第二話 死を被る化け物
生気のない瞳、だらりと下がった肩。フウの母親であったそれは、糸の切れた人形のようにたどたどしい足取りで、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
「な、何があったんだよ!」
こちらが何を言おうと目の前の人ならざる異形は歩みを止めない。
合わない視線、
開いた口から漏れ出る虫の群、
伸ばされた先のない腕、
目の前にある全てが、その者が既に生きていないと証明してきた。
「近寄るな! なんなんだよこれ!」
腰を深く落とし、身構える。
制止して止まる相手でないとわからされたレンは、一拍呼吸をし、丹田に力を入れた。
「ご、ごめん!」
間合いに入った化け物の頭部めがけて拳を突き出す。
触れた感触はある。
しかし、手応えはない。
暖簾に向かって腕を出した様な感触。
化け物はよろけるわけでもなく、芯のない布袋を折り畳むように、ただ頭だけが大きく後ろに反れた。
しかしそんな事も意に介さないように、千切れた腕から出てきた無数の羽虫が、レンの体を覆い始める。
「っ! ──ん?」
羽虫に囲まれはしたが、直接触れてくる気配はない。
周囲を飛び回りながらレンと一定の距離を取っている。
「まさかお守りか?」
虫たちはレンを囲いながら、まるで隙を探るかのように高速で旋回する。
ドウガイが持たせた提灯のおかげでなんとか襲われずに済んでいるが、同時にレンも身動きをとることができなくなっていた。
その場に足止めされしばらく時間が過ぎた。
突破口を考えていたレンは、夜目に慣れてきたのか、焦燥の中に冷静さを僅かに取り戻す。
「あの一匹……女王か?」
旋回する虫の群を見ていると、その後ろに拳程大きな羽虫が旋回に参加せず飛んでいるのが見えた。
この数の羽虫が寸分違わず連携しているからにはそれなりの指揮系統があると考えたレンは、狙いをその大きな羽虫に定めた。
「すーふー……気を練り上げれば体は鉄にもなる」
ドウガイの言葉を思い出し、口に出す。
目を閉じ深呼吸を数回繰り返す。
レンの体を空気の膜が覆うように、陽炎が立ち上がった。
「……今っ!」
女王の前を飛ぶ羽虫の隙が大きくなった一瞬。
その一瞬をレンは逃さず、羽虫の壁を突き破るように手を突き出し、足を大きく踏み出した。
「虫が……人間舐めてんじゃねーぞ!」
見事女王を掴み、握り潰す。
その瞬間他の羽虫たちは急に動きを止め、地面に落ちた。
「いてて……肉食の羽虫とか聞いたことねぇよ」
荷物から軟膏を取り出し、突き出した際に噛まれた羽虫の噛み跡に塗る。
改めて周囲を見渡すと、地面に残されたフウの母親の抜け殻を見てしまう。
「いったい何が起こってるんだよ……これは現実なんだよな?」
皮と衣服だけ残されたその姿にレンは思わず近くの木にもたれ、座り込んでしまった。
レンの頭の中を様々な思考が浮き出てくるが、それを整理できずに頭を抱える。
「まさかぁ、ただの子供が画皮を倒したのかぁ?」
覇気のない気だるげな声が聞こえたかと思えば、突如レンの目の前に剣先が突きつけられる。
慌てて前を照らすと、そこには松明を手に持った道着姿の男が立っていた。
長い髪を後ろで結んでおり、整った濃い顔には無精髭が目立つ。
男は地面に落ちているフウの母親だったものを手に取り、それを畳むと腰に結んでいた布袋に入れた。
「……あんた誰だよ」
「あぁ……そうだなぁ……なんて言うべきかなぁ」
剣を収めた男が気だるそうに頭を掻きながら口をつむぐ。
化け物と対峙した時とは違った緊張感がそこにあった。
「それよりも何でこんな夜に山なんか入ったんだぁ、明かりも提灯一つ、自殺行為だぞ」
男は明らかに話題をそらしたが、動揺しているレンはそれに気づく事はない。
「おばさんとフウ……俺と同じ年の娘が先に山に入って、帰ってこなかったから俺と親父さんで探しに」
「まったく……そういう事かぁ、警護兵に連絡が先だろ」
「……」
返す言葉がない、男からの説教にレンは冷静さを取り戻した。
「来てしまったもんはしょうがないかぁ、俺からはな──」
男が喋っていた時だった。
「──うわぁぁああ!!」
遠くからまた別の男の叫び声が聞こえてくる。
その方向に二人は素早く視線を向けたと思えば、レンは急いで走り出した。
「親父さんの声だ!」
「おい! 俺から離れるなって言おうとしたのに」
走り出したレンを追うよつに道着の男も走り出す。
「お前野生児かなんかか?」
男の松明の明かりも加わったとは言え、夜の山を迷いもなく走るレンに、男は思わず言葉を漏らした。
フウの父親の叫び声はまだ聞こえてくる。
その声が徐々に大きくなってくる。
後少しで声の場所に辿り着く。
その時、叫び声は消えた。
「……ッ」
「遅かったかぁ……」
フウの父親が地面に横たわっている。先程と違っていたのは皮一枚ではなくまだ中身があるという点だろうか。
その目から涙が流れ、口から無数の羽虫が出入りしている。
「そんな……親父さん」
立て続けに二人の知人の死を目の当たりにし、レンは膝から崩れ落ちた。
そして何かに縋るように地面を這いながら近づいていく。
「何でだよ、何で……」
「近寄るな!!」
男がレンの襟元を掴み、後ろへ投げた。
「もう経験しているだろうが、こうなってしまったらアレはもうお前の知っている人じゃない……化け物だぁ」
後ろれ投げられ、その場に腰をついたレンは真っすぐフウの父親を見る。
大きな羽音が響き始めたかと思えば、フウの父親の亡骸が蠢きだした。
まるでその体の中に何かが暴れているかのように、皮膚が膨らみ沈むのを繰り返す。
そして、そこにはさっき対峙したフウの母親の様な、生気のない人の皮を被った化け物が立っていた。
「教えろよ……これはなんなんだよ!」
「はぁ……コイツは画皮という化け物で、人間の肉を喰らい、その皮を被り擬態する……妖害だぁ」
男は右手で剣を抜き、左手を懐に入れる。
「離れすぎるな、今から妖害を倒す」
無数の羽音を立てながら襲いかかる画皮に対し、男は懐から取り出した一枚の札を投げた。
「葬符・煙牢」
投げられた札は燃えたかと思えば、そこから煙の大蛇が現れ、画皮の体を締め上げた。
「天道背く者に、厳儀を──」
男の剣が淡く光りだしたその瞬間だった。
「おっさん! 左!」
木の影から小さな人影が飛び出す。
「ッ! そうだったな、この山には少なくても俺とこの子供以外に三人入ってたんだよなぁ」
咄嗟に剣を構え奇襲を防ぐ事はできた。
「そんな……フウ……」
しかし、飛び出してきたのは幼馴染のフウ……その皮を被った画皮であった。
「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ……」
心の奥底ではきっと予感していただろう。
だがそれは事実と対面して冷静でいられるという事にはならない。
「動け! そっちに行ったぞ!」
男から対象をレンに変えたフウの画皮は素早い動きで襲いかかる。
「レ……ン……」
フウの声にはにてもにつかない空耳のような声でレンを呼ぶ画皮。
しかし、今のレンにとってそんな明らかな擬態だったとしても、動揺するには十分だった。
「……ッ!」
咄嗟の事態に、気が動転しているレンは避けることができず、画皮の両手が首に喰い込む。
相手は既に死んでいて、羽虫がなかにいるだけとわかっていながら、全身にうまく力がはいらない。
「な、なんで……フウたちなんだよ……」
首が締まる苦しみに耐えながら、何とか画皮の手を振りほどこうとしても出来なかった。
家族にも似た感情を向けていた者たち立て続けの死、その事実が頭で反芻される度に、レンは涙を止めることができなくなっていた。
「クソッ……さすがにただの子供にはキツい状況かぁ」
道着の男がレンを助けようと動く。
「来るな!」
しかしレンがそれを拒絶した。
「自暴自棄になるなぁ! 必ず助ける」
「ちげぇよ……俺が、終わらせる……」
その瞬間、レンの周りに膨大な気が膨らんだ。
その気は巨大な陽炎の様に空間を歪め、熱すらも感じさせる。
「子供が練気を……あの密度で……」
「苦しかったよな……泣いてたんだよな……怖かったんだよな」
レンはフウの顔に残っていた涙の跡を見つめながら、更に気を爆発させる。
画皮の腕を掴み、首から引き離し、胴に添えた手から発勁を繰り出し吹き飛ばした。
「それ以上フウの姿で……フウを侮辱するな!」
親しい者を亡くし、恋心を抱いていた友人の死を目の当たりにし、立ち上がることする諦めようとしていたその身体に対し、一つの感情が湧き上がる。
死してなお辱めを受けさせ、人を嘲笑うかのようなその姿に、恐怖や失意よりも怒りが増幅させられていく。
「生肖武技……虎牙、連咬!」
手に練り上げた気を集中させ、指先に力を込める。
襲い来る画皮の、フウの体に対し、猛虎を彷彿とさせる力強い連撃を叩き込んだ。
「その技は……まさかお前は」
レンから放たれた連撃は胴や腕の皮膚を噛みちぎるように裂く。
中から溢れ出る羽虫をものともせず、ただひたすらに裂き続ける。
「そこか!」
無数の羽虫の中から一匹の大きな虫を見つけたレンは、開いた手のひらを握りしめた。
絶望、悲哀、憤怒、様々な感情を拳に乗せ、突き出した。
「猪突猛撃!」
振り抜かれた拳は女王を破壊する。
周りの羽虫も地に落ち動きを止めた。
「おっさん!」
道着の男の方へ視線を向けると、男も剣を鞘に収めていた。
「こっちも終わった、それにしても画皮を2体倒すとはなぁ」
感心したようにレンに近づいてくる男、その胸ぐらを掴み、レンは叫んだ。
「なぁ、教えてくれよ、画皮ってなんなんだ! 妖害ってなんなんだ!」
「その質問を答えるよりもまず、俺の質問に答えろ……お前の師匠は誰だ」
男の声が、目が冷たく心を突き刺してくる。
先程までの態度とは違い、レンに対して警戒に近い対応を見せている。
「まぁそう殺気を出すなジンユ……まずは冥門を閉ざす事が優先じゃろ?」
聞き慣れた老人の声がしたかと思えば、木陰からドウガイが出てきた。
「じっちゃん!」
「やはりあなたがこの子の師匠でしたかぁ」
「冥門はこっちじゃ」
ドウガイはここでは対話する気はないと言いたげな様子で歩く。
三人が歩いた先には冥門と呼ばれるものがあった。
門と呼ばれているが、それは空間に人の腕ほどの大きさの亀裂が入った様な見た目をしている。
そしてそこから今にも無数の羽虫が出てこようとしているのが見えた。
「なんだよこれ」
レンが亀裂に近づくと、何かの引力がその体を強く引き始めた。
驚いたレンは思わず後ろに身を引き、その勢いで尻もちをつく。
「やめておけ、吸い込まれたら人界に戻れなくなるぞぉ」
「じ、じんかい?」
「この世にあるもう一つの世界じゃ……」
「簡単に言えばこの世界には三界ってのがあってなぁ……神仙が住み天帝が万物を見守る天界、今俺たち人間が住む人界、そして死者たちの魂が囚われている冥界……この亀裂は冥界と人界を繋ぐ裂け目……開かれてまだ数日と言った所かぁ……こんな山奥、気付けれただけでも幸運だなぁ」
ジンユの説明を聞き、レンは改めて冥門から遠ざかる。
「ドウガイ様、下がってください」
道着の男ジンユがそう言うと、懐から一本の筆を取り出した。
「冥門を閉じるには人界側から塗り直す必要があるんじゃ、塗ると言っても塗料はないがな、使うのは仙気でな、簡単に言えば自然の力を筆に集めるんじゃよ」
「そんな事よりもっと根本を説明してくれよ」
淡々と状況を説明するドウガイにレンは困惑をあらわにする。
「何も教えていないのですね」
しかしそんなレンを無視するかのようにジンユは割って入ってきた。
「本当に全て教えるべきか、今でも迷っとるんじゃ」
「そうですか……冥門は閉じました、それでは山を降りましょう」
亀裂が入っていた所を見ると、まるで最初から何も無かったかのように、
「おい! 話が見えてこねぇよ!」
「レン、少し黙っておれ」
普段見せないドウガイの圧にレンは黙る。
「家までご案内、頼めますね?」
「あぁ……わかった」
この場でレンだけが取り残されていた。
二人の因縁、世界の実情、その最中に巻き込まれていることも知らずに。




