九話 コンビニ
「……本当に、入ってイイのか?」
自動ドアの前で、レツちゃんはまるで異界のダンジョンにでも挑むかのような神妙な面持ちで立ちすくんでいた。
黒マスクを鼻の上まで引っ張り上げ、アウターの裾をぎゅっと握りしめている。
店内から溢れ出る明るい蛍光灯の光が、彼の桃色に染まったツインテールの毛先を柔らかく照らしていた。
「いいよ、別に誰も取って食べたりしないから」
「チガウ! ニンゲンの店……独特の波長ガ……」
「いいから入るよー」
「わっ! 引っ張るナ……ッ!」
渋るレツちゃんの細い手首を軽く掴み、自動ドアをくぐる。
『ピロリロリーン』という無機質な来店音が響くと、レツちゃんは「ひゃっ」と情けない声を上げて俺の背中に隠れた。
……可愛い。なんだこの生き物。
店内には幸い、買い物客が数人いる程度だ。
俺はレツちゃんを引き連れてベーカリーコーナーへと向かった。棚には焼き立ての惣菜パンや、カラフルな袋に入った甘いパンがズラリと並んでいる。
「何食べたい? なんでも買ってあげるよ」
「ほ、ホントウカ……?」
「うん。威嚇してくれたお礼」
「ナンダソレ……」
レツちゃんは不満そうにぶつぶつ呟きながらも、目を輝かせて棚を凝視し始めた。
小さく背のびをして、真剣な眼差しでパンを吟味している。
迷いに迷った末、彼が小さな手でそっと伸ばしたのは、溢れんばかりのクリームが挟まった大きなホイップコッペパンだった。
「これにする?」
「……うん。これが一番……強そうダカラ」
「強そうなんだ」
選ぶ基準まで独特で愛おしい。
俺は自分の分の焼きそばパンと一緒に会計を済ませ、ビニール袋を抱えて店を出た。
夜の公園。街灯の下にあるベンチに、俺たちは並んで腰掛けた。
夜風が少し冷たいが、隣に座るレツちゃんの存在感だけで体温が上がる気がする。
「はい、レツのパン」
「う……ありがトウ」
袋を受け取ったレツちゃんは、じーっとコッペパンを見つめた。
そして、周囲をキョロキョロと見回してから、意を決したように黒マスクを顎の下まで引き下げる。
街灯の淡い光の中に露わになる、白い肌、八重歯、そして左右に大きく裂けた口元。
何度見ても、吸い寄せられるほど綺麗な顔立ちだ。
「いただきまス……」
レツちゃんは両手でパンを包み込み、口をあーんと開けた。
その瞬間——ガブッ! という豪快な音が響く。
「……!?」
俺は思わず目を丸くした。
大人の男でも三〜四口はかかる大きさのコッペパンが、たった一口で半分近く消え去っていたのだ。
パンの端から端までが一瞬でレツちゃんの口内に吸い込まれていく。モグモグと頬を大きく膨らませる姿は、まるで木の実を限界まで詰め込んだリスのようだ。
「……?」
俺の視線に気づいたレツちゃんが、溢れんばかりのクリームを口の端につけたまま固まった。
モグモグという咀嚼音がピタリと止まる。
「あ……」
ごっくん、と必死に飲み込んだレツちゃんの顔から、一気に血の気が引いていった。
みるみるうちに目元に涙が浮かび、真っ赤な顔で両手で口元を覆い隠す。
「み、見るナ……ッ!」
「え?」
「食べてるところ……あんま見るナ……」
アウターのフードを深々と被り直し、レツちゃんは小さく丸まってしまった。膝に顔を埋め、プルプルと肩を震わせている。
「……キモイだろ」
ぽつりと、フードの奥から絞り出すような小さな声が聞こえた。
「……え?」
「口……大きいカラ。ニンゲンみたいにキレイに食べられナイ……。一口でこんなに減っちゃうし……クリームだって、ベタベタつくし……っ」
レツちゃんの声には、隠しきれない強いコンプレックスが滲んでいた。
俺は胸の奥がキュッと締め付けられるのを感じた。
「レツ」
名前を呼ぶと、フードの隙間から涙目の瞳がちらりと俺を見た。
「あのさ」
「……なんだよ。バカにする気か」
「ううん。すげー羨ましいなって思って」
「……ハ?」
レツちゃんがパチクリと目を瞬かせる。
「俺、中学の時サッカー部でゴールキーパーやってたからさ、めちゃくちゃメシ食べるんだよ。でも、口が小さいから食べるの遅くて。だからさ……そんなに一度にたくさん美味しそうにご飯食べられるの、本気で羨ましいよ」
「な……っ!?」
「それに、一生懸命大きな口開けてパン食べてるレツ、めちゃくちゃ幸せそうだった。すごく可愛い」
「カ、カワイ……ッ!?」
レツちゃんは驚きに目を見開き、固まった。
俺はポケットからティッシュを取り出すと、レツちゃんの頬をそっと優しく包み込んだ。
「口の端、クリームついてる」
「あ……っ」
指先でティッシュを当て、丁寧に拭き取ってあげる。
至近距離で目が合う。レツちゃんの顔が、耳の先どころか首筋まで一瞬で真っ赤に染め上がっていくのが分かった。
「ほんと、最高の顔面だな……」
「な、ナニ言っテ……ッ!!」
レツちゃんは俺の手をポコンと叩いて振り払うと、残りのパンを両手で抱えて、今度は背中を向けてしまった。
でも、フードからはみ出た耳は真っ赤なままだし、背中からはどこか嬉しそうな雰囲気が漏れ出している。
「……ホントウに、ヘンじゃナイ?」
「全然。むしろ世界一可愛い食べ方だった」
「……バカ」
照れ隠しの暴言を吐きながらも、レツちゃんは残りのパンを大事そうに、今度は少しずつ噛み締め始めた。




