第12話 エルフのまち 2
シュウとエルフの少女は、切り立った崖の上に並んで腰をかけていた。
少女の美しい瞳は静かにシュウの横顔を見つめ、シュウの視線はひたすら眼下に広がる生い茂った森の中――エルフのまちへと注がれている。それは古く、文芸的な情緒を漂わせる美しいまちだった。
シュウはゆっくりと顔を上げたが、遠くの雲海を見つめたまま何も言わない。
その、何かを言いよどむような様子を見た少女は、言葉を続けた。
「……で? 」
シュウは少女の方へ顔を向け、それからまた遠くの空と視線を戻した。その声はどこか真剣だった。
「……シルヴィア。オレたちがこれまで、魔王と何回戦ってきたか覚えているか?」
「んー……もう数え切れないくらい戦ったんじゃない?」
「じゃあ、どうしてオレたちは魔王を倒せないんだ?」シュウの声が重くなる。「倒せるチャンスがあるたびに、あいつは必ず生き返るか、さもなければあり得ない方法で逃げ出す」
その言葉に、シルヴィアはこれまでの破天荒な戦いの日々を思い出したのか、かすかに微笑んで、懐かしそうに細く長い脚を揺らした。
「ふふ……いい思い出ね。それで? 大勇者様、今日はどうしてそんなことを言い出したの?」
「オレは今まで、どうしてこの世界にこんな不条理が存在するのかずっと考えていた」シュウはまっすぐに少女を見つめた。「だけど……その答えを見つけた気がするんだ」
シルヴィアの脚がピタッと止まり、驚いたように眉をひそめた。「答え?」
シュウは重々しくうなずいた。
「それはたぶん、時が――」
「時が満ちていないから、でしょ?」
シュウが言い切る前に、シルヴィアは先回りして奪い取った。シュウはすこし呆気にとられたが、やがて苦笑しながらうなずいた。「あぁ、その通りだ」
シルヴィアは顔を戻し、その澄んだ瞳で再びシュウを捉えた。
「だとしたら、あいつらは一体何者なの? お前の新しい仲間たち?」
シュウはすぐには答えず、逆に問いかけた。「お前のその目は、さっき何を見た?」
シルヴィアは目をすこし細め、さっきの光景を思い出すように言った。
「あの二人を見たとき……体のまわりに『マナ』がまったく漂っていなかったわ」彼女は手を額に当て、困惑を隠せない様子で言葉を紡ぐ。「この世界じゃ、そんなの絶対にあり得ない。……もしあり得るとしたら……」
シルヴィアは一度言葉を切り、すこし自信なさげに続けた。
「……あいつら、この世界の人間じゃないわね」
「アイク、あのいちばん頼りになりそうな男は、アンナに召喚されたらしい」
シルヴィアは納得したように「おぉ……」と声を漏らし、大して気にも留めない様子で頬杖をついた。
「なーんだ、召喚術師だったの。珍しくはあるけれど、わらわの目を狂わせるほどでは――」
「いや、」シュウは冷たくシルヴィアの言葉を遮り、一字一句を重く落とした。「アンナは召喚師じゃない。……あいつは、この世界の『作者』だ」
「……作者?」
耳にしたことのない見知らぬ単語に、シルヴィアは完全にフリーズした。その瞳がわずかに震え、高慢な顔に深い困惑が浮かび上がる。
「作者……? どういう意味? 創造主? それとも……神様?」
シルヴィアの追及に、シュウはただ苦そうに首を振るだけだった。
「私もわからない。あいつはここが自分の描いた『マンガ』の世界だって、正直、何のことだかさっぱりだ」
「んーーーー……」
シルヴィアは低く唸り声を上げた。次の瞬間、彼女は全身の力が抜けたように、シュウの肩へとへなへなと頭を預けた。
「はぁ……一体全体、何なのよそれ...。最近の魔族の襲撃だけでも死にそうなのに、今度は世界の『作者』だなんて。わらわにどうしろって言うのよぉ……」
シュウは何も答えず、ただ彼女を肩に乗せたまま、二人で静かに目の前の景色を見つめていた。
一方、その頃――。
アンナたちはエルフのまちの通りへと繰り出していた。
「アンナさん、これ絶対に食べてみて!」
エミはもの凄く興奮した様子で、アンナの手を引いて焼き肉の屋台へと突っ込んでいく。
後ろを歩いていたジョエルは、すこし気まずそうな顔で頭をかきながら、となりのアイクにボソボソと耳打ちした。
「なぁ……まだちょっと信じられないんだよな……これからアンナさんにどんな態度で話しかければいいんだ?」
アイクは両手をポケットに突っ込み、気楽そうに笑った。「肩の力を抜きなよ。そんなに硬くならなくていい。普通の女の子と何も変わらないからさ」
「そうです!!そうです! !」ヒカリもすかさず横から何度も深くうなずいた。
そのとき、エリアが周囲をキョロキョロと見回しながら、不思議そうに口を開いた。
「それにしても、なんだかまちの人がずいぶん少ない気がするわね?」
「あ……最近、魔族が頻繁に襲撃してくるからさ」ジョエルがため息混じりに説明する。「だから大半の人は前線の警戒や見回りに駆り出されているんだ」
アンナは口いっぱいに焼き肉を詰め込み、両頬をリスのように膨らませて、もぐもぐと力強く咀嚼しながらフガフガと言った。
「私たちも手伝いに行ったほうがいいんじゃね?」
ジョエルはみんなを見て、慌てて手を振った。「あ、それは心配いらないよ! みんなは勇者様の『お客さん』なんだから、そんなことに気を揉む必要はないさ!」
アンナはゴクンと肉を飲み込み、お腹をポンと叩いた。「ん! そっか、なら遠慮なく食べるわ」
その後、エルフの姉弟に案内されて、みんなで中央広場や役所、賑やかな商業エリアを回った。そして最後に辿り着いたのは、森の真後ろにある巨大な滝の前だった。
「見てくれ! この滝は私たちエルフ族が最も誇る絶景なんだ」ジョエルが自慢げに紹介する。
その光景は、全員を圧倒した。激しい水流が轟音を立てて流れ落ち、周囲に反射する日光と交わって幻想的な虹を描いている。滝の前に広がる神秘的な庭園には、無数の珍しい鳥たちが飛び交っていた。
「きれい……」ヒカリは目奪われ、頭の上のラルも興奮して飛び降りると、庭園の芝生の上を嬉しそうに走り回った。
「本当に、何度見ても飽きないわね」エリアも心から感嘆の声を漏らす。
「ふはー……気持ちよすぎる……」アンナにいたっては、もはや体裁も気にせず庭園の芝生の上に大の字になって寝転がり、完全にリラックスモードに入っていた。
そんな中、アイクだけは一人静かに水溜りの縁に立ち、巨大な水の幕を見つめていた。
別世界の冒険者として、アイクの脳裏には一つの揺るぎない法則が浮かんでいた。
(前のわたしの世界、こういう巨大な滝の裏には……何か隠し宝箱とか秘密の通路があるもんだよな……)
そう思うと、アイクは躊躇なく水に足を踏み入れ、滝に向かって歩き出した。
「あれ? アイクさん、どこに行くんですか!?」それを見たエミが慌てて手を振って大声を上げた。
ジョエルは思わず吹き出した。「はは、まさかあの綺麗な滝を見て、泳ぎたくなっちゃったのかな?」
だが、アイクは答えなかった。彼は滝の手前で深く息を吸い込み、一気に水中へと潜った。激しい水流の衝撃に耐えながら、正確に滝の真下から水幕の裏側へと泳ぎ進む。
水面に顔を出し、身体を浮かせると、眼の前には案の定、冷たい石の壁が現れた。
「ふぅ……やっぱり壁があるな」
アイクは自嘲気味につぶやき、水から上がって壁の前に立った。しかし、彼が手を伸ばしてその壁に触れた瞬間、手のひらからあまりにも強烈な違和感が伝わってきた。
アイクは自分の右手を見つめ、目を鋭く光らせて低く詠唱した。
「【Concentrate on(魔力凝縮)】」
ウンと音を立てて、アイクの魔力が右手のひらに猛烈な勢いで凝縮していく。彼はすこし後ろに下がり、構えをとると、その違和感に満ちた壁に向かって拳を力いっぱい叩き込んだ!
――しかし、拳が壁に激突したその瞬間、アイクは目を見開いた。
「なっ……っ!?」
予想していた石の砕ける音は響かなかった。石壁からは、言葉にできないほどの恐怖の斥力が爆発したのだ。アイクは反応することすらできず、まるで大砲を正面から浴びたかのように、その反発力によって凄まじい勢いで吹き飛ばされた!
「うわぁっ!?」
滝の外で待っていた一同は、突然の爆音を耳にした。次の瞬間、アイクの身体が滝の裏から無惨に放り出され、岸辺の芝生の上に激しく叩きつけられるのが見えた。
「敵か!?」ジョエルとエミは顔色を変え、瞬時に長弓を構えて滝へと狙いを定め、戦闘態勢に入る。
芝生に寝そべっていたアンナも、驚いて飛び起きた。
「大丈夫!? どうしたの!?」エリアが急いでアイクの元へ駆け寄り、手のひらに温かい白光を灯して、すぐに治癒スキルを発動させた。
アイクはすこしバツが悪そうに頭をかき、鈍く痛む肩をさすりながら言った。
「あ、いや……ごめん。滝の裏の壁がちょっとおかしい気がして、つい攻撃してみちゃったんだ……」
その答えを聞いたジョエルは、危うくその場でズッコケそうになった。
「なんだよ……驚かせやがって! って、はぁ!? 攻撃ぃ!? これ、エルフ族が誇る滝なんだぞ! このバカ、一体何に攻撃してんだよ!」
アイクは気まずそうに顔を歪めた。「わりぃ、わりぃ……」
そのとき、ヒカリが何か奇妙な音に気づいた。
それは彼女のバックパックの中から聞こえてくる、まるで紙が燃えるときのような「カサカサ……」という不気味な音だった。
ヒカリは呆気にとられ、慌ててバックパックを開けた。そして、その中身を目にした瞬間、恐怖に顔をこわばらせて叫んだ。
「ア……アンナさん!! 紙!! 台本の紙が燃えてるよ!!」
全員の顔色が変わった。急いで彼女の元へ駆け寄る。
ヒカリの手に包まれた台本の上で、元々「第三章」と書かれていた複雑な文字が、奇妙な炎に包まれて一瞬にして燃え尽きていく。そして、その焦げ跡の上で、インクが生き物のように蠢き、歪んだ新しい文字を形作り始めた――。
【第四章】
新しく浮かび上がった劇本のメンバーリストを見つめ、ヒカリは生唾を飲み込んだ。指先を小刻みに震わせながら、現実を確かめるように、そこに書かれた名前を上から順に読み上げていく。
「……ここに書かれてる名前……私」
アンナは横で、小さくうなずいた。
「……アンナ、ジョエル、エミ、エリア……」
そこまで読んだところで、ヒカリの声がピタリと途切れ、彼女の身体が凍りついたように硬直した。
ヒカリの異様な様子に、アンナは眉をひそめて先を促す。「どうしたんだよ?」
ヒカリの身体が激しく震え始める。彼女はゆっくりと顔を上げ、、圧倒的な恐怖に満ちた声を絞り出した。
「……アイクさんの名前だけが……ない……」




