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資本家  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
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第56章

 

 月日が経過した。ボンハとの合意が成立すると、クーパーウッドの妻、母、妹も時折面会に来ることが許された。妻子は今、彼が家賃を払っている小さな家に落ち着き、金銭的な負担はウインゲートが果たし、彼に代わって月々百二十五ドルを渡していた。妻にはもっと支払うべきだと自覚してはいたが、彼はこのところ資金繰りでかなり切羽詰まっていた。既存の事業が三月に最終的に破綻すると、彼は法的に破産を宣告され、債務の弁済のために全財産が没収された。一ドルに対して三十セントの按分弁済が宣告されていなかったら、その時点で、五十万ドルという市の請求分が、現金化できる金額以上を食いつぶしていただろう。このときでさえ、市は正当な取り分を受け取ることはなかった。何かの誤魔化しがあって権利を失ったことにされた。市の請求は、適切な時期に、適切な方法で申し立てられていなかった。このおかげで他の債権者に、より多くの現金が残ったのである。

 

 幸い、この頃までにクーパーウッドは、少しやってみて、ウィンゲートとの業務提携が利益をもたらしそうだとわかり始めていた。ウィンゲートは誠心誠意努める意向をクーパーウッドに表明していた。彼はクーパーウッドの二人の弟をかなり安い給料で雇い入れた――一人に帳簿の管理と事務所を任せ、もう一人には、会員権が売却されず済んだので、取引所で自分と一緒に行動させた。それと、かなりの努力の末に、ヘンリー・クーパーウッドを銀行の事務職に就けることにも成功した。ヘンリーは、第三ナショナル銀行を辞めてから、この先どうやって人生と向き合えばいいかという深い悲しみの困惑の中にいた。息子の不名誉! 裁判と投獄の恐怖。フランクが起訴された日から、そしてそれ以上に、有罪判決を受けてイースタン刑務所に収監されてからというもの、ヘンリーは夢遊病者のようだった。あの裁判! フランクに対するあの告訴! 自分の息子が縞柄の囚人服を着る受刑者になるとは――しかも、自分とフランクは、地元で成功して尊敬されている人たちの先頭を誇らしげに歩いていたというのに。苦境にいる他の多くの人たちと同じように、ヘンリーは聖書を読んで、心の慰めになるようなものを求めてページをのぞき込んだ。晩年はかなりおざなりになっていたが、若い頃はいつも、そこで何かが見つかるはずだと思っていた。詩篇、イザヤ書、ヨブ記、伝道の書。今の苦難が神経をすり減らしていたため、いくら探してもほとんど見つからなかった。

 

 しかし、来る日も来る日も、身を隠すように自分の部屋にこもり続けた――新しい家の廊下のはずれの小さな寝室で、妻に向けに自分にはまだ関わっている商売の用事があるように装った――そして、いったん中に入るとドアに鍵をかけて座り込み、自分に降りかかったすべてのこと――自分が失ったもの、名声――について思い悩んだ。これを何か月かつづけて、ウィンゲートが用意してくれた新しい職――郊外の銀行での簿記の仕事のおかげで――朝早くこっそり出て行き、夜遅く帰宅するようになった。彼の心は、これまでに起きたことと、これから起こるかもしれないすべてのことの陰鬱な縮図と化していた。

 

 割りと遠くて路面鉄道では行けない小さな銀行にたどり着くために、新しくても大幅に手狭になった自宅を朝七時半にせかせかと出て行く姿は、商売の運不運がしばしばもたらす哀れな光景の一つだった。昼休みに帰宅する余裕がなく、新しい給料では昼食に金を出す贅沢ができなかったので、ヘンリーは小さな弁当箱に昼食を入れて持ち歩いた。今の唯一の願いは、死ぬまで世間体を保ちはするが人目につかないようにして生きていくことだった。そして、それがそう長く続かないことを願った。細い足と体に、白い髪、雪のように白い頬髯という哀れな姿だった。痩せ細り、骨が目立ち、難題に直面すると、自分の考えに少し自信がなくなったり、態度が煮えきらなくなった。驚く理由は実際にないのに、口に手を当て目を見開いて驚いてみせる、全盛期に身についた古い癖がここに来てひどくなった。本人は気づいていなかったが、本当にただの自動人形に成り果てていた。人生は岸辺にこういう興味深い哀れな残骸を打ち上げるのである。

 

 この時期に少なからずクーパーウッドを悩ませていたのは、特にこのとき彼が妻に対して極端に無関心であったことを考えると、妻に関心が持てないことと、二人の関係を終わらせたいというこの問題をどう切り出すか、だった。しかし、ありのままの事実を残酷に突きつける以外に、何も方法は見い出せなかった。彼にはっきりと見てとれたように、リリアンは今、起きたことを疑う素振りを、見た目には見せずに、献身的な態度を取り続けていた。しかし、裁判と有罪判決のあとも、夫がまだアイリーンと親密にしていることを、あちこちから耳にしていた。夫が同時にかかえている数々の苦悩と、夫が救われて順調な金融業の生活を送れるようになるかもしれない事実だけを考えて、今は話すのを思いとどまっていた。夫は独房に閉じ込められている、と自分に言い聞かせて、本当に気の毒だと思いはしたが、かつてのようには愛していなかった。夫のいろいろな不行状は確かに非難されるべきものだった。これが、この世界を支配している力によって、意図され、強いられたことは疑いの余地がなかった。

 

 ひとたびその真意を見抜いてしまえば、こういう態度がクーパーウッドにどう映るかは想像がつくものだ。妻がごちそうを差し入れ、夫の運命を憐れんでみせても、十数もの小さな兆候から、妻がただ悲しんでいるだけでなく、責めていることが彼にはわかった。もしクーパーウッドが常に嫌うものがあるとすれば、それは道徳のおしつけや葬式のように暗い雰囲気だった。アイリーンの明るくて闘争心旺盛な希望や熱意に比べると、クーパーウッド夫人の疲れ切った自信のなさは、控えめに言っても興ざめだった。アイリーンは、涙一つ見せずに、クーパーウッドの運命に最初は激しい怒りを爆発させたが、彼が出所して再び大成功することを明らかに信じていた。信じていたから、いつも成功と彼の将来の話をした。本能的に彼女は、刑務所の壁くらいでは彼を閉じ込められないことを理解しているようだった。実は、アイリーンは初日の帰り際にボンハに十ドルを手渡し、魅力的な声で――顔は見せなかったが――自分に親切にしてくれたことへの礼を述べたあとで、クーパーウッド――彼女の言葉では「とても偉大な人」――をこれからもよろしくお願いしますと言った。これがこの野心的な物欲家の運命を完全に決定づけた。暗い外套をまとったこの若い女性のために、この看守長がやろうとしないことはなくなった。刑務所の面会時間が禁じなかったら、アイリーンはクーパーウッドの独房に一週間でも滞在できたかもしれない。

 

 現在の結婚生活の倦怠と、それから解放されて自由になりたいことをクーパーウッドが妻と話し合おうと決めたのは、入所して約四か月後のことだった。その頃には囚人生活にも慣れてきた。独房の静寂と、無意味に繰り返して実行を強いられた雑役は、最初はとても悩ましくありきたりで気が狂いそうだったが、今はもうただの日常になっていた――退屈だが苦痛ではなかった。さらに、孤独な囚人のささやかな生活の知恵をたくさん身につけた。前回の食事や、妻やアイリーンが差し入れたかごから取っておいたごちそうなどを温めるためにランプを使うというやり方だ。ボンハを説得して石灰の小袋を持ってきてもらい、それを惜しみなく使って、独房の不快な臭いをある程度は取り除いた。また、罠を仕掛けて大胆なネズミを退治することにも成功した。ボンハの許可を得て、夜は独房の扉をしっかり施錠し、外側の木の扉を閉めて、あまり寒くなければ独房の小さな庭に椅子を持ち出して、晴れているときは星が見える夜空を眺めた。クーパーウッドは科学的な学問としての天文学に興味を持ったことはなかったが、プレアデス星団、オリオン座の三ツ星、北斗七星、そしてその延長線の一つが指し示す北極星は、彼の注意を引き、彼の想像力を膨らませるほどだった。どうしてオリオン座のベルトの三ツ星は、距離と配置において、独特の幾何学的な相関関係を持つようになったのだろう、そしてそれには何か知的な意味があるのだろうか、と考えた。プレアデス星団の恒星からなる星雲状の集合体は、音のない宇宙の深淵を感じさせた。彼はエーテルの果てしない広がりの中で、小さなボールのように浮かんでいる地球のことを考えた。こういうものに比べると、自分の人生が取るに足らないものに見えてしまい、そんなものに本当に意味や重要性があるのだろうか、と自問していることに気がついた。しかし、彼はこうした気分を簡単に振り払った。この男は、とりわけ自分や自分の仕事に、壮大さを感じていたからだ。彼の気質は本質的に物質主義的であり、活力がともなっていた。何かが彼に語りかけていた。現状がどうあれ、自分は大物にならなければならない。その名声が世界中に知れ渡る者に――努力に努力を重ねる者に、ならなければならない。遠くを見通したり、輝かしい業績をあげる力は万人に与えられるわけではない。しかし自分にはそれが与えられた。だから自分は、自分がなるべきものにならなければならない。他の多くの者が自分の小ささから逃れられないのと同じで、彼は自分に内在する偉大さから逃れられなかった。

 

 その日の午後、クーパーウッド夫人が、リネンの着替えを数枚、シーツを一組、瓶詰めの肉、パイを持ち、重々しい雰囲気で現れた。必ずしも悲しみに沈んではいなかったが、クーパーウッドは、妻は自分とアイリーンの関係のことで思い悩んでいるのだから、その方向に進んでいると考えた。彼は妻が気づいていることを知っていた。妻の態度の何かが、帰る前に話そうとクーパーウッドを踏ん切らせた。そして、彼は子供たちの様子を尋ねて、必要なものを妻が質問するのを聞いてから、妻がベッドに座っている間に、一つしかない椅子に座って話しかけた。

 

「リリアン、いつかきみに話したいと思っていたことがあるんだ。もっと早く話すべきだった。でも話さないよりは遅れてでも話した方がいい。きみがアイリーン・バトラーと私との関係に気づいていることは知っている。だから私たちはそれを包み隠さずはっきりさせた方がいい。私が彼女を大好きなのは事実だ。彼女は私にとても献身的でね。ここを出たら、彼女と結婚できるように準備しておきたいんだ。つまり、きみは私と離婚しなければならない。もし応じてくれるならね。それについて今、きみと話をしたい。これはきみにとってそれほど驚くことではないはずだ。私たちの関係が本来あるべき姿でなくなっていたのをずっと見てきたに違いないんだからね。それに、こういう状況である以上、これはきみにとってそれほど辛いことではないはずだ――私はそう思っている」クーパーウッドは話をやめて待った。リリアンは最初何も言わなかった。

 

 夫が最初にこの話を切り出したとき、リリアンは驚きか怒りを表に出して見せるべきだと考えたが、どういう態度をとって見せても、思い違いもせず興味も示さない、夫の落ち着いた調べるような目を見ているうちに、そんなことをしても無駄だと悟った。リリアンには極めて私的で秘密を要するように思える問題に、夫は完全に事務的だった――あまり恥じている様子はなかった。夫がどうして人生の繊細な事柄をそんなふうに扱えるのか、リリアンにはまったく理解できなかった。自分がいつも口をつぐんでおくべきだと考えるような事でも、夫は平気で口にした。社交上の問題を片付けるときの夫の率直さには、時々耳が熱くなることがあったが、これが大物の特徴に違いないと思ったので、それについては何も言わなかった。ある種の男性は自分たちの好きなように振る舞っているのに、社会は彼らをどうすることもできないようだ。おそらく、神さまが後でどうにかするのだろう――リリアンにはわからなかった。いずれにせよ、彼は不品行で、遠慮がなく、強引ではあったが、礼儀正しい話し方や謙虚な考え方を社会的な美徳としているように見える保守的なタイプの人たちの大部分よりは、はるかに興味深かった。

 

「知ってるわ」声には怒りと憤りをにじませていたが、リリアンはむしろ穏やかに言った。「そんなことはすべて、ずっと前から知ってたわ。いつかあなたがこういうことを言ってくると思ってました。あなたには散々尽くしてきたのに、すてきなご褒美ね。でも、いかにもあなたらしいわ、フランク。あなたが何かを決めたら、止められるものは何もないものね。ずっと順調にやってきて、愛する子供が二人もいるのに、それだけでは飽き足らず、バトラーの小娘なんかに入れあげて、自分たちの名前を街中の笑いぐさにするなんてね。あの女がこの刑務所に通っていることだって知ってるわ。いつだったか、私と入れ違いに出て来るのを見かけたから。もう他のみんなも知ってると思うわ。あの女には良識ってものがないから、気にもしないのね――みじめなうぬぼれ屋だわ――でもね、フランク、あなたにはまだ私や子供たち、実の両親がいて、しかも立ち直るために過酷な戦いをしなければならないのが確実なときに、こんなことを続けていたら、あなただって恥ずかしいと思うんですけど。あの女に少しでも良識ってものがあったら、あなたとは何もなかったはずよ――あんな恥知らずなことはね」

 

 クーパーウッドはひるまず妻を見すえた。妻の言葉の中に、観察して以前から確信していたことを読み取った――心を通わせようにも妻は自分とは合わなくなっていた。もう肉体的な魅力はなかったし、知的にもアイリーンには及ばない。また、最盛期に、わざわざ自宅に足を運んでくれた上流の女性たちとの交流が、妻にはある種の社交的な洗練さが欠けていることを彼にはっきりと証明してくれた。決してアイリーンが大幅に優れているわけではないが、それでも彼女は若くて、従順で、適応力があり、まだ成長の余地はある。今、考えてみたように、機会があれば、アイリーンを変えることはできるかもしれないが、リリアンに関しては――少なくとも、今、見る限りでは――どうすることもできない。

 

「実を言うとね、リリアン」クーパーウッドは言った。「私が言いたいことを、きみが正確に受けとめてくれるかわからないが、きみと私はもうお互いに全然合わなくなってるんだ」

 

「三、四年前はそう思っていないようでしたけど」妻は辛辣に口を挟んだ。

 

「私は二十一歳の時にきみと結婚した」クーパーウッドは、妻の口出しには何の注意も払わずに情け容赦なく続けた。「自分が何をしているのかわからないほど本当に若かったんだ。ただの子供だったんだ。でも、それは大して重要ではない。それを言い訳にするつもりはないからね。私が言いたいのはこういうことだ――正しかろうが間違っていようが、重要だろうが重要でなかろうが、私はその後で考えを変えたんだ。私はもうきみのことを愛していないし、それが世間にどう見えようと、自分が満足していない関係を続けたいとは思わない。きみにはきみの人生観があり、私には私の人生観がある。きみは自分が正しいと考え、きみに賛同する人は何千人もいるだろう。でも私はそうは思わない。私たちはこういうことで口論をしたことがなかった。なぜなら私はこれは口論するほど重要だとは思わなかったからだ。こういう状況で、別れてほしいと頼んだところで、きみに対してひどく不当な仕打ちをしているとは思わない。きみや子供たちを見捨てるつもりはないからね――きみに渡すお金が私にある限り、きみは私から十分な生活費を得られるんだ――でも、この先ここを出るなら、そのときは自由でいたいんだ。それをかなえてほしい。きみが持っていたお金も、それ以上の大金も、私がここを出て再起すれば取り戻せるんだ。でも、もし反対するつもりなら駄目だ――協力する場合だけだ。私はいつだってきみを助けたいし、助けるつもりだ――でも、あくまで私のやり方でだ」

 

 クーパーウッドは思案げに囚人服のズボンをなで、上着の袖を引っ張った。ここに座っている今の彼は、本来の彼である重要人物というよりは、むしろとても頭のいい職人に見えた。クーパーウッド夫人はひどく憤慨していた。

 

「よくも、私にそんな口が利けたものね。こんな扱いをするなんて!」立ち上がって壁とベッドの間の狭い空間――およそ二歩分――を歩きながら芝居のように叫んだ。「あなたが私と結婚したとき、この人は若すぎて自分の気持ちがわかってないんだ、と気づくべきだったわ。何かと言えば、お金。あなたはお金と自分の欲望を満たすことしか考えてないのよ。正義感ってものがないんだわ。これまでだってあった試しがない。あなたって自分のことしか考えてないのよ、フランク。あなたみたいな人は見たことないわ。この一件のあいだずっと、あなたは私を犬のように扱ってきたわ。そしてその裏でずっと、あのアイルランドの小娘とうまいことやって、自分のことを全部話していたんでしょ。最後の瞬間まで私を大事に思ってると信じさせておいて、今になって突然、離婚してほしいだなんて。私はしませんからね。離婚なんてするもんですか、だから、そんなこと考える必要ないわ」

 

 クーパーウッドは黙って聞いていた。この夫婦間のもつれに関しては、見たところ、自分はかなり有利な立場にいる。私は囚人だ。今後長期にわたって妻と私的な接触ができなくなる境遇を強いられる。妻は自然に私なしでやっていくことに慣れるはずだ。私が出所する頃には、妻は囚人との離婚をかなりやりやすくなっているだろう。特に、他の女性との不貞を申し立てることができ、それを私は否定しないのだから。同時に、アイリーンの名前が出ないようにしたいと思った。こちらが争わず、クーパーウッド夫人がそうしたければ、架空の名前を使えばいいのだ。それに、妻は、知的な面では、あまり強い人間ではない。自分なら妻を意のままに従わせることができる。もうこれ以上話す必要はない。沈黙は破られ、問題は妻の前に置かれた。あとは時間が解決するはずだ。

 

「芝居がかったまねはやめろ、リリアン」クーパーウッドは平然と言った。「生活していけるだけの金があれば、私がいなくなってもきみにとっては大きな損ではないだろ。ここを出ることになっても、私はフィラデルフィアで暮らしたくないんだ。今考えているのは西に行くことだ。私はひとりで行きたいと考えている。仮に離婚しても、すぐに再婚する気はない。誰のことも連れていきたくないんだ。きみはここにとどまって、私と離婚した方が、子供たちのためになる。子供たちときみへの世間の見方はよくなるだろうからね」

 

「私は離婚しません」クーパーウッド夫人はきっぱりと言い切った。「絶対にしません、絶対に! あなたが言いたいことを言うのは勝手です。私は散々あなたに尽くしてきたんだから、あなたは私と子供たちのそばにいる義務があるわ。だから私は離婚なんてしません。もうこれ以上は何を言っても無駄よ。私は離婚しませんからね」

 

「よくわかったよ」クーパーウッドは立ち上がりながら静かに答えた。「もうこれ以上この話をする必要はない。どうせ、そろそろ時間だ」(ふつう面会時間は二十分となっていた。)「もしかしたら、きみだって気が変わるかもしれない」

 

 リリアンは、マフと、差し入れを運んできた肩掛けの革紐をまとめると、帰ろうと振り返った。これまでは見せかけだけでも夫にキスをするのが習慣だったが、今は腹立たしくて取り繕うどころではなかった。それでも、残念だとは感じていた――自分に対してと、夫に対しても感じていると思った。

 

「フランク」リリアンは最後の瞬間に芝居じみた態度で言い放った。「あなたみたいな人、見たことがないわ。あなたには心ってものがないのよ。あなたにいい奥さんはもったいないわ。今あなたが手に入れようとしているああいう女が、お似合いよ。呆れるわ!」急に涙が出てきた。リリアンは軽蔑しながらも悲しみに暮れて部屋を飛び出した。

 

 クーパーウッドはそこに立ち、少なくとも、これでもう無駄なキスを交わすことはなくなるな、と内心ほくそ笑んだ。ある意味ではつらかったが、あくまで感情的な意味でのことだった。自分は妻に対して本質的に不当なことはしていないと判断した――経済的な負担を与えていない――これが重要なことだった。リリアンは今日は怒りはしたが、いずれ乗り越えて、時が経てば私の考え方もわかるようになるかもしれない。そんなことが誰にわかるだろう? とにかく、彼は自分が何をしようとしているのかを妻にはっきり伝えた。そして、彼が見たところ、多少の成果はあった。そこに立つ彼は、古い世界という殻からゆっくり出ようとしているひよこそのものだった。刑務所の独房にいて、あと四年近い刑期を残してはいるが、心の中では、まだ全世界が自分の前にあると明らかに感じていた。フィラデルフィアで再起できなければ西へ行けばいい。しかし、かつての知り合いの信任を得るまでは――他の地域に持っていける信用状を得るまでは――ここにいなければならない。

 

「ひどいことを言ったって骨が折れるわけじゃない」妻が出て行くと独り言を言った。「やられるまでは終わらないんだ。いずれここの連中に思い知らせてやる」独房の扉を閉めに来たボンハに、雨が降りますかねと尋ねた。廊下がとても暗く見えた。

 

「夜までにはきっと降るでしょう」ボンハは答えた。ボンハはクーパーウッドの複雑な事情をあちこちで聞くたびにいつも驚いていた。

 


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