1ー16 嵐の前の平凡な日常
「ふあぁぁぁぁ~~……」
影小鬼を討伐した翌日。
俺は朝からずっと襲い掛かる眠気と戦っていた。
なぜか今日は無性に眠くって、寝ないよう奮闘していたせいで授業中は全く集中できなかった。さっきの四限目の授業の内容も全く記憶にない。
どうしたんだろ?昨日は疲れてたから早めに寝たのに。
昨日の夜の討伐から帰った後は、すぐに風呂に入って、寝る準備もさっさと済ませて眠りに就いた。
だから睡眠時間はしっかり取れているし、ここまで眠たくなるはずないのだが……。
学校から帰った後ソフィアに尋ねたところ、これは魔力を使い慣れてなくて疲れたからだと教えてもらった。魔力の循環に慣れてない身体だと、よくあることらしい。
だが、そんなことを知らないこのときの俺は、眠気に耐えながら疑問に首をひねり続けていたのだった。
「よう。なんだ悠真。すっげー眠そうな顔してんぞ」
「ほっとけ。今にも夢の世界に行きそうなんだよ」
昼休みになったことで、亮太が俺の席までやってきた。手には購買のパンが何個か入った袋を持っていた。
亮太は俺の前の席の椅子に座ってこちらを向く。
俺は弁当箱を開き、「いただきます」と言ってから食べ始める。
「……今日もまた、気合の入った弁当だなぁ」
「?」
亮太が俺の弁当を見て呆れたように苦笑する。
「別に普通だろ。いつもと変わらない出来で、んでもっていつも通り美味い」
「はは……それ、作った本人に直接言ってやれよ。絶対喜ぶから」
「いつも言ってる」
「さいですか。でも、それが普通ってのはないわ。こんな愛の籠った弁当はそう見ることないからな」
断言されてしまった。
俺の弁当は美奈穂が作ってくれた物だ。美奈穂は自分の分だけでなく、俺たち兄妹の分まで作ってくれている。
そのことに感謝を忘れたことなどないが、愛が籠ったはさすがに言いすぎだと思う。
そう亮太に言ったら半目を向けられた。
「こいつマジで言ってやがる……。はぁ、美奈穂も大変だな」
亮太が何か呟いていたが、最後の方は聞き取り難くてよくわからなかった。何か言いたいなら小声で喋るんじゃねえよ。
「そういや今日は面白い話を聞いてきたぜ」
「ん。どんな話?」
話題を変えた亮太だったが、俺は特に気にせずそれに喰いついた。
「実は昨日の夜によ、怪奇現象を見たって子が下級生にいてな。なんでも突然昼間みたいに外が明るくなったらしいんだよ。それで気になって外を見たら、天使と青く光る何かを持った男がいたんだって。なんか面白そうだよな!」
「へ、へえ……突拍子のない話だな……」
俺は冷や汗をかいていた。今、上手く笑えている自信がない。絶対引き攣ってるに違いない。
というかその話、絶対昨日の俺たちだよね?天使とか、青く光る何かとか、身に覚えがありまくりなんだけど!見てる奴がいたなんて迂闊だったー!
「その話、どれくらい知ってる奴いるかわかるか?」
声に緊張が乗らないよう慎重になりながら尋ねる。
「んー。そんなに広まってはなかったけど、昨日突然明るくなったのを見たって言ってる奴は多いし、すぐに広まるんじゃないか?」
終わった。それ、そのうち加奈子先輩にも伝わるてことじゃないですか。バレるのも時間の問題、か。
絶望に浸っていると、俺の様子に気づいた亮太が訝しげに顔を覗き込んでくる。
「お前大丈夫か?すっげー顔色が悪いんだけど」
「はは、大丈夫大丈夫。何も問題はないさ」
俺の地獄行きが刻一刻と迫っていること以外はな。
「……もしかして、噂になってるのってお前か?」
「っ、んなわけねーだろ?何言ってんだよ。あはは」
「その反応で丸わかりだぞ、このバカ」
「ぅぐ」
動揺しすぎて誤魔化し方を間違えた。何やってんだよ俺は。
確信を得た亮太が、ニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「悠真のことだ。そんなに焦るってことは、おざわ荘内にいる誰かにこのことがバレたくないんだろ。お前って、あそこに住んでる人間以外が相手だと、すっげー淡泊な反応するからな。んでもって、噂になってる男がお前だとすると、天使の方はソフィアちゃんか。あの子なら確かに天使って呼ばれても違和感ねーし」
亮太が推理を述べていく。ソフィアが天使と呼ばれた理由が彼女の純白の翼だという点以外は、完璧だった。
「こういう不思議現象がバレたくない相手……候補は三人か」
亮太が挙げたのは、美奈穂、紺野先輩、加奈子先輩の三人。
俺はゴクリと喉を鳴らす。
「美奈穂ちゃんだったら、理由は危険なことをしたのがバレたくないから。夜に出歩いたなら、お前また魔物を狩りに行ったんだろ?美奈穂ちゃんはお前が危険なことをすると悲しむから、バレたくない理由としては十分だ」
亮太は一応魔物の実在を知る側の人間だ。まあ知っているだけのただの一般人で、特殊な何かがあるわけではないが。
おざわ荘に住んでいる住人は、皆そういう非現実的なモノが実在することをある程度理解している。
まあ俺が昔に魔物と遭遇してしまう事件があり、それが原因でおざわ荘内に魔物の実在が広まってしまったのだが。
ただ知っているのは訳ありで住んでいる人間が多い今のメンバーだけで、過去に住んでいたが出て行った元住人たちは知らないはずである。
ソフィアが精霊であることにすぐ馴染んだのも、こういう理由があったからなのだ。
「紺野先輩は……知られるとからかわれるからか?理由も弱いしこれは違うか」
「…………」
「加奈子先輩は、無断でお前が魔物を狩りに行ったことに怒るから。……あっ、わかった!加奈子先輩だろ。お前が顔色悪くした理由。美奈穂ちゃんの場合だったら謝り倒せば許してもらえるだろうけど、加奈子先輩はなぁ……昔怒らせた悠真が泣きながら鍛錬させられてたっけ。あれは恐ろしかった。というわけで、答えは加奈子先輩!」
「……正解だよ」
「お、おう。そんなどんよりした顔久しぶりに見たな……」
わざわざ絶望してるとこを抉りに来やがって。
俺はやってもーたと言いたげな表情をする亮太を睨んだ。
「まぁこの件はご愁傷様ということで、ドンマイ!」
「オイ!ふざけんな庇ったりしてくれねーのかよ!」
「はっはっは!相手が悪すぎだな!他を当たれ……と言いたいところだが、こっちの条件を呑むなら地獄から軽めの地獄にしてもらうよう掛け合ってもいいぞ」
「……それって変わらないだろ」
けど少しでも軽くなるならいいかも。少しでも、俺にとっては大きな差かもしれないし!(現実逃避)
「ん、わかった。取り合えず話を聞こうじゃないか」
俺の返答に、亮太は再びニヤリと嗤った。
そしてスマホを取り出し、とある画像を見せてきた。
「お、お前……これって、まさか……」
「ふっふっふ~。ああ、あのときのデートの写真だ」
「――ンなッ!?」
先日のソフィアとのデートのとき、亮太は俺達を尾行していた。この写真はそのとき撮った『盗撮写真』なのだろう。
「これを校内新聞の記事で使わせて欲しい。これが俺が提示する条件だ」
盗撮は悪質な行為で、俺はこいつを責めるべきなのだが……条件だと言われてしまえば強く出れない。それをわかって今ここで見せてきたな、この野郎……。
亮太は新聞同好会の一員だ。
なぜ新聞〝同好会〟なのか。それは新聞同好会が亮太を含め三人しかいないからである。ぶっちゃけると、部として認められる最低人数の五人という決まりに撥ねられたのだ。去年の三年生が卒業し、今年はまだ新入生が入っていないため、部活として学校側から認められていないのだ。
亮太が記事にデートの写真を使いたいと言ったのも、何割かはこれが理由だろう。
俺達の写った写真――というかソフィアは今、SNSを初めとするネットの世界ではそこそこ人気が出ている。
絶世の美少女とか、地上に降臨した女神様などなど様々な呼ばれ方をしてネットを騒がせており、それを知る者はこの学校内にもいることだろう。
ソフィアのルックスに、話題性。
この二つを武器に校内新聞で取り上げれば注目が集まり、新入生に新聞同好会に興味をもってもらえるかも。そしたらまた部活として認められるかも。
亮太の狙いはこんなところだろう。
俺としては断りたい。亮太には申し訳ないが、見世物になんてなりたくないから。
それを見越して加奈子先輩への執り成しを条件にした。俺が絶対断れないと知っていて。……嫌らしい手を思いつきやがって!
「それ……俺は構わないけど、ソフィアにもちゃんと許可取れよ?」
「よっし!言質いっただきー!安心しろ。ソフィアちゃんには既に事情を説明して許可もらってるから。あとはお前の許可だけだったのさ」
「くっそー……っ」
一本取られた。
亮太より先にソフィアを説得しようと思ってたのに!
ソフィアが顔の写った写真を公開する危険性をどこまで理解しているかはわからないが、あの優しそうなお姫様のことだ。亮太の話を聞いて力になれるのならっ!みたいな感じで了承した可能性が高い。
……許可してしまった以上、今更やっぱナシでとか言えないけどさ。
「はあ……まあいっか。お前なら悪いようにはしないって、信じてるから」
俺は亮太の手際の良さに呆れ、諦念の溜め息を吐いた。
その後もくだらない話を交わしながら、昼食を食べ進めるのだった。
□□
夕方。私室で魔力操作の練習をしていると、美奈穂が部屋を訪ねてきた。
「ねえ悠真。サラちゃんどこにいるか知らない?」
「サラに何か用なのか?」
用を聞いたところ、美奈穂の愛用している音楽プレーヤーが動かなくなったので、機械に強いサラに直してもらいたいのだそうだ。
まあ俺もサラの兄だし機械を弄ることはできるが、サラに頼んだ方が確実だしな。
実際その壊れた音楽プレーヤーを見せてもらったが、俺には原因が何か予想はできても修理はできないし。
機械の事は天才サラちゃんにお任せあれっ!が、おざわ荘の常識だ。
二人で別館の方へ向かう。
美奈穂がさっきサラの部屋を訪ねたときは返事がなかったらしく、部屋にいないなら別館にあるサラの研究室にいるのではないかと予想したからだ。
サラの研究室はたまに危険物があるため、おざわ荘の住人が間違って入らないようにしている。各種認証装置によってガチガチに固められたセキュリティによって、サラと俺の二人だけしか研究室のロックを解除できない。
以前にサラの研究室で開発される物を狙って盗みに入ろうとする輩もいたしな。研究室前の認証装置まで到達できた者は今までいないが、厳重にしておくのは悪くないことだ。
「おーい、サラいるのかー?」
別館のサラの研究室前に来た俺は、入る前にインターフォンで呼びかけてみる。
そうすれば、サラがいるのかいないのかを教えてくれる存在がいるから。
『ようこそいらっしゃいました。現在マスターはラボ内にて作業を行っておりますため、今しばらくお待ちください』
突如響く、機械のような抑揚のない女性の声。
サラの声に似ているが、扉のロックを制御する簡易AIの音声だと俺も美奈穂も知っていた。
「ねえ、どれくらいかかるかわからないかな?サラちゃんに用事があるんだけど」
『マスターの作業終了時刻は不明なためお答えできません。ですがマスターにお客様の要件をメッセージでお伝えすることは可能です』
「それはいいよ。勝手に入って直接言うから。認証、サブマスター・水瀬悠真。『我らの発明に栄光を』」
俺は扉の認証装置のパネルに手を置いて、開錠キーを発声する。
解錠キーとなる言葉がちょっとアレな感じで恥ずかしいけど、決めたのは俺じゃないから我慢する。
指紋や虹彩、音声を初めとする認証装置が俺を調べていく。三秒ほどでそれらの確認は終わり、扉が自動で左右に開いてエレベーターが現れる。
認証が終われば扉が閉まらない内は誰でも乗れるエレベーター。
俺達はすぐに乗り込む。
エレベーターは静かに降下していき、五秒後、地下一階で止まった。
「……やっぱり、何度見てもすごいね……」
エレベーターを降りた先の光景に、美奈穂は圧倒されていた。
それも無理ないことだ。実際目にしたことがない者は、おざわ荘の地下にSFのような施設があるなんて言っても、誰も信じたりしない。
だが現実に存在している。SFアニメに出てくるような、光のラインが白い壁を走っている光景が、俺達の前に存在しているのだ。
「あはは。気持ちはわからないでもないけど、早くサラのとこに行こうぜ」
キョロキョロと白い壁を見回していた美奈穂を促して進む。
廊下には手前に資材室や製材室、保管室があり、その先にサラの開発室を兼ねた研究室がある。
「サラー邪魔するぞー……って、おい……」
「ん?あ、ユウ兄にミナホ。どうしたの?」
研究室の中はかなり広く、俺が以前見たときは機材が綺麗に整理されて置かれていたのだが、今となっては見る影もない悲惨な光景が広がっていた。
工具やよくわからない道具が至る所に散乱し、機材も床に適当に放置されたままの物がある。それ以外にも発明品らしき物体が大量に転がっていた。
床は足の踏めるスペースがほとんどなく、はっきり言ってすごく邪魔で狭い空間ができあがっていた。
「サラちゃん。なんで部屋の中がこんなに汚いの?」
絶句する俺の背後から研究室を覗いた美奈穂が顔を引き攣らせながらサラに尋ねる。
「いやー、えへへ。片付けはロボット達が勝手にやってくれるんだけど、ロボットじゃ片付け切れないぐらい物で溢れちゃって。あたし以外来る人なんてユウ兄ぐらいだし、ユウ兄もいつも来る訳じゃないし、別にこのままでもいっかなーって思って……そのぉ……」
「サラ……」
「――ッ!ご、ごめんなさい、今すぐ片づけます~!」
目を泳がせ言い訳するサラだったが、俺が悲しげに名前を呼ぶと、ビクッ!と身体を震わせ片付け始める。
兄に怒鳴られるよりも悲しませる方がサラは苦手なのだ。その辺は兄妹揃って似ている。
「サラちゃん、私も片付け手伝ってあげる」
「はぁ、しょうがないから俺も手伝う。その方が早く終わるし」
「ミナホ!それにユウ兄まで!ぅぅ~ありがと~!」
三人(とロボット達)で片付けをしたため、足の踏み場もないほど散らかっていた研究室は三十分程で綺麗になった。
給仕用ロボットが持ってきたお茶で一息つくと、サラが再び俺達が来た理由を尋ねてきた。
「それで二人はなんでここに?ユウ兄だけじゃなくてミナホまで来るなんて珍しいね」
「実は、サラちゃんに直して欲しい物があって……これなんだけど」
美奈穂がサラに音楽プレーヤーを手渡す。
サラは受け取るとボタンを押したり、ひっくり返したり機械に通したり色々と音楽プレーヤーを弄りだした。
「ふーん……なるほどねぇー」
「何かわかったの?サラちゃん」
「うん。まあたいしたことじゃなかったよ。たぶん接続端子の不具合とバッテリーが問題だろうし、とりあえずバラして部品を交換かな。あたしのとこに持ってきたってことは、修理しちゃっていいんだよね?」
「うん。お願いサラちゃん」
「まっかせてよ!すぐに終わらせるね!」
「余計な改造するなよ」
「わ、わかってるよ……」
頼られたことが嬉しいのかテンション高く張り切るサラ。
俺は嫌な予感がして先に釘を刺す。
若干目を逸らしたの、お兄ちゃんは見逃してないからね。まったく……。
サラが作業台で修理を始める。
美奈穂はサラの傍でその作業を見学する。
ロボットが何体も動き回り、作業台の上に修理に必要な部品を運んでくる。
部品は製材室で作られ、バッテリーなんかもそこで作られる。製材室では、部屋より大きな物以外は何でも作れてしまうのだ。地味に凄い。
もう製材室じゃなくて製作室とか製造室でいいんじゃないかと思うが、部品なんて発明品を形作る材料みたいな物なんだよ!っていうサラの考えがあるらしいから、俺もそう考えるようにしている。
俺は二人から離れ、サラがさっきまで何かをしていた別の作業台――大小様々なディスプレイに囲まれた調整機器の上に置かれた物を見ていた。
「ナヴィ。サラはさっきまでコレの調整をしていたのか?」
『はい』
ディスプレイに表示された少女アバターが問いに答える。
その声はエレベーター前で聞いたサラ似の機械音声とは全くの別物。
無機質な感じを残しながらも、知性と親しみが感じられる人間の少女のような声音。
調整機器の大量のコードに繋がれた物体――機械のチョーカー。メカメカしく、一部が途切れたリングのような機械。今は外されている金属のように硬くも伸縮性がある外装。
機械のチョーカーの名称は『第三世代思考干渉型補助演算装置〈シグル〉』。
装着者の神経と信号接続し、脳を読み取ることで記憶を〈シグル〉内で常時バックアップし続け、世界一と世間で評価される某スーパーコンピューターを上回る演算能力を駆使し、装着者を様々な機能でサポートするのだ。
そしてそれらの機能を統括する存在が、俺の問いに答えた少女――サポートAI『NAVI』だ。
「今回の調整はもう終わったのか?」
『調整は終了しました。残すは外装の装着のみです。マスター、着けていただけませんか?」
若干恥じらった感じで頼んできた。
何に照れているのか良くわからなかったが、確かに機械の内部をさらけ出したままというのもアレなので、お望み通り着けてやる。
なぜナヴィが他のAIと違って知性を、人間性を感じられるのか。なぜエレベーターのAIのように、サラではなく俺をマスターと呼ぶのか。
それはナヴィを開発――もといサラの発明品のAIのプログラムを組んだのが俺であり、通常のAIとは一線を画す、感情が何かを学習し続ける、俺渾身の傑作だからだ。
俺の専門はプログラム。サラの専門は新しい機械の発明。
サラもある程度はプログラムを組むことができるが、いつもは甘えて俺に任せてくる。俺が美奈穂の音楽プレーヤーの修理をサラに任せたように。
〈シグル〉の制作において、AI関係は俺が、AIの入れ物になる本体はサラが担当した。
そうなるとナヴィ自身にとって生みの親は俺になるため、ナヴィのマスターは俺になったのだ。
余談だが、サラをマスターと呼ぶAI達の生みの親も、一応俺が作った。そして簡易AIの音声にサラの声を使うことにしたのだが……ただの機械音声であるとは言え、妹の声である。
俺に、妹の声をしたAI達のご主人様になる勇気はなかった……。
ナヴィは別だ。だってこの子だけはサラの声を使わず、一から声を作ったからね。
『装着はしてくれないのですか?」
「今日はいいかな。明日にするよ」
『……そうですか。では明日を楽しみにしておきます』
何だか少し不満そうな声だった。
「そっちは終わったか?」
「うん。ほら、完璧に直してもらったよ」
修理が終わったのを見計らって声をかけると、美奈穂が嬉しそうに直った音楽プレーヤーを見せてきた。
「直ったことだし戻ろうか。さすがにそろそろ夕飯の準備しないと間に合わないだろ?」
「え?あっ、もうこんな時間!」
俺が指さす方向を向いた美奈穂が、ディスプレイに映っていた時間を見て焦りだした。
午後六時。
皆の分の夕飯を作るなら、早く戻らないと食べる時間が遅くなってしまう。原則皆一緒に食べるおざわ荘にとって、それは避けるべき事態だ。
「俺も料理手伝うよ。さすがに一人じゃいつもの時間に間に合わせるのは大変だし」
「ありがとう悠真。ほんと助かる!」
「サラはどうする?まだここにいるのか?」
「んー。あたしも一緒に戻るよ。だからナヴィ、消灯とか色々よろしくね」
『かしこまりました』
「また明日な、ナヴィ」
俺達は研究室を去り、サラも含め夕飯の準備に勤しむのだった。
□□
深夜のとある日本の山の中。まるで人気のないそこをゆっくり歩くものがいた。
ソレの身体は影小鬼のように影と魔力で構成されていたが、影小鬼と違い生物全てを圧倒する存在感があった。
前を見つめるは王者の如き威圧を放つ金の双眸。
四足歩行する身体は巨大で、その口には鋭い牙が生え揃う。
影の鱗に覆われた巨体からすらりと生える長い尾と翼。
ソレの正体を問われればこう答えるしかあるまい。
架空の存在。規格外の覇者。生物の頂点。幻想種――ドラゴン、と。
ありえなかった。
魔物がいることがでもなければ、ドラゴンが日本にいることがでもない。
問題なのは、そのドラゴンが東洋に伝わる〝龍〟ではなく、西洋に伝わる〝竜〟の方だったということだ。
西洋に現れるべき魔物が、東洋に現れるなどありえない事態だった。
だが今はそれを気にするべきではないのだろう。いくら影の魔物だとしても、相手は伝説の幻想種。生きる災厄なのだから。
竜の後方から向かって来る一台のワゴン車がいた。
外まで音楽を垂れ流すワゴン車に乗るのは、大学生らしき四人の若者。
テンションの高い若者達を乗せたワゴン車は気づかなかった。
「…………」
忌々し気に見下ろす、金の双眸に。
ワゴン車を一呑みできてしまうほど巨大な怪物がいることに。
ブオゥッンッッ!!と翼を羽ばたかせ飛び上がった怪物は、急降下し腕を振り下ろす。
その威力は凄まじく、山崩れが起きる。
ワゴン車はというと、腕を薙いだ瞬間の風圧で吹き飛んだため竜の爪に切り裂かれることはなかった。山崩れに巻き込まれず、森の木がクッションになったおかげで命拾いしたのは、若者達にとっての不幸中の幸いだっただろう。
不快な音を垂れ流す存在が消えたことで怒りが収まったのか、再び歩みを進める影竜。
「これは、なかなか期待できそうだ。……待っていろ、精霊」
日本から遠く離れた異国の地で、遠見の魔術を使い影竜を観察していた魔術師は愉快そうに呟いた。
翌日のニュースで、山崩れに遭いながらも奇跡的に軽傷だけで済んだ四人の若者のことが報道されるのだった。
誤字・脱字があれば報告お願いします。




