五話 べっこう飴
昨日のポマード事件は、俺の人生における最大級のプレミだったと言わざるを得ない。
まさかカッコつけようとして放った矢が、レツちゃんの最大の弱点である特効兵器だったとは。ハンカチを貸してくれたとはいえ、大好きな子に悲鳴を上げさせ、涙目にさせてしまった罪悪感は、俺の胸をチクチクと刺し続けていた。
「よし……今日こそは昨日の誠意あるお詫びと、汚名返上を果たすんだ」
俺はキッチンで、目の前に並んだ巨大なタッパーを前に固い決意を固めていた。
お詫びといえば、やっぱり美味しいお菓子だろう。女の子――いや、可愛すぎる男の娘の胃袋を掴むのは恋の常識だ。
だが、ここで一つ大きな問題があった。
俺は今まで、まともにお菓子作りなどしたことがない。クッキーの生地の黄金比も知らなければ、チョコレートの湯煎のやり方すらわからない。
そんな料理初心者の俺が、昨日の今日でパッと作れる最高のお菓子……。思考を巡らせた結果、俺の脳裏に電撃のように閃いたのは、中学二年の理科の実験だった。
『はい、みなさん。砂糖と水を熱して、きつね色になったら冷やす。これがべっこう飴です』
あれだ。
砂糖と水。加熱して冷ますだけ。シンプルにして完璧。理科の知識で作れる最高のアメニティ!
失敗のしようがない完璧なプランに、俺は思わず一人で頷いた。
レツちゃんに心から喜んでもらうため、俺は実家の砂糖をまるまる一袋使い切り、鍋いっぱいのべっこう飴を大量生産した。クッキングシートの上で冷やし固められた黄金色の結晶たちは、まるで宝石のように輝いている。
「完璧だ……! これならレツちゃんも笑顔になってくれるはず!」
俺はタッパーから溢れんばかりの手作りべっこう飴を詰め込み、重たいカバンを抱えて夕暮れの街へと飛び出した。
***
「ふ、ふふふ……来たな、水没男」
夕闇が街を包み込む頃。いつもの路地裏に到着すると、塀の陰からぬっとレツちゃんが姿を現した。
黒マスクの上からでもわかるドヤ顔。今日はポマードの匂いがしないか、遠くからクンクンと慎重に鼻をヒクつかせている。
「やあレツちゃん! 今日も世界一可愛いね。昨日は頭濡らして心配かけちゃってごめんね」
「し、心配してないッ! 風邪で死なれたら困ルから、ハンカチを貸しただケ……ッ!」
相変わらず照れ隠しの威嚇が可愛すぎる。ツインテールをフリフリと揺らす姿は、まさに極上の癒やしだ。
「ハンカチ、綺麗に洗ってアイロンかけてきたよ。はい、ありがとう」
「……ん」
レツちゃんはそっと差し出されたハンカチを受け取ると、受け取った手のまま胸元にキュッと抱え込んだ。
「今日はね、昨日の本気のお詫びと、日頃の愛を込めてプレゼントを持ってきたんだ」
「プ、プレゼント……?」
レツちゃんが大きな目を瞬かせる。
人間から「プレゼント」なんて貰ったことがないのだろう。驚きと、ほんの少しの好奇心が入り混じった瞳で、俺の手元を凝視してきた。
「じゃーん! 手作りのお菓子だよ! レツちゃんのためにたくさん作ってきたんだ!」
俺は満面の笑みで、カバンからずっしりと重い特大タッパーを取り出し、パカッと蓋を開けてレツちゃんの目の前に突き出した。
夕日に照らされ、黄金色に輝く大量の平べったい固形物。
香ばしい甘い香りが、フワリと路地裏に広がる。
「これ、べっこう飴っていうんだ! お菓子作ったことなかったんだけど、中学の理科の授業を思い出しながら頑張って作ってみたんだよね! ほら、食べてみて!」
俺は最高のおもてなしをした達成感で胸を張った。
……しかし。
「――――――――ッ!?」
レツちゃんの反応は、俺の予想とは180度異なるものだった。
蓋を開けた瞬間、レツちゃんは弾かれたように跳びのくと、昨日のポマード以上の恐怖に満ちた顔でガタガタと震え出したのだ。
顔面蒼白。白磁のような肌から完全に血の気が引き、大きく開かれた瞳がタッパーの中身を絶望的な眼差しで見つめている。
「な、ナニ……コレ……ッ。ナニを……持ってきたんだ、オマエ……ッ!!」
「え? べっこう飴だけど……」
「イヤーーーーーッッ!! べっこう飴、キライ!! 近づけるなァァッ!!」
レツちゃんは両手で頭を抱え、必死に後ずさった。
「ええっ!? なんで!? 甘くて美味しいよ! 砂糖焦がして作ったんだよ!?」
「べっこう飴、ダメ、イヤーーーッ!!」
「ちょっと待って、なんでそんなに嫌がるの!?」
パニックになるレツちゃんに慌てて一歩踏み出すと、レツちゃんは「ひぃっ!?」と悲鳴を上げて壁に背中を激突させた。
「クルナ! それ以上近づいたら、本気で怒るぞ……ッ! 泣くぞ……ッ!!」
「泣かないで!? 理由を教えてよ、なんでべっこう飴がそんなに嫌なの!?」
俺がタッパーを抱えたまま困惑していると、レツちゃんは壁にペタリと張り付いたまま、涙目で必死に叫んだ。
「お、おかあさん、言ってタ! 口裂け女にべっこう飴を投げつけると、飴に夢中になってる間に逃げられるって……! べっこう飴、ボクたちを惑わす呪いの道具ッ!!」
「あ……」
俺は雷に打たれたような衝撃を受けた。
知っている。知っているぞ、その都市伝説!
『口裂け女に出会った時、「ポマード」と三回唱えるか、「べっこう飴」を投げつけると逃げることができる』
――!!
昨日ポマードで撃沈したばかりだというのに、俺は今日も今日とて、口裂け女の二大弱点のうちのもう一つ――『べっこう飴』を自手で作って持参してしまったのだ。しかもタッパーいっぱいの大量特効兵器として!
俺、バカなの……? 口裂け女の攻略本でも見ながらプレゼント選んでるの……??
自分のあまりの無知と引きの悪さに、目眩がしてきた。
「ご、ごめんレツちゃん! 呪いとかじゃなくて! 追い払うためじゃなくて! 本当に純粋なお菓子として作ってきたんだよ!」
「ウソだ! オマエ、ボクをべっこう飴で足止めして、警察に売り渡す気だロ……ッ!」
「売らないよ!! 警察どころか俺の部屋に持ち帰りたいくらい好きだよ!!」
「ソレはソレでコワイ!!」
レツちゃんは必死に鼻をすすりながら、タッパーに入った黄金色のべっこう飴を恐る恐る見つめた。
「ホントに……ボクを退治するためじゃ……ないのか……?」
「絶対に違う! 誓ってもいい! ほら、俺が先に食べるから見てて!」
俺はタッパーから大きめのべっこう飴を一塊摘み上げると、口の中に放り込んで豪快に噛み砕いた。
カリッ、と香ばしい甘みが口いっぱいに広がる。
「ほら、ただの甘くて美味しい飴だよ。毒も呪いも入ってない。ただの砂糖の塊だよ」
「……ホントに、食べてる」
レツちゃんは固唾を呑んで、俺が飴を咀嚼する様子を見つめていた。
毒見を完了した俺を見て、少しずつ緊張が解けていくのがわかる。
「レツちゃんも、一口食べてみる……? 美味しいよ?」
俺がそうっとタッパーを差し出すと、レツちゃんはジリジリと一歩歩み寄ってきた。
そして、小さな細い指で、一番小さなべっこう飴の欠片をチョンと摘み上げた。
黒マスクを顎まで下ろし、大きめに裂けた口元を露わにする。
八重歯の覗く可愛らしい口を開け、恐る恐るべっこう飴を口の中へと運んだ。
コロコロと、口の中で飴を転がすレツちゃん。
一秒、二秒、三秒――。
不意に、レツちゃんの大きな目が輝いた。
「……あ」
「どう……?」
「……あまい」
白磁の頬がほのかに桃色に染まる。
裂けた口の端が柔らかく緩み、八重歯を見せてキュッと上がった。
「……すごく、あまい。オイシイ……」
「本当!? 良かったぁぁぁぁ!!」
俺は心底安堵して、その場に崩れ落ちそうになった。
良かった。弱点兵器扱いされてそのまま嫌われるかと思ったが、味覚的には合格だったらしい。
一口食べた途端、急に我に返ったレツちゃんは、慌ててマスクを引き上げてプイッと横を向いた。
しかし、口の中ではモグモグと幸せそうに飴を転がしているのが丸わかりだ。ツインテールが嬉しそうにゆらゆらと揺れている。
「素直じゃないなぁ。まだまだたくさんあるから、全部持って帰ってよ」
「い、いらない! こんなにたくさん、食べきれなイ」
「じゃあ、毎日ちょっとずつ渡すよ。レツちゃんに会う口実ができるし」
「なっ……! オマエ、計算高イ……ッ!」
レツちゃんは真っ赤な顔で俺を指さした。
だが、その目はもう恐怖に揺れてはいなかった。
「……き、キョウはこれで許してヤル! 明日は……明日は絶対、オマエを恐怖で泣かせてやるからナッ!」
「うん、楽しみにしてる。あ、飴喉に詰まらせないでね」
「詰まらせない!!」
レツちゃんは捨て台詞を残すと、パタパタと走って路地裏の角を曲がり、霧のように消えていった。
静かになった路地裏で、俺はタッパーの蓋を閉めた。
弱点を二日連続で直撃するという大愚行を犯してしまったが、最後にあの飛び切りの笑顔と「オイシイ」が聞けたのだから、今日のところは大成功と言っていいだろう。
「次は、弱点じゃない普通のお菓子……クッキーでも練習してみようかな」
夕暮れの風を受けながら、俺は幸せな余韻に浸りつつ、軽い足取りで家路についた。
レツちゃんを口説き落とすまでの道のりはまだまだ遠そうだが、一歩ずつ、確実に距離は縮まっている――そう確信した放課後だった。




