第1話
『まもなく停車致します駅は伊予小松、伊予小松です。伊予小松駅では岡山、高松行きの上り列車との待ち合わせを致します。ドアは開きませんので、ご注意下さい』
年に3回ほど。年末とゴールデンウィーク、それにお盆の帰省時に良く聞くアナウンス。大阪に出て7年。特急しおかぜにも乗り慣れた。それでも。
――ここで降ろしてくれれば近いんだけどな。
つい、そんなことを思ってしまう。
駅から歩いて3分。小さな町の喫茶店が私のふるさと。大阪から帰ってくる時は新幹線で岡山まで行き、特急に乗り換え。伊予小松のとなり、特急が停車する壬生川駅まで祖父が迎えに来てくれる。
今年で75歳。まだまだ元気で車も運転する。ドライビングはまったく問題ない。
行き違いを終え、特急が動き出した。10分もかからず壬生川駅に着く。駅の改札を出てロータリーへ。年季の入ったマークⅡが待っている。私は助手席のドアを開けた。
「ただいま。いつもありがとう」
「おぉ、お帰り彩香。よぅ帰ってきた。そっちはどうだ?」
座った私に祖父の清が聞いてくる。まだ5月に入ったばかりだけど、日差しが強い。エアコンの風が心地よい。
「うん、まぁ、なんとかやってる」
ドアを閉めながら答えた。
私の仕事はフードコーディネーター。飲食店に対してメニューの作成や運営のアドバイスをしている。一応、簿記の資格も持ってるから、資金面とかの助言もしている。
「そうか。やってけてるならよかった」
なるべく標準語で話してくれてるけど、ところどころに愛媛のイントネーション。懐かしくて嬉しい。
でも、今回は嬉しいだけではない自分もいる。私は祖父に気がつかれないよう、小さく息をついた。
私は祖父母に育てられた。両親は私が5歳の時、乗っていたタクシーが事故にあい亡くなっている。悲しい出来事だったけど、まだ幼かったし、なにより見た目も体力も実年齢より若い祖父・清と祖母・京子が親代わりになってくれたから、実感は乏しかった。
親代わり、と言うより、完全に親だった。
だから、“おじいちゃん・おばあちゃん”ではなく“お父さん・お母さん”と呼んでるし、反抗期にはしっかり反抗したし、普通に親子喧嘩もした。
そして、いつかは親孝行したいとずっと思っていた。飲食系の専門学校に入学してからは帰省でしか帰ってきてないけど、私のふるさとはここ。4人がけテーブル席3席とカウンター席が5席ある、昔ながらの喫茶店。大切な、私の家。
だから。
私は祖父母の店を潰すわけにはいかないんだ。
2か月前。春先、3月。
勤めている飲食店向けコンスタント会社。
私は社内のキッチンルームで、カフェを開業予定の依頼人にメニュー提案をしていた。実際に自分で作り、味だけではなく見た目も判断してもらう。
「オムライスは上から卵を乗せます。包むと言うより、乗せる感じです」
隠し味に複数のスパイスを使い、細かく刻んだパプリカや淡路島産玉ねぎ、金時人参で彩りも良いチキンライスの上に楕円形のオムレツを乗せる。
「こちらをお客様にサーブしてからナイフで切って頂くと、トロッとした半熟たまごがチキンライス全体を覆います」
程よくとろけている半熟たまごがゆっくりとチキンライス全体を包む。
「見映えがよろしいですね」
私が試作したオムライスを依頼人が笑顔で見つめた。年齢は30代後半の男性。フランチャイズ店とはいえ、京都市内でも有名なファミレスの厨房で10年以上、調理を担当してきた。結婚を期に独立し、京都府南部の京田辺市で食事も楽しめるカフェをオープンさせたいらしい。大学があり、宅地開発も進み、学生さんやファミリー層で賑わっている地域。悪くない選択肢だと思う。
「でも、コンスタントに作るとなると、ちょっと手間かなぁ」
依頼人が少し自信なさげ。
「いえ、それほどでもないと思います」
私は笑顔で答えた。
実際、調理そのものは決して難しくない。少なくとも、カフェの開業をしようと考えている料理人であれば。
「何度か作ってみて下さい。コツさえつかめば問題ありません」
「そういうもんですか? それなら、ちょっと作ってみようかな」
「どうぞ、材料は揃ってますから。まずは……」
「越智さん」
私の説明を中断するように、上司の村上課長がキッチンルームへ入ってきた。普段は凛々しい上司で頼れる同性の先輩。でも、少し様子がおかしい。私は依頼人に小さく頭を下げ、村上課長へと近づいた。
「課長。どうかしましたか?」
「越智さん、ここは任せて、事務所戻って」
「なにかあったんですか?」
切羽詰まった口調。いつもよりトーンも低い。私が担当している他の業務でトラブルでも発生したのか。
「あなたのご家族から連絡がきてる。お母さまが倒れたって」
「えっ……」
言葉が詰まった。
「転んで骨折されて、緊急手術されるって。お父さま、スマホに電話してもつながらないから会社に連絡されたと」
仕事中、社内にいるあいだは私物のスマホの電源を切る。会社のルール。恐らく、祖父も致し方なく事務所に電話してきたのだろう。
「わ、わかりました。この仕事が終わったら折り返し……」
「いいから」
村上課長が小声だけど有無を言わせない強い口調。
「私も、こちらの依頼内容は把握してる。オムライスまで提案が終わってるのなら、あとはパフェとロールケーキでしょ? それだったら、あなたより私のほうが専門分野。だから、ご家族のことを優先して」
早くに両親を亡くしたこと。祖父母に育てられたこと。村上課長には話したことがある。配慮して下さっている。
「わかりました。ありがとうございます」
私は村上課長、そして依頼人に頭を下げると、慌ててキッチンを出て、事務所まで小走りで向かった。
「ただいまぁ」
ガラスが嵌め込まれたお店の扉を開く。店舗付きの住宅。建物の裏手に住居用の勝手口があるけど、子供の頃から帰ってきた時にはお店の扉から入っていた。
「おかえりぃ。元気そうやね」
祖母がカウンターの椅子からゆっくり立ち上がり、笑顔で迎えてくれる。
でも、いつもと違う。右手には杖。
「うん」
さすがに“お母さんも”とは言えない。元気そうにはまったく見えない。
3月。近所の人たちとお花見に行った際、階段で転び大腿骨を骨折した。
正確に言えば、大腿骨頚部骨折。手術は医師から“活動的な人であればこちらがよい”と提案された人工股関節全置換術にした。リハビリも順調に進み、痛みもほぼなく、今は杖があれば歩行は可能。
そう、杖があれば。
今まで元気にお店で給仕をしていた祖母が杖をついているだけで、以前のような溌剌さがなくなっているように見える。
「おぅ、今帰った」
車を駐車場に停めた祖父も店に入ってきた。
「お帰りなさい」
祖母の声が前より弱々しく感じる。
「今日は休みにしたから、彩香もゆっくりするといい」
飲食店はいつでも開店していなければならない。お客さんのため、休んではならない。料理人としての祖父の矜持で、いつもは年中無休。だけど、私が帰省で帰ってくる日だけは臨時休業にしてくれている。
「うん、ありがとう」
私は祖父の言葉に笑顔で頷いた。
「部屋に荷物置いてくる」
私の部屋は高校の時のまま、残してくれている。掃除も祖母が帰省前にやってくれている。でも。
「ごめんねぇ。足がこんなだから、あんまり掃除できてなくて」
祖母が左手を頬に当て、不安げに私を見る。
「なにを言ってるか。ちゃんとやっとっただろ? いつまでも気弱なままでどうする」
祖父が祖母に対して苛立っている。価値観が昭和だから、祖母に対して多少は強くあたることもあったけど、それとも少し違う。呆れというか、焦りというか……。
「まぁまぁ。とりあえず、荷物置いてくるし」
私は祖父をなだめて、住居スペースへと向かった。




