第30話 エミの感情
「消しゴム……!?」
アンナは大きく目を見張り、穴が開くほどペンタブの画面を凝視した。画面上にはすぐさま、詳細な説明テキストが浮かび上がる。
【消しゴム:画面上の対象に狙いを定め、それを完全に消去・抹消する。】
そして説明の最後には、鮮烈な赤字でこう書き添えられていた。
『――まるで、その存在が最初からこの世界に存在しなかったかのように。』
「そんなにすごいの……!?」アンナは説明を読み込み、ドクンと胸を高鳴らせた。しかし冷静になってクールダウンのアイコンをよく見ると、重大な制約があることに気づいた。「でも……どうやら一回しか使えないみたいね」
アンナは手で顎を支え、思案深げに呟いた。「ひとまず魔王用に取っておくとして……でも、そんなに上手くコトが進むかしら?」
ふぅと一息吐き出すと、彼女は滝の傍の岩に腰を下ろし、目の前に広がる澄んだ景色を眺めながら、再びペンを取って思いつくままに筆を走らせた。
一方その頃。
シルヴィアとシュウは村の診療所を訪れ、先の魔族との戦いで傷ついた者や、煽りを受けた村人たちを見舞っていた。
「大丈夫ですか? どうか安心して休んでくださいね」
「よく頑張ってくれました。」
シルヴィアは病室を一つずつ回り、病床に伏す人々へ歩み寄ると、温かな言葉で慰めていった。
見舞いを終えた二人は、診療所の屋上へと足を進めた。吹き抜ける涼やかな夜風が、ほんの少しだけ疲労を拭い去ってくれる。
シュウはシルヴィアの隣に並び立ち、夕陽に染まる村を眺めながら低く問いかけた。
「お前……本当に俺たちと一緒に行かないんだな?」
シルヴィアは微笑みながら頷き、大きく伸びをした。
「私が居なくなったら、怪我をした村人やこの村はどうするの? 私はこの村の村長なんですもの」
シュウは彼女の凛とした横顔を見つめ、口元を緩めて頷いた。「それもそうだな……それじゃ、次に会えるのがいつになるか分からないな」
シルヴィアは遠くを見つめていたが、そっとシュウの肩に頭を預け、愛おしそうに呟いた。
「本当にお疲れ様……勇者様」
街の反対側では。
エミが楽しそうにアイクの手を引っ張り、賑やかな屋台街へと駆け出していた。
「アイク! クレープって好き?」エミは振り返り、目を輝かせて尋ねた。
「クレープ……?」聞き覚えのない単語に、アイクは首をかしげた。
エミは嬉しそうに頷くと、出来立ての温かいクレープを二人分買い求めた。二人は村の中央広場にあるベンチに腰掛け、景色を楽しみながら甘味を口に運んだ。
エミは生地を小さくかじり、興味津々に尋ねた。
「ねえ、アイク……昔はどんな暮らしをしてたの?」
アイクは甘さを噛み締め、どこか懐かしそうな目で手元のクレープを見つめた。
「私がいた元の大陸は、戦乱の絶えない危険な場所だったんだ。当時は身寄りもない浪人として、ただ一人で流浪の旅をしていた。そんな時……山賊の群れに囲まれて絶体絶命だった私を救ってくれたのが、私の主君だったんだ」
「シュクン……? どういう意味?」エミはパチクリと目を瞬かせた。
アイクは静かに頷いた。「うん……村長さんに近いかな。でも、治めていた領地や物事はもっと規模が大きかったけどね」
「じゃあ……それからはずっと、その『主君』と一緒に戦っていたの?」
「ああ」アイクは隠すことなく言った。「それから経験した戦いは、どれも想像を絶するほど過酷だった。けれど……生死を賭けた大戦が始まる直前、私はどういうわけか召喚されて、この世界へ飛ばされてきたんだ」
それを聞いたエミは、そっとアイクの横顔を盗み見ると、すぐに小さく俯いて自分の靴先を見つめた。紙袋をギュッと握りしめ、どこか言いづらそうに躊躇している。
しばしの沈黙の後、彼女は意を決したように小さな声で切り出した。
「じゃあ……アイク。全部の戦いが終わったら……元の世界に帰っちゃうの?」
アイクは暗くなり始めた空を見上げ、深く思いを巡らせた。
「私にも分からない……でも、きっと戻る方法を探すと思う。だって……私は本来、この世界の人間じゃないからね」
「そう、なんだ……」エミはうつむき、ぽつりと呟いた。「じゃあ……今日が会える最後の日になるかもしれないの……?」
アイクは少しの間黙り込んだ後、優しく微笑んだ。
「かもしれないね。未来のことなんて、誰にも分からないさ」
エミは顔を上げ、アイクを見つめた。唇を動かし、何か言いかけたものの、最終的にはキュッと唇を結び、愛らしくもどこか切ない笑みを浮かべた。
「なら……次に会えるその日まで、私、ずっとアイクのために祈ってるからね!」
夜の帳が下りる頃。
アンナが村長館へ歩を進めていると、玄関先でちょうどエリアと出くわした。アンナは目を輝かせ、パッと手を振って駆け寄った。
「エリア! シュウと一緒じゃないの?」
エリアはどこか不思議そうに自分を指さした。
「シュウ? あいつならさっきシルヴィア村長と一緒に見舞いに行ったはずだけど、どうかした?」
「え? ううん、なんでもない……」アンナは不思議そうに瞬きをし、言葉を続けようとしたが、背後からかかった呼び声に思考を中断された。
「おーい! アンナー!」
エミがパタパタと走ってきて、その後ろから落ち着いた足取りでアイクが続いていた。
アンナは振り返り、二人を見るとニヤリとからかうように笑った。
「おや~? 二人ともデートは楽しかったかしら?」
エミは少し照れくさそうに頷くと、アンナの隣へと並んだ。そうして四人は揃って村長館の中へと入っていった。
集会室の扉を開けると、そこにはヒカリが優雅に温かいお茶を飲んでおり、その傍らには地下図書館から借りてきたであろう分厚い書籍が高々と積み上げられていた。
「あ! 皆さんお疲れ様です!」ヒカリはみんなが入ってくるなり、少し慌てた様子で立ち上がって手を打った。「すみません、すぐ本を片付けますね……!」
一同は苦笑しながら本をどかすのを手伝い、それぞれ席についた。
アンナは興味深そうに尋ねた。「ヒカリ、アルプス山について何か手がかりは見つかった?」
ヒカリは溜め息をついて答えた。
「おおまかなルートは分かったのですが……あの山はあまりにも険しく荒涼としているため、登る人がほとんど居なくて、記録に残っている文献が極めて少なくて……」
そう言うとヒカリはアンナを見つめ、問いかけた。「アンナさんは、何か新しい発見はありましたか?」
アンナは胸を張り、これ以上ないほど誇らしげに胸を叩いた。
「フフン~! 実は私、超強力な新スキルを解放しちゃったのよ!」
アイクが隣で笑いながら尋ねる。「へえ? どんな凄いスキルなんだい?」
「【消しゴム】よ!」アンナは大げさにジェスチャーを交えた。「あらゆるものを……この世界から完全に消し去ることができるの!」
その言葉を聞いた瞬間、全員が目を見張った。ヒカルに至っては、驚きのあまり勢いよく立ち上がった。
「そ……それって、そのスキルを使えば直接魔王を倒せるってことですか……!? そんな絶大な力を……手に入れられるなんて……」
アンナはドヤ顔で歩み寄ると、ヒカリの肩をポンと叩き、誇らしげに言った。
「何を言ってるのよヒカリ! 私はこの世界の『作者』なのよ? このレベルの神スキルを持ってて当然じゃない!」
エミはアンナの誇張した仕草に思わず吹き出した。アイクは隣で呆れたようにツッコミを入れた。
「あまり調子に乗りすぎるなよ、アンナ。まだそのスキルの発動条件やリスクが分かってないんだ。もし強力な代償があったら大変だし、慎重に扱うべきだよ」
エリアも深く頷いた。「私もアイクに賛成。凄すぎる力には、得てして大きなリスクがつきものだからね」
ガチャ――
入口の扉が開き、シュウとシルヴィアが続いて入ってきた。
シルヴィアは一同を見渡し、穏やかに告げた。
「皆さまのお部屋の準備が整いました。今夜はどうかゆっくりお休みになって、明朝の出発に備えてくださいね」
一同は立ち上がり、各自の部屋へ戻ろうと部屋を後にし始めた。
アイクがまさに敷居を跨ごうとしたその時、背後からエミがそっと手を伸ばし、アイクの袖口を軽く引っ張った。
アイクが足を止めて振り返ると、エミは頬をほんのり赤らめ、うつむきながら小声で言った。
「アイク……今夜……あとで少しだけ抜け出せる……? 二人きりで……話したいことがあるの」




