エピローグ ~美馬の大切な場所
◇
「おかえり美馬姉ぇ」
「ただいまトウタ」
座敷ワラシのトウタは、縁側に浅く腰かけていた。
手にはソーダ味の棒アイス。両足をぷらぷらと動かしながら美味しそうにかじっている。
あたしも横に腰かける。
「ふえぇ、疲れた」
白子の家から帰ってきたばかりで、身体が火照っている。それは甘い二人だけの時間を過ごしたから……ではなく、自転車で坂道を上ってきたからに他ならない。下の集落からおよそ二キロ。ひたすら上り坂を自転車でこぎ続けるのは辛い。
両脚の筋肉がパンパンだ。休日だというのに陸上の自主練メニューをこなしてしまった。
「で、どうだった?」
「『豆すっとぎ』、喜んでくれたよ! トウタのおかげ」
「よかったねー」
「うん、ありがとねトウタ」
感謝をのべつつ、トウタの手を優しくつかむ。そして、おもむろに手にもったアイスをぱくり。
「あぁ!? もーっ! 冷凍庫にあるから自分の食べてよ!」
「いいじゃんひとくちぐらい」
「ひとくちが大きい!」
「えへへ」
怒るトウタも可愛い。縁側で二人でじゃれあっていると軽トラがのんびりと家の前の小道を上ってきた。
運転手はおばあちゃん。あたしたちのほうを見て微笑むと、会釈をして通りすぎていった。今のは隣の家で独り暮らしをしているおばあちゃんだ。もちろん、トウタのことも見えている。座敷ワラシだとは思わず、私の弟だと思っている。
「はぁ、涼しくなった」
「僕は暑くなった!」
二人で一息ついて、庭先をぼんやりと眺める。
視点を転じると、新緑に彩られた山並みは夕焼け色に染まりつつあった。
日没も遅くなるこの時期が好き。これから訪れる初夏を予感させるから。
美味しそうな香りがふわりと流れてくる。
お母さんが夕飯の支度をしている。そろそろ手伝いにいったほうが良いかもしれない。
「結界の綻びは、結局……あの子が原因だった」
あたしは、ぽつりとつぶやいた。
附馬牛の幻界は、ここ一ヶ月ほど乱れていた。結界が一部で綻び、野良の怪異が好き勝手に入り込んできた。新しく生まれた怪異もあれば、大昔から存在する怨霊じみたやっかいなヤツまで。
モモノケたちは穢れを怖がり、逃げ隠れた。あたしの幻界にさざ波がたった。
それは凪いだ水面に石を投げ込むことで、波紋が広がり渦を巻くように。
原因はわかっていた。
白子。
彼女が転校してきたことが引き金だった。けれどあたしは、偶然にも同じ気配を知っていた。
子供の頃、小学生だった頃に遊びに来た白子と出会ったことがあったから。
いまにして思えば、彼女のお祖母ちゃんも結界を司る血筋だったのだろう。
だから白子は力を持っていた。けれど本人はそれに気づかぬまま、悩み苦しんでいた。
「まるで迷い込んだ祟り神だ」
トウタが溶けかかった氷菓をかじった。
「そんな風に言わないで。あの子は、白子はもうあたしの友達。大切な仲間なの」
「美馬がそこまで言うなんて、珍しいね」
これからはあたしが護る。この土地のものを食べ、水を飲み、空気を吸い。あたしという結界と触れあえば自然と乱れは落ち着いてゆく。
「トウタは気づいてたの? 白子のこと」
「うーん……。白い雷雲のような気配が、隣の集落に来たことは感じてたよ。かなりの霊力だもの」
白子のもつ素質。あれはお蚕様、農業と豊穣の神、オシラサマに近いものだ。生まれながらにして神威のようなものを身に宿している。
「美味しそうだからね、白子は。怪異もほうっておかないよ」
「美馬姉ぇがいる限りは、大丈夫だろうけどさ」
そう、好き勝手にはさせない。
「あたしはここにいるよ。ずっと」
「どうかな。高校は地元でいいだろうけど、大学の進学は? 東京の大学とか、行きたくなるかもしれないじゃん」
「進路って……トウタ」
座敷ワラシのくせになんたるリアリスト。
考えないようにしていたのに。進路か……。確かに来年は受験で、再来年は高校生だ。
いまのところ、ぜんぜん考えが至らない。
あたしは当面ここを離れるつもりはない。トウタやお母さんお父さんとも離れたくないし。
「最後に白子ちゃんだけ置いてけぼり……とか、困るからね」
「うん、それはない」
白子は怪異を呼び寄せる。そういう体質、霊験があるのだ。
強い力は時に周囲にも影響を及ぼす。いわゆる「障り」と言い換えてもいい。他人に悪意のあるなしに拘らず。
白子を快く思わなかったクラスメイトが体調を崩したように。
白子と友達になったあたしを、繭の結界に取り込んでしまったように。
それらはすべて「障り」なのだ。
白子はそんな自らの力に苦しめられてきた。だから結界の内側に閉じ籠った時期があった。
内向きの繭に隠れることで外界と隔絶する。まるで天の岩戸を閉ざした天照さまのように。
けれど、これからはそうはさせない。繭はいつか破らなきゃいけない。外を自由に飛び回るために。
「何かあったら、あたしが解決する」
やっぱり学校は楽しくて、みんなで笑って過ごせる場所じゃないと。
白子も、他のみんなも。
「悪くないね。地元への帰属意識、責任感ってやつが芽生えた感じ?」
「そんな大層なものじゃないよ。……たぶん。ふつうに、楽しく暮らしたいだけ」
「うんうん、ぼくも同じ意見。居心地の良い家でしばらくはお世話になりたいし」
「そうだよね。トウタもいろいろ教えてね」
「いいよー。なんにせよ美馬に積極的な意識、認識が芽生えたのは喜ばしいことだよ」
トウタはよっこらしょと縁側に立ち上がった。
「もー、何よ偉そうに」
「人の子の成長は早いものだね」
トウタが一瞬、遥か遠い目をした気がした。
意外と知られていないけれど、座敷ワラシは妖怪やモノノケとはちがう。家に住まう神様、幸福をもたらす守り神と云われている。
見た目は変わらず子供のまま、何世代にも亘って家に住み着いてくれる。そういう家は栄え楽しい場所となる。逆に座敷ワラシがいなくなると家は傾く、とも云われている。
「なんだかお腹空いたね」
「今夜のご飯はなにかなー」
煮物の匂いがたまらなく強くなってきた。トウタとあたしのお腹が同時に鳴った。思わず顔を見合わせて笑う。あたしもお腹がぺこぺこだ。
白子もそろそろ夕飯だろうか。
こらから何があろうとも、あたしがいる。
だから大丈夫だよ、白子。
何があっても守る。
現世と幻界の交わる地、遠野郷。ここがあたしの居場所なのだから。
<おしまい>
【作者より】
不思議な「縁」により惹き寄せられた美馬と白子。二人の出会いが、互いの運命を変えることになりました。
幻界と交わる遠野郷を舞台に、二人が「怪異にまつわる探偵」めいた活躍をするのは、高校生になってからのこと……。
そのお話は、またの機会に。
※次々期の新連載を予定しております。
【あとがき】
ここまでお読みいただき大変感謝です。
本作では現代の異界w 遠野郷の片隅を舞台に、二人の不思議な少女の出会いを描きました。
作者は近隣の町の在住なのでよく遠野へは足を運びます。風光明媚な古き良き田舎、伝承が色濃く残る雰囲気を味わいたければ、これほど楽しい場所はないと思っています。
本作では故、柳田国男先生の偉大なる著作、『遠野物語』をリスペクトしモチーフにさせていただきました。
実在する地名、伝承、氏神、古き神々、さまざまなワードをちりばめておりますが、あくまでも「フィクション」です。
もし『遠野物語』を手にする機会がございましたら、美馬や白子の暮らしていた地名、トウタの存在する理由を目にするかと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
では、また!