6 聖なる血筋
「早駆けして参ります故、確り馬具にお掴まりください」
「うん」
アーロンは、少しでも危険を回避するため、馬の脚を早めていた。
普段、並足程度の馬術しか経験のないウルスは、振り落とされそうになるのを、必死で耐えた。力を籠めすぎていたのか、安全と思われるところまで来てアーロンが速度を落とすと、自分でも笑うほどウルスの腕は震えていた。
「大丈夫でございますか?」
気遣うアーロンに、ウルスは「うん」とだけ応え、漸く落ち着いて馬上から周囲の風景を見た。河一つ挟んだだけで、驚くほど中原とは異なっている。
ほとんど草木が生えておらず、礫雑じりの荒れ地が続く。極端に土地が痩せているようだ。
黙って景色ばかり眺めているウルスに、アーロンが自嘲気味に尋ねた。
「殺風景でございましょう?」
ウルスは慌てて首を振った。
「いや、ある意味すっきりしてるなと思って。ここなら、争いも少ないのじゃないかな?」
アーロンは苦笑した。
「確かに。争うほどの財もござりませぬ故、仲間内は平和でございます。ただ、北方に対しては」
アーロンの表情に緊張が漲り、重々しく付け加えた。
「常に警戒を怠らぬようにしております」
「でも、白魔はもう何百年も襲って来ていないよね」
アーロンは慌てて、魔除けの仕草をした。
「幸いにも、でございます。この幸運が、いつまでも続くことを祈るばかりです」
アーロンの態度から、ウルスは自分が辺境での禁忌に触れてしまったことに気づいた。
「ごめんね、余計なことを言って」
「いえいえ、お気になさらずに」
アーロンは雰囲気を変えるように、「喉が渇かれたでしょう。酪でも飲まれませんか?」と、革袋に入った飲み物を勧めた。
ウルスも素直に「ありがとう」と受け取り、一口飲んだ。甘酸っぱい味なのだが、初めて飲むウルスには酸っぱ過ぎた。
思わず顔を顰めたウルスを見て、アーロンも親しみが増したらしく、声を上げて笑った。
「さあ、わがクルム城まで、もう間もなくでございますよ」
「本当にありがとう。でも、迷惑じゃないの? 元々辺境伯って、中原の争いには不干渉の方針を貫いて来たわけだし」
アーロンはキッパリと首を振った。
「固よりわが辺境伯の称号は、古代バロード聖王家より賜ったもの。そのお血筋をお護りするのは、むしろ、名誉でございます」
「血筋と言っても、千年前に実質的に聖王家が滅んだ後、お祖父さまの代まで、細々と魔道の都エイサの片隅に暮らしていただけだよ。父上が新バロード王国を建国しなければ、ぼくだって今頃は魔道師見習いぐらいだ」
「しかし、お父上のカルス王は、千年の戦乱を終わらせるとの誓願を立て、そのために国をお創りになったのです。それがしは、密かに尊敬しておりました」
ウルスは、また哀しみが湧きあがり、目を潤ませた。
「あっ、あれは!」
突然、アーロンが叫んだため、思い出に沈みかけていたウルスは、ハッとして前方を見やった。
クルム城があると思われる辺りから、もくもくと黒煙が上がっていた。微かに赤い炎も見える。
「すみませぬ、また早駆けいたします!」
そう言うや否や、アーロンはピシリと馬に鞭を当てた。
ウルスは黙って馬具を握りしめた。
近づくにつれ、クルム城が攻撃されたことは間違いないようだった。それも、壊滅的な打撃を受けたようだ。
「いったい、何者が!」
歯を食いしばるアーロンに、ウルスは声を掛けることもできなかった。
が、心のなかでは、少なくとも敵はドゥルブではなく人間だろうと推測した。ドゥルブなら、炎が上がるはずがないからだ。
その推測を裏付けるように、クルム城に立てられた旗幟が見えた。それは黒龍に炎をあしらった、ガルマニア帝国のものだった。
「ガルマニアが、何故ここまで」
不審と後悔が綯い交ぜになった表情で城を見つめていたアーロンの顔が、驚愕に引き歪んだ。
城の楼台の上に、何か丸いものを突き刺した槍が立てられたのだ。
それは、城主であるソロンの首級であった。
それがわかった瞬間、アーロンは絶叫していた。
「父上えええええーっ!」