第13話 玉座の骸骨 1
ヒカリは紙の上に浮かび上がった、歪みながら形を成していく文字を見つめ、驚きのあまり言葉をまともに紡ぐことすらできなかった。
「見せてくれ」アンナは眉をひそめ、真剣な表情で歩み寄る。
ヒカリは小刻みに震えながら台本を差し出した。それを受け取ったアンナの顔から、いつものおちゃらけた様子は一瞬で消え去った。彼女は何も言わず、ただ怪訝そうにそこに並ぶ名前を見つめ、それからゆっくりと顔を上げて、少し離れた場所に立つアイクへと視線を移した。
(……アイクがいない? これ、一体どういう意味?)
アンナは下唇を噛み締め、一人深く考え込んだ。
重苦しい沈黙に耐えかねたように、ヒカリが慌てて声を上げた。「アンナさん! 台本に変化が起きたってことは、あの滝の裏に……何か重要な手がかりが隠されているんじゃないでしょうか!?」
「――それもそうね!」アンナはハッと我に返り、ポンと手のひらを叩いた。
言うが早いか、彼女はその場にドカッと腰を下ろし、タブレットを広げてタッチペンを走らせ始めた。
ヒカリはそっとアンナの隣に座り、興味津々で覗き込む。「何を描くんですか? アンナさん」
「橋を描くのよ。だって、私、絶対に濡れたくないもん」アンナは画面から目を離さずに答えた。
そのとき、水溜まりの縁に立っていたジョエルが驚いたように目をこすった。なんと、激しく荒れ狂う滝の手前の水面に、巨大な石でできた道が静かに浮かび上がってきたのだ。
「嘘だろ……」ジョエルはそんな常識外れの光景を目の当たりにし、顎が外れそうなほど驚愕していた。
一方その頃、エリアの治癒魔法によって、アイクの身体の打撲や擦り傷は完全に消え去っていた。彼は服の汚れを払いながら立ち上がり、エリアに心から感謝を述べた。「助かったよ、エリアさん」
「大……大丈夫ですか?」エミがどこか悲しげで、不安そうな様子でトコトコと駆け寄ってきた。
アイクは今にも泣き出しそうな少女の表情を見て、気楽そうに微笑んだ。「大丈夫さ、気にするな。」
アイクの楽観的な態度に、エミは少し呆れたように小さく笑った。「そんなの、普通のわけないじゃないですか……」
しかし、二人の会話が途切れるよりも早く――
『――轟隆隆隆――!』
凄まじい地鳴りが、何の前触れもなく響き渡った。一同が驚いて顔を上げると、滝の真っ中心が、まるで天から振り下ろされた見えない巨石によって切り裂かれたかのように、激しい水流が左右へと分かれていく。そして、真っ直ぐで乾いた通路が、目の前に忽然と姿を現した!
「よっしゃあ!!」アンナは興奮した様子で跳び上がり、右手をぶんぶんと振って叫んだ。「行くぞ、お前ら!」
全員が一列になり、アンナがタブレットで具現化した巨石の道を進み始めた。しかし、数歩も歩かないうちに、周囲の巨石や通路がまるでドット絵のように、少しずつ消滅し、解体され始めたのだ。
列の最後尾を歩いていたジョエルが振り返り、恐怖に顔を歪ませて声を張り上げた。
「お前ら急げ!! 道が消えかかってるぞおおお!」
前を歩く面々はその警告を聞き、一斉に慌てふためきながら足を速めた。巨石の道が完全に崩落するその瞬間、誰もが全力で決死のジャンプを敢行し、最終的に折り重なるようにして地面へ転がり込んだ。
しかし、最後尾のジョエルだけは一歩遅かった。割れていた滝が彼の背後で一気に元に戻り、滝壺へと叩きつけられる大量の水が、彼を完璧な濡れネズミへと変えた。
ジョエルは顔の水を無言で拭い、歯を食いしばりながら怨みがましく呟いた。「……次からは死んでも絶対に最後尾は歩かねえからな」
その滑稽な姿に、それまでの張り詰めた空気は一気に吹き飛び、全員が思わずドッと吹き出した。
滝の水幕をくぐり抜けた一同は、かつてアイクの行く手を阻んだ、例の見えない壁の前に立っていた。
エリアが前に進み出、その冷たくて奇妙な感触に触れ、深く考えるように口を開いた。「なるほど……確かに、この奥に何かが隠されているような気配がするわ」
アンナは全員の先頭に立ち、深く息を吸い込むと、その手のひらをゆっくりと壁へと押し当てた。
次の瞬間、それまでピクリとも動かなかった壁から、目が眩むほどの白い閃光が爆発した!
誰もが思わず目を覆い、その強烈な光が収まった頃に再び目を開けると、眼前の障壁は完全に消失し、一本の通路が目の前に開かれていた。
「まさか、アンナさんにしか開けられないのか?」ジョエルは信じられないといった様子でアンナを見た。「もしかして……アンナさん、あんた本当はエルフ族なのか?」
アンナは思わず目を丸くし、エルフ特有の尖った耳も特徴的なスタイルも一切持ち合わせていない自分の身体を上下に指差しながら突っ込んだ。「ちょっと、どう見たらオレがエルフに見えるわけ?」
一同の前に現れたのは、底の見えない、果てしなく暗い通道のようなトンネルだった。アンナはちっと舌打ちをし、再びタブレットを取り出して松明でも描こうとしたが、それを見たエルフの姉弟がそれを制した。
「これくらいのことなら、私たちに任せてくれ」
ジョエルとエミが並んで前に出た。二人は同時に両手を真っ直ぐに伸ばし、空中に優雅な円を描いた。ウゥン、と音を立てて、周囲の虚空から無数の青い光の輪が湧き出し、二人の手のひら、そして身体の周囲へと集まっていく。
光の収束が頂点に達した瞬間、エミが猛烈な勢いで拳を握り締めた!
その無数の青い光輪は、瞬時に夜空を舞う流星群へと姿を変え、トンネルの四方八方へと飛び散っていった。そして、柔らかく温かい光が、瞬く間に周囲の暗闇を完全に駆逐した。
アンナたちはその光景に完全に目を奪われ、感嘆の声を漏らした。
エリアだけが、短い衝撃の後に冷静な分析を口にした。「これ……まさか、伝説に聞く『マナ』を直接使った能力なの?」
アイクが彼女を振り返る。「エリアさんもマナを使えるのかい?」
エリアはどこか悔しそうに首を振った。「無理よ。遥か遠い古の時代以降、この能力は純血のエルフ族にしか扱えないものになったと言われているわ。人間の魔法なんて、マナの出来損ないの模倣に過ぎないのよ」
ヒカリもそれに同意するようにうなずいた。「マナは本当に古く、外の世界じゃ完全に失われた能力なんだ。私も前に古文書を調べていたときに、少しだけ目にしたことがあるくらいで」
魔力によって道が照らされ、一同はトンネルに沿って真っ直ぐ進んだ。それから間もなく、視界がいきなり大きく開けた。
眼前に広がる光景を目にした瞬間、全員が思わず息を呑み、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
そこは天然の洞窟などではなかった。遥か久遠の過去に惨烈な戦闘を経て、最終的に没落し傾いた「神聖なる皇宮」だった。四方の壁や石柱には、大小さまざまな焦げ付いたクレーターのような穴が穿たれており、あたりにはとうに朽ち果て、折れ曲がった古代の武器が雑然と転がっている。
そして何よりも異常だったのは、本来ファンタジー世界にあるべき石造りの床が、この場所に限っては、平坦で冷酷な「コンクリートの床」へと不自然に変わっていることだった。
そのとき、ヒカリの視線が四方にそびえ立つ壁へと吸い寄せられた。そこには巨大な古代の壁画が描かれていた。ところどころ剥がれ落ちてはいるものの、内容は十分に読み取れる。――始まりの鬱蒼と茂る世界樹、そしてエルフ族の誕生。最後の絵には、華麗な羽衣をまとった偉大なエルフが権杖を高く掲げ、分裂していた全てのエルフの氏族を一つに統合する姿が描かれていた。
そして、その広大な皇宮の真ん中に、ぽつんと一つだけ、巨大で精巧な玉座が置かれていた。
一同は息を殺しながら、ゆっくりと近づいていく。十分に近づいたそのとき、彼らは恐怖に目を見開いた。玉座の傍らに、なんと、ボロボロに砕けた二体の骸骨が転がっていたのだ。
エミはわずかに眉をひそめ、怪訝そうに何かを呟きながら、吸い寄せられるように一歩、また一歩と歩みを進めてしまう。
しかし、アイクの鋭い冒険者としての経験が、脳内で狂ったように警報を鳴らし始めていた。長年、生と死の境界線を歩んできた直感が、ここは極めて危険だと告げている!
「動くな、不用意に近づいちゃダメだ!」
アイクは素早く手を伸ばし、エミの手首を掴んで引き止めた。「気配がおかしい。先には進まない方がいい」
エミは呆然と二体の骸骨を見つめ、その瞳を迷いと動揺に揺らした。「でも……なんだか、私、あの人たちが誰なのか分かっちゃいそうな気がするんです。この感覚……すごく懐かしくて、胸が、引き裂かれそうに痛い……」
隣のジョエルも青ざめた顔で玉座の骸骨を凝視し、両手を無意識に震わせていた。「私……私もだ……。あの骨、どこかで見たことがあるような気がしてならない……」
この姉弟だけでなく、エリアもまた、かつて感じたことのないほどの強烈な圧迫感を肌で感じ取っていた。彼女は油断なく、すぐさま背後の法杖を引き抜き、高らかに詠唱を開始した。
アンナはそのエリアの背中に隠れるようにして、タブレットをぎゅっと握り締め、額から一筋の冷汗を滴らせた。
エリアの最後の音節が紡がれ、彼女は法杖を高く掲げると、それを力任せに地面へと叩きつけた。
「【天なる物、死の息吹、神聖なる名において霧散せよ――!】」
『――轟――!』
純白の神聖な衝撃波がエリアを中心に発生し、円形の弧を描いて四方八方へと猛烈に拡散していった。光の波が通り過ぎた場所から、陰惨な死気が一瞬で洗い流されていく。
しかし、神聖な光の波が玉座に触れようとしたその刹那。地面に横たわっていた、本来なら完全に物言わぬ骨であったはずの一体の骸骨の、骨節の際立つ一本の指が……ピクリ、と不自然に跳ね上がった。
(動いた!?)
アイクはその微細な変化を瞬時に見逃さなかった。全身の毛が、この一瞬で総毛立つ。
ほぼ同時、その骸骨は人間の目では到底捉えきれない恐怖の速度で、惨白の残像と化し、エリアの目の前へと一瞬で肉薄した!
「危険だ――ッ!」
全員が反応することすらできない極限のコンマ数秒の間で、アイクは完全に本能のまま、全力を振り絞って目の前のエリアの身体を突き飛ばした!
『――唰!』
突き飛ばされたエリアは不恰好に地面へと転がった。そして、代わりにその位置へ入ったアイクの身体を、突進してきた骸骨の白い腕が、ガッチリと、死肉を貪るように抱きすくめた。
次の瞬間、衝突の音すらなく、両者の姿は空間ごと激しく歪み、まるで最初から存在しなかったかのように、一同の目の前から煙のように掻き消えた。
残された者たちは、恐怖に身を震わせながら互いに顔を見合わせた。
アンナは誰もいなくなった空間を呆然と見つめ、脳内が真っ白になりながら、信じられないといった悲鳴を上げた。
「ア……アイク!?」
「アンナさん! ま、前……前を見てっ……!!」ヒカリの悲鳴が、再び静寂を切り裂いた。
一同は弾かれたように振り返った。なんと、玉座の前方で横たわっていた「もう一体」の骸骨が、不快な骨の摩擦音を響かせながら、ゆっくりと立ち上がろうとしていたのだ。
無数の、そして純度が異常なまでに高い青い「マナ」が、その空洞の眼窩と指先に猛烈な勢いで集束し、やがてその手の中で圧縮され、暴虐的な妖光を放つ一本の魔力長剣へと成型されていった!
「あ、あれは……マナ……!?」エリアは恐怖のあまり声を震わせた。
その恐るべき光景を目の当たりにし、エミとジョエルは目を鋭く光らせ、同時に長弓を引き絞った。ジョエルは歯を食いしばり、冷汗を流しながら低く毒づく。
「おいおい……純粋なマナで実体のある武器を直接作り出しやがったぞ。冗談じゃねえ……あいつ、一体何者なんだよ!」
それまで小さかったラルが怒りの咆哮を上げ、その巨体を一瞬で巨大化させ、まるで小山のような威容でヒカリの真っ正面へと立ちはだかる。
そして冷汗の止まらないアンナも、恐怖でガタガタと震える歯を必死に噛み締め、両手で液晶タブレットを握り直した。
骸骨は、暴虐的なマナを纏った魔力の長剣をゆっくりと掲げ、その剣先を目の前の面々へと真っ直ぐに向けた。
ここからが、本当のお楽しみだ!!




