第58章
このクーパーウッドの恩赦の件、その正確な時期は本人には伏せられていたが、近いうちに認められるはずだ、あるいはそうなる可能性がとても高い、という事実は否定されなかった――むしろ折に触れて強調された。ウィンゲートもシュテーガーも、進捗状況をクーパーウッドに正確に伝え続けたが、実際に知事の私設秘書から、特定の日に恩赦状が渡される確認がとれると、シュテーガー、ウィンゲート、ウォルター・リーらは示し合わせて、クーパーウッドには何も言わず不意打ちを食わせることに決めた。彼ら、つまりシュテーガーとウィンゲートに至っては、手続きに何かの支障が生じて、そうすぐには出られないかもしれない、とまでクーパーウッドに言う始末だった。クーパーウッドは多少落ち込んだが、きちんと自分を戒め、待てる、いつかはうまくいく、と自分に言い聞かせた。そのため、ある金曜日の午後、ウィンゲート、シュテーガー、リーがデスマス所長と一緒に、独房の入口に現れたのを見たときは、かなり驚いた。
ついにクーパーウッドが出所するかと思うと、所長は心から喜んだ――それほど彼に一目置いていた――彼が釈放をどう受け止めるかを見届けるために、独房まで同行することにした。途中でデスマスは、彼が常に模範囚だった事実を述べた。「独房の中庭に小さな花壇を作ってましてね」所長はウォルター・リーに打ち明けた。「スミレとパンジーとゼラニウムを植えたんです。それがまた立派に育ちましてね」
リーは微笑んだ。獄中でさえ勤勉で趣味がいいとはクーパーウッドらしいな。こういう男は征服されたりしないのだ。「まったく大した男ですよ」リーはデスマスに言った。
「まったくです」所長は答えた。「彼を見ればそれがわかりますよ」
四人は、気づかれることなく、物音ひとつ立てずに近づき、格子の扉越しに中をのぞいた。そこではクーパーウッドが作業をしていた。
「精が出ますね、フランク?」シュテーガーが声をかけた。
クーパーウッドは肩越しに一瞥して立ち上がった。近頃いつもやっているように、出所したら何をしようか考えていたところだった。
「これは何だ」クーパーウッドは尋ねた――「政治団体の視察か?」すぐに何かを察知した。四人全員が朗らかに微笑んだ。ボンハが所長のために扉の鍵を開けた。
「大したことじゃない、フランク」シュテーガーはうれしそうに答えた。「ただあなたが自由の身になったってだけのことです。何なら手荷物をまとめてすぐに出てきてもいいんですよ」
クーパーウッドは冷静な目で友人たちを見た。言われていたとはいえ、まさかこんなに早いとは予想していなかった。行動を伴ういたずらや不意打ちには、あまり興味がなかったが、これはうれしかった――自分が自由になるという事実が突然実現したのだから。それでも、あまりに長い間これを待ち望んできたために、その魅力はある程度薄れてしまっていた。ここで彼は不幸であり、不幸ではなかった。最初は、恥辱と屈辱が大きかった。近頃は、そのすべてに慣れ、狭さや屈辱を感じなくなっていた。ただ、監禁され遅れをとらされたと思うとやりきれなかった。特定のこと――主に成功と名誉の回復――に対する強烈な願いを除けば、狭い独房の中でもそれなりに快適に過ごせることに気がついた。(もっと不快な臭いを消すために使われた)石灰の臭いにも、定期的に捕まえたかなりの数のネズミにも、とっくに慣れてしまった。籐椅子編みに関心を持ち、やろうと思えば一日に二十脚は座れるようにできるほど上達し、春、夏、秋には小さな庭で作業をするようになった。毎晩、狭い中庭から空を眺めていた。その結果、不思議なことに、後年、ある有名な大学に立派な反射望遠鏡を贈ることになった。彼は決して自分を普通の囚人とは見ていなかった――もしあれが本当の犯罪でも、自分が十分に罰せられたとは思わなかった。ボンハから、ここにいる大勢の犯罪者、上は殺人犯から下は軽犯罪者までの経歴を教わり、折に触れて多くの者が指し示された。ボンハに連れられて広い庭に案内されたり、ここの普通の食事が準備される様子を見たり、手心を加えられたステナーの生活について聞いたりした。最終的に、ここはそれほど悪いところではない、ただ自分のような人間にとってここでぐずぐずしている時間は浪費だ、と思い至った。もし外にいて裁判で戦う必要がなかったら、今頃はもっとたくさんのことができたはずだ。法廷と刑務所め! そこに費やされた無駄を思うと、首を振るしかなかった。
「わかった」クーパーウッドは落ち着かない様子で周囲を見回しながら言った。「準備はできている」
クーパーウッドは、ろくに見納めするでもなく廊下に踏み出し、上客を失って大げさに悲しんでいるボンハに言った。「この辺のものが私の家に送られるように手配してほしいんだ、ウォルター。その椅子、あの時計、この鏡、こういう絵とか――つまり、リネンの肌着やカミソリ以外のものは全部好きにしていい」
この最後のささやかな施しは、ボンハの傷ついた心を少し慰めた。一行は入所管理の事務室に入った。クーパーウッドはかなりの安堵を感じながら、囚人服と柔らかいシャツを脱ぎ捨てた。木靴はとっくに自前のもっといい靴にかえられていた。前年の入所時に着用していた山高帽とグレイのオーバーコートを着て、準備ができたことを告げた。刑務所の入口で振り返り、庭に通じている鉄の扉を最後に一瞥した。
「名残惜しいんじゃあるまいな、フランク?」シュテーガーは不思議そうに尋ねた。
「まさか」クーパーウッドは答えた。「そんなことを考えていたんじゃない。ただ外観を見ただけだ」
もう一分もすると外門に着き、そこでクーパーウッドは最後に所長と握手を交わした。それから、大きくて印象的なゴシック風の入口の外で馬車に乗り込むと、背後で門に鍵がかけられ、一行は走り去った。
「さあ、これで終わった、フランク」シュテーガーは楽しそうに言った。「もう悩まされることはないですよ」
「ああ」クーパーウッドは答えた。「来るときの方が、去るときよりも嫌なもんだな」
「これは何かお祝いしないと」ウォルター・リーは言った。「ただフランクを家に送り届けるだけじゃ駄目だ。グリーンズに繰り出すのはどうだ? 名案だろ」
「悪いが、やめておく」クーパーウッドは感情を込めて答えた。「みんなとはあとで集まることにするよ。今はすぐに家に帰って服を着替えたい」
クーパーウッドは、アイリーン、子供たち、両親、そして自分の将来全般について考えていた。これから自分の人生は大きく広がっていく、と確信していた。この十三か月で、自分の身の守り方をずいぶん学んだ。アイリーンに会って、今の気持ちを確かめ、それから、かつて自分の会社でやっていたような業務を、ウィンゲート商会で再開しよう。友人を通じて、再び取引所の会員権を確保し、前科者とは取引したがらない人たちの偏見を避けるために、自分はウィンゲート商会のために働く外回り全般と取引所の場立ちとして活動しよう。自分が実質的にこれを支配していることは公には証明できないはずだ。今はただ市場で何か重大な展開――暴落か何か――が起きるのを待つだけだ。自分が敗北者かどうかを世間に見せてやる。
彼らはクーパーウッドを妻の小さな家の前で降ろした。クーパーウッドは夕闇が迫る中、足早に中に入った。
一八七三年九月十八日、晴れ渡った秋の日の十二時十五分、フィラデルフィアの街で、世界がこれまでに目にしたなかで最も衝撃的な金融の悲劇の一つが幕を開けた。フィラデルフィア南三番街一一四番地で業務を行い、ニューヨーク、ワシントン、ロンドンに支店を持つ、アメリカ最大の金融機関、ジェイ・クック銀行が店を閉めた。アメリカの金融危機に通じた人なら、その後に続いた恐慌の重大さをよく知っている。これは一八七三年恐慌としてすべての歴史書で語られている。そして、それに続いた広範囲に及ぶ破産と災厄は、アメリカ史上ほとんど前例のないものだった。
このときクーパーウッドは再びブローカー――表向きはブローカーの代理人――として南三番街で商売をし、取引所ではウィンゲート商会を代表していた。イースタン刑務所を出所して六か月が経過する間に、以前の知人たちと、社交はともかく、金融の面では関係を静かに再開していた。
さらに、ウィンゲート商会は繁盛していて、しかもしばらく続いていたので、事情を知る人たちに彼の信用を高めることになった。表向きは、北二十一番街の小さな家で妻と一緒に暮らしていたが、実際は、北十五番街の独り暮らし用のアパートに住み、アイリーンが時折通っていた。夫婦の不和は、もはや家族の間では周知の事実になっていた。事態を丸く収めようとするかすかな努力も多少はあったが、良い結果は出なかった。過去二年間の苦労のおかげで、両親はすっかり厄介事や異常事態に備えるようになっていた。これは驚くべきことだったが、数年前なら大きな衝撃になったとしても、これはそうならなかった。人生にすっかり怖気づいてしまい、その異様な展開に異論を唱えるどころではなかった。ただ、最善を願って祈ることしかできなかった。
一方、わずかに残ったバトラー家の人たちは、もはやアイリーンの振る舞いに無関心になっていた。彼女は、兄たちにも、もうすべてを知っているノラにも、無視された。母親は信心深い祈りと、亡き夫への沈鬱な思いに沈むばかりで、以前のようにアイリーンの生活を積極的に見てはいなかった。それに、クーパーウッドとアイリーンは、人前での振る舞い方が以前よりも慎重になった。二人の活動はさらに用心深くなったが、結果は同じだった。クーパーウッドは西部へ行くことを考えていた。このフィラデルフィアで多少の地域的な足場を築いて、十万ドルくらいの資本を手にして、かねてから耳にしていた果てしない大草原――シカゴ、ファーゴ、ダルース、スーシティといった、当時のフィラデルフィアや東部で、将来の繁栄の中心地として喧伝されていた場所に移り、アイリーンを連れて行くつもりだった。クーパーウッド夫人が正式に彼を手放すことに同意しない限り、アイリーンとの結婚という問題は解決できなかった――この時点では目処が立っていなかった。彼もアイリーンもそんな考えに断念させられはしなかった。結婚しようがしまいが、二人は共に未来を築くつもりだった――二人はそう考えていた。クーパーウッドにできる唯一のことは、アイリーンを一緒に連れて行き、時間と夫の不在が妻の考えを変えることに託すことだった。
クーパーウッドのキャリアに一大転機をもたらすことになったこの特異な恐慌は、アメリカ人の楽観主義と、この国の抑えがたい進歩から自然に生じる、異常な現象の一つだった。正確には、ジェイ・クックの名声と野心の結果である。彼は初期の修練とその後の成功をすべてフィラデルフィアで経験し、やがて当代随一の資本家になった。ここでこの男の台頭から栄達までをたどっても仕方がない。連邦政府は最も暗い時期に、彼が行った提案と考案した手法によって、南部との戦いを続けるための資金を調達できた、と言えば十分だ。この男は南北戦争が終わると、フィラデルフィアに巨大な銀行事業を築き、ニューヨークとワシントンに大きな支店を構え、何かやるべき重要なこと、自分の才能にふさわしい建設的な仕事をしばらく見出せずにいた。戦争が終わると、あとに残ったのは平時の金融だけであり、アメリカの金融事業で最大のものは、大陸横断鉄道の建設に関わるものだった。一八六〇年に認可されたユニオン・パシフィック鉄道はすでに建設が進んでいた。ノーザン・パシフィック鉄道とサザン・パシフィック鉄道は、すでに様々な開拓者の頭の中で夢見られていた。重要なことは、大西洋と太平洋を鉄で結び、領土的に完成され新たに固まった連邦の結びつきを強めるか、あるいは金と銀が最も重要だが、大規模な採掘事業を始めるか、だった。実際には、鉄道建設がすべての中で最も重要だった。鉄道株はアメリカのどの取引所でも、群を抜き、最も価値が高く、重要だった。ここフィラデルフィアでも、ニューヨーク・セントラル、ロックアイランド、ウォバッシュ、セントラル・パシフィック、セントポール、ハンニバル&セント・ジョセフ、ユニオン・パシフィック、オハイオ&ミシシッピなどが盛んに取り引きされた。これらの銘柄を扱うことで、富や名声を得ている人たちがいた。東部ではコーネリアス・ヴァンダービルト、ジェイ・グールド、ダニエル・ドリュー、ジェームズ・フィッシュなど、西部ではフェア、クロッカー、W・R・ハースト、コリス・P・ハンティングトンなどの大物が、これらの事業に関わって巨大な山のようにすでに頭角を現しつつあった。この点に最も熱い夢を見ていたのがジェイ・クックだった。彼にはグールドのような狼の狡猾さも、ヴァンダービルトのような実務知識もなかったが、アメリカ北部に鉄の帯を通して結び、これを自分の名前の永遠の記念碑にするという野望を抱いていた。
クックを最も魅了した計画は、現在のダルースがあるスペリオル湖西岸のはずれから、コロンビア川が注ぐ太平洋の一帯にかけての――合衆国最北地の三分の一にあたる――当時はほとんど未開のまま残されていた地域の開発に関するものだった。鉄道が建設されたら、ここに大都市や繁栄する町が生まれるだろう。この鉄道が横断するロッキー山脈の一帯には、さまざまな金属鉱山があると考えられ、肥沃なトウモロコシや小麦の土地からは、計り知れない富が収穫されることが期待された。そうなればダルースまでしか運べなかった産物は、大幅に削減されたコストで、五大湖とエリー運河を経由して大西洋まで運べるようになる。それは同時代のパナマ運河計画にも似た、帝国的な構想であり、明らかに同じくらい人類に有益なものになりそうだった。これはクックの関心と情熱を呼び覚ました。真剣に取り組んで、しかるべき期限内に完成させる会社に、政府がこの線路の両側の広大な土地を分け与える制度を作っていた事実と、これが彼に名だたる公人でいつづける機会を与えてくれることから、彼は最終的にこの計画を背負い込んだ。多くの異論と批判はあったが、南北戦争の戦費を調達した天才なら、ノーザン・パシフィック鉄道の資金調達もできると考えられた。クックは――大手の金融機関を介さずに――この計画の優れた点を直接国民に提示して、肉屋、パン屋、燭台職人などに自分が処分したい株を売ればいいと考え、この事業に取り組んだ。
絶好のチャンスだった。彼の才覚は、南北戦争中に巨額の国債をこのやり方で国民に直接売りさばいていた。ノーザン・パシフィックの証券も売れないはずがない。数年間、華々しいキャンペーンを行い、現地調査を実施し、大がかりな鉄道建設隊を組織し、極めて厳しい条件下で数百マイルの線路を敷設し、一定の利回りが保証された証券を大量に販売した。もし彼個人が鉄道建設についてほとんど知らず、この計画が、一人の人間に、たとえ偉大な人物にも、手に負えないほど大規模でなかったら、その後の経営陣が成し遂げたように、成功していたかもしれない。しかし、不況、ヨーロッパ資本を一時的に拘束し、アメリカの事業への関心を失わせたフランスとドイツの戦争、嫉妬、中傷、一定の割合のずさんな経営、このすべてが重なって計画を頓挫させた。一八七三年九月十八日、正午十二時十五分、ジェイ・クック商会はおよそ八百万ドル、ノーザン・パシフィック鉄道は投じられた全額――約五千万ドル以上――の負債を抱えて破綻した。
その結果がどうなるかは想像に難くない――最も重要な金融家と最も名高い鉄道事業が、同時につぶれるのだ。「晴天の金融界に雷鳴」とフィラデルフィア・プレス紙は報じた。「真夏の正午の炎天下に雪が降っても、これほど驚きはしない」フィラデルフィア・インクワイアラー紙は報じた。これまでのクックの大成功で、彼を無敵と信じて安心しきっていた民衆には、事態が理解できなかった。到底信じられなかった。ジェイ・クックが破綻? あり得ない。まさか彼に関わるものに限って。それでも彼は破綻した。ニューヨーク証券取引所は、その直後に相次ぐ暴落を目の当たりにしたのち、八日間休場した。レイクショア鉄道は百七十万ドルのコールローンを返済できず、ヴァンダービルト関係者と提携していたユニオン信託は長期に及ぶ取り付けに耐えたあと店を閉めた。ニューヨークのナショナル信託は金庫に国債を八十万ドル持っていたが、それが担保では一ドルも借りられず、営業を停止した。不信が広がり、噂がみんなに影響した。
フィラデルフィアでは、このニュースが証券取引所に届いたとき、第一報はニューヨーク証券取引所から取引所理事会宛ての短い電文の形で届いた。「ジェイ・クック商会破綻の噂あり。回答乞う」これを信じる者はなく、返信されなかった。気にも留められなかった。ブローカーたちはこれにほとんど注意を払わなかった。クーパーウッドは、自分の証券を直接国民に売るというこの社長の華々しい理論にかなり懐疑的だったので、ジェイ・クック商会の行方を注視していた――おそらく疑いを抱いていた唯一の人物だった。彼はかつてある問い合わせに対してすばらしい批評を書き、その中で、ノーザン・パシフィック鉄道のような壮大な事業が、一つの会社、いや一人の人間に全面的に依存した例はかつてなく、これは好ましくない、と述べていた。「私は、この鉄道が通る土地が、クック氏とその仲間たちが我々に信じ込ませようとしているほど、気候、土壌、木材、鉱物などにおいて、比類ないものだと確信していない。また、この鉄道が現時点で、あるいはこの先何年も、その膨大な発行証券が要求する利息を稼ぎ出せるとも思わない。そこには大きな危険とリスクが潜んでいる」だから、この通知が掲示されたとき、彼はそれを見て、万が一ジェイ・クック商会が破綻したらどんな影響が出るだろう、と考えた。
彼は長く考え込まなかった。第二報が取引所に掲示された。「ニューヨーク、九月十八日。ジェイ・クック商会営業停止」
クーパーウッドにはそれが信じられなかった。絶好の機会だと思うと、我を忘れた。他のブローカーたちと一緒に、真相を確かめようと、その有名な老舗銀行がある三番街一一四番地に駆けつけた。持ち前の威厳も慎みも忘れて、ためらわずに走った。もしこれが本当なら、重大なひとときが訪れたのだ。パニックと惨事は広範囲に及び、全銘柄が大暴落するだろう。自分はその渦中にいなければならない。ウィンゲートと弟二人にはそばにいてもらい、三人に、売り方と、買うタイミングと、買う銘柄を指示しなければ。偉大な時間が訪れたのだ!




