犀賀林業集団失踪事件2
5月31日 9時 愛知県警本部刑事部 捜査一課
「さて、毎日のありがたい挨拶直後でもう上司の顔も見たくないであろう君たち申し訳ないのだけれど、君たち五係にS警察署からの応援要請が入った。よって、日常業務は差し止めで早急にそちらに向かって欲しい。車も押さえてあるから安心してくれ」
「何故、朝礼時に言わないのですか?」
「いや、今さっき君たちに任せるって上が決めたから……今後は気を付けるから。笑顔でいきなり間合いを詰めるのはよしてくれ」
現れるなりそう矢継ぎ早にまくしたてた古塚に対して、龍崎は窓辺に並んでいる観葉植物に水をやる手を止めるや否や目にもとまらぬ速さで詰め寄った。
さもありなん。急に日常業務はしなくていいから近距離出張と言われても、今日は月末だ。「まだ期日まであるし」と後回しにし続けた書類は待ってくれないし、決済は回し続けなければならない。係長である龍崎は、そのしわ寄せを受けに受ける立場なのだから怒って当然である。
当然ながら手は出ていない。だが、切っ先を首に突きつけているような気迫が、対象である古塚のみならずこちらにも伝わってくる。
流石の古塚もいつもの飄飄とした笑みではなく引きつった顔をして、降参と言わんばかりに軽く両手を挙げている。
「本当は捜査三課の手の空いてる人に適当に、って予定だったんだよ?」
一課が重大犯罪ならば、三課は空き巣や事務所あさりのような規模が大きい窃盗を主に扱う。わざわざ県警本部から人を出すということは、損害額が大きいか、連続性があるか、といったところだろう。
だが、受け持ちが三課から一課の、特殊犯罪捜査室に変わったということは事件の毛色が変わったということだ。
「まだ報道発表してないけど、昨日起きた集団失踪事件の行方不明者に、今朝、警察捜査員二名、消防団員一名が新たに追加された」
「まさか、」
「これは単なる失踪事件でない、現在進行形で被害が拡大している大規模な神隠し。六係でもないと対応しきれない事件だ」
龍崎の口が真一文字に結ばれる。否、デスクについていた皆が沈黙した。
「会議室を押さえてあるから、詳細はそちらで話す。込み入った話になるからね」
*****
「昨日10時頃、S市警察署に同市内の犀賀林業から『事務所が荒らされている、社宅に住んでいる従業員も連絡がつかない』と通報があった。現場に駆けつけた警察官によると、事務所内は確かに金品や備品がなくなっている様子であった」
小さいながらも防音がしっかりなされた会議室。ホワイトボードを背に、古塚はいつもの飄飄とした笑顔を引っ込めて話を進めていく。
「問題はここからだ。社宅の方にも向かったところ、社宅に住む従業員10名全員が居なくなっていた。それも、食べかけの食事や動画を流しているPC、つけっぱなしのテレビを残してだ」
生活をそのまま置き去りに、人だけが消えたような状況を想像し、背中に冷たいものが走る。
それも一人や二人ではない、全員が同様に居なくなった。これを共謀した夜逃げと考えるのは難しいものがある。
「13時、警察署の刑事課が現場を確認後、事件に巻き込まれたものとして捜索を開始。社宅はほぼ山の中にあったため、消防隊や地元の消防団にも協力を要請。県警本部にもヘリを出すように要請が入った。が、その地点で濃霧注意報が発令されていたため中止となった」
「霧ですか」
「湿潤で寒暖差のあるこの時期なら起きやすい。ごくごく普通の悪天候だ。10名全員が行方不明、なんて前提条件が無ければね」
口調こそお茶目ぶっているが、古塚の表情に変化はない。余裕がないというべきか。
その点も気になったが、浅井にはもう一つ気になる点があり、こそりと横に座る龍崎に問いかけた。
「龍崎警部補、霧と神隠しとは関係あるものなのですか?」
「あくまで経験則ですが、あります」
浅井に合わせて声をひそめながら、龍崎は小さめのメモ帳を取り出した。
「私の認識でご説明しますと、世界はこのメモ帳のようにいくつもの薄い紙が重なってできています。パソコンを使って絵を描く人に言わせると、『複数レイヤーで構成された絵』だそうです。普通は同じ紙面の物しか見えないけれど、時たま別の紙面の物も見える人がいる。例えば私、あるいは古塚課長のように」
一番上の紙に丸を書き、この下に三角をかく。同じメモ帳内には存在しているがお互いに見ることはない図形。これが通常の視界、ということだろう。
「その上で神隠しを説明すると位相のズレ……紙がズレて見えない紙面に移ってしまった状態だと思っています。霧が出ていたり、夕暮れ時だったりは紙と紙の境目が曖昧になりやすく、別の紙面に移ってしまいやすくなる」
紙の上にシャープペンシルについている小さな消しゴムを乗せて、器用に一枚だけスライドさせる。消しゴムは位置はそのままに、一枚下の紙に移動したことになる。これが世界そのもので発生すると神隠しになる、と言いたいらしい。
「重ねて言いますが、これはあくまで私の経験則に基づく説明です。専門家が蓄積した見識に則って説明するのが一番いいと思うのですが……」
「いや、龍崎君の説明はわかりやすくていいと思うよ。専門家の説明なんて消化できるできない以前に、喉につっかえて飲み込めたものじゃない」
そう龍崎に話を振られた古塚は、上辺だけの笑みを浮かべていた。薄々分かってはいたが、古塚には警察官とは別の側面があるらしい。




