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『戦うしか知らない手』

朝の空気は冷たく澄んでいた。

小屋の裏手で薪を割っていると、軋むような音が指先を伝う。

割り口から舞い上がった粉が、風にさらわれて消えていく。


 


ふと、背後から気配を感じた。

ちらと視線を向けると、ルアが無言で洗い物をしていた。


 


相変わらず、右腕をかばうような動き。

湯に手を浸けるたびに、わずかに肩が揺れている。


 


痛むのか――いや、疼いているのだろう。

あの刻印しるしが。


 


だが彼女は、何も言わなかった。

こちらも、何も言わずに斧を振り下ろした。


 


昼過ぎ、遠くから子どもたちの声が聞こえた。

笑い声ではない。悲鳴――かすれた、助けを求める声。


 


すぐに腰の短剣を取る。

ルアもそれに気づいたようで、身を翻して走り出していた。


 


「ルア、待て!」


 


制止の声は届かない。

小柄な背中が、森の外れへ消える。


 


現場に着いた時には、すべてが一瞬だった。


 


一人の少年が地面に尻餅をついている。

その前に、牙を剥いた獣――痩せた魔物の幼体。


 


そして、その間に立つ少女。


 


右腕が、かすかに光を帯びていた。

肌の下、刻まれた呪の紋様が脈打ち、空気を震わせている。


 


「ルア――!」


 


叫んだその時、風が裂けた。


 


無音の一撃。

魔物は吹き飛ばされ、地を這い、木に激突して動かなくなった。


 


沈黙。


 


呆然と立ち尽くす子ども。

駆けつけた村人たちの顔に、恐れと、そして――安堵の色が交差する。


 


「……よくやった」


 


誰かがぽつりと呟いた。


 


次の瞬間、ルアの膝が崩れた。


 


アヴェルは慌てて駆け寄り、その体を抱き留める。


 


「おい、ルア……!」


 


応えはない。

意識を手放した顔は、安らかというより、限界の中でぎりぎり保たれていたようだった。


 


夕暮れ、村へ戻る坂道。

アヴェルはルアを背負いながら、重さのない背中の温度を感じていた。


 


その小さな体に、どれほどの力が詰め込まれていたのか。

それを、今ようやく知った気がする。


 


「……戦うしか、知らなかっただけだ」


 


呟いた声が、風に消えた。


 


「それでも、守るために立ったか。……なら、いい判断だ」


 


言葉に出したところで、眠る彼女に届くはずもない。


 


それでも。

その手が、無意識にこちらの服の裾を掴んでいたのが、妙に印象に残った。


 


小屋へ戻る前に、村の有志たちが待っていた。

年配の男が一歩前に出て、真っ直ぐこちらを見つめる。


 


「……あの子の腕の印。呪いだってことは、誰でもわかる」


 


一瞬、警戒しかけたその時。


 


「けど……今日、見せてもらった。命を守るために立った。――それで十分だ」


 


他の者たちも、静かに頷いている。


 


「口外はしない。あんたたちがここで穏やかに過ごせるなら、それでいい」


 


アヴェルは、短く息を吐いた。


 


「……助かる」


 


それ以上、余計な言葉は要らなかった。


 


夜。


 


焚き火に薪をくべ、静かな炎を見つめながら、ルアの袖に目をやる。

ほつれはもう限界。

縫い直してどうにかなる状態ではなかった。


 


「……明日は街に出よう」


 


誰に言うでもなく、ただ独り言のようにそう呟く。


 


“壊す”ためではなく、

“生きる”ために手を使うなら――まずはその準備からだ。


 


炎が、静かにぱちりと音を立てた。

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