十三話 メリー先輩
「あなたがレツちゃんね。テケテケから話は聞いているわ」
静まり返った夜の公園。街灯の光がわずかに届くブランコの前に立っていたのは、フリルたっぷりのクラシカルなドレスに身を包んだ、金髪縦ロールの麗しい少女――都市伝説界の超有名人『メリーさん』だった。
片手には可愛らしいアンティーク調の赤電話を携え、洗練されたお嬢様のようなオーラを漂わせている。
「初めましテ、メリー先輩! ボク、立派な都市伝説になりたいんでス!」
「ええ、意気込みは素晴らしいわ。怪異の未来は明るいわね。……ところで」
メリー先輩はスッと目を細め、レツのすぐ隣に当然のような顔で佇んでいる俺へと視線を向けた。
「なんでターゲットである人間が当たり前のように横にいるのかしら?」
「あ、どうも。吉田です。レツちゃんの付き添いでお邪魔してます」
「ツキソイ……? 怪異の特訓に人間の付き添い……?」
メリー先輩は頭を抱えそうになるのをぐっと堪え、ゴホンと綺麗に咳払いをした。
「……まあいいわ。ターゲットが目の前にいるなら、実践形式で試せるというものね。いいかしらレツちゃん、怪異としての基礎をイチから叩き込んであげるわ!」
「ハイッ! よろしくお願いしまス!」
目をキラキラと輝かせるレツちゃん。その姿があまりにも健気で愛おしく、俺は隣で静かに悶絶していた。
「特訓その一! 出現場所は絞るべし!」
メリー先輩は人差し指をビシッと立て、威厳たっぷりに宣言した。
「怪異にとって、シチュエーションは命よ。人間が最も恐怖を感じる場所に現れてこそ、真価が発揮されるの。たとえば——『夜の学校』なんてどうかしら?」
「夜の学校……?」
「そうよ。誰もいない静まり返った校舎、暗い廊下、怪しく揺れる影……完璧な舞台だわ!」
メリー先輩の提案に、レツちゃんはあからさまに引きつった顔をした。ツインテールを不安そうに揺らし、即座に首を激しく横に振る。
「……怖いからイヤ」
「あなたが怖がってどうするのよ!?」
メリー先輩の鋭いツッコミが夜の公園に響き渡る。
「じゃあ……『誰もいない深夜の病院』は?」
「暗いし、変な音するからイヤ」
「『誰も通らない不気味なトンネル』は!?」
「湿気で髪がボサボサになるからイヤ!」
「ワガママすぎないかしらこの子!?」
ことごとく却下され、メリー先輩は早くも額に青筋を立て始めた。怪異だって恐怖心や好みがあるのだから仕方がない。
見かねた俺は、助け舟を出すように手を挙げた。
「じゃあ、俺の家は?」
「絶対イヤ!」
食い気味な即答だった。
「なんでだよレツ、俺の部屋なら安全だし、お菓子もジュースもあるよ?」
「そういう問題じゃなイ! オマエの家に行ったら、二人きりでナニされるか……ッ!」
「何も襲ったりしないよ。ただ一緒に漫画読んだりアイス食べたり——」
「アイス……イヤ、ダメ!」
赤くなったり怒ったりと忙しいレツちゃん。メリー先輩は呆れ果てた様子で溜め息をついた。
「……まあいいわ。場所の選定は後回しにしましょう。特訓その二! 登場に命を賭けるべし!」
気を取り直したメリー先輩は、アンティーク電話の受話器を指先で弄びながら言った。
「怪異にとって最も重要なのは、第一印象よ」
「ダイイチインショウ?」
「そう。人間が『何かいる』と認識した瞬間に、絶対的な恐怖を植え付けるの。タイミング、角度、そして醸し出す雰囲気……すべてを完璧に計算し尽くすのよ。まずは王道からいきましょう!」
メリー先輩の指揮のもと、実践形式の登場特訓が始まった。
【① 背後からヌッと現れる】
「いいかしら、吉田くんが隙を見せた瞬間に、背後に気配もなく忍び寄るのよ」
「分かっタ……!」
俺は指示通り、公園のベンチの前で無防備に立ち尽くした。
背後から、フッと気配が消える。流石は怪異、足音ひとつ立てずに俺の後ろへと回り込んできたようだ。
背中に感じる、かすかな甘い香り。
服の裾がすれる音。
「……ボク、カワイイ?」
耳元で聞こえる、一生懸命に低く作られた可憐な声。
俺は振り返ることもなく、即座に答えた。
「可愛い」
「……ッ!?」
背後でレツちゃんが跳ね上がる気配がした。
「失敗! 次よ、次!!」
【② 曲がり角から突然現れる】
「次は恐怖の古典スタイル、曲がり角からの強襲よ! 人間が安心しきって角を曲がった瞬間を狙うの!」
レツちゃんは公園のトイレの壁の陰にコソコソと隠れた。
俺は指示通り、ポケットに手を突っ込んで口笛を吹きながら、のんびりと歩いて角へと向かう。
角を曲がった瞬間、勢いよく物陰からレツちゃんが飛び出してきた。
オーバーサイズのアウターを羽ばたかせ、両手を大きく広げている。
「ボク、カワイイ!?」
「うん」
「即答するナッッ!!」
地踏みを鳴らして悔しがるレツちゃん。
「失敗! ダメね、角度も勢いも悪くないのに……最後! 心理的恐怖を煽るパターンよ!」
【③ 遠くから徐々に近づく】
「遠くから無言でじわじわと距離を詰めるの。人間は『逃げられない』と悟った時に最も深い絶望を感じるわ」
俺は公園の中央で待機する。
数十メートル先、街灯の影からレツちゃんが姿を現した。
無言。
ゆったりとした、けれどどこか異様な足取りで、こちらへと歩いてくる。
ツインテールが夜風に揺れ、黒マスクの上の瞳がじっと俺を見つめている。
……静寂が包む夜の公園。徐々に近づいてくる小柄な影。
普通なら不気味な光景のはずだ。だが、俺の目にはただの「可愛い子がトコトコ歩いてくる最高のご褒美」にしか見えなかった。
「……レツ?」
あと数歩の距離。レツちゃんはピタリと足を止め、じーっと俺を見上げてくる。
「…………」
何か恐ろしいセリフを言おうと、黒マスクの下で口をモゴモゴと動かしているのが分かる。
あまりにも可愛すぎて、俺は撫で回したくなる衝動を抑えきれなかった。
「今日も可愛いね」
「……っ!?」
レツちゃんは固まり、そのまま顔を覆って蹲ってしまった。
「失敗……全滅じゃないの……」
三連敗を喫し、メリー先輩は頭を抱えて深々と溜め息をついた。
「あなた、根本的な問題があるわ」
「ナニ……?」
膝を抱えて丸くなっていたレツちゃんが、フードの奥から不思議そうに顔を上げた。
メリー先輩は受話器をカチャリと台座に戻し、哀れみと呆れが混ざったような視線をレツちゃんへと向けた。
「吉田くんのことが好きすぎるのよ」
静寂。
「…………っ!?」
レツちゃんの全身が跳ね上がった。
白かった肌が、みるみるうちに耳の先端、首筋、果ては涙ぐんだ目元まで真っ赤に染まっていく。
「え?」
俺は思わず素の声を漏らした。
「め、メリー先輩ッ!?? ボクが、この生意気なニンゲンを……!? そんなわけナイッ!! ボクはこいつを恐怖の底に突き落としたくて——」
「いいえ、言い逃れはできないわ」
メリー先輩はビシッと指を突き立てた。
「あなた、吉田くんの前に出ると、怖がらせるより先に照れているもの。背後に回った時も照れて声が上ずっていたし、曲がり角から飛び出した時も『見られた』ことに恥ずかしがっていたわ。最後の接近だって……照れ隠しに必死で威嚇のセリフすら忘れていたじゃない」
「う……あ……っ」
図星を突かれ、レツちゃんは返す言葉を失った。
真っ赤な顔でパクパクと口を開閉させ、助けを求めるように俺とメリー先輩を交互に見つめている。
「怪異がターゲットに恋をしてどうするのよ。これじゃあ恐怖の提供どころか、極上の萌えを提供しているだけだわ」
「モ、モエ……!?」
「そうね。吉田くんが全く怖がらないのも当然だわ。だってあなたの全身から『吉田くん大好き』っていうオーラがダダ漏れなんですもの」
メリー先輩の容赦ない分析が突き刺さる。
レツちゃんはついに限界を迎えたらしく、両手で真っ赤な顔を覆い隠すと、その場にズルズルとへたり込んでしまった。
「ち、チガウ……ボクは……ボクはただ……っ」
「レツちゃん」
俺はしゃがみ込み、目線を合わせてレツちゃんの頭をそっと撫でた。
「そっか。俺のこと、好きなんだ」
「ちが……っ! ちがわないけど……ちがうッ! バカ! 変態! 吉田のバカーーーッ!!」
耐え切れなくなったレツちゃんは、真っ赤な顔のまま立ち上がると、そのまま夜の街へとダッシュで逃げ出してしまった。
「あ、レツちゃん!」
「追わなくていいわよ、吉田くん」
追いかけようとした俺を、メリー先輩が優しく制した。
「今は一人にしてあげなさい。……ふふ、あんなに純情な怪異、初めて見たわ。あなたも大変ね」
「いえ、最高です」
即答した俺に、メリー先輩はくすりと上品に笑ったのだった。




