうかい、そうかい。ありがたいことだねぇ」
老婆は、手にした布包みをシルドに差し出す。
「持っていきな。干した根芋と、井戸水を詰めた皮袋だよ。腹が減っては何とやら、だ」
「いいんですか? こんなに」
「こんな婆さんが持ってても、使い道がないさ。それより、この子を頼んだよ。あんたたち親子なら、安心だ」
ミレイアの頬が、またひくりと引きつった。
「……だから、親子では」
「お母さん、ちゃんとアイナと僕の面倒見てね」
「シルド」
低い声に、老婆は愉快そうにからからと笑った。
それから老婆は、アイナの両手を取り、皺だらけの手で包み込んだ。
「困ったことがあったら、いつでも戻っておいで。ここは、あんたの家でもあるんだからね」
「……はい。ありがとうございました。おばあさんのおかげで、命拾いしました」
アイナは深く頭を下げる。
その肩が、ほんの少しだけ震えていた。
シルドは、その様子を黙って見ていた。
少なくとも、この別れの涙は嘘ではないと思えた。
三人は、老婆の姿が見えなくなるまで、何度も振り返りながら村を後にした。
夕暮れの荒れ地を歩きながら、アイナは籠の花をそっと撫でる。
「父に会えるかどうかは、分からないんですけど。せっかくなら、花も見せたくて」
「会えるか分からない?」
「……はい。少し、事情があって」
寂しげに笑うアイナに、シルドはそれ以上尋ねなかった。
誰にでも、話したくないことの一つや二つはある。それは自分も同じだと思ったからだ。
「じゃあ、王都までよろしくお願いします」
「うん、よろしく。三人旅になると、賑やかだね」
三人分の足音が、静かな荒れ地に重なっていく。
西の空が、橙から紫へと色を変え始めていた。




