第3話
「お母さんにも、お店に立ってほしいの」
私は祖母をまっすぐに見据え、笑顔のまま告げた。
「わ、私? でも、ほら、足が……」
祖母が左手を頬に当てた。
やっぱり、そうか。
「それなんだけど、かかりつけのお医者さんに私も聞いてみたの。そんなに悪いのかって。そしたら……」
「そ、そしたら?」
祖母が不安げに身を乗り出す。
「手術は大成功。リハビリも順調だった。なぜ今でも杖を手放せないのか不思議だって。ねぇ、お母さん、もしかして……」
「な、なによ……」
祖母が少し慌ててる。
「本当は歩けるんじゃない?」
「そ、そんなこと……」
「京子、もう嘘つかんでいい」
祖父が優しい笑顔。
「嘘なんて、そんな、なんで私が……」
「なんでかは知らん。でも、お前が珍しく嘘をついてるくらい、俺が見抜けないわけないだろ」
祖父が小さなため息をつきつつ、半笑いで諭す。
「私もすぐわかった。お母さん、滅多に嘘つかないけど、でも……」
「でも?」
祖母が恐る恐る聞いてきた。
「嘘をついてるとき、左手を頬に当てるから」
「えっっ!!」
祖母が思わず左手を頬から離す。
「ねぇ、お母さん」
私は真顔になって祖母に聞いた。
「お母さんが理由もなく、こんな嘘、つくわけない。なんで杖がないと歩けないフリなんてしたの?」
祖母がうつむく。私と祖父が顔を見合わせた。ここは黙って待った方がいい。なんとなく、アイコンタクト。ふたりして祖母へと視線を戻した。
「はぁぁ……やっぱりダメだったわね」
祖母が大きく息をつく。
「何がダメだったんだ?」
祖父が聞き返した。
「私ね、元気なうちに、あなたと旅行に行きたかったのよ」
祖母がうつむいたまま、呟いた。
「え? 旅行に? お前なぁ、そんな理由で……」
「お父さん、ちょっと待って」
祖父が言いかけたのを私は手で制し、祖母に続きを促した。
「お母さん、もしかしたらだけど、お父さんと旅行に行きたいって、ずっと思ってたの?」
「そうよ」
祖母が頷く。
「お店は土曜も日曜も祝日も関係なく営業してた。私はお父さんと一緒に仕事してて幸せだった。でも、たまにはふたりで旅行したい。せめて彩香の手が離れたら、日帰りでもいい、ふたりでどこかに行きたい。そう思ってた。でも、お父さん、仕事一筋だし、令和になって時代が変わっても定休日を作るなんて考えはないし、これはしばらく無理かなぁって諦めてた。でもね、骨折して考えが変わったの」
祖母が顔を上げた。祖父を見る。
「いつまでも元気でいられるわけじゃない。今回は手術して歩けるようになったけど、次はどうなるかわからない。私だけじゃない。あなただって、いつ、何があるかわからない。だから、申し訳ないとは思ったけど、ひと芝居打ってみたの」
「京子……」
祖父が祖母の名前を呟いた。
「でも、やっぱり嘘はダメね。ごめんなさい。私が悪かった。ごめんなさい」
祖母が深く頭を下げた。
「いや、悪いのは俺だ」
祖父が視線を落とした。
「え?」
祖母が顔を上げる。私も祖父を見る。祖父の眉間にシワが寄っている。
「お前の……京子の気持ちをひとつもわからず、偉そうなことばかり言ってきた。すまなかった」
今度は祖父が頭を下げた。
「そ、そんな……」
祖母が慌てて立ち上がり、祖父へと歩み寄る。肩へと手をおき、顔を覗き込む。
「あなたは悪くない。いつも感謝してます」
「いや、夫婦なのに、ふたりの時間を作ろうとしてこなかった」
祖父が祖母へと顔を向けた。
「すまなかった」
「ううん、もう、いいんです。私が悪かったんです……」
祖母が涙声で祖父に抱きついた。
「……京子、娘の前だぞ」
祖父が困ったように私を見る。
「え、私はよいけど。なんなら、席、外そうか?」
私は立ち上がりかけたが。
「あわわ、そうだった」
祖母が慌てて祖父から離れた。
「彩香も、ごめんなさい。嘘ついて、お母さん失格ね」
「ううん。なんとなく、そんなことかなぁって思ってたから」
お店を辞めたいと言った時も、どうも怪しいなぁと感じていた。何かが引っ掛かっていた。普段、嘘をつかない正直な人だから、下手すぎてすぐにバレる。
「それに、私もたまには松山とか大阪とかのお店行って最近の流行くらいは押さえときたいし、本音を言えば定休日を作ってほしい」
祖父の味をそのまま継承するにしても、外部の情報を得なければ時代に取り残された店になる。トレンドを把握するためには、やっぱり自分の目で見て、食べて、味を確かめないと。
「そうだな……わかった。平日は学生も多いし、土日はお遍路さんも来てくれている。何曜日を休みにするかは考えさせてもらうが、週に1度は定休日にしよう。そしたら、お前と旅行くらい行ける」
「あなた……」
祖父の言葉に祖母が微笑む。心底、嬉しそう。
「あ、それとな、彩香。ひとつ、頼みがある」
祖父が私へと視線を移した。
「頼み? なに?」
祖父から頼まれ事をするなんて想定していなかった。なんだろう?
「俺は食事ならうまいもんを作れる。だがなぁ、デザートがどうにも下手でなぁ」
「え? そうかな?」
プリン・ア・ラ・モードが昔からの定番。もちろん、手作り。近所にある高校の女子なら、誰しも1度は食べると言われている。
でも、言われてみれば……プリンしかない。ケーキは不得手だからと以前は近所のケーキ屋さんから仕入れていたし、ケーキ屋さんが閉店したあとは業務用の冷凍ケーキを解凍して使っている。祖父が味に納得して提供しているくらいだから美味しいんだけど、料理やプリンほどのインパクトはない。
「だからな、パフェとかロールケーキとか、俺にも作れる若い客向けのデザートを考案してほしい。これは、コンサルタントとしてのお前にお願いしたい。頼む」
祖父が私に頭を下げた。
「そんな大袈裟な。わかった。引き受けます」
「給料とは別に依頼料を払う」
顔を上げつつ、祖父が真顔で言う。
「いいよ。従業員としての仕事で」
私は思わず笑ってしまった。しかし。
「それはダメだ」
祖父が首を横にふる。
「プロがプロに仕事を頼むんだ。親子の仲であれ対価は払う。それに、これが彩香にとってメニュー提案の最後の仕事になる」
祖父が居ずまいを正した。再び頭を下げる。
「改めて、宜しくお願いします」
これはもう、私が何を言っても引き下がらない。親子の仲。祖父の性格は理解しているつもり。
「わかりました。美味しくて作りやすくて、しかも若いお客様にウケるデザート、ご提案させて頂きます」
私も仕事の口調で返答した。
「ありがとう。これで向こう10年、いや、20年は店を続けられる」
「え?」
祖父の言葉に祖母が小首を傾げる。
「今のままじゃ続けられないの?」
「続けられないってわけでもないが」
祖父が笑顔で答える。
「今の常連客は俺たちと同じ世代が多い。高校生やら学習塾に通ってる親子連れが来てくれているが、割合で言ったら少ない」
「そうねぇ」
祖母が思案顔で頷く。
祖父が説明を続けた。
「俺たち世代の常連客は、いずれいなくなる。客の先細りは避けられない」
「……そうねぇ」
祖母が難しい顔つきで頷く。祖母自身、年齢的に店を続ける自信がないと言っていた。嘘だったとはいえ、思うところはあるだろう。
「だから、今のうちに若い客を増やす必要がある。俺たちの代で店を閉めるなら別によかったが、彩香が継ぐとなれば話は別だ」
「そうね」
今度は祖母が力強く頷いた。
祖父がさらに続ける。
「長く常連客になってくれる若い客を増やすためには、新たな武器が必要。そのひとつが新しいデザートだ。うまいデザートがメニューにあれば、高校生や家族連れが今よりもっと来てくれるようになる。未来の常連客予備軍は多いに越したことはない。そうだな?」
祖父が私に同意を求めた。
「うん、私もそう思う」
さすが、30年以上、飲食店を続けているだけのことはある。私が顧客に伝えてきたようなことを当たり前に考えている。
おこがましいけど、戻ってきたら、ちょっとは私の知識が活かせると思っていた。でも、学ぶことのほうが物凄く多くなりそう。気合い入れなきゃ。私は思ったことをそのまま口にした。
「あとは、私がお父さんの味を継承して、お母さんの接客を引き継いで、そのうえで私らしさを出せるかどうか、だね?」
「そうだ。良くわかってるな」
祖父が嬉しそうに頷く。
そう、すべては私にかかっている。私がしっかりしないと……なんて思ってたら。
「だが、まぁ、そんなに気負うな」
祖父が私の肩を軽く叩いた。
「ふぇ?」
私は間抜けた声を出してしまった。
「お前ひとりにすべてを背負わせる気はない。俺たちもまだまだやれる。そう簡単にくたばってたまるか。あと5年、いや、10年は店に立つ」
「そうよ。私ももう大丈夫」
祖母が笑顔で力強く頷いた。
「お店辞めたいって言ったとき、続ける自信がないって言ったでしょ? あれ、まったくの嘘ってわけでもないの。そりゃあ、もう75歳でしょ。本音を言えば、しんどくないわけないのよ」
祖母が祖父をチラッと見る。祖父が何か言いたげに口を開きかけたが、祖母が先に言葉を続けた。
「でもね、彩香が継いでくれるって言うなら、お母さん、今まで以上に頑張るから」
祖母が力こぶを作るポーズ。細い人だから実際に力こぶはできないだろうけど、それでも、気持ちが力強い。
「ありがとう」
私は泣きそうになるのを我慢しながら祖母に笑顔で答え、オムライスを口にした。
少し冷えていたけど、やっぱり美味しい。この味、私も作れるようにならなきゃ。私は祖父のオムライスを嚙み締めた。




