第2話
祖母から店を辞めたいと言われたのは、手術してから1か月ほど経った4月中頃。
病院でのリハビリを終え、医師からは“自宅でリハビリを続ければ普通に歩けるようになる”と言われていたが、なかなか杖を手放せない。年齢的にも、いつまで続けられるか悩んでいたし、そろそろ潮時ではないか、と思ったらしい。
ただ、祖父に自身の考えを伝えても拒否されている、店を続けたいと頑固だ、とも言っていた。
それならば。
説得できるのは、私しかいない。
なんとなく引っ掛かるとこもあるし、何より親孝行できるラストチャンスかもしれないのだ。
私がやるしか、ない。
「それで、いつまでこっちにいられるんだ?」
住居スペース。キッチンの食卓には、昔ながらのオムライスが3つ。誰が決めたわけでもないけど、帰省した日の昼食は、祖父の得意料理でお店の定番でもあるオムライスを食べることになっていた。
とはいえ、隠し味にスパイスを効かせたこだわりのチキンライスをとろっとろの半熟たまごで包んだオムライス、ではない。
玉ねぎとピーマン、にんじん、それに鶏肉代わりに刻んだハムが入ってるケチャップライスを薄いのに程よい弾力がある卵焼きで包んでいる、昭和の喫茶店ではお馴染みだった(らしい)オムライス。
私は生まれてないから当時をよく知らないけど、まさしく“昭和レトロ”なオムライス。
「うん。ちょっと長めにいられると思う」
言いながら、私はオムライスをひとくち。熱々のケチャップライス。卵の旨み。たまらない。
確かに高校生くらいの時は、もっとオシャレなオムライスが食べたかった。大阪に出て、初めて半熟たまごのオムライスを食べた時は衝撃だった。これだと思った。
でも、色んなオムライスを食べて、飲食店にも提案して、わかったこと。
うちのオムライスが、一番、美味しい。
世界一、美味しい。
オムライスだけじゃない。スパゲティナポリタン、ハンバーグ、ピラフ、ポークカツ、サンドイッチ、付け合わせのポテトサラダやスープ。庶民的な味だけど、どれも美味しい。
だから、私が後を継ぎたい。味を、店を、守りたい。
「長め? 連休明けには大阪に帰るんだろ?」
祖父が不思議そうな顔をして聞いてきた。
ここからが勝負だ。
「……仕事、辞めてきたから」
「はぁ?!」
祖父が驚きのあまりスプーンを持ったまま腰を浮かせた。
祖母もスプーンを動かしていた手を止め、無言のまま目を見開き、私を見てる。
「お母さんから聞いたよ。お店に立つ自信、もうないって」
「お前、またそんなこと言うとるか」
祖父が腰を下ろしながら祖母を睨む。
「でも、もう足が治らんかったら……」
「医者が大丈夫ゆうとるだろうが!」
「いいから聞いて!」
私は思わず大きな声を出してしまった。祖父と祖母がビックリしたように私を見る。
「……ごめん、驚かして。でも、ちゃんと聞いてほしいの」
私はコップの水を飲んで続けた。
「お母さんの気持ちもわかる。でも、お父さんは店を辞める気はない。そうだよね?」
「あったり前だ」
祖父がスプーンを置き、腕を組んで大きく頷いた。
「だったら、私が戻ってくる」
「なんでそうなる。お前にはお前の仕事が……」
「この店の、お父さんの味を越えるものなんか、ない」
「へ?」
祖父が虚をつかれたような顔をしている。畳みかけなきゃ。
「だから、私が継ぐ」
「お前なぁ、そんな簡単に言うけどなぁ」
祖父が呆れ顔。私は構わず続ける。
「簡単じゃないのは知ってる。私も、それなりに業界にいたから」
新たにお店をオープンさせるより、代替わりやオーナー変更で次の料理人に継承するほうが難しいことがある。店の味を引き継げなかったり、お店の印象が変わってしまって常連客が離れ、新規客の開拓もうまくいかず、結局閉店してしまうケースを少なからず見てきた。だからこそ。
「私しかいないの。お父さんの味を残せるのは。この味を一番知ってる私しか引き継げない」
「そうかもしれんが……」
「それに、お母さんの元気な接客も子供の時から見てきた。お店の雰囲気を引き継げるのも私しかいない」
「そんな……」
祖母がスプーンを置いた。泣きそうな顔をしている。
「職場には退職届、出してきた。今月いっぱいで辞める。仕事の引き継ぎも終わってる。有給消化で月末まで行かなくていい」
生半可な気持ちでは祖父も祖母も受け入れてくれないかもしれない。退路を絶ってきた。自分でも、かなり無茶をしたと思う。
「……そこまで覚悟を決めてきたんだな」
祖父の視線が厳しくなった。娘に向けるものではない。ましてや、孫に対するものでもない。
「俺は古い料理人だ。手取り足取り、一から十まで教えるような、そんな優しい教え方はできん」
「あなた……」
祖母が心配そうに祖父を見つめる。
「俺の動きを見て盗め。わからないことがあったら質問してもよいが、答えるのは2回まで。3回目はない。人様に料理を教えてきた身だ。できるな」
「やってみせる」
私は力強く頷いてみせた。祖父の顔から力が抜け、フッと小さく笑った。
「……俺の孫だな」
「娘です」
私も小さく笑みを浮かべる。
「よし、それなら明日から一緒にやろう」
「うん。宜しくお願いします」
私は座ったままとはいえ、仕事の時と同じように頭を下げた。
「あ、それとね」
顔を上げ、祖母を見る。
「お母さんにも、お店に立ってほしいの」




