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番外編 鉄骨の抱擁

 一級建築士の九条直人は、自らが設計に関わった地下鉄駅のベンチで、深く溜息をついた。

 コンクリート、鉄筋、ボルト。計算し尽くされた強度の世界に身を置きながら、九条自身の心は、雨に濡れた段ボールのように脆く崩れかけていた。過労と孤独が、彼の肉体から「存在感」を奪い去っていた。

「……僕も、この構造体の一部になれたら、どんなに楽だろうか」

 ふと、終電間際のホームの柱に、見慣れない「亀裂」を見つけた。

 それは、幾何学的な模様を描きながら、まるで呼吸するようにゆっくりと開閉している。九条が吸い寄せられるようにその裂け目に触れると、冷たいはずのコンクリートから、微かな「拍動」が伝わってきた。


 その瞬間、背後の線路から、塗装の剥げ落ちた無機質な銀色の車両が滑り込んできた。

 行先表示板には、文字ではない「設計図の記号」が羅列されている。

 吸い込まれるように乗車した九条の目に飛び込んできたのは、座席ではなく、車内全体を埋め尽くす「人間の形をした鉄骨」だった。

 吊革からは細いワイヤーが垂れ下がり、乗客たちの関節を精巧に繋ぎ止めている。

 彼らは動かない。ただ、列車の振動に合わせて「ギィ、ギィ」と軋むような音を立てるだけだ。

 案内板が、製図用インクのような黒い液体を滴らせながら文字を刻む。

『次は……補強……補強……お出口は、設計図の空白でございます』


 電車が急停車したのは、完成することのない永遠の工事現場――零駅だった。

 ホームの壁からは無数の鉄筋が、まるで飢えた獣の牙のように突き出し、九条に向かって伸びてくる。

「あ……あぁ……」

 逃げようとした九条の足元が、急激に硬化した。

 見れば、彼の靴からコンクリートが噴き出し、スネを、膝を、太腿を、無慈悲に塗り固めていく。


 駅の奥から、ヘルメットを被った「監督」らしき影が近づいてきた。その顔面は、一枚の滑らかな鋼鉄の板だった。

「……強度が足りない。もっと、芯材が必要だ」

 監督が指差すと、九条の身体の節々から、鋭いボルトが皮膚を突き破って飛び出した。

 内臓はセメントへと置き換わり、血管は光ファイバーの束へと変質していく。

 痛みはなかった。あるのは、自分がようやく「強固な世界」の一部になれるという、狂気じみた安堵感だけだった。

 九条は、ホームの柱の基部へと強制的に配置された。

 彼が完全に柱と同化した瞬間、零駅の巨大な天井を支える梁が、満足げに一度だけ大きく鳴った。


 翌朝、改札が開く。

 何千人という乗客が、その「新しい柱」の横を通り過ぎていく。

 誰一人として気づかない。

 その柱の冷たい表面の奥で、かつて人間だった男の心臓が、今も駅の振動に合わせて、一分間に一度だけ、重く、鈍く、拍動していることに。

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