第13話 護ってきたもの
僕らはケセフさんの案内で、北側の国境の壁近くに広がる森の中を歩いていた。ケセフさんのおかげで捕まることだけは避けられたが、あんな騒ぎを起こした以上、おじいさんの家に居続けることはできない。
「おい、どこまで行くつもりなんだ?」
ダンが、本日何度目かの同じ質問をケセフさんに投げた。あれから数時間も歩き続けている。足が棒になりそうだ。
おじいさんの家は国の南側に位置しているので、シェレト王国を横断した形だ。ただ、追っ手に見つからないように、あっちこっち回り道しながらだったので、北側に着くのにかなり時間がかかった。
「一体、何回同じ質問をするんですか、あなたは。……もう少しです。同じ騎士なら、ちょっとは頑張ってください?」
「なっ……なんだそのバカにしたような言い方は!」
「うるさい。見つかったらどうするつもり?」
アリヤが呆れたようにため息をついた。
「……見えてきました。あそこが目的地です」
ケセフさんが指差した先には、古びた大きな家があった。
「あんなところに、家が……」
カイさんがぽつりと呟く。
「あそこは、私の大叔父の家です。……隠れ家にはぴったりでしょう?」
近づいてみると、確かに古い家だったが、壊れているところはなく、手入れが行き届いているようだった。
「ここには、ちょくちょく来てたんですか?」
不思議に思い、僕は尋ねた。
「……入ればわかりますよ」
ケセフさんはイタズラっぽく笑い、ドアを開けた。
すると――
「「だんちょー! おかえりなさーい!!」」
三人の小さな子どもたちが、ケセフさんめがけて飛び込んできた。
「あはは、ただいま戻りました」
ケセフさんは笑いながら、走ってくる子どもたちを受け止めた。
家の中には十数人の人たちがいた。老人、女性、若者、老若男女さまざまだ。
「……ケセフさん、この人たちは?」
「ひとまず中へ。どこで誰が見ているかわかりませんから」
中に入ると、ケセフさんにテーブルの椅子へ座るよう促された。席につくと、二人の女性が僕らにお茶を入れてくれる。湯気とともに爽やかな香りがふわりと広がった。どうやらミントティーらしい。
「それで、これは一体なんなんだ?」
座るやいなや、ダンが尋ねた。ケセフさんはお茶を一口飲み、少しだけ視線を落としてから答えた。
「……ここにいる人たちは、冤罪や理不尽な理由で騎士団に捕えられた人たちです」
「そんな奴らが、どうしてこんなところに……」
「私が逃しました」
「……ど、どういうことですか?」
驚いた僕は問い返した。
ケセフさんはすぐには答えず、少しだけ息を整えるように目を閉じた。
「その前に、確認しておきたいことがあります。……あなた方はこの国の人ではありませんね? 今この国は、交易商以外の部外者は領地に入れないようになっているはずです」
僕はどうしていいかわからず、ダンとアリヤをチラッと見た。しかし、二人に答える素振りはなかった。僕も、二人に習って下を向いて黙ったままでいた。
すると、ケセフさんは軽くため息をついた。
「……大丈夫です。追求するつもりはありませんし、捕まえようにもその権力を自ら放棄したところですから」
フフッとケセフさんが自嘲するように笑った。
「では、質問を変えます。あなた方はこの国のことをどこまでご存知ですか?」
「……バカな王様が、自分の気に入らねえ奴を片っ端からぶっ殺してんだろ?」
ダンが椅子にふんぞり返り、腕を頭の後ろで組みながら言った。
「はい。……ですが、そうなってしまった“きっかけ”があるのです」
「きっかけ?」
僕が尋ねると、ケセフさんは静かに頷いた。
「元々この国は、聖エハド教会のやり方をよく思っておらず、教会や教会に賛同する他国とよく揉めていました。しかし、国民に乱暴な振る舞いをすることはありませんでした」
ケセフさんは声を落として続けた。言葉を選ぶように、指先がわずかに動く。
「変わったのは20年前。現王が17歳で即位されてからです。王は、自分に異を唱える者を次々に粛清しました。まずは、長年国を支えてきた重鎮や騎士たち。内政に干渉しようとした他国とは戦争を起こし、その隙に国内に根を張ろうとした教会も徹底的に排除しました。……そして、何もかもを排除した王は、その矛先を国民へ向け始めたのです」
ケセフさんは深く息を吐いた。肩がわずかに沈む。
「……騎士団に入ってすぐ、捕えられた多くの人が理不尽に罪を着せられ、処刑されていることに気づきました。ですが、入ったばかりの従士の私には何もできませんでした」
握った拳が、かすかに震えている。
「行動を起こせたのは、団長になってからです。……でも助けられたのはほんの一部。ほとんどの人は、助ける間もなく処刑されていきました。……逃したと言っても、それだけではこの人たちに着せられた汚名は晴らせません。……これは罪悪感から逃れるための……ただの私のエゴです」
最後の言葉は、苦笑ともため息ともつかない弱い声だった。
「……それは違います!!」
突然、声が上がった。見ると、一人の女性が立っていた。足元には、小さな男の子がしがみついている。
その親子には見覚えがあった。ケセフさんと出会ったあの日、言いがかりをつけられて連れて行かれた女性とその子どもだ。
「……あなたは危険を顧みず、私たち親子を助けてくれました。たとえそれがあなたのエゴだったとしても、もう一度息子に会えた。その事実は変わりません!」
「……この国がこんな風になってしまったのは、あなただけのせいじゃない」
女性のそばにいたおじさんが静かに言った。
「王の暴虐を恐れるあまり、声を上げることを諦め、自分たちさえ無事ならいいと、全てを見ないふりをして受け入れた……国民みんなの責任だ。……だが、気づくのが遅すぎた。もう王の暴走は、この国が破滅するまで止まらんだろう」
重い沈黙が落ちた。みんな下を向き、絶望の表情を浮かべている。
「……遅くなんかない」
気づけば、僕は立ち上がっていた。部屋の視線が一斉に集まる。
「何かを変えるのに、遅いなんてことはない。一度きりの人生なのに、死んだ顔のまま生き続けるなんて嫌だ」
わかった。僕がこの国の人たちを助けたいと思った理由が。もちろん、おじいさんのためでもある。でも、それだけじゃない。この国の人たちは、僕と同じだ。国という檻に閉じ込められ、希望もなく、ただ諦めることしかできなかった、いつかの僕と同じなんだ。
「……それに、あなたたちは一人じゃない。今、ケセフさんがみんなを護るために立ち上がった。僕らだって、おじいさんの恩に報いるために出来ることをしたいと思っている」
そうだ。この国の人たちは一人じゃない。隣に立ってくれる人がいる。……僕と違って。だからこそ、腹が立つ。
言葉を吐き出すほど、胸の奥に溜まっていたものがどんどん溢れ出して、止まらない。
「それなのに、この国に住むあなたたちがそんなことでは、僕らは何のために戦えばいいんだ!」
気づけば叫んでいた。肩で息をし、目には涙が浮かんでいた。
……悔しかった。僕と違って、変える力を持っているのに、それでも諦め続けているこの人たちを見るのが、嫌だった。
「エリオル……」
隣のアリヤが小さく呟いた。
「……君の言う通りじゃ」
長い沈黙のあと、おじいさんがゆっくりと立ち上がった。その声は大きくないのに、部屋の中心にすっと届いた。
「君は言ったな。偉大な王がいても、それを支える民がいなければ国は成り立たんと」
それは、ケセフさんと初めて会った時に僕が言った言葉だった。
「王が変われば、何かが変わるのか?……いや、違う。ワシらが変わらなければ、何も変わらん。……この国は、まだ終わっとらん。たとえ一人一人の力は弱くとも、これからを生きる子どもたちが笑って暮らせる未来のために、出来ることが必ずあるはずじゃ」
おじいさんの言葉に、周囲の人々が顔を上げる。恐れと迷いの奥に、かすかな光が宿り始めていた。
「……そうだ。戦おう!」
一人の若者が立ち上がった。声は震えていたが、確かな意志があった。
「私も、子どもたちのために戦う!」
「この国を変えるのは、俺たちだ!」
声は次第に増え、重なり、部屋の空気が熱を帯びていく。
「……そうこなくっちゃなあ!」
ダンが笑いながら立ち上がり、ケセフさんの背中をぽんっと叩いた。
「……見ろ。これがお前が護ってきたもんだ。……エゴでも何でもねえ。お前がやってきたことの意味なら、全部ここにある」
ケセフさんは、ゆっくりと顔を上げた。目を見開き、しばらく動かなかった。
そのあと、張りつめていた肩の力がふっと抜ける。長く息を吐き、ほんの少しだけ、笑った。
辺りを見渡すと、みんなが手を取り合い、笑っていた。この国で、初めて“人が笑う光景”を見た。それは、今だけのものかもしれない。それでも、この人たちの声はきっと届く。根拠なんてないけれど、なぜだかそう思えた。




