第1話 禁断の魔法 【破滅の歯車(セルスト・ギア)】
この世界に、緑はない。
あるのは砂と、根芋と、石の屋根だけ。
それでもシルド・ミスティアは、長老の家の隅で、擦り切れた歴史書を宝物のように抱えていた。
何代にもわたって書き写されてきた写本で、頁の余白には、読み手たちの書き込みがいくつも残っている。
囲炉裏の前で丸くなったゲイル・ヴィノアの肩に、シルドはそっと毛布をかけた。
「風邪ひくよ、長老」
「……年寄りを、あまり甘く見るもんじゃないわい」
ゲイルは片目だけ開け、またうとうとと瞼を落とす。
シルドは小さく笑って、頁をめくった。
――〈緑との別れ〉
〈全ての魔法の根源を対価とし、世界を終末へと進行させる。
禁断の魔法『破滅の歯車』。
一万年程前、世界を創造したユルド族との戦いの末、人間はこの魔法を使った。
大地は裂け、大海は荒れ狂い、大山は噴火した。
轟音が止み、世界が虚無で覆われる頃には、人間は尊厳を失い、ユルド族は絶えていた。
斯くして、世界から緑がなくなった〉
頁の余白には、色褪せた字で一行だけ書き込みがある。
何度読んでも、意味の分からない一行だった。
〈緑は、罪の上にしか咲かない〉
「長老、どうして人間は禁断の魔法を使ったの? 人間が魔法を使わなければ、僕も植物で溢れた世界を見れたはずなのに……」
「生き残りたかったからじゃよ」
ゲイルはシルドの頭を撫でながら続ける。
「もし人間が禁断の魔法を使わなければ、人間はユルド族に滅ぼされていたじゃろう。生き残るための対価は非常に大きかったのじゃ。人間もまた、被害者なのじゃよ」
シルドは難しい顔をして、歴史書に目を戻す。
次の頁には、その後のことが記されていた。
――〈その後の記〉
〈人間は終末を迎えた世界を捨てず、雨水や土、枯れた木々を食し生き永らえた。
初めての作物が芽を出す頃には、人間もまた芽を出した。
人間を喰らって生き延びた者はドラキュアへ、洞窟の中で菌類を喰らって生き延びた者はエルフへ、理性を失わず生き延びた者は、より強い人間へと進化していった〉
鼾を掻いて寝ているゲイルを横に、シルドは夢中になって頁を追い続ける。
「緑で溢れた世界を見てみたいなぁ」
「魔法が使えたらなぁ」
シルドの呟きが、シルドの世界を満たしていった。
最後に、シルドは最初の頁へ戻る。
余白の色褪せた一行を、指先でそっとなぞった。
いったい誰が、何を思って、これを書き残したのだろう。
答えのない問いだけが、荒れ地の夜に、ぽつりと残った。




