プロローグ
千年もの間続いた戦乱の中にあって、魔道都市エイサは中立を保ち続けていた。
エイサは別名を塔の都と呼ばれるように多数の塔を擁し、しかも、各塔が空中回廊によって複雑に繋げられ、全体が巨大な迷宮のようになっている。
夜も更けた頃、その中にあっても一際高い占星の塔に、年老いた魔道師が登っていた。
若い魔道師たちから老師と慕われるケロニウスであった。灰色の瞳に計り知れない叡智を湛えている。
石段を一歩ずつ昇りながら、ケロニウスは独り言ちた。
「さすがに疲れるわい」
因みに、今からケロニウスが行おうとしている観星の儀の際には、魔道による瞬間移動、即ち跳躍をすることは禁じられているのである。
ようよう塔の最上階にある占星の間に辿り着いた時には、さすがに息が上がっていた。
「ふう。これは早う若い者に役目を譲らねば、身が持たん。ふむ、今日は満月じゃで、星の光も霞んでおるな」
懐から遠眼鏡を取り出し、星の観察を始めたが、すぐに、「ん? あれは何じゃ」と呟いた。
天の一角に眩く光る点が現れ、物凄い速さで西の方に飛んで行ったのである。
「むう。流星にしては大き過ぎるのう」
ケロニウスは、ハッと息を呑んだ。
「もしや、凶星では」
古文書で調べようと思いつき、後ろを振り返った時に、ケロニウスはエイサの東側にある村落から火の手が上がっているのに気づいた。
同時に、非常事態を知らせる鐘の音が鳴り響いた。微かに鬨の声も聞こえて来る。
「いかん。ついに来たか、ガルマニア帝国の野人どもめ。千年続いた、この魔道の都も潰える日を迎えることになるのか。こうしてはおれん」
ケロニウスは自分の居室にリープした。
奥の隠し扉を開けて、中の宝物庫からあるものを取り出すと、間髪を入れずに地下の石牢にリープする。
人の気配に気づいた囚人が立ち上がり、鉄格子の近くまで歩み寄った。
まだ若い。二十代のようだ。黒に近い焦げ茶色の髪に同じ色の瞳だから、南方の出身と思われる。どこかお道化たような、愛嬌のある顔をしていた。
だが今は、動揺を露わにして、ケロニウスに問い質した。
「おい! どうなってる! 鐘がジャンジャン鳴ってるし、気のせいかキナ臭いにおいがするぞ。火事じゃねえのか?」
ケロニウスは相手の顔を確かめると、頭を振った。
「火事なら良かったんじゃが、生憎、戦じゃ。ゲール皇帝の軍が攻めて来おった」
「ガルマニア帝国か。そいつはヤバイぜ。あいつらは、血も涙もねえ。じいさん、おいらをここから出してくれ。こんな牢屋で蒸し焼きにされるのは御免だ!」
「わしもそのつもりで来た。おまえのコソ泥の罪も許そう。じゃが、ここから逃がすには条件がある」
「早くしてくれ。もう焦げ臭くなってきたぞ!」
「あるものを預かって、辺境伯のソロンさまに届けて欲しいのじゃ」
「な、何だよ?」
「これじゃ」
ケロニウスは懐から短剣のようなものを取り出した。黄金と宝石で見事に装飾されている。それだけでなく、言い難い威厳のようなオーラがあった。
「アルゴドラスの聖剣という。古代バロード聖王国の秘宝じゃ」
コソ泥がゴクリと唾を飲んだ。
「ずいぶん、高価そうだな。いいのか、こんなものをおいらなんかに渡して。そのまま逃げるかもしれねえぞ」
「そのようなことをすれば、必ずや天罰が下り、おまえの命にかかわる。それより、無事にソロンさまに渡すことができれば、褒美は望みのままじゃ。場合によっては、騎士に取り立てられ、城と領地を持てるかもしれんぞ」
「ほ、本当かよ」
「引き受けてくれるか?」
コソ泥は迷っているようだ。
「ええと、引き受けたとして、どうやって逃げたらいいんだ?」
「それはわしに任せてくれ。魔道を使う」
「そうか、そうだよな」
納得しかけたが、ふと、当然の疑問を口にした。
「魔道が使えるなら、あんた自身が逃げたらいいんじゃないか?」
相手の煮え切らない態度に少し苛立ちながら、ケロニウスは答えた。
「わしらには厳しい掟があるんじゃ。ええい、引き受けるのか、引き受けないのか、どっちじゃ?」
コソ泥は再びゴクリと唾を飲んだ。
「わ、わかった。引き受けるよ」
「ありがたい。念のため、名を聞こう」
「ああ、おいら、ロックさ。カリオテのロックだよ」