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天厳の斂葬  作者: 国枝広彦
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第一話 冥門が開く

 この世には三界がある。


 神仙が住む天界、人間が住む人界、そして死者たちの魂が囚われている冥界。


 今日もまた人界に亀裂がはいる。


 無数の翅が擦れ合い、鼓膜を逆撫でするような羽音が冥界から漏れ出る。

 命を求め、彷徨う羽虫の群の前に三本の炎が立ち上がる。


「炎封陣……準備完了です師匠」


 一人の男が剣を握り、羽虫の群れに近づいていく。


「天道背く者に、厳儀を下す──」


 淡く光る剣を振り下ろすと、羽虫の群れは霧散した。


「ここにも冥門が……もう三つ目っすよ」

「頻度が多いな、早くあの方を見つけねぇとな」


 ──────


 大陸で最大の港町である重香エコウ

 この街は貿易の中心地と呼ばれ、毎日多くの人や物が入っては流れ出ていく。


 重香の街の端。

 後ろには草原広がる街道と、数里先の桃仁山が大きく見える泥と草で作られた民家。登り始めた朝日が街を照らし始める中、そこから一人の少年が灰色の髪を描きながら大きな欠伸をし出てきた。


「んーーもう朝か」


 まだ完全に目覚めていないのか、フラフラと目をこすりながら家の裏手へと回る。


 前髪は目にかからぬ程度の長さだが、後ろ髪だけが首筋を隠すほどに長く伸びていて、彼が動くたびに、獣の尻尾のように不揃いな毛先が跳ねた。


「ん? 起きたかレン、さっさと薪を割らんか」

「はいよー朝から元気だなドウガイのじっちゃんは」


 斧を持ち曲がった腰と細い腕を震わせながら薪を叩き割る老人ドウガイ。

 ドウガイは薪を一つレンと呼んだ少年に投げる。


「斧貸せよ」

「バカなこと言うんじゃないわい、いつも通り手でやれ」

「チッ……俺この後仕事なんだぜ?」


 悪態をつきながらもレンは薪を空中で回しながら掴むと、それを地面に置く。

 袖を捲くると、しなやかで張りのある筋肉が顕になり、踏ん張る足の線や体の動かし方は武芸者と言うより、獣の様な自然体の強靭さを感じさせる。


「フンッ!」


 掌底を薪に叩き込むと、不均等ながらも薪は四つに割れた。


「まだまだ練気が足らんの」

「うるせー」


 薪を割り終えた二人は朝食の準備をし、二人で食卓を囲む。


「ここ数ヶ月頑張って金貯めておるが、何か買いたい物があるのか?」

「んーまぁ金はあった方がいいだろ? 無いよりかは」

「けっどうせ花楼街でキャッキャウフフをしたいんじゃろ」

「そんなんじゃねーよ! このスケベジジイ!」


 レンは朝食を一気にかき込むと、不機嫌そうに仕事の支度を始める。

 周りに飛ぶ羽虫が一層彼の苛立つ気持ちを昂ぶらせていた。


「だー!! 何でもう虫が湧いてんだよ! まだ春入ってねぇぞ!」

「確かに、ここ最近は季節の割に虫が多いのぉ……レン、一つ忠告してやる」

「な、なんだよ」


 突然真剣な声色で話し始めるドウガイに、レンは戸惑いを感じつつも同じく真剣に耳を傾けた。


「羽虫の群をみた時、その声の誘いに乗ってはならんぞ」

「はぁ? 羽虫の群、声? ボケたか?」

「まぁ頭の片隅にでも入れとくんじゃな」

「わかったよ、夏場にまた思い出すわ」


 真剣に聞いて損したと言いたげな顔でレンは支度を終え、外へ出て行こうとする。


「レン!」

「今度は何だ──っ!」


 振り向いたレンの眼前に畳まれた提灯とロウソクが飛んでくる。

 それを片手づつ掴み取ると、次に石が飛んできて、顔に見事命中した。


「お守りじゃ、持ってけ」

「ったく、重香の何処に光が無い道あんだよ」

「羽虫の群を見た時に付けるんじゃ、いい虫除けになる」

「あっそ、あんがと」


 提灯とロウソク、そして火打石を麻の布袋に入れレンは今度こそ外へ出た。

 ドウガイはその後ろ姿を見送った後、壁にかけている剣を見つめる。


「……もう見て見ぬふりはできんか」


 ──────


 街の目抜き通り、飲食店は朝食を食べる人々で賑わい、道は仕事へ向かう労働者たちによって混み合う。そんな重香の街中をレンは人の隙を縫いながら駆ける。


「こらレン、あぶねぇだろ!」

「ごめんなー! 急いでっから!」


 まるで猫の様に軽快で、無駄が少ない動き。レンを知る住民は注意をしながらも、それが日常として受け入れられていた。


「よし到着っと」


 周りの住宅より一回り大きく、豪華な家。その前にいる三人の家族の前でレンは足を止める。


「レン、今日も走ってきたのか」

「おう! 遅刻する訳にはいかねーからよ」


 筋骨隆々の大男が笑顔でレンを出迎えた。

 その横に居るレンと同じ年頃の娘が少し怒った顔でレンに詰め寄った。


「人にぶつかったら怪我させちゃうよ、走ったらだめって言ったでしょ!」

「フウ……そんなに怒らなくていいじゃんかよ」

「フフフ、二人はいつも仲がいいね」


 母親が笑い、娘のフウつられて笑う。これがレンの一日の始まり。

 朝薪を割り、朝食を食べ、幼馴染のフウの父親が管理する港の荷下ろしの仕事を手伝い日銭を稼ぐ。


「二人が見送りなんて珍しいな」

「今日はお母さんと桃仁山で山菜を採りに行くの」

「へぇーいいなぁ」

「帰りに分けてあげるからお父さんと一緒に帰ってきてね」

「そりゃ楽しみだ! 早く港に行こうぜ親父さん!」

「ガハハハ! そうだな、俺も楽しみだ! 行くぞレン!」


 フウに見送られながら港へ向かう。

 船荷を降ろす仕事は容易なものではないが、レンは他のどの大人よりも多く動き、重いものを運ぶ。


「相変わらずレンはすげぇな! 一体何食ったらそんな力つくんだ?」


 荷物を指定の場所へおろし、フウの父親がその荷物の確認を行う。


「普通だよ、じいちゃんの言葉借りるなら練気ってやつかな?」

「練気か、ドウガイのじいさんは仙人かなんかか?」

「そんなんじゃない、ただのじいさんだよ」


 一隻荷下ろし終えるとそのまま次の船が入ってくる。適度に休憩を挟みながら仕事は日が沈むまで行われた。


「今日の予定分は終わったか、お前らもう上がっていいぞー」


 フウの父親が号令をかけると、作業員たちは一斉に帰り支度を始める。

 全員が列を作り、一人一人給料を受け取っていく。

 最後にレンが銅貨数十枚を手に取り、フウの父親も帰り支度を始めた。


「しかしあれだな、盗みや喧嘩しかしなかったお前が最近はめっきり大人しくなったもんだな」

「まぁな、いつまでも人に迷惑かけれねぇし」

「てっきり俺はお前がこのまま荒くれ者になるんじゃと思ってたよ……一時は殴ってでも正してやろうと思ったくらいだぜ」

「それは痛そうだ」

「家で住み込みするか? 部屋なら空いてるし、フウも喜ぶだろうよ」


 その言葉に一瞬動きを止めた。

 そして脳裏に流れる様々な未来。

 甘い理想を思い浮かべながらも、レンは直ぐ様妄想するのをやめ、頭を横に振った。


「それは……やめとく、じっちゃんの面倒も見ねぇといけねぇし」

「そうか、ならしょうがねーな」


 頭をくしゃくしゃに撫でられ、照れくさそうに笑うレン。それを見ながら優しく微笑むフウの父親。

 二人はいつもの様に談笑しながら家へ帰る。


「帰ったぞーって……居ないのか?」


 フウの家に着いた二人は、玄関を開ける。

 いつもは二人の声と夕食の匂いが暖かく出迎えてくれるのに、今日はそれがなかった。


「買い物にでも出かけた?」

「かもしれねぇが……おっちゃん! 俺のかみさんと娘何処に行ったかわかるか?」


 フウの父親が家の正面にある飯屋の店主に声をかける。

 店から出てきた店主は頭を掻きながら思い出すような仕草をし、顔をしかめていた。


「いやぁ〜そう言えば今日はまだ見てねぇな……」


 その言葉に二人は同じ感情を抱いた。

 フウの父親は荷物を家の中へ投げ入れ、玄関近くにあった鎌を持ち走り出す。

 レンも荷物を投げる事はなかったが、同じくその背中を追いかける様に走り出した。


「親父さん! 俺先に行ってっから!」

「わかった!」


 直ぐにフウの父親を追い越したレンは家の壁を蹴りながら屋根上へ飛び上がる。


 数里先に見える桃仁山は、街の明かりが届かない。

 夜空を背景に浮かび上がる巨大な影は、まるで大地から隆起してきた漆黒の巨獣にも見えた。


 そんな景色をずっと見ていると、嫌な憶測が次々とレンの脳を埋め尽くす。


「違う」


 それを振り払うように、


「そんなわけない!」


 否定するように、


「頼む、無事でいてくれ……」


 間違いだと懇願するように、

 山から視線を外し、目を必死に閉じ、体をがむしゃらに前を進める。


「うわっ!」


 そんな無茶な走りをしていると、当然ながら足を踏み外し、屋根から転げ落ちてしまう。


「いってーな! どこ走ってんだ馬鹿野郎!」

「ごめん……今急いでっから」


 体をぶつけた街の住人の怒号に目もくれず、レンは立ち上がりすぐに走り出す。


 重香から抜け出し、街道を突き進む。

 明かりも何もない闇へと続く夜道は、右も左も見えないまま、ただ夜空に浮かぶ巨獣の影を目印にするしかない。


 やがて前方から夜空が完全に隠れる。

 闇を纏った桃仁山の麓に辿り着いた。

 乱れる息を整えるように、立ち止まったレンは胸を押さえながら深呼吸を繰り返す。


「明かり……あったかな」


 いくら動揺しているとは言え、明かりがない状況では何もできない事はわかっている。

 荷物からに入れていた小さな提灯を取り出し、火打石で明かりを灯す。


「今回ばかりはじっちゃんに感謝だな」


 僅かながら周囲一歩先が照らされる。

 依然として数歩先はハッキリと見えない暗闇だが、それでもレンは前に進むしかなかった。


 手掛かりもなく山の中を進んでいると、周囲が少し騒がしくなってくる。

 風が吹き、木が揺れ、足元の雑草が脛を撫でる。


「クソッ何処にいんだよ」


 どれ程山の中を探したか、人どころか獣の気配すら一向に感じられず、不安はやがて苛立ちを増し焦燥へと変化する。


「──ぶ……──」

「ッ!? フウか!?」


 微かだが遠くから人の声の様なものがレンの耳元へ響いて来た。

 その声目がけるようにレンの体は自然と走り出していた。


「頼む頼む頼む……無事でいてくれ」


 それは希望への淡い期待であり、


 胸騒ぎへの強烈な拒絶であり、


 ただ純粋なる懇願である。


「待ってろ、今助けてや──」


 それは突然襲いかかってきた。


 木の死角から飛び出してきた人型の影、それに押し倒されたレンは手に持っていた提灯を離してしまう。


「ブブブ……ブッ──ブブブ」


 脳まで響いて爪を立てる羽音がレンの聴覚を支配し、何者かが上に乗り押さえつけてき、事態を理解するよりも早く首元を締め上げられる。


「くっ……かはっ……」


 人の手のようなもので首を絞められる。しかし、レンにそれを視覚で判断することはできない。

 無我夢中で首を絞めるモノを掴むが、それはまるで血の腸詰のように、握れば簡単に形が変わる。

 その得体の知れなさが更にレンの焦燥を駆り立てる。


 ただ力任せにソレを引き離すと。吐き気を催す嫌な音と共に首に加わる圧が抜けていった。


「何者だおめぇ!!」


 近くに転がる提灯を拾い上げ、先ほどまで倒れていた場所を照らすと、そこには人の両手が落ちていた。

 正確に言うとすれば、人の手の皮と言うべきだろう。


 まるで布切れの様に捨てられている手の皮が、先程まで自分の首を絞めていたと直観的に理解させられると、レンは動揺を隠すことができなくなる。


 周囲の羽音が止むことはないが、かといって何者かが襲ってくる気配もない。ゆっくりと息を整え、改めてレンは手の皮を拾い上げた。


「な、なんだよこれ」


 不気味な手の皮をじっくり観察していると、皮の裏側から数匹の羽虫が飛び出してきた。


「なんだよこれ!」


 思わず拾った手の皮を地面に捨て、目で羽虫を追いかける。

 数歩先の僅かに照らされた地面に見覚えのある足元があった。


「は? 何で?」


 ゆっくりと視線を足元から上げていく。

 その人物は、手首から先を失っていた。断面からは無数の黒い羽虫が、まるで沸き立つ泡のように蠢き、出入りしている。

 そして何よりレンを驚愕させたのは、その人物はよく見知った人物であった事。


「おばさん……なのか?」


 弱々しい呼び掛けに対して返ってくるのは嫌な羽音のみ。

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