第2話 旅立ち
「蒼焔集いて 理を成せ バーティカルフレイム」
子供たちに囲まれたシルドは声高らかに魔法の詠唱をしている。
遠目で見ている大人たちは、またかと嘲笑する。
「ふん! ふん!」
必死で前に突き出した手を上下に振り、炎を出そうとする。
「早く炎出してよ」
「何回やっても出ないよ、魔法なんてないんだから」
「いつか出来るようになったら、教えてくれよな」
そう言いながらケラケラ笑っている子供たちを搔き分けて、一人の少女がシルドの元へ歩み寄る。
――ゴンという鈍い音と共に、シルドは膝を突く。
「いつになったら諦めるのよ。もう1年近く続けてるじゃない」
アリア・エールは呆れ顔でシルドを叩いた。
叩かれた頭を撫でながら、シルドは自分の右手を見つめている。
「やっぱり魔法は使えないのかな」
「何言ってるのよ。あなたが使えないだけで、世界のどこかには使える人がいるかもしれないわよ」
アリアの一言にシルドは目を輝かせる。
また始まったと子供たちはそれぞれ散会していく。
「植物も、世界のどこかでは育っているのかな」
アリアは溜め息混じりに答える。
「そうね。世界は広いから、どこかに緑があるのかもね」
「こんな荒れ地の中で育って、今見えている視界の中から出たことがないんだ」
「私も同じじゃない。この村から出たこともないのよ」
アリアは少し笑みを零し、遠くを見つめるシルドに目をやる。
「主食は根芋、水は井戸水、石屋根のお家、人間はこれで生きていけるのよ」
「生まれた時から変わらないから、飽きちゃったのかもなぁ」
いつもと少し違う眼差しでアリアを見るシルド。
「じゃあ、短剣の稽古に行ってくるね」
シルドは駆け足でその場を離れて行った。
「……そう、行っちゃうのね」
残されたアリアは物憂げにそう呟き、自分の家へと戻るのであった。
***
村から少し離れた場所にある空き地で、シルドは大きな岩に短剣を打ち付けていた。
「はぁ……はぁ……これぐらいじゃまだ……旅に出られない」
キィーンと音を立て、シルドが振った短剣は折れ、刃は地面へと落ちる。
「またか……」
シルドは柄を岩の方へと投げ、振り返る事なく空き地を後にした。
岩の周りには、刃毀れした短剣、折れた短剣が何百本と転がっていた。
***
空き地を後にしたシルドは、村の外れにある小さな家へと戻った。
戸を開けると、ゲイルが囲炉裏の前で丸くなって寝ている。
「長老、ただいま」
返事はなく、鼾だけが規則正しく響いている。
シルドは苦笑いを浮かべ、囲炉裏の傍に腰を下ろした。
窓の外は、いつもと変わらない荒れ地が広がっているだけだ。
根芋の畑、井戸、石屋根の家々。生まれてから十七年、その景色は何一つ変わっていない。
折れた短剣の数だけは増えていくのに、自分は何も変われていない気がした。
「……このままじゃ、駄目だ」
小さく声に出してみる。
緑を見たい、という願いはもう半分、口実になっていた。
このまま村で一生を終えるのかと思うと、得体の知れない焦りが胸の奥で疼く。
その焦りの正体が何なのか、シルド自身にもまだ分かっていなかった。
シルドは壁に立てかけてあった荷袋を手に取った。
水筒、干した根芋、そして――幼い頃からずっと持っている、小さなロケット。
どんなに爪を立てても開いたことのない、蓋の閉じたロケットだった。
「明日、行くから」
眠るゲイルに向けて、シルドは小さく呟いた。
自分の声を、自分の耳で聞いた。それだけで、迷いは消えていた。
***
翌朝、村の入り口にはアリアが立っていた。
「見送りに来てくれたんだ」
「当たり前でしょう。誰が引き止めても聞かないんだから」
アリアは呆れたように笑い、それから真剣な顔でシルドを見上げる。
「これ、持って行って」
差し出されたのは、古ぼけた短剣だった。
刃には見覚えのない紋様が刻まれている。
「これは?」
「家にあったの。お祖父様の代から残ってるものらしいんだけど、誰も使ってなくて。稽古、毎日頑張ってたでしょう」
シルドは短剣を受け取り、その重さに少し驚いた。
稽古で使っていた短剣とは、何かが違う。うまく言葉にできないが、手に馴染む感覚があった。
「ありがとう、アリア」
「その代わり、無事に帰ってきなさいよ」
アリアはそう言うと、くるりと背を向けて歩き出した。
遠ざかっていくシルドの背中を、見ていたくなかった。
振り返ることなく、家の方へと戻っていく。
「――行ってきます」
シルドの声は、誰にも届かないまま朝の空気に溶けていった。
***
荒れ地を歩き続けて三日目、シルドは大きな洞窟の前に辿り着いた。
ドルーナ洞窟――エルフが住むと言われる場所だ。
村を出る前、旅人から聞いた話を思い出す。
王都へ向かう道は、この洞窟を抜けるのが最も近い。
迂回すれば十日以上は遠回りになるし、荒れた岩山を越える体力も装備もない。
「エルフの縄張りらしいけど……行くしかないか」
気は進まなかったが、他に選択肢はなかった。
シルドは意を決して、洞窟の奥へと足を踏み入れる。
薄暗い通路を進むこと数十歩、足元の地面が不自然に沈んだ。
「っ――」
バサッ、と音を立てて何かがシルドの体に絡みつく。
気付いた時には、両足が網に囚われ、宙吊りになっていた。
「な、何だこれ!」
もがくシルドの前に、一人の女性が静かに歩み出てくる。
灰色がかった髪、鋭い目つき。耳は人間よりも長く尖っている。
「人間が……こんな場所まで来るとはね」
女性――ミレイアは、宙吊りのシルドを興味深そうに見上げた。
「お、下ろしてくれ! 通り抜けたいだけだ!」
「人間は嘘つきだからね。何をしに来た?」
「王都に行きたくて……ここを抜けるしか、道がなかったんだ」
素直な答えに、ミレイアは片眉を上げる。
本当かどうかは分からない。けれど、嘘だとしても構わなかった。
どちらにしろ、目の前にいるのは滅多に手に入らない実験材料だ。
「変わった人間ね」
その声には、隠しきれない愉しさが滲んでいた。
そう呟くと、ミレイアは懐から平たい石板を取り出した。
表面には、文字とも模様ともつかない紋様が細かく刻まれている。
「な、なんだそれ? 何をする気だ!」
「大丈夫、動かないで。少し、調べさせてもらうだけだから」
有無を言わさず、石板がシルドの右の掌に押し当てられる。
ひんやりとした感触の後、紋様がぼんやりと淡い光を帯びた。
シルドには、それが何を意味するのか分からない。
ただ、手のひらの奥が微かに痺れるような感覚があるだけだった。
「……なるほどね」
ミレイアは石板をすぐに懐へしまい込んだ。
いつもと変わらない声を装っていたが、わずかに掠れていた。
もっと詳しく調べたい。その衝動を抑え込むのに、少しだけ時間がかかった。
「な、なんだったんだ、今の」
「別に。ただの確認よ」
そっけない答えに、シルドは釈然としないまま口を噤む。
何が確かめられたのか、彼自身には知らされないままだった。
ミレイアはしばらく黙り込み、シルドの周りをゆっくりと歩き始めた。
長年の研究者としての勘が、これはとびきりの収穫だと告げている。
「特殊な人間なのか、それとも――人間ではないのか」
ひとりごとのように呟きながら向けられる視線には、隠しきれない物欲しげな色が浮かんでいた。
その視線の意味を正確には分からないまま、シルドは網に囚われたまま身を縮めた。
「あの、下ろしてもらえると助かるんだけど……」
「まだよ。あなた、王都に何をしに行くの?」
「植物が、緑がある場所を探してる。王都なら、何か手がかりがあるかもしれないから……あと、僕自身のことも」
「緑なんてあるわけないじゃない。それに、自分自身のこと?」
ミレイアの片眉がまた上がる。
「生まれてからずっと、荒れた場所しか知らなくて。魔法が使えたら、って思ってた。村にある本だって読んだ。でも本当は何も知らない――この世界がどうしてこうなったのかも、自分が何者なのかも」
こんな疑問を抱いている人間が、まだいるとは。
ミレイアは胸の内でそう呟き、小さく息を吐いた。
「――面白いわ」
そう言うと、ミレイアは網の結び目に手をかける。
「解放してあげる。ただし、条件がある」
「条件?」
「私も同行させてもらう」
思いがけない提案に、シルドは目を丸くした。
「え……でも、エルフは人間と関わらないんじゃ」
「ええ、普通はね。でも私は、普通のエルフとは少し違うのよ」
結び目がほどけ、シルドの体がどさりと地面に落ちる。
咳き込みながら体を起こすと、ミレイアが手を差し伸べていた。
「あなたみたいな人間、見たことがない。自分のことを知りたいと言いながら、何も知らない。その短剣は――」
ミレイアの視線が、シルドの腰に下がる短剣に向く。
「ただの短剣じゃなさそうね」
「これは、幼馴染みからもらったもので……」
「ふーん、なおさら興味が湧いたわ」
ミレイアはにやりと笑い、洞窟の出口を指さした。
「ミレイアよ。行きましょう。あなたの行く先に、何があるのか見届けてあげる。――それが終わったら、私の研究に付き合ってもらうから」
差し出された手を、シルドは少し迷いながらも取った。
「よろしくお願いします、ミレイアさん」
「さん、はいらないわ。堅苦しいのは性に合わない」
こうして、洞窟の中で出会った人間とエルフは、共に旅を続けることとなった。
外に出ると、荒れ地の向こうに太陽が傾き始めていた。
橙色に染まる大地を眺めながら、シルドは短剣の柄をそっと握りしめる。
「――絶対に、見つけてやる」
その呟きに答えるように、隣を歩くミレイアが小さく笑った。




