2024年5月『犀賀林業集団失踪事件』1
あたり一面に、霧が立ちこめていた。風景はおろか、周囲の確認すら難しいほどの濃霧の中で、車のヘッドライトや看板照明がなんとかそれぞれの位置を教えてくれていた。
浅井はもくもくと、ベンチに腰掛けてサンドイッチを口に押し込む。昨今のサービスエリアの食事は美味しいと聞いていたが、今口にしているものはコンビニと大して変わらない。
いや、今の浅井の状態が、味覚を鈍らせているのかもしれない。
クスクスと、子供の楽しげで密やかな笑い声が聞こえる。横笛と鼓の軽やかな音が聞こえる。獣のいななきが聞こえる。地響きが聞こえる。
聞こえないはずの、尋常ならざる音が、霧の向こう側から聞こえる。
怪異と言われる異常な物を見れるようになって2ヶ月が経とうとしていた。さすがに2ヶ月もあれば慣れてくるのだが、今日はそうも言っていられない。
尋常ならざるものの音が頭を蝕む。まるで頭蓋内にも霧が入り込むように、思考が鈍る。ふと気を抜いたら、一人全く知らない場所に連れて行かれるような、薄ら寒い不安感があった。
「まったく、50キロ制限でも運転が不安になる霧ですね」
りんと、鈴の音が聞こえたかと思うと、霧のように周りに立ちこめていた音が消えた。
声の主たる龍崎はややげんなりした顔をして、浅井の横に腰掛けた。
その手にはパンがいくつかと牛乳と、何やら長いものを持っていた。
思考が、一時停止する。なんだそれは。
「このあたりは霧が出やすいとは聞いていましたが、今日は別格です。こういう日は、私たちみたいな人間は注意を払わないといけません。『向こう側』から何が来るか分かったもんじゃありませんから」
「あの、」
「研修を兼ねてるにしても、ちょっと過酷が過ぎます。私も山の中で育った自覚はありますが、奥三河はまたさらに上です。なんというか、話が通じないモノが多いんですよね……」
「そうではなくてですね」
「? あ、もしかして運転交代ですか? それもこの霧では辞めておくのをおすすめします。名古屋とは別の運転のしにくさがありますから」
「そこも検討しなければならないのですが、私が聞きたいのはその右手の棒……棒みたいなもの?です」
「あ、こちらですか?」
ようやく分かった龍崎はパンと牛乳を横に置くと、両手でその棒のような何かを持ち上げる。その顔はおもちゃを自慢する、無邪気な子供を思わせた。
「麩菓子だそうです。90センチあるらしいですよ」
「お一人で食べきる気ですか?」
「まさか! みんなで食べる用です。食事とは別に甘いものでも食べておかないと、現場入りする前に気が滅入り切っちゃいますから。……他の方も、もう間もなくこのパーキングエリアにつくそうです」
スマートフォンを取り出して通知確認をしたあと、龍崎はいそいそと麩菓子を置いて代わりに牛乳を手に取った。
「真面目な話、少しでも気力の減退を遅らせなければなりません。今回は確実に厄介な仕事──六係の仕事であると同時に、五係全体での仕事でもあるのですから」




