第2話 こちょこちょの特訓
颯太先輩から「くすぐり幽霊」の話を聞いてから、ぼくの頭の中はそのことでいっぱいだった。
授業中も、給食の時間も、家に帰ってからも、ずっと考えている。
白い服の女の幽霊。階段をのぼりながら「かいだんのぼって、こちょこちょこちょ」って歌ってくる。そして捕まると、夜が明けるまでこちょこちょされちゃうんだ。
颯太先輩は、「人間じゃないくすぐり方」って言ってた。わきの下をくすぐりながら、同時にわき腹も指の先でこちょこちょってやられるんだそうだ。そんなの、想像するだけでむずむずしてくる。
でも、ぼくはどうしても、その幽霊をこの目で見たかった。
いるのか、いないのか。本当にくすぐってくるのか。階段をおりれば、本当に追ってこないのか。
自分の目で確かめたい。そうすれば、このもやもやした気持ちも、すっきりするはずだ。
だけど、ひとつだけ大きな問題があった。
ぼくは、くすぐりにめちゃくちゃ弱いのだ。
思い出してみても、くすぐりで勝ったことなんて一度もない。ちょっとわきの下をつんってされただけで、体がビクッて跳ね上がっちゃうし、お腹なんてもっとだめだ。指が近づいてくるだけで、もう笑いがこみ上げてきて、くねくね逃げちゃう。
そんなぼくが、もし幽霊に捕まったら?
颯太先輩みたいに、一瞬のスキをついて逃げられるだろうか。いや、無理だ。きっと、最初の「こちょこちょ」で大爆笑して、そのまま朝まで笑わされてしまうに決まってる。
だから、ぼくは決めた。
くすぐりに強くなるための特訓をしよう。
そして、その相手は、ひとりしかいなかった。
同じクラスの千夏ちゃん。
千夏ちゃんは、いつもぼくのことをからかってくる女の子だ。休み時間になると、後ろから近づいてきて、わきの下をつんつんってつつく。
「ゆうとくん、くすぐり弱いもんね~?」
って、にやにやしながら、ぼくが逃げ回るのを楽しんでいる。
正直、ちょっと苦手だった。でも、千夏ちゃん以上に、くすぐりのプロフェッショナルはいない。千夏ちゃんを相手に特訓すれば、幽霊にだって負けないくらい、くすぐりに強くなれるはずだ。
そう思って、ぼくは次の日の休み時間、勇気を出して千夏ちゃんに声をかけた。
「ねえ、千夏ちゃん。ちょっとお願いがあるんだけど」
千夏ちゃんは、黒板の前で友だちとおしゃべりしていたけど、ぼくの声にふり向いて、きょとんとした顔をした。
「あら、ゆうとくんから話しかけてくるなんて、めずらしいね。どうしたの?」
「あのさ……こちょこちょの特訓をしてほしいんだ」
一瞬、教室の中がしーんとなった気がした。千夏ちゃんの友だちが、ぷっと吹き出す。
千夏ちゃんは、目をぱちぱちさせてから、ゆっくりと口もとをにやーっとさせた。
「特訓?こちょこちょの?何言ってるの?」
「だから、その……ぼく、くすぐりにすごく弱いでしょ。それをちょっと、なんとかしたいっていうか……」
「ふーん」
千夏ちゃんは、じーっとぼくの顔を見た。その目が、なんだかとても楽しそうで、ぼくは急に後悔しはじめた。でも、もう引き返せない。
「いいよ。じゃあ、今からやろっか」
千夏ちゃんは、友だちに「ごめん、またあとでね」と言うと、ぼくの手を引いて、教室の後ろのスペースに連れていった。そこはロッカーが並んでいて、ちょっとした死角になっている。
「で、特訓って何するの?」
千夏ちゃんは、首をかしげながら聞いてきた。ぼくは、ごくりとつばを飲み込んで答える。
「ぼくがくすぐられても、なるべく笑わないようにする練習。千夏ちゃんがくすぐって、ぼくがそれをがまんするんだ」
「がまん?ゆうとくんが?あはは、無理でしょ!」
千夏ちゃんは、ケラケラと笑った。
「だってゆうとくん、私がわきの下ちょんってするだけで、きゃーきゃー言って逃げるじゃん」
「だ、だから特訓するんだよ!幽霊に会ったときに、くすぐられても平気なように!」
「幽霊?」
しまった。口がすべった。
千夏ちゃんは、ますます興味津々という顔で、ぼくにぐいっと顔を近づけた。
「幽霊って何?なんのこと?」
「いや、その……」
「教えてくれないなら、特訓してあげないよ」
千夏ちゃんは、ぷいっと横を向いた。でも、口もとは笑っている。絶対に気づいているんだ、ぼくが何か面白いことをしようとしているって。
ぼくは観念して、白状することにした。
「……くすぐり幽霊の噂、知ってる?」
千夏ちゃんは、ぱちぱちとまばたきをした。
「ううん。なにそれ?」
ぼくは、颯太先輩から聞いた話を千夏ちゃんに伝えた。夜の学校の階段に現れる白い服の女の幽霊。歌を歌いながらのぼってきて、捕まるとこちょこちょされること。階段をおりれば追ってこないこと。
話しているうちに、千夏ちゃんの顔が、みるみる変わっていった。最初は半信半疑だったのが、だんだん楽しそうな表情に変わっていく。
「へえー!くすぐり幽霊かあ!おもしろそう!」
「でしょ!だからぼく、今度の週末、夜の学校に行って確かめようと思ってるんだ。でも、その前に、くすぐりに強くなりたくて……」
「なるほどね。それで特訓かあ」
千夏ちゃんは、腕を組んでうんうんとうなずいた。そして、にんまりと笑った。
「いいよ。じゃあ、本気で特訓しよう。でも、私、手加減しないからね?」
「え?」
「だって、幽霊は手加減してくれないでしょ。だったら、最初から本気でいかないと、意味ないよねー?」
千夏ちゃんの言うことは、もっともだった。でも、本気の千夏ちゃんのくすぐりって、一体どれくらいなんだろう。想像しただけで、わきの下がむずむずしてくる。
「じゃ、行くよ。準備はいい?」
千夏ちゃんが、両手をわきわきさせながら、一歩前に出た。その指が、まるで生き物みたいにうごめいている。
ぼくは、思わず一歩後ろに下がった。
「ちょ、ちょっと待って。心の準備が……」
「さん、にー、いち……」
「え、ちょっと!」
「ぜろ!」
千夏ちゃんが飛びかかってきた。ぼくは、とっさに体をかわそうとしたけど、千夏ちゃんは最初からそれを読んでいたみたいに、ぼくの逃げ道をふさぐように飛び込んでくる。
そして、その細い指が、ぼくのわきの下にすぽっとはまった。
「ひゃっ!?」
ぼくの体が、ビクンと跳ね上がった。千夏ちゃんの指が、わきの下のくぼみで、こちょこちょこちょこちょって動き出す。それはもう正確に、弱点だけをねらった動きだった。
「あはははは!ちょ、ちょっと、まだ心の準備がぁ!」
「特訓に心の準備なんていらないの!ほら、がまんして!こちょこちょこちょこちょっ!こちょこちょこちょこちょ~!」
千夏ちゃんは、楽しそうに笑いながら、指の動きを変えてきた。今度は、わきの下をつんつんって、つつくように。それが、またくすぐったい。くすぐったいっていうか、もう、笑うしかない。
「ほらほら、ツンツン攻撃~!ツンツンツンツン~!こ~しょこしょこしょこしょ~!」
「あはははは!むりむりむり!」
ぼくは、体をくねらせて逃げようとした。でも、千夏ちゃんはぼくの動きに合わせて、ぴったりとくっついてくる。そして、ぼくがわきの下をかばって脇をキュッと閉めると、今度はわき腹を、指の先でこちょこちょってくすぐってきた。
「ひゃあああ!そこ、だめだってば!」
「ここダメなの? だめなところほど、特訓しなきゃね!」
千夏ちゃんの指が、ぼくのわき腹をツーっとすべるように動く。その動きが、なんだか生き物みたいで、くすぐりの刺激に慣れさせてくれない。まるで、くすぐりのプロだ。いや、プロどころじゃない。くすぐりの天才だ。
「降参!降参するから!」
「まだ三分もたってないよ。こんなんで幽霊と戦えるの?」
千夏ちゃんは、くすぐるのをやめずに言った。ぼくは、もう笑いすぎて涙が出てきた。お腹も痛い。でも、たしかに千夏ちゃんの言うとおりだ。こんなにすぐ降参してたら、幽霊に会っても一瞬でやられてしまう。
「も、もっと……や、やって……!」
ぼくは、笑いながらも、なんとかそう言った。
千夏ちゃんは、ちょっと意外そうな顔をしたけど、すぐにうれしそうな笑顔になった。
「へえ~? ゆうとくん、やる気あるじゃん。じゃあ、次はもっとすごいの行くよ!」
「え、もっと?」
「うん。私、ゆうとくんの弱点、全部知ってるからね」
千夏ちゃんは、いたずらっぽく笑って、ぼくの弱点を数えはじめた。
「わきの下はもちろん。わき腹も。おへそのまわり。あと、ひざの裏と~、足の裏もだよね。それから、耳の後ろと、首のつけねも弱いんだよね。あ、あごの先もくすぐったがってたっけ」
ぼくは、ぞっとした。そんなにたくさん弱点があるなんて。しかも、千夏ちゃんは全部知っている。いつものからかいの中で、チェックされていたんだ。
「じゃあ、全部の弱点を順番に特訓していこう!」
千夏ちゃんは、そう宣言すると、またぼくに飛びかかってきた。
それからの十分間は、まさに地獄だった。
千夏ちゃんは、ぼくの弱点をくまなく攻めてきた。わきの下をこちょこちょされたかと思うと、ぼくが腕を上げたスキにわき腹をコチョコチョ。
お腹を丸めて守ろうとすると、今度は背中をすーっとなぞられて、ぞわぞわって鳥肌が立つ。
そして、最後は耳の後ろをこしょこしょ。これがもう、たまらなくくすぐったい。
声にならない声が出て、体がビクビクってふるえてしまう。
ぼくは、もうずっと笑いっぱなしだった。涙はぼろぼろ出るし、お腹はよじれるし、息も苦しくなってきた。
「あはははは!も、もう、ほんとに、むり……!」
「えー、もう終わり? まだぜんぜん特訓できてないよ?」
千夏ちゃんは、ぜんぜん息を切らしていなかった。むしろ、どんどん楽しくなってきているみたいだ。目がキラキラしている。
「ゆうとくんって、ほんとにくすぐったがりだよね。こんなに反応してくれるなら、くすぐりがいがあるっていうか」
「ほ、ほめてないよね、それ……あははは!」
ついにぼくは、床にひっくり返ってしまった。大の字になって、ぜえぜえと息をする。もう、指一本動かせない。
千夏ちゃんは、ぼくのとなりにぺたんと座って、満足そうな顔をした。
「はい、これで特訓終了。ゆうとくん、ちょっとは強くなった?」
「……わかんない」
ぼくは、天井を見上げながら答えた。体はくたくたで、まだ笑いの余韻でお腹がひくひくしている。でも、千夏ちゃんのくすぐりをこれだけ受けたのだ。ちょっとは自信がついていた。これだけくすぐられれば、少しくすぐりに対する耐性がついたかもしれない。
「ねえ、ゆうとくん」
千夏ちゃんが、ぼくの顔をのぞきこんできた。
「ほんとに夜の学校に行くの?」
「うん。行く」
ぼくがしっかりうなずくと、千夏ちゃんはちょっと考えてから、にやりと笑った。
「そっか。じゃあ、もしゆうとくんが幽霊に捕まって、朝までこちょこちょされちゃったら、その話、ちゃんと私に教えてね」
「教えるけど……笑わないでよ」
「笑うに決まってるじゃん。だって、くすぐられてるゆうとくんの顔、すっごくおかしいんだもん」
千夏ちゃんは、けらけらと笑った。それから、ふと真面目な顔になって、ぼくに小さな包みを差し出した。
「はい、これ。お守り」
「お守り?」
受け取って開けてみると、中には小さな鈴が入っていた。細い赤いひもがついている。
「くすぐり幽霊に会う前に、これを鳴らせば、もしかしたら追いかけてこないかもよ。幽霊って、鈴の音が苦手って言うし」
「千夏ちゃん……」
「でも、それ使わずに、ちゃんと幽霊と勝負してきなよ。せっかく特訓したんだから」
千夏ちゃんは、そう言ってにこっと笑った。
ぼくは、鈴をポケットにしまいながら、心の中で千夏ちゃんに感謝した。いつもからかってばかりだけど、本当はすごくやさしいんだ。
「ありがとう。絶対、幽霊を見つけてくる」
「うん。でも、あんまり無理しないでね。ほんとに怖くなったら、すぐ帰ってくるんだよ」
「わかった」
そのとき、授業開始のチャイムが鳴った。千夏ちゃんは、ぱっと立ち上がると、ふり返って言った。
「ゆうとくん、お腹のあたり、まだ特訓が足りないかもね。今度また、特訓の続きしてあげる」
ぼくは、自分のお腹を両手でかばいながら、こくこくとうなずいた。千夏ちゃんは、それを見てまた笑って、自分の席にもどっていった。
それからの数日間、ぼくは千夏ちゃんと「こちょこちょ特訓」を続けた。休み時間のたびに呼び出されて、五分間くすぐられ続ける。最初のうちは、やっぱりすぐ降参していたけど、だんだん笑いをがまんできる時間が長くなってきた気がする。
「ゆうとくん、ちょっとはマシになったかも」
三日目の特訓のあと、千夏ちゃんがそう言ってくれた。すごくうれしかった。
でも、千夏ちゃんはすぐににやりと笑って、こうつけ加えた。
「でも、私が本気を出したら、まだまだ一瞬で降参しちゃうけどね」
たしかに、千夏ちゃんが本気を出すと、ぼくはやっぱり太刀打ちできない。千夏ちゃんの指が、自由自在に動くからだ。わきの下をこちょこちょされていると思ったら、次の瞬間にはお腹をツンツンされている。ぼくがお腹を守ろうとすると、背中に指が回っている。
「千夏ちゃんって、なんでそんなにくすぐりが上手なの?」
ある日、ぼくが聞いてみた。
すると千夏ちゃんは、ちょっと照れくさそうに笑って言った。
「内緒。でも、ゆうとくんをくすぐってるときが、いちばん楽しいんだ」
そう言われて、ぼくはなんだか顔が熱くなった。くすぐったさとは違う、なんだかむずむずするような気持ちだった。
そして、ついに金曜日がやってきた。
今日は、夜の学校に行く日だ。
ぼくは、放課後いったん家に帰って、夕ご飯を食べた。お母さんには、「友だちの家に遊びに行く」と言ってある。本当はうそをつくのは心が痛んだけど、本当のことを言ったら絶対に止められるから、仕方なかった。
夜の九時。外はもう真っ暗だ。月は雲にかくれていて、星もあんまり見えない。絶好の肝試し日和だ。
ぼくは、こっそり家を抜け出すと、自転車に乗って学校へ向かった。夜の道は静かで、風がちょっと冷たい。半袖だと肌寒いくらいだったけど、それ以上にドキドキして、寒さはあんまり感じなかった。
学校の正門は、当然ながら閉まっていた。でも、颯太先輩が教えてくれた抜け道がある。体育館の裏手にあるフェンスのすきまだ。ぼくは、自転車を門のそばに止めて、フェンスのすきまから校舎の敷地に入った。
夜の校舎は、本当に真っ暗だった。昼間はあんなに明るくてにぎやかなのに、今はまるで別の建物みたいだ。窓という窓が黒く口を開けていて、こっちを見ているみたいだった。
ぼくは、ぐっとこぶしをにぎって、校舎の裏口に向かった。裏口のドアは、なぜかいつも鍵がかかっていない。先輩たちの間では有名な話で、ここから夜の学校に忍び込むのが定番ルートらしい。
ドアノブに手をかける。冷たい鉄の感触が、手のひらに伝わってきた。
ゆっくりと回す。
カチリ。
開いた。
ぼくは、小さく息を吸って、校舎の中に足を踏み入れた。
中は、しんと静まりかえっていた。自分の足音だけが、やけに大きく響く。廊下は真っ暗で、途中にある窓から、かすかな月明かりが差し込んでいるだけだ。
まずは、階段へ行かなくちゃ。くすぐり幽霊は、階段に現れるんだ。
ぼくは、なるべく音を立てないように気をつけながら、廊下を進んだ。一階の廊下は広くて、天井が高い。昼間はなんとも思わないのに、夜になるとこんなに怖いなんて知らなかった。
職員室の近くを通りかかったとき、中からガタンと音がした。
「ひっ!?」
ぼくは、心臓が飛び出るかと思った。でも、よく考えたら、棚がきしんだだけかもしれないし、まだ先生がいるのかもしれない。そもそも、ぼくが幽霊だったとしても職員室には出たくない。だから、気のせいだ……たぶん。
ぼくは、足を速めて階段へ向かった。
そして、ついに着いた。
西側の階段。颯太先輩が幽霊に会ったという、あの階段だ。
一段目に足をかける。なんのことはない。いつもと同じ階段だ。
ぼくは、ポケットから千夏ちゃんにもらった鈴を取り出して、またポケットにしまった。お守りだ。これを鳴らせば、幽霊が逃げていくかもしれない。でも、今日はそれを使うつもりはない。ぼくは、幽霊を見つけたいんだ。
ゆっくりと、一段一段、階段をのぼっていく。
一歩のぼるたびに、颯太先輩の話を思い出す。
「白い服の女の人が、階段をのぼってきてた。長い髪で、顔はよく見えなかったけど、歌を歌いながら……」
ぼくは、自分の鼓動がどんどん速くなるのを感じた。二階に着いても、何も起こらない。幽霊は、まだ現れない。
三階へ向かう階段に足をかけたときだ。
……パタン。
下の方から、音が聞こえた。
ぼくは、びくっとして立ち止まった。心臓が、バクバクと音を立てはじめる。
気のせいかな。そう思ってもう一歩足を上げかけたとき、また聞こえた。
……パタン、パタン。
それは、足音だった。しかも、こっちに近づいてくる。
ぼくは、階段の手すりにしがみついて、下の方をのぞきこんだ。でも、真っ暗で何も見えない。
そのとき、聞こえてきたんだ。
遠くから、かすかな声が。
「♪かいだんのぼって……こちょこちょこちょ……」
女の人の声だ。すごく楽しそうで、やさしい声。
でも、その歌は、まちがいなく、颯太先輩が歌っていたあの歌だった。
足音が、歌が、だんだん大きくなってくる。
「♪いちだんのぼって……こちょこちょこちょ……」
幽霊が、階段をのぼってくる。
ぼくのところへ、まっすぐにのぼってくる。
ぼくは、金縛りにあったみたいに、その場から動けなくなった。逃げなきゃ。そう思うのに、足が言うことをきかない。
代わりに、頭の中で千夏ちゃんの声が響いた。
「ほんとに怖くなったら、すぐ帰ってくるんだよ」
でも、だめだ。もう足が動かない。必死にポケットの鈴を取り出す。
リーン、リーンとすんだ音が鳴る。一瞬、幽霊の足音が止まった。
でも、ほんの一瞬だ。また足音がひびきはじめる。
歌が、どんどん近づいてくる。
「♪に~だんのぼって……こちょこちょこちょ……」
もう、すぐそこまで来ている。
ぼくは、手すりをぎゅっとにぎりしめて、暗闇の下の方を見つめた。
階段の下の方に、ぼんやりと白いものが見えた気がした。
白い服。
長い髪。
細い指。
それが、一段一段、確実に、こっちに向かってのぼってくる。
……かいだんのぼって、こちょこちょこちょ




