第2話:無能クライアント(女神)からのチャット飛んできたんだけど
「NOだ! 断固『NO』ォォォォォッ!!」
俺はマウスが砕けそうな勢いで、有給申請をキャンセルする『NO』のボタンを連打した。
『[Log]:有給申請が取り下げられました』
『[Log]:勇者のステータスが回復。呼吸を再開しました』
'『[Log]:魔王軍の進行が一時停止。世界崩壊まで残り【999時間】に延長されました』
ふぅ、と安堵のため息を漏らし、俺はデスクに突っ伏した。
危ない。俺のささやかな休息の代償が、見知らぬ異世界の滅亡になるところだった。
「……ていうか、なんで俺の有給と勇者の命が紐づいてんだよ。どんなクソ仕様だ」
ぶつぶつと文句を言いながら、乱れた呼吸を整える。
とにかく、この謎のAPI連携を根本から切断しないと、俺は一生休めないどころか、定時退社すら夢のまた夢になってしまう。
キーボードを叩き、エンドポイントの接続元を特定しようとした、その時だった。
『ピロンッ♪』
画面の右下に、見慣れないチャットツールがポップアップした。
アイコンは、光り輝く後光を背負った、無駄に作画コストの高そうな金髪碧眼の美少女。
『Goddess_Aurora(管理者):初めまして、異世界のシステム管理者・女神アウロラです! 連携テスト成功しましたね! これで魔王軍を倒せます!(๑>◡<๑)』
……は?
なんだこの、ゆるふわ系アカウントは。
俺は呆然としながらも、キーボードを叩いて返信した。
『社(保守担当):あんたが勝手にうちの勤怠システムと繋いだのか? 頼むから今すぐ連携を解除してくれ。こっちは明日も仕事んだ』
『Goddess_Aurora(管理者):えー、無理ですよ! もう本番環境にデプロイしちゃいましたから!』
「本番環境に直でデプロイだと!?」
俺は思わず叫んだ。
テスト環境もステージング環境も挟まずに、いきなり本番にリリースするバカがどこにいる!
『社(保守担当):ふざけるな! 万が一バグが出たらどう責任を取るつもりだ! とにかく元のバージョンにロールバックしろ!』
'『Goddess_Aurora(管理者):ロールバックのやり方、わかんないです(てへぺろ)』
ブチッ。
俺の中で、何かが千切れる音がした。
『Goddess_Aurora(管理者):それより社さん! お願いがあるんですけど!』
『Goddess_Aurora(管理者):魔王が強すぎて、今の勇者じゃ勝てそうにないんです。だから、勇者の攻撃力をポンッと100倍にするボタンを作ってください! 明日までに!』
「……」
俺は、静かに眼鏡を外し、目頭を強く揉んだ。
仕様書なし。
思いつきの要件追加。
納期は明日。
しかも、すでに本番環境で稼働中。
IT業界の地獄を煮詰めたような、最悪のクライアント(女神)がそこにいた。
『社(保守担当):あのな。ボタン一つ作るのにも、要件定義、基本設計、詳細設計、実装、テストって工程があるんだよ。工数(予算)とリソースはどうなってんだ』
『Goddess_Aurora(管理者):工数? リソース? よくわかりませんが、女神の奇跡でパパッとやっちゃってください!』
「……ダメだ、話が通じない」
俺がギリッと歯を食いしばり、この無能クライアントに長文の説教チャットを叩き込もうとした瞬間だった。
『Goddess_Aurora(管理者):あ、そうそう! ついでに、異世界の文字コード設定を【UTF-8】から【Shift-JIS】にサクッと変えておきました! なんかそっちの方がカッコいいので!』
ピタリと、俺の指が止まった。
「……お前、今、なんて言った?」
嫌な予感が全身を駆け巡る。
稼働中のシステムで、文字コードを唐突に変更する。それがどれほど恐ろしい事態を引き起こすか、エンジニアなら誰でも知っている。
『ピロォォォォォン!!!』
『【CRITICAL ERROR】型不一致(文字化け)による不正なデータ生成を検知しました』
『[Warning]:異世界指定座標に、未定義のモンスター『縺吶i縺・』が30万匹スポーンしました!』
「やらかしやがったァァァァァッ!!!」
深夜3時。
俺の悲鳴と、世界崩壊へのカウントダウンが、無情にもオフィスに鳴り響いた。




