第20話 アイクの試練
アイクと伊織の二人は、迫り来る敵の包囲網を強引に突破し、なりふり構わず駆け抜けた。だが、行き着いた先は断崖絶壁だった。
「くそっ、行き止まりかよ……!」
アイクが荒い息を吐きながら叫ぶと、伊織はちらりと背後に視線をやり、すぐさま前方を睨み据えた。
「アイク、追手よ」
アイクは押し寄せる敵群へ正面から躍り出た。刃を閃かせ、迫る敵を瞬く間に切り伏せていく。
だが――次の獲物へ刀を振り上げたその瞬間、アイクの動きがピタリと止まった。
「がはっ……!? ゲホッ、ゲホッ……!」
突き刺さるような悪寒に襲われ、彼はその場に膝をつき、荒く息を吐いた。
「アイク!? どうしたの!?」
伊織はすぐさまアイクの前へ割り込み、迫る刃を必死に弾き返しながら叫んだ。アイクは胸元をきつく掴み、顔を歪める。
「くそ……まるで、魂を強引に引き抜かれてるみたいだ……!」
(キンッ! ギンッ――!)
かすむ視界の向こうで、伊織がたった一人で群がる敵と対峙していた。
アイクは顔を上げ、舞うように刃を振るう彼女の姿と、その凛とした眼差しを目に焼き付けた。
――そして、一瞬の瞬き。
耳を刺す喧噪も殺気も、綺麗さっぱり消え去っていた。
再び目を開けた時、アイクは静まり返った広場の真ん中に、ぽつんと立ち尽くしていた
「ここは……城の広場……!?」
アイクは我に返り、、警戒しながら周囲を見回した。
その時、前方で漆黒の霧が蠢き、渦を巻き始めた。アイクは拳を握り締め、虚空に向かって怒鳴り散らした。
「何が目的だ!? 隠れてねえで正々堂々と出てきやがれ!!」
だが、黒霧は答えない。アイクを呑み込んだ。そして闇の奥底から、精霊の村の惨状が映し出される――そこにいたのは、凶悪なミノタウロスを前に苦戦を強いられ、追い詰められていくアンナたちの姿だった。
「な……なんで……みんな……!」
傷ついていく仲間たちの姿に、激しい焦燥感がアイクの胸を締め付ける。
「私がこんなところで何やってんだ……早く戻らなきゃ……俺が助けなきゃ……俺が――!」
焦りと罪悪感が限界に達しようとしたその瞬間、アイクを覆っていた濃密な黒霧は、熱にさらされた氷のように一瞬で霧散した。
『――見事な旅路だったわね、アイク』
背後から透き通った声が響いた。アイクは弾かれたように振り返る。
そこには、軽装に身を包んだ伊織が佇んでいた。
アイクは血走った目で彼女を指差し、声を荒らげる。
「その姿で俺の前に立つな……! 偽物のドクロ野郎が、伊織をこれ以上愚弄するんじゃねえ!!」
だが、伊織はくすりと笑っただけだった。
彼女は軽やかな足取りでアイクの前まで歩み寄ると、微かな笑みをたたえたまま、右頬をすっと差し出してみせた。
「……?」アイクは意図が分からず、困惑して目を丸くする。
「ん! んー!」
伊織は自信満々に頷いて促す。アイクが狼狽して左右を見回すと、伊織は呆れたように軽くため息をついた。
彼女はそっと手を伸ばしてアイクの手を握ると、そのまま自身の右頬をむにゅっと強く抓ませた。
「……っ!?」
指先に伝わる温かい肌の感触に、アイクは息を呑んだ。そのまま勢い余って腰を抜かしてしまう。今目の前にいるのは、黒霧の幻影でも偽物でもない――自分を熟知する、本物の伊織だ。
呆然とするアイクを見て、伊織は愛おしそうに静かに微笑み続けていた。
本物の伊織だと確信したアイクは、胸に溜め込んでいた問いを吐き出した。
「伊織! 頼むから教えてくれ……! アンナはこの世界に一体何をしに来たんだ? なんであの滝の奥の道はアンナしか入れなかったんだ? あのドクロどもは何者なんだよ……それに、俺はなんでこんなところにいるんだ!?」
しかし、それらの問いに対し、伊織はひとつとして直接答えなかった。
彼女はただ優しく手を差し伸べる。
「――来い、友よ。お前はただ、道に迷っただけだ」
アイクは差し出された手を取り、引っ張られるように立ち上がった。そしてどこか頼りなげに周囲を見回す。
「俺は……どこへ行けばいいんだ……?」
「お前が行きたい場所へ進めばいいのよ」
伊織からは思いがけない答えが返ってきた。
アイクは小さくため息をつくと、森へと続く一本道を選び、まっすぐ歩き始めた。伊織は何も言わず、ただ静かに彼の隣を並んで歩く。
どこまで歩いても景色の変わらない道に、アイクは次第に焦れたように。
「伊織様、俺は早く戻らなきゃいけないんだ! 一刻も早くみんなを助けに……俺が……!」
語気に熱が籠もるアイクだったが、ふと隣を見ると、伊織が穏やかな笑みをたたえて自分を見つめていることに気づいた。
「……なんだよ?」
「お前が今戻ったとして、あの魔物たちに勝てるのかしら?」
「俺が……勝てるか、だって……?」
アイクは足を緩め、自問自答するように呟いた。
(俺に……本当に勝てるのか……?)
葛藤するアイクの様子を見て取り、伊織は満足そうに頷いた。
「ふふ、どうやらお前は、もう少しここに留まる必要があるようね」
「頼む、教えてくれ!」アイクはすがるように言った。「俺じゃ勝てないっていうなら、勝てるように私を鍛えてくれ! 伊織様!」
しかし、伊織は首を横に振り、軽くため息をついた。
「勝利への執着が、お前の目を曇らせているのよ」
「どういう意味だ!? 勝てないなら強くなるしかないだろ! 守るべき者を守ろうとすることが、間違っているっていうのか!?」
伊織は静かに足を止めた。そして振り返り、静かな声で言葉を紡ぐ。
「――大象の足元に近づきすぎた者は、脚と腹しか視界に入らない。自分が何を見ているのかを知るには、一歩引いて全体を眺めなければならないのよ」
「……大象……?」
アイクは眉をひそめ、その言葉の意味を必死に反芻した。
そんなアイクの様子に、伊織は拳でぽんと彼の肩を叩いた。
「お前の仲間には、この世界の『創作者』がいるでしょう? それなのに、お前は彼女をただの守られるだけの民のように扱っているわ。……まさか、彼女を信用していない訳ではないでしょう?」
「信じてるさ! アンナのことは誰よりも信じてる! だけど――」
「だけど?」伊織は静かに、しかし鋭く問い重ねた。「――お前が守りすぎるせいで、彼女自身の中に眠る『本当の力』の発現を阻んでいるのではないかしら?」
「っ……!」
雷に打たれたかのように、アイクは立ち尽くした。自分が良かれと思ってしてきた「保護」が、逆にアンナの可能性を縛り付けていた――その事実が、彼の胸を激しく突いた。
伊織はそんなアイクの表情を静かに見届けると、くるりと翻り、軽快な足取りで再び歩き出した。
「さあ行きましょう、友よ。まだ旅は終わっていないわ――」




